仮出所した瀬戸内米蔵の寺から白骨死体が発見される。
その謎を巡る前後編にわたる長い作品で、瀬戸内米蔵、社美彌子、片山雛子、蓮妙その他くせのある脇役たちのそろい踏み。
の割にいまいち。
テンポが遅い。
それは置いておくとしてもストーリーに難がある。
犯人はロシアからの指令で社美彌子 (やしろみやこ) の元恋人ヤロポロクを殺害した。
その部屋に置かれていた社美彌子と娘の写真を見て、美彌子の美しさに惹かれる。
その思いから美彌子を監視していた男を殺害して瀬戸内米蔵の寺の境内に埋める。
そういうストーリーなのですが。
犯人が社美彌子がどういう人物なのかをどのように特定したかが不明。
犯人が彼女を追尾しているときに監視している男に気づく、そういう場面が出てきます。
しかし。
そもそも
社美彌子が何者なのかを知らなければ追尾は不可能です。
(そして彼女に偽の手紙を送ることも不可能です)
その情報を犯人はどのように得たのか?
もちろんロシアやアメリカが犯人に情報を渡した可能性がないわけではない。
でもそういうことはいっさい触れられないし、
もしそうだとしてもいったい何のためにロシアやアメリカがそうするのか?
それももちろん説明されません。
犯人は「自分は監視している男を(命令に従ってではなく)はじめて自分の意志で殺した」と言っています。
このことばは、監視の男の殺害に関する限り、ロシアのかかわりはなかったことを意味します。
これは致命的な穴だと思います。
期待外れでした。
だけど。
久しぶりに『相棒』について書いたので、ぜひともついでに書いておきたいのは、
正月の『サクラ』。
これは今までのところ Season 16 で出色の作品だと思います。
まず脚本が緻密で隙がない。
2時間スペシャルだけれど、5分間テレビの前から離れたら展開がわからなくなるくらいの緻密さとスピード。
そして何よりも、右京という人物の謎を解き明かす重要なエピソードだったと思います。
以前、Season 13 『鮎川教授最後の授業』 (名作でした)についてわたしは次のように書きました。
《鮎川教授の
「人間はなぜ殺人を犯してはならないのか。その理由を述べよ」
という問題への右京の答案はなんだったのかです。
鮎川教授は右京の答案を「みごとな答案だ。力作だ」と言いました。
社美彌子の答案も「力作だ」だが「及第点は与えられない」とも。
しかし、
右京の答案に「及第点を与えられない」とは言っていません。
及第点だったのではないでしょうか。
右京は「人間がなぜ殺人を犯してはならないのか」に正しい解答を出していたので
はないでしょうか。
ああ。
右京の答案の上半分が画面に一瞬映っていた。
そこに何が書いてあったのかを知りたい。
でもその答えを右京は言わないし、視聴者にも伝えられない。
これこそカタルシスのないオープンエンドです。
いつか明かされるかもしれないその答案を見たくてわたしは『相棒』を見続ける
ことでしょう。》
『サクラ』はその答案が何だったのかを暗示していると思いました。
「人を殺してはならない」は「正義」です。
右京はつねに正義を全うしようとする人間です。
しかし人はなぜ「正義」を守らなければならないのか?
正義はフィクションでしかない。
普遍的に正しいと証明されたものではない。
しかしそのフィクションを信じることをやめたとき、人間は人間でなくなる。
それは盲信や独善と紙一重のあやういものです。
だけれども、これを信じなければわたしはわたしでなくなってしまう、
そういう重大なフィクションが存在するのではないか。
右京の「正義」とはそういうものではないだろうか。
『サクラ』の最後はそれを暗示しているとわたしには思えました。