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2014年9月23日火曜日

ローズマリー風味のかぼちゃパスタ

ときどき行く吉祥寺の「Va Bene(ヴァ・ベーネ)パスタランチでこれを食べました。
手書きのメニューに「かぼちゃのパスタ」とあったのでクリームソースを想像しました。
しかし塩味ソースで、しかもローズマリーを合わせているのが意表を突きます。

「かぼちゃとローズマリーって意外に合うんですね」
と大将に言うとうれしそうに笑って
「おいしいでしょ。わたしはずっと前からやってます」



近所に住んでいる姉からかぼちゃをもらったので作ってみました。
パンチェッタ(塩豚)がのぞましいのですが、なければベーコン。
(もう何度か書きましたが実はベーコンはパンチェッタの代用にはなりません。
ベーコンの燻製香がソースの邪魔をします)




ローズマリー風味のかぼちゃパスタの作り方



材料(3人分)
パスタ          300g(ゆで時間5~6分のもの)

かぼちゃ         1/4個(と言ってもかぼちゃの大きさ次第。量はお好みで)
パンチェッタ(塩豚)   120g
タマネギ         1/2個
青菜(チンゲンサイなど) 適量(今日は2株。もっと少ない方がいいかも)
ローズマリー       1/2枝
ニンニク         1片

白ワイン(または純米酒)   大さじ3
EVオリーブオイル 

黒胡椒
(ナンプラー)        ごく少量。なくても可。



【材料の下準備】
(1) パスタをゆでる鍋にたっぷりの湯を沸かしはじめる。塩をしっかり入れる。

(3) パンチェッタ、タマネギ、ニンニクはみじん切り。青菜は適当に切るが茎の部分と葉の部分を分けておく。

(4) かぼちゃはやや小さく切る。言わずもがなですが、
かぼちゃを切るとき怪我をしないように
ちなみにわたしはかぼちゃを切るときはでっかい中華包丁を使います。力を入れずにバンバン切れるのでこわくない。こういうとき中華包丁のすごさがわかります。

切ったかぼちゃを水洗いして器に入れ(水分を足すため)、ラップをかけて電子レンジにかける。熱くなるけど柔らくなってないくらいが目安。


【ソースを作る】
(1) フライパンにオリーブオイルを入れ、中火でパンチェッタを炒める。パンチェッタの成分が油に染み出したかな、と思った当たりでニンニクを加える。

パスタ料理全般にそうですが、ニンニクを焦がすのは厳禁。ソースの香りが台無しになります。

ニンニクに火が通ったらタマネギを入れ、塩胡椒を振る。
たぶんこのあたりでパスタを茹ではじめるとタイミングがちょうどいいんじゃないかと思います。指定時間より1分ちょっと短めに茹でる。茹で上がりとソースのできあがりが同時になるのをめざします。


多めのゆで汁で
かぼちゃを柔らかくします
(3) タマネギが半透明になったら、白ワイン(または純米酒)を加え、アルコール分が飛んでから、
かぼちゃ、枝からしごいたローズマリーの葉、パスタのゆで汁お玉2杯強を加えます。

ゆで汁がこのパスタの肝。ふつうの塩味系パスタより多めです。かぼちゃが水分を吸うのでゆで汁が少ないとトロトロのソースになりません。


手早く味を調整。塩気が足りない場合にナンプラーを少量加えるとコクがでます。
パスタのゆで上がりが近いので青菜の茎の部分を入れ、パスタのゆで上がり直前に葉の部分をソースパンの上からまくように散らします(混ぜなくていい)。


【仕上げ】
塩味系パスタの「鉄の掟」 (?) ですが、パスタがゆで上がったらしっかり湯切りしてソースの中に入れ激しくあおる。またはトングで激しくかき混ぜる。ソースを乳化させると同時に短時間でしっかりパスタに食い込ませるためです。火は強火。


うーーん、いつものことだが
盛りつけがヘタ。

お皿に盛ったら完成。
好みで上質のEVオリーブオイルをかけ回して食べる。

2014年9月14日日曜日

ブログの3年

「パイエーケス人の園」、3年たちました。

論文とはちがう自分の文体をさぐってみたくてはじめました。
不特定多数に発信することで自分のちがう顔が出てくるのではないかとも思いました。

はじめるときに大まかな方針を三つ考えました。

(1) 活字とはちがう媒体なので、
できるだけ時間をかけずに書く。あまり書き直さない。重大なまちがいをのぞくと編集はだいたい数日以内に終わらせてあとは手をつけない。

(2) しかしツイッターやフェイスブックとも違うので、
長く書く。量を大事にする。
(理由は「わたしはなぜつぶやかないか」に書きました)

(3) それから、あたりまえのことですが
できるだけ多くのアクセスを目指す。

以上を基本方針にしました。



3年たって気づいたことを書きますと。

アクセス総数 43,000くらい。
漸増してきているので現在は年間 20,000 程度のペースでしょうか。
知人・友人の範囲を超えているのは確かですが
これが多いか少ないのかはよくわからない。
多くはないんじゃないかなとは思ってます。
年間10万超えると「発信している」実感が出てくる気がします。

