1. 日本酒とワイン
日本酒好きです。
学生の頃(40年くらい前)の日本酒の質はひどかったと思います。
とりわけ日本酒を飲んだ人の吐く息の独特の臭さには辟易しました。
醸造用アルコール(要するに焼酎です)をぶち込んだ質の悪い日本酒だからだったんですね。
そんなわけでずうっと飲んでなかったのですが、20年以上前にたまたま後輩から勧められて石川県の「加賀鳶」「黒帯」を飲んで認識を新たにしました。
アルコールを添加していない純米酒です。
昔飲んでいたのは日本酒じゃなかったんだとはじめてわかりました。
その後ずいぶんたってから、上原浩の『純米酒を極める』を読んでやっぱりそうだったんだなと納得しました。
基本的に純米酒しか飲みません。アルコール添加したものは国際的に醸造酒として認められないという決定的な理由のほかに、上原浩がいろいろ書いていますので読んでみてください。上原浩、文章もりっぱです。
上原浩が言っていることでひとつだけぜひ紹介しておきたいのは。
ある日本酒のうんちく本が、「日本酒の本当のおいしさはアルコール添加したものだ」というとんでもない主張をしていて、その根拠としてあげているのが江戸時代の文献に、アルコール添加していない酒は「腰弱きもの」だという箇所があることなんですね。
上原氏は、そのうんちく本の「腰弱き」の理解が根本からまちがっていると指摘しています。
江戸時代は微生物の知識がなかったから衛生管理が難しく、醸造過程で腐敗することが少なくなかった。「腰弱き」というのは「腐敗しやすい」という意味なので、腐敗を防ぐためには焼酎をぶち込むしかなかったということなのですね。くだんのうんちく本はそれを「味に腰がない」と勘違いしている、そう上原氏は指摘しています。
ワインは好きだし、このブログにもいろいろ書いてきましたが、ワイン通なんかではありません。フランス、スペイン、イタリア、アメリカ、オーストラリア、チリなど生産国が多いので数千(数万?)の銘柄があるから全体像をつかめるわけがない。それがわかった時点でワイン通になるのをきっぱりあきらめました。
が、日本酒なら全体像がつかめるかもしれないと思いました。
20年以上、飲んだ日本酒の詳細な記録をつけています。400銘柄弱。
全体像がつかめた気がします。はじめて飲むものも「ああ、全体のこの位置にある酒だな」と判断できます。
ワインも飲んでいるので、比較してわかることが二つあります。
ひとつ目は。
味と香りはとても身体的な感覚なのでことばにするのがむずかしい。
そのむずかしさをわかった上であえてワインの世界では、身体的な味や香りをことばにしようと苦闘し、ことばを作り上げてきました。
いちばん知られていると思う形容のひとつが、イタリアはトスカーナのキアンティ・クラシコの「すみれのブーケ」だと思います。
わたしも「けっ、なんばつやつけとーとや」(博多弁で「なにをかっこつけているのか」の意味)と思っていましたが、「すみれのブーケ」ってほんとに具体的で実質を伴った形容なんですね。
フィレンツェに行ったとき、現地の日本人ガイドに連れられてイタリアNo.2のソムリエがやっている小さな酒屋に行きました(「No.2」というのが本物っぽいですね)。
そこで世に言う「スーパー・タスカン」を何本も試飲しました。
グラスでまわすやり方がうまくできなくて、ガイドの人に
「まわし方によって香りがぜんぜん違うでしょう?」
と言われて
「うーーむ、確かにそうですね」ともったいぶって答えたけど、実はさっぱり違いがわかりませんでした。
そのくらいいい加減な鼻と舌なのですが「すみれのブーケ」ははっきりわかりました。
そのとき買ったキアンティ・クラシコはほんとにおいしかった。
「すみれのブーケ」みたいな形容は百年以上かけて練り上げられたことばなのですね。
そういう形容がワインの世界にはしっかり作られている。
