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2014年9月12日金曜日

2014夏・ギリシア(その4)

8月19日 デルフィー遺跡 → アテネへ


「アクロポリ」のロビー。奥が食堂。
日差しが強くならないうちにデルフィー(デルポイ)遺跡を見たかったのですが、「ホテルアクロポリ」の朝食は7時から。朝食抜きで坂道続きの遺跡を見るのはきついのでのんびり行くことにしました。

ギリシアのホテルの朝食にはかならずおいしいヨーグルトと蜂蜜があります。
ギリシアのヨーグルトは濃厚なものですが、「ホテルアクロポリ」のは最強に濃厚。
「えいっ」とふらないと杓子から落ちないくらい。
そしておいしい。
(わたしは日本のヨーグルトを数時間コーヒーフィルターで水切りしてギリシア風にするのですがやはり味がちがう。日本のヨーグルトは酸味が強いです)


「アクロポリ」玄関脇の喫煙所
「アクロポリ」玄関の照明

こぢんまりと楽しい「ホテルアクロポリ」の写真を撮り、
チェックアウトして、帰りのバスの時間までフロントで荷物を預かってもらいました。




朝日の中を町から500メートルほど離れた遺跡に向かいます。

暑くなる前に遺跡を歩きたいので、手前にあるデルフィー考古学博物館はあとまわし。
博物館から遺跡まで、そして帰り道も、子猫がついてきました。ギリシアにはどこでも猫がいるのですがこの子は特に人なつこい。


アポロン神殿
遺跡の中心はアポロン神殿。
その下に各都市国家が奉納物を収めた宝庫がならび、
神殿の上には劇場があります。

夏の朝日を浴びるアポロン神殿は濃い影を落として美しいが、写真に撮るには不向きです(少なくともわたしの腕では)。撮影には夏意外の季節がいいのかもしれません。



デルポイの劇場


論理学や弁論術や数学や建築術など、合理的な学問の礎(いしずえ)を築いたギリシア人が、アポロンの神託を聞くためにデルフィー(デルポイ)に参拝していたのは奇妙に思えるかもしれません。


しかし、合理性と宗教性が共存しているところに古代ギリシア文化の特質があります。

ギリシア人は、人間の文化の可能性を極限まで押し広げた一方で、
人間が世界を100%コントロールすることはできないという事実、「人間には限界がある」というあたりまえの事実を深く知っていました。

どうしてか?

神々が人間のさまざまな限界を知らせてくるからです。
(ま、そういう風にギリシア人は想像してました)

不死なる神々は人間に「わたしたちと違ってお前たち人間は死ぬのだ」と言ってくる。
「死」という逃れられない限界を知らせてくる。

そしてデルポイの神託は
(その実際がどのようなものだったについてはさまざまな議論がありますが)
本質的には「未来を知ることは人間には決してできない」という限界を知らせるものでした。
神だけが未来を知っている


ギリシアに限らず、宗教は人間が集団で頭の中に作り出した虚構(フィクション)だと思います。でも「虚構だから無意味だ」ということにはかならずしもならない。

わたしは信仰を持ちませんが、
「人間はかならず死ぬ」「人間の知には限界がある」というあたりまえの事実を直視しようとしない神なき人間より、それをあたりまえのことだと受け取る「神という虚構」を信じる人間の方がまともな頭をしていると思います。

デルポイの神アポロンが示した「人間に未来を知る力はない」という限界を認識しない人間は、結果的にたいへんな過ちを犯します。

原発事故は「事故は起きない」「津波は来ない」という(自分が信じたい)未来を確信していた人々が起こした。
「事故は起きるかも知れないし、起きないかも知れない」
「津波は来るかも知れないし、来ないかも知れない」
という「未来の知への断念」からしか安全へのまともな思考ははじまらないはずなのに


ギリシアの神々は人間に限界を知らせる「否定の神」です。
デルポイの背後にそびえる峨々たる岩山はそのことを理屈ではなく目でわからせる。
ギリシアの美しく厳しい自然は、神々の美しく厳しい姿と重なっています。

でもそういう自然も神々も、人間を完全に押しつぶすことはない。
自分たちのちっぽけな姿を思い知らされることで、人間はちっぽけさになんとか工夫して対処しようとしはじめる。「まともな思考」をしはじめる。

デルポイ神域の入口には「汝自身を知れ」ということばが刻まれていたといいます。


ギリシアの宗教は、限界を教える(「汝自身を知れ!」)ことを通して人間をまともな思考に向かわせる機能を果たしていた虚構(フィクション)だ。そう理解すると、ギリシア人の合理的思考と宗教性が矛盾しないことがわかりやすいんじゃないでしょうか。


というようなことを正面から家族に話したことはあまりない。
でもせっかくギリシアに旅行するんだから、ことばではなく目でそういうことを感じて欲しいと思いました。
前々日に見た、厳かだけれど柔らかさと優美さが基調のエギナ島とは対照的な、
人間を突き放すようなデルポイの荒々しい自然=神々の世界を見て欲しい。