やはりまめに更新するとアクセスは増える。
エネルギーを注いで書いた記事はアクセスを集める。
古屋兎丸『ライチ光クラブ』論がそうです。

一方で、こちらの予想とずれるアクセスもあります。
「里谷多英の帽子」はどうしても言っておきたかったことなので書いたのですが、たいしてアクセスがなかった。
しかし今年の冬季オリンピック前にアクセスがぐんと増え、オリンピックが終わるとパタリとアクセスが止まりました。

いちばんアクセスが多いのは「ムサカの作り方」。
グーグル検索でトップページに来るので当然かと思うのですが。
料理の記事で、これは自信あるぜ、と思ってるのがアクセス少ない。
「中華風ビーフストロガノフ丼、マッシュポテト添え」とか
「小エビとマッシュルームのクリームソースパスタ」とか。
反対に、ちゃちゃっと気楽に書いた「春キャベツとアンチョビーのトマトソースパスタ」がけっこう読まれてたりする。


はじめの頃はそれまでの自分の書き言葉の文体を破壊したくて
無理してルーズな文体にしてました。

だんだん公表の責任みたいなことを感じるようになって、
文体の冒険が少なくなっている気がします。

兼ね合いがむずかしい。


リンクをはったり工夫しながら、とにかく続けようと思っています。
今後ともよろしくお願いします。



2014年9月12日金曜日

2014・夏ギリシア(その5完結編)

8月20日 アテネ〜帰国


午後2時頃空港に向かえば十分間に合うので、
「ホテル・アレトゥーサ」をチェックアウト後、荷物を地下に預かってもらって
午前中にアゴラを見学しました。


アクロポリス北西に広がるアゴラは古代アテネの中心地。
さまざまな店が立ちならぶ市場でもあり、
評議会(行政実務を行う市民500人からなる会議)や法廷、プリュタネイオン(迎賓館)などポリスの政治の中心でもあり、
大小さまざまな神殿や祠(ほこら)のある宗教センターでもありました。

ここは
ソクラテスが哲学の議論をしたり、
政治のゴシップが飛び交ったり、
べらんめえ調で威勢のいい呼び声を上げるガラの悪い魚屋がいたり、
香水屋にたむろしてくっちゃべる若者たちがいたり、
ヘパイストス神殿
要するに、
アテネの都市生活の高尚な文化から下世話な日常までごたまぜになった生きのいい広場でした。


ただ、そういう古代の息吹を残す遺物は礎石しか残っていなくて、建物として残っているのはヘパイストス神殿と、ローマ時代に再建されたストア(列柱廊)くらい。

歴史や文学を知ってから行かないと、灌木が点在するただの広場にしか見えないかもしれません。


かまどつき鍋
バーベキューセット
ストアの1階がアゴラ美術館になっています。
陶器や壺絵などの美術品もありますが、
ここでおもしろいのは、古代ギリシアの日常生活をうかがわせる遺物たち。

かまどつきの鍋だとか、バーベキューセット、ランプなどの日用品。

現在の陪審員制度の起源をたどると古代ギリシアの民衆法廷。
毎年、数千人の市民が裁判官に選ばれ、ほとんどすべての訴訟で判決を下しました。
その民衆法廷で有罪・無罪の投票に使われた投票石(実際には石ではないのですが)。

死刑囚に毒薬を飲ませるための小さな壺。
(前399年、哲学者ソクラテスが、伝統宗教をないがしろにし、若者にいけない教育をして堕落させた、という罪で死刑判決を受け、毒杯を仰いだのはご存じの方も多いと思います)

それから世界史でならった陶片追放。
国家に害をなすと思われる政治指導者の名前を陶片に書いて投票し、追放刑が行われました。政治家の名前を書いたそれらの陶片も展示されています。


ストアの2階は風が通る涼しい空間で、ローマ時代の彫刻が展示されています。
アゴラ美術館に入場しなくても階段を上ってこの2階に行けます。夏の強烈な日差しに疲れたらここに来るといい。

アゴラの南にはアクロポリスや、殺人法廷が開かれたアレスの丘(アレオパゴス)が見えます。
なんとこの猛暑の中、アレオパゴスの岩の上に登っている観光客がけっこういる!

プラカの目抜き通り
プラカの細い路地
わたしたちはそんな猛者(もさ)じゃないし、最終日まであくせくしたくないので、
民会場やフィロパポスの丘など付近の史跡巡りは省略して、
いまやなじみ深くなったプラカで時間を潰すことにしました。


もう買い物をすませたのでのんびり歩き。
楽しい旅行でしたがけっこう疲れがたまっています。

カフェに座りました。

「イオノス」看板
「その2」で書いたキダシネオン通りのタベルナ「ビザンティーノ」の斜め向かいにあるカフェ「イオノス」。

手書きのカタカナの「プラカ」という立て札があるタベルナ「プラカ」の真向かいです。

この「イオノス」が意外に良かった。
「イオノス」野外席
「イオノス」トイレの
洗面所
コーヒーがおいしい。
家族が頼んだカモミールティーと紅茶もおいしかった。

日よけの下の野外席で(というか、今回の旅行で店の建物内で飲食したことは1度もない。野外席こそ地中海ならではの楽しみ)プラカの人通りをのんびり眺めました。

この店、トイレもいい。
人が来ると自動でライトがつく立派なトイレです。
勘定の時に少し多めのチップをはずみました。

プラカで歩き疲れたらここがお勧め。



プラカからホテルに向かう道の猫
ギロピタ

ホテルで荷物を回収して、近くの「ピタパン」でギロピタを食べました。ドラム缶みたいな焼き肉の筒をナイフで削って野菜といっしょにピタパンに包み、ザジキ(ヨーグルトソース)を添えるギリシアのファーストフードです。