「腐葉土の香り」「液体の岩のような」苦みとか。
日本酒がまともになったのはこの30年くらいだから、そういうしっかりした形容がまだできていません。
でもみんな苦労しながら共有できることばを探している。
そういうことがワインと比較してわかりました。
世に言う「淡麗辛口」は形容にもなっていない雑なことばです。
できあがりつつある形容のひとつが、山廃や生酛(きもと)に共通する
「ナッツの香り」なんじゃないかと思います。
(山廃、生酛については後述します)
日本酒を描くことばはワインと較べるとまだ発展途上なんですね。
ふたつ目は。
ワインは値段が味を決定するという面があります。
もちろん安くて美味しいワインはあるし、高くて美味しくないワインもある。
でも総じて「うまーーーい!」と思うワインはそれなりの値段を出さなければならない。
日本酒のすごい点は「民主的」だということですね。
原料の酒米の表面には雑味があるのでそこを削ります。削って残った部分を「精米歩合50%」とかで表示します。
削ると雑味がなくなる。うーーーんと削ったのが(精米歩合30%とか)「大吟醸」というやつです。削って少なくなっているから当然値段は高い。
でも大吟醸がおいしいかというと一概にそうは言えない。
わたしは大吟醸を飲みません。
きれいな酒質です。飲みやすい。
だけれどあれだけ削れば、よほど腕の悪い杜氏でなければおいしいに決まっている。
杜氏の腕の差が出ない。それから味の個性が出ない。
削って評判の山口県の「獺祭(だっさい)」とかはわたしの好みではありません。
きれいすぎて味わいがない。ワインで言えばボディーがない。
新潟県の淡麗辛口も好みでない。「久保田」「越乃寒梅」「八海山」(それぞれ違いはありますが)は好みでない。
精米歩合55%~60%くらいの酒に杜氏の腕の差が出る気がします。
残っている雑味をどう活かして旨味に変えるかという腕の差。
雑味が活かされたとき、ほんとに美味しい酒になる。
そして当たり前ですが、あまり削ってないから大吟醸より安い。
(最近はあえて精米歩合70~80%の酒を造る酒造もあります。個性的でおいしいものが多い)
1升3000円台の日本酒がいちばんおいしい。
これ、ワインと較べてすごいことだと思います。
3000円台、ときには2000円台後半の酒が1万円以上の大吟醸よりおいしいことは珍しくありません。
ワインの背後には階級社会があるが、日本酒にはない。民主的です。
2. 飲み方
わたしは飲むときに5つのポイントに注目します。
(1) 立ち香
鼻で嗅ぐ香りです。吟醸酒独特の青リンゴやマスカットの香りだとか、ナッツの香りだとかさまざま。でも立ち香がそれほどなくて美味しい酒もある。あればいいというものじゃありません。
(2) 味
あたりまえですか。舌に乗せていろんな味を楽しみます。「淡麗辛口」がいい加減だと思うのは「辛さ」が日本酒にあるわけがないからです。酸味や甘みとのバランスから出てくる印象にすぎません。
(3) 含み香
ゴクリと飲んだときに鼻に抜ける香り。立ち香と同じこともあるし、まったく違うこともある。不思議です。
(4) 余韻
飲んだあと残る味や香り。味と香りがスッと消えるのを「切れがいい」と言います。切れがいいのがいいとは必ずしも言えない。ずーーーーんと余韻が残る良さもあります。
(5) 時間経過
これこそが蒸留酒とは違う醸造酒の楽しみ。だめな酒は数日でまずくなります。上に書いたように新潟の酒は好みじゃないのですが、新潟県弥彦の「越乃白雪(こしのはくせつ)」は最初に飲んだとき「なんじゃこりゃーー、水じゃないか」と思って(水のようにスイスイ飲める酒は好きじゃない。だったら水飲めばいいじゃんと思います)流しの下に1ヶ月ほったらかしにしておいたら、もうすーーんばらしい味に変貌していました。数年経った古酒も好きです。飴色の紹興酒みたいな古酒の味わいは絶品です。