地下鉄で無事に空港に着き、ユーロを使い切るために免税店で、
「コレス」Korres (ギリシアのロクシタンみたいな店)のオードドワレと、クレタ島の蜂蜜を買いました。

帰国後オードドワレをつけると、
妻は「あ、ギリシア人の匂いだ。ギリシア人とすれ違ったときにこういう匂いがよくしてた」と言いました。

原料は、杉、緑茶とヴェティヴァーの根(ヴェティヴァーの和名は「カスカスガヤ」だそうです。シャネルNo.5にも使われている香水原料)。ロクシタンとは系統がちがうギリシアの香りです。



(完)




2014夏・ギリシア(その4)

8月19日 デルフィー遺跡 → アテネへ


「アクロポリ」のロビー。奥が食堂。
日差しが強くならないうちにデルフィー(デルポイ)遺跡を見たかったのですが、「ホテルアクロポリ」の朝食は7時から。朝食抜きで坂道続きの遺跡を見るのはきついのでのんびり行くことにしました。

ギリシアのホテルの朝食にはかならずおいしいヨーグルトと蜂蜜があります。
ギリシアのヨーグルトは濃厚なものですが、「ホテルアクロポリ」のは最強に濃厚。
「えいっ」とふらないと杓子から落ちないくらい。
そしておいしい。
(わたしは日本のヨーグルトを数時間コーヒーフィルターで水切りしてギリシア風にするのですがやはり味がちがう。日本のヨーグルトは酸味が強いです)


「アクロポリ」玄関脇の喫煙所
「アクロポリ」玄関の照明

こぢんまりと楽しい「ホテルアクロポリ」の写真を撮り、
チェックアウトして、帰りのバスの時間までフロントで荷物を預かってもらいました。




朝日の中を町から500メートルほど離れた遺跡に向かいます。

暑くなる前に遺跡を歩きたいので、手前にあるデルフィー考古学博物館はあとまわし。
博物館から遺跡まで、そして帰り道も、子猫がついてきました。ギリシアにはどこでも猫がいるのですがこの子は特に人なつこい。


アポロン神殿
遺跡の中心はアポロン神殿。
その下に各都市国家が奉納物を収めた宝庫がならび、
神殿の上には劇場があります。

夏の朝日を浴びるアポロン神殿は濃い影を落として美しいが、写真に撮るには不向きです(少なくともわたしの腕では)。撮影には夏意外の季節がいいのかもしれません。



デルポイの劇場


論理学や弁論術や数学や建築術など、合理的な学問の礎(いしずえ)を築いたギリシア人が、アポロンの神託を聞くためにデルフィー(デルポイ)に参拝していたのは奇妙に思えるかもしれません。


しかし、合理性と宗教性が共存しているところに古代ギリシア文化の特質があります。

ギリシア人は、人間の文化の可能性を極限まで押し広げた一方で、
人間が世界を100%コントロールすることはできないという事実、「人間には限界がある」というあたりまえの事実を深く知っていました。

どうしてか?

神々が人間のさまざまな限界を知らせてくるからです。
(ま、そういう風にギリシア人は想像してました)

不死なる神々は人間に「わたしたちと違ってお前たち人間は死ぬのだ」と言ってくる。
「死」という逃れられない限界を知らせてくる。

そしてデルポイの神託は
(その実際がどのようなものだったについてはさまざまな議論がありますが)
本質的には「未来を知ることは人間には決してできない」という限界を知らせるものでした。
神だけが未来を知っている


ギリシアに限らず、宗教は人間が集団で頭の中に作り出した虚構(フィクション)だと思います。でも「虚構だから無意味だ」ということにはかならずしもならない。

わたしは信仰を持ちませんが、
「人間はかならず死ぬ」「人間の知には限界がある」というあたりまえの事実を直視しようとしない神なき人間より、それをあたりまえのことだと受け取る「神という虚構」を信じる人間の方がまともな頭をしていると思います。

デルポイの神アポロンが示した「人間に未来を知る力はない」という限界を認識しない人間は、結果的にたいへんな過ちを犯します。

原発事故は「事故は起きない」「津波は来ない」という(自分が信じたい)未来を確信していた人々が起こした。
「事故は起きるかも知れないし、起きないかも知れない」
「津波は来るかも知れないし、来ないかも知れない」
という「未来の知への断念」からしか安全へのまともな思考ははじまらないはずなのに


ギリシアの神々は人間に限界を知らせる「否定の神」です。
デルポイの背後にそびえる峨々たる岩山はそのことを理屈ではなく目でわからせる。
ギリシアの美しく厳しい自然は、神々の美しく厳しい姿と重なっています。

でもそういう自然も神々も、人間を完全に押しつぶすことはない。
自分たちのちっぽけな姿を思い知らされることで、人間はちっぽけさになんとか工夫して対処しようとしはじめる。「まともな思考」をしはじめる。

デルポイ神域の入口には「汝自身を知れ」ということばが刻まれていたといいます。


ギリシアの宗教は、限界を教える(「汝自身を知れ!」)ことを通して人間をまともな思考に向かわせる機能を果たしていた虚構(フィクション)だ。そう理解すると、ギリシア人の合理的思考と宗教性が矛盾しないことがわかりやすいんじゃないでしょうか。


というようなことを正面から家族に話したことはあまりない。
でもせっかくギリシアに旅行するんだから、ことばではなく目でそういうことを感じて欲しいと思いました。
前々日に見た、厳かだけれど柔らかさと優美さが基調のエギナ島とは対照的な、
人間を突き放すようなデルポイの荒々しい自然=神々の世界を見て欲しい。

結果は。
うん、妻と娘は少しギリシアの世界を受け取ったんじゃないだろうか。



遺跡の最上段は運動競技場です。
ご存じのように、近代オリンピックはフランスのクーベルタン男爵が古代ギリシアのオリンピア競技祭をひな形として作ったものですが、
デルポイの「ピュティア競技祭」はそのオリンピア競技祭に次ぐものでした。
デルポイの競技場と岩山
古代ギリシアの競技祭と近代オリンピックの最大の違いは、宗教祭儀だということでしょう。運動競技は神に捧げるものでした。

ギリシア各地から集まる観客だけでなく、
神も運動選手の躍動する肉体を見てお喜びになる。
そうギリシア人は想像しました。
御者の像

鍛え上げられた選手の裸体は美しい。
人間が一瞬だけ「神のような美しさ」を手に入れる。

でもその美しさははかない幻です。
人間の体は老いと死を宿しているから。

デルポイの競技場は、険しい岩山(神々の冷厳な力の顕現)のすぐ麓にあります。
「不死なる神々」と「死すべき人間」がまさに隣り合わせになっている。

神の土地で繰り広げられる選手たちの肉体の躍動を楽しみながら、
ギリシア人は同時に、どんなに美しい体にも宿っている「滅び」を想像したのではないでしょうか。


デルポイから出土した戦車競技の勝利者を記念した「御者の像」には、勝ち誇ったガッツポーズの対極にあるような静かな美しさがあります。その美しさは、はかない人間の限界を知っている美しさだと思います。



遺跡をひとめぐりして「御者の像」があるデルフィー考古学博物館へ。

すばらしいクーロス(若者)像など、数は多くないけれど名品がそろっています。

右の写真は、前4世紀末に「アテネ(アテナイ)人の宝庫」の前に立てられた「踊る女神の柱」の最上部。13mほどの高さがあった柱はデルポイで人目を集めたにちがいありません。



「ホテルアクロポリ」の
トイレ入り口


町に戻り、預けていた荷物を受け取るついでに「ホテルアクロポリ」のきれいなトイレを借りました。また泊まりたいホテルです。

アテネ行きのバスの時間まで、デルフィーの町をもう一度歩いて写真を撮りました。






アテネに戻って、ホテル近くの店でお菓子を買い、それからプラカへ。
プラカはもう何度も来ているので、家族それぞれ目星をつけていた店でゆっくり買い物をします。


サンダル屋「アキリオン」

妻と娘はアドリアヌー通りの角にある店でギリシアらしいデザインのサンダルを3足買いました。サンダル屋の名前は「アキリオン」。俊足の英雄アキレウスからつけた名前です。

お土産のお菓子はバクラバ。
パイ生地なので崩れやすいのですが、プラスチックで小分けにしたのを購入。これなら壊れない。
自宅用にも買って帰り、(バクラバ自体が強烈に甘いので)甘さ控え目のホイップクリームを載せて食べました。なかなかいけます。



「プサラ」入口。
(帰り際に撮った写真)

買い物を終えてアテネ最後の夕食。
初日に行った「ト・カフェニオン」近くに候補の店が3軒ほどあったのですが、
入口の雰囲気で「プサラ」(Ψαρρά)を選びました。
そこの外テーブルに座ろうとしたら店員が向かいの建物を指さして
「屋上席にすべきだ」。

「プサラ」屋上
「まだ日差しがあるし、娘が肌が弱いので下の席にしたい」
と言っても、
「何を言っている。日はすぐに沈む。景色がいい。屋上にすべきだ」
と強硬に屋上に案内されました。

わたしたちは店員の強引さに不承不承従ったのですが。

屋上にしてよかった!!!