銘柄ごとの味の違いを楽しみたいので冷やした酒は飲みません。
いい地酒をそろえているのに「これはぜひ冷やで飲んでください」とたわけたことを言う居酒屋がある。
味の違いは最低常温でなければわからないと思います。
常温を出せない店ではあえて燗をつけてもらいます。熱燗よりちょっと低めの上燗(じょうかん)くらい。燗をつけて冷めたのを「燗冷まし」と言います。これがいちばん酒の善し悪しがわかる。ひどい酒は燗冷ましがまずい。
生酒は好きではありません。ワインのボージョレ・ヌーヴォーが好きでないのと同じ。
熟成した味が醸造酒の醍醐味なので、火入れしたものが日本酒本来の味だと思います。
第一、生酒は冷蔵保存しなければならない。冷蔵庫のスペースがないわが家では生酒はやっかいものです。
3. お気に入り
好きな酒は2系統。
ひとつは味わいさまざまな純米酒。
北から言うと、
青森の「豊盃(ほうはい)」。外れがない気がします。
秋田の「天の戸 淳辛」。雑味をうま味に変えた酒。ときどき無性に飲みたくなる。
同じく秋田の「まんさくの花」。岩手の「鷲の尾」。
山形はわたしの中では日本酒ナンバー1の県。
「小桜 惣邑(そうむら)」。年ごとに味のばらつきがあるのが難。
「刈穂 六舟」。おいしい苦みというものをこれではじめて知りました。酒米が昔の美郷錦から変わってしまったのですがそれでもおいしい。わたしの定番酒のひとつ。
「羽前白梅」「鯉川」「楯野川」。
蕎麦と写ってますが「山桃花」は 蕎麦とはあまり合いません。 |
ここは生酒がほとんどなんですが「純米吟醸霞山(かざん)」は火入れがあってわたしの定番酒です。生酒もここのだけは飲む。「黒吟」「山桃花(ゆすら)」どっちもすばらしい。
有名じゃないけど「群馬泉」。田舎のおいしい酒、という感じがします。
福井県の「花垣」。それに「梵(ぼん)」。
京都ハクレイ酒造(どれもおいしい)。名古屋の「醸し人九平次」。
大阪の「秋鹿」。和歌山の「黒牛」(この生酒も例外的に飲む)。
「日置桜強力(ごうりき)」 あやめじゃないぞ |
愛媛の「石鎚」。愛媛には他にもおいしい酒があるのですが、なぜかどれもミカンの香りがする。添加してるわけがないので、ひょっとして道具とかにミカンの木を使ってるんじゃないかと想像してます。
福岡の「三井の寿」。ここがすごいのは銘柄ごとに味がかなりちがってどれもおいしいこと。
ふたつ目の系統は山廃と生酛(きもと)。
ふつう、日本酒には「協会9号」とかの名前がついた酵母のカプセルを使うのですが、
生酛づくりというのは、蔵に昔から住みついている独自の酵母が自然に入るのを利用して発酵させるものです。時間と手間がかかる(らしい)。その工程のひとつ「山おろし」を省略したのが「山おろし廃止」→「山廃」。
濃厚な風味が出ますが、総じて「ナッツの香り」がすることが多い(苦手な人もいると思う)。
山形の「初孫 砂潟(さかた)」は、生酛なのにナッツの香りがしない不思議な酒です。
めちゃめちゃおいしい。
石川の「菊姫山廃純米」は有名。ドカンとくるヘビー級パンチの味わいがあります。
上に書いた福岡「三井の寿」の山廃もなかなかのもの。どちらも好きです。
さらにすごいのが奈良の「花巴(はなともえ)」。強烈なナッツ香とボディーがあります。スーパーヘビー級。日本酒のイメージが変わる。冬になると飲みたくなります。
「菊姫山廃純米」と 「花巴」。重量級コンビ。 |
すばらしい文化だと思います。
醸造酒の奥行き。
若い人にこのすばらしさをわかって欲しいなと思います。
途絶えてしまったらたいへんな文化的損失です。
(2021/1/3 付記)
その後、「日本酒の話 その2」以下続編を投稿しています。
ご興味がありましたらご笑覧ください。