広い屋上からアクロポリスを見上げられる。
反対方向にはリュカベットスの丘。
心地よい風が吹き抜けます。
カラマリ

注文したのは、
サラダ、
カラマリ(イカのリングフライ)、
ムサカ、
スブラキ(肉と野菜の串焼き)、
デザートにカタイフィというケーキ。



おいしい!
スブラキ

カラマリはオリーブオイルで衣をサクッと揚げてある。レモンをたっぷり搾って楽しみました。

ムサカ
ムサカはわたしの感覚では「ビザンティーノ」より上だと思いました。
ベシャメルソースもミートソースも上品(ただし「その2」に書いたクレタ島のムサカにはおよびません。あれは別格)。

スブラキもカタイフィもおいしい。

テーブルワインの赤はデルフィーの「エピクロス」の個性的なおいしさに負けます。すこし酸が強い。
でも軽くて飲みやすく不満はありませんでした。


店員が言ったとおり、やがて日は落ち、
見上げるアクロポリスがライトアップされます。

わたしたちが入ったのは7時ちょっと過ぎでしたが、8時近くになるとぞくぞくと客が入ってきました。地元の人らしきギリシア人も外国人観光客もいる。日本人の団体客も入ってくる。
店員が、下の店で作った料理を満載した大きなトレイを肩に乗せ、階段を駆け上がってきては料理を取りにまた降りていく。
人気店のようです。


「プサラ」からライトアップされた
アクロポリスを見上げる
ここで食べるなら店員が勧めたとおり屋上です。
おいしい料理にすばらしい景色。
アテネで食事をするなら一押しの店です。
意中の人をここに連れてくればあなたの株が上がることまちがいなし。
入るなら7時台かな。
(わたしたちが食事を終えた9時前には屋上席も下の店も満席で、待っている客や「いっぱいだからしょうがない。ほかの店に行こう」と行ってる人たちが店の前に10人ほどいました)

ところで、日本人の団体のガイドが
「この店の水はボトルに入っているけれど水道水です。気になる方はワインを飲んで下さい」と大声で注意をしていました。

でもわたしたちが飲んだミネラルウォーターのキャップは封を切ってなかった。
味も水道水ではなかった。
水道水を詰めてわざわざ封をするまで手の込んだことをするんだろうか。

あとで妻から聞いたところでは、その添乗員は帰りのエミレーツ航空で同じ便に乗っていたとのこと。つまりアテネ在住の日本人というわけじゃなくて旅行会社の添乗員。
プサラの水が水道水だというのは不正確な情報にもとづくものじゃないかと思います。


大満足でホテルに向かいました。







2014年9月10日水曜日

2014夏・ギリシア(その3)

「その2」から間が空いてしまったのは、
「その2」を投稿した直後に40度近い高熱が出て、解熱剤を飲んでも下がらず再診療をした結果、右脚の「丹毒」(細菌感染)。

「筋肉まで菌が入ったら大ごとですよ」
と脅され(?)、仕事を休んでずっと抗生物質の点滴を受けることに。
体が細菌と闘っているのと、抗生物質漬けのせいでしょうか、
ぐったり疲れて頭も働きませんでした。
続いていた微熱がようやく下がり、一時はドラえもんみたいに膨らんでいた脚もようやく腫れが引いたのですが、しばらくは安静にして運動も控えた方がよいようです。

というわけで中断をはさんだギリシア旅行記の再開。



デルフィー考古学博物館
にある臍石(へそいし)
デルフィー(デルポイ)は、古代ギリシアで世界の臍(へそ)=中心であると考えられていた聖地です。急峻な岩山を背後に、アポロン神殿を中心にした遺跡が広がり、岩山の反対側には深い谷と、さらに谷の先にはコリントス湾が見えます。
    (「その2」に書いたように、固有名詞の後ろに似た音の
    (  )がある場合(  )が古代ギリシア語です)

遺跡の眼下に広がる谷とコリントス湾
いかにも「神アポロンの聖地」という厳かな雰囲気のある場所です。

ギリシア各地から多くの人々が、神アポロンの巫女ピュティアの神託(お告げ)を求めてこの地を訪れました。


4泊5日の旅程にアテネ以外の場所を入れるとするとやはりデルフィーでしょう(スーニオン岬も候補かもしれませんがポセイドン神殿に入れない)。


アテネからデルフィーへの日帰り観光ツアーもありますが、わたしたちはじっくり時間をかけて見たかったので一泊旅行にしました。



デルフィーの町
「遺跡以外に見るべきものはない」みたいなことを書いているガイドブックもありますが、そんなことはない。崖の中腹にあるデルフィーの町自体がきれいだし、景色がいい。もっと時間があればデルフィーの手前にある美しいアラホバの町に泊まってもよい(その場合、遺跡まで歩くのは無理なのでタクシーを使うことになります)。

デルフィーに行くにはアテネのリオシオン・バスターミナルから長距離バスに乗るのですが、このバスターミナルがアテネの中心から離れていてたどり着くのが簡単じゃない(と言われているし、そう思ってた)。

若いとき、スーツケースを汗だくになって長時間ころがしてようやく見つけた記憶がありますし、『地球の歩き方』(ギリシアに関してはちょっと情報が古い)の説明もはかばかしくない。

しかし地図で見る限り、国立考古学博物館を午前中全部使って見学し、そこから地下鉄でバスターミナル近くまで行けそうです。そしたら夕方にデルフィーの町についてゆっくり夕食とショッピングを楽しむことができる。


行き方は後述しますが、実際には
地下鉄を使って意外に簡単にリオシオン・バスターミナルにたどり着けました



8月18日 アテネ国立考古学博物館〜デルフィーの町へ



朝「アレトゥーサ」をチェックアウト後、スーツケースを預かってもらい、デルフィーでの一泊分の軽い荷物を持って出発。

夏のギリシア旅行必携のミネラルウォーターを買って地下鉄シンタグマ駅へ。


アテネの地下鉄はわかりやすくて3本の路線しかない。
の色分けがされていて乗り換えも色をたどれば簡単です。
(電車そのものが色分けされてるわけじゃないです。色分けは駅の案内板と路線図の話)

今日使うのはアテネ中心部から北に向かう
シンタグマには通ってないのですが、の地下鉄(空港と反対方向行き)に乗ってひと駅先のモナスティラキで(ピレウスと反対のキフィシア方面行き)に乗り換え。ふたつ目のヴィクトリア駅で降りて国立考古学博物館へ(徒歩5分くらい)。

国立考古学博物館入り口
国立考古学博物館は、先史時代からミュケナイ文化、ミノア文化、アルカイック期、古典期、ヘレニズム、ローマ時代までの名品揃いの大規模な博物館なので、
ちゃんと見ようと思うとけっこう時間が必要です。
初めての土地で当然疲れ気味の妻と娘を、早足で引っ張り回したくなかったので、
途中休憩を入れ、じっくり見てたくさん写真を撮ってほぼ午前中を費やしました。

クーロス像と女の子
展示はほぼ時代順に構成されています。
(一筆書きのような順路ではなく、いったん出入り口までもどってまた入るという形なので
入場の半券をなくさないように! トイレに行っても半券を機械にタッチしてふたたび入場します)


これは別のクーロス像
左のクーロス像背面。
みごと!

わたしはアルカイック期と古典期(世間一般で言う「古代ギリシア」はこの二つの時代です)の文学を研究しているので、その時代のものに関心が向かいがちです。
アルカイック期のコレー(乙女)やクーロス(若者)像だとか、
古典期の有名なポセイドン像だとかはやはり何度見てもすばらしいなと思う。



でも今回は時間がたっぷりあったので、ほかの時代のものもじっくり見ました。
先史時代の土器だとか、
古典期よりあとのヘレニズム時代、ローマ時代のものだとか。

どれもいい。
古典期の完成形
ポセイドン像

左写真は先史時代キュクラデス文明(紀元前3000~2000年期)の土の小さな器。
背中に格子柄の文様が描いてあるので娘は「アルマジロじゃないか」と言ったのですが、説明にはハリネズミらしいとあります。
念のためあとで調べたら、やはり古代地中海にアルマジロはいない。




ヘレニズム時代の彫刻もかなりいいと思いはじめました。
古典期の「調和と均衡」の完成形を経たあと、
やはりあたらしいことをやろうとすると
ウネウネした動きのある線だとか、形のデフォルメに進みたくなるのでしょうか。
ルネサンスのあとのマニエリスムやバロックと共通するものを感じます。


左はいたずら者のパーンをサンダルで打とうとする女神アプロディーテー。

右はディオニューソス像。古典期とは違う、少し退廃を漂わせる美しさがあります。かなり好きになりました。




セイレン
海の怪物トリトネス
セイレン(人間を虜にする魔力の歌姫。消防車の「サイレン」の語源)や
グリフォン、ゴルゴン、海の怪物など、オリュンポス(光の世界)の神々とはちがう異界(闇の世界)の神々も、あやしい魅力があります。









リクガメ
カフェのある中庭
ここまで見たところでくたびれたので博物館中庭に面したカフェで休憩。
木々の緑で涼しい中庭にはいろんな鳥がいます。
リクガメもいる!

ここでレモンパイとバクラバ(蜂蜜をたっぷりつかったギリシアのお菓子)を食べてのんびり。

中庭のまわりの回廊にもヘレニズム、ローマ時代の彫刻やモザイクが展示されています。

酒神ディオニュソスのモチーフを周囲にあしらった豪華な棺桶がなかなかよい。埋葬された人は酒飲みだったんだろうか。

休憩後、まだまわっていないテラ島の壁画その他の部屋もゆっくり見て、ビクトリア駅に向かい、緑の地下鉄キフィシア方面行きに乗ります。



デルフィー行きのバスが出るリオシオン・バスターミナルへの行き方ですが、
娘がiphoneでグーグル・マップを見たところ、
の地下鉄のアヨス・ニコラオス駅とひとつ先のカト・パティシア駅からほぼ等距離にあります。
わたしたちはアヨス・ニコラオス駅(ΑΓΙΟΣ ΝΙΚΟΛΑΟΥ)で降りることにして、駅出口から西に数ブロック進みました。
(駅名をギリシア語で書いたのは、「アヨス(男性形)」「アヤ(ΑΓΙΑ 女性形)」が英語の「Saint(聖)」に当たり、駅名のローマ字表記が St.Nicolaos だった気がするからです。駅名を混乱して降りそこなわないように一応書いておきました)

このとき、アテネ中心から(オモニア駅から)やってくると反対の東出口に出てしまいます。そうするとこの辺は線路が地上を走っているので、線路を越えるために少し回り道しなければなりません(わたしたちの失敗)。
駅構内で反対側の西ホームに移動してから外に出るのが賢明です。

駅前から西に向かうセラフィ通り (ΟΔΟΣ ΣΕΡΑΦΙ) を数ブロック進むとトロリーバスが走っている大きめの道に当たります。
これがリオシオン通り。ここを右折して北上します。
(右折した角の景色もしくは通りの名前を覚えておかないと帰りが不安かも)
駅から10分ほどで着くはずなのにターミナルが見えなくて不安になりかけたあたりで、
美男美女のカップルが歩道にパイプ椅子を出して腰掛けていました。

「バスターミナルはどこ?」
と尋ねると、美女が
「どこに行きたいのだ」
「デルフィーだ」。
美男と数秒話し合って、
「デルフォイなら右(デクシア)だ」と教えてくれました。

彼女はギリシア語で話していた記憶があるのですが、
はっきり「デルフォイ」と言いました。現代ギリシア語の「デルフィー」ではなくて。
高等教育を受けた人なんだろうか。それとも現代ギリシアでも「デルフォイ」と古代風に発音することがあるのだろうか。

ともかく言われたとおりに最初の角を右に曲がるとすぐにバスターミナルがありました。
リオシオン通りの右側を歩いて行くと黄色いタクシーが並んでいるタクシー会社が二つくらいあって、そのほんの先に美男美女がすわっていました。
駅から歩いて10分くらいかな。


ホテルの名前「エラト」は
ギリシア神話の音楽の女神
もっと近道もあるのでしょうが、
上の行き方が迷わない気がします。


長距離バスに乗ってデルフィーへ。
約3時間の道のりで、途中、トイレ休憩で10分ほど「エラト」というひなびたホテルに停車します。
ホテルのカウンターで軽食や飲み物を買ってる乗客も多い。

そのあとはパルナッソスの山塊を抜ける山道。
石灰岩の岩山が迫力あります。
(写真は帰り道で撮ったもの。行きは窓際の客がカーテンを閉めていたので写真が撮れませんでした)

夕方、デルフィーに到着。
まだ日は高く日差しが強い。


デルフィーの階段通路

デルフィーは山腹の斜面に張りついたような小さな町です。

数本の通りには当然高度差があって、その間を階段の通路がつないでいます。
階段通路はどれも可愛らしく美しい。

わたしたちが泊まった「ホテルアクロポリ」は、いちばん低い通りの崖側にあります。
だから視界を遮る建物がなく、谷間とその先のコリントス湾に面したイテアの町まで見晴らせます。


通りの高さのロビーと食堂が最上階で、客室は急斜面に建った建物の下にあります。
このホテル、K先生のツアーで泊まったことがある。

清潔で雰囲気のある部屋、ベランダからの眺望が最高(左写真)。

ベランダの真下にはホテルの小さな菜園があって、ウリやカボチャがなっていました。

荷解きをしてくつろいだあとで、まず明日の帰りのバスの切符を購入。ホテルの人が「ハイシーズンなので今日のうちに買っておいた方が安全だ」とアドバイスしてくれたのです。バス停近くのカフェで切符を扱ってます。
席が取れたのでのんびりデルフィーの町を散策。典型的なギリシアの田舎の家並みです。

こじんまりした家はそれぞれ塗装や飾りなどに適度にこだわっている。
階段通路にはベンチを置いているものもあって、見下ろすと家並みの先に町の向かいの崖が見える。

デルフィーは観光地ですがたいしたものは売ってません。
軒を連ねる土産物屋は、アテネでも買えるTシャツ、安っぽいギリシア神話のミニチュア像などを並べてます。それはそれでキッチュな楽しさがありますが。



ただ、娘が買った白いコットンブラウス(でいいのでしょうか、縮緬の生地で提灯袖のかぶって着るやつ)は良かった。
青い糸で刺繍がしてあり、同じものがアテネのプラカ(旧市街)にも売ってたのですが、
何種類かある中からデルフィーの土産物屋の兄さんは
「これはデルフィーの柄だ」
と一枚を勧めてくれました。

刺繍のデザインがアテネとかデルフィーとかコリントスとか土地ごとに違う伝統柄のブラウスなのです。土産物屋の兄さんのおかげで知った豆知識。


それから、蜂蜜はおすすめ
ギリシアの蜂蜜はどこでも濃厚でおいしい(日本の蜂蜜が水みたいに思えます)のですが、わたしはこれまでデルフィーで蜂蜜を買っていました。
タイムなどの香草の花から取った蜂蜜はそれはそれはおいしかった。
(きっとほかの地方にもおいしい蜂蜜はあると思いますが)
今回は身軽に動きたいのと、アテネでチューブ入りの蜂蜜が手に入るとの情報もあったのでやめました。

ちょっと後悔しています。
アテネと比較するとデルフィーの方が安い。そしてものが良さそう。
さいわい空港の免税店でクレタ島のタイムの蜂蜜が買えたので結果オーライだったのですが、瓶が重くてもやはりデルフィーで買っておけばよかったと思います。



お腹がすいてきたのでメインストリート(下から2番目の通り)のタベルナ「エピクロス」に。
ホテル・アクロポリと提携していて10%引きだったこともあって入ったのですが。
ここはおいしい!
お勧めです。
広いバルコニー席のいちばん崖側の席にすわりました。
眺望がすばらしい。


最初に出てきたパンには自家製の黒オリーブペーストが添えてある。写真を見て思い出したのですが、ここのパンはイタリアのガーリックトーストみたいにハーブ入りのオリーブオイルを塗って焼いてありました。

この黒オリーブペーストが絶品。


注文したのは、

サラダ、
トマトとピーマンの詰め物、
仔羊のレモンソース、
フリカッセ。

フリカッセ

フリカッセも仔羊料理です。
ホルタという苦みの強い野草があって、これを茹でてオリーブオイルとレモンを搾ったものがよくメニューにあるのですが、苦手な日本人多い。
K先生のツアーでも学生たちは
「また『草』が出てきた!」と敬遠してました。
フリカッセは、仔羊をそのホルタといっしょに煮込んだもの。
ホルタもこういう風に料理するとおいしい!


仔羊のレモンソース

デルフィー近辺は羊肉がおいしいので仔羊が2皿になってしまいましたが、
それぞれすばらしいと思いました。羊の臭みがまったくありません。

どちらも肉がホロホロと柔らかい。
(「エピクロス」には山羊の料理もあって1皿はそれにするかと迷ったのですが、家族のことを考えて仔羊にしました。次回来るときにはぜったいに山羊を食べたい!)

妻が希望したトマトとピーマンの詰め物もおいしかった。


昨日の「ビザンティーノ」のレッツィーナが娘に不評だったのでテーブルワインの赤を頼みました。
鼻に抜ける独特の強い香りがあって、芯の通った、でも重くないボディーの赤。
すばらしい。

ゆっくりと食事をする間に日は落ちてゆき、崖や谷間の表情が変わります。

隣のテーブルのドイツ人夫婦が「家族写真をとりましょう」と言ってくれて、
それをきっかけに少しおしゃべり。

ギリシアのあとははじめて日本に来る予定らしい。
こちらが「4泊5日の旅行だ」と言うと、
「それは大変なハードスケジュールだ」。
遠回しに「そんな短い旅行なんてありえない」とチクリと刺してる。
いや、悪気はないし、とてもいい人たちなんです。

でも若い頃、クレタ島で出会ったドイツ女性のことを思い出しました。


20数年前、1人旅でクレタ島のピツィディアという小さな村に泊まりました。
ハーヴァード大学の学生が作っている『レッツ・ゴー』という旅行案内(アメリカ版『地球の歩き方』)に、
「ピツィディアこそ『桃源郷』だ。ここにギリシアの村の神髄がある」
とあったので行ってみたのです。

ピツィディアはほんとに桃源郷でした。

泊まったのはホテルではなく貸部屋(というかたぶんホテルはなかったと思います)。
そこにたどり着くまでにちょっとしたドラマがあったのですがそれは別の機会にまわすとして。

美しく快適な部屋からベランダに出ると、隣の部屋のベランダとの仕切りがない。
ブーゲンビレアが咲くそのベランダで若い女性が本を読んでいて、
あいさつしたら世間話になりました。

「あなたは何泊するのか」と尋ねてきたので
「2泊だ」と答えると、そのドイツ人女性(コンピューター技師でした)、
信じられない。あなたはバカンスをなんだと思っているのか。
わたしはピツィディアにすでに2週間泊まっている。あと数日泊まる予定だ」。
「そのあいだ、なにをしているのだ」
「おいしい料理を食べ、こうやってきれいな景色をながめながら本を読んでいる。
それがバカンスじゃないのか」。

遺跡から遺跡へバスの時間を確かめながらかけずり回っている自分を省みて
「そうか。自分はほんとの旅行をしてないんだ」
と気がつきました。

バカンスは最低数週間かける。
それがヨーロッパの(わたしが出会った範囲ではドイツ人の)常識なんですね。
反省したわたしは予定を変更してピツィディアに4泊しました。
桃源郷で安くておいしい料理を食べ、ベランダで本を読み、ドイツ人女性とヒッチハイクで数キロ離れた海岸まで行って泳ぎました。
それでもドイツ人女性は最後までバカンスだと認めてくれませんでしたが。

そんなことを思い出しました。

グローバル・スタンダードからすると日本人の休暇は休暇になっていないのですね。


料理とワインと景色に満足し、
ドイツ人夫妻とも気持ちよく話して、ホテルに戻ります。

夕闇のベランダで妻とタバコを吸いながらのんびり。

やがて遠くイテアの町に灯りがともります。
さらに夜空には銀河!!

「デルフィーによこたふ天の川」です。

確か安東次男が書いていたと思うのですが。

「荒海や佐渡によこたふ天の川」(松尾芭蕉)
の「よこたふ」は本来他動詞なので「横たわる」ではなく「横たえる」だ。
「天の川が横たわっている」のではなくて
佐渡に向かって「天の川を横たえて」いる。
誰が?
あえてそれが言われないからこそ、
天の川を横たえるような、人間を超える巨大な力が暗示されるのだ。

そう安東次男は言っていたと思います。

そうだとするとこの句はデルフィーにもふさわしい。
人間を超える巨大な力(その具体的なあらわれが神託を告げる神アポロン)が横溢するデルフィーの地だから、「銀河が横たわっている」のではなく「銀河を横たえている」と言うべきなのかもしれません。

ドイツ人のようにここに数泊できればいいのですがそうもいきません。

明日は神アポロンの聖地デルポイの遺跡見学です。