結果は。
うん、妻と娘は少しギリシアの世界を受け取ったんじゃないだろうか。



遺跡の最上段は運動競技場です。
ご存じのように、近代オリンピックはフランスのクーベルタン男爵が古代ギリシアのオリンピア競技祭をひな形として作ったものですが、
デルポイの「ピュティア競技祭」はそのオリンピア競技祭に次ぐものでした。
デルポイの競技場と岩山
古代ギリシアの競技祭と近代オリンピックの最大の違いは、宗教祭儀だということでしょう。運動競技は神に捧げるものでした。

ギリシア各地から集まる観客だけでなく、
神も運動選手の躍動する肉体を見てお喜びになる。
そうギリシア人は想像しました。
御者の像

鍛え上げられた選手の裸体は美しい。
人間が一瞬だけ「神のような美しさ」を手に入れる。

でもその美しさははかない幻です。
人間の体は老いと死を宿しているから。

デルポイの競技場は、険しい岩山(神々の冷厳な力の顕現)のすぐ麓にあります。
「不死なる神々」と「死すべき人間」がまさに隣り合わせになっている。

神の土地で繰り広げられる選手たちの肉体の躍動を楽しみながら、
ギリシア人は同時に、どんなに美しい体にも宿っている「滅び」を想像したのではないでしょうか。


デルポイから出土した戦車競技の勝利者を記念した「御者の像」には、勝ち誇ったガッツポーズの対極にあるような静かな美しさがあります。その美しさは、はかない人間の限界を知っている美しさだと思います。



遺跡をひとめぐりして「御者の像」があるデルフィー考古学博物館へ。

すばらしいクーロス(若者)像など、数は多くないけれど名品がそろっています。

右の写真は、前4世紀末に「アテネ(アテナイ)人の宝庫」の前に立てられた「踊る女神の柱」の最上部。13mほどの高さがあった柱はデルポイで人目を集めたにちがいありません。



「ホテルアクロポリ」の
トイレ入り口


町に戻り、預けていた荷物を受け取るついでに「ホテルアクロポリ」のきれいなトイレを借りました。また泊まりたいホテルです。

アテネ行きのバスの時間まで、デルフィーの町をもう一度歩いて写真を撮りました。






アテネに戻って、ホテル近くの店でお菓子を買い、それからプラカへ。
プラカはもう何度も来ているので、家族それぞれ目星をつけていた店でゆっくり買い物をします。


サンダル屋「アキリオン」

妻と娘はアドリアヌー通りの角にある店でギリシアらしいデザインのサンダルを3足買いました。サンダル屋の名前は「アキリオン」。俊足の英雄アキレウスからつけた名前です。

お土産のお菓子はバクラバ。
パイ生地なので崩れやすいのですが、プラスチックで小分けにしたのを購入。これなら壊れない。
自宅用にも買って帰り、(バクラバ自体が強烈に甘いので)甘さ控え目のホイップクリームを載せて食べました。なかなかいけます。



「プサラ」入口。
(帰り際に撮った写真)

買い物を終えてアテネ最後の夕食。
初日に行った「ト・カフェニオン」近くに候補の店が3軒ほどあったのですが、
入口の雰囲気で「プサラ」(Ψαρρά)を選びました。
そこの外テーブルに座ろうとしたら店員が向かいの建物を指さして
「屋上席にすべきだ」。

「プサラ」屋上
「まだ日差しがあるし、娘が肌が弱いので下の席にしたい」
と言っても、
「何を言っている。日はすぐに沈む。景色がいい。屋上にすべきだ」
と強硬に屋上に案内されました。

わたしたちは店員の強引さに不承不承従ったのですが。

屋上にしてよかった!!!


広い屋上からアクロポリスを見上げられる。
反対方向にはリュカベットスの丘。
心地よい風が吹き抜けます。
カラマリ

注文したのは、
サラダ、
カラマリ(イカのリングフライ)、
ムサカ、
スブラキ(肉と野菜の串焼き)、
デザートにカタイフィというケーキ。



おいしい!
スブラキ

カラマリはオリーブオイルで衣をサクッと揚げてある。レモンをたっぷり搾って楽しみました。

ムサカ
ムサカはわたしの感覚では「ビザンティーノ」より上だと思いました。
ベシャメルソースもミートソースも上品(ただし「その2」に書いたクレタ島のムサカにはおよびません。あれは別格)。

スブラキもカタイフィもおいしい。

テーブルワインの赤はデルフィーの「エピクロス」の個性的なおいしさに負けます。すこし酸が強い。
でも軽くて飲みやすく不満はありませんでした。


店員が言ったとおり、やがて日は落ち、
見上げるアクロポリスがライトアップされます。

わたしたちが入ったのは7時ちょっと過ぎでしたが、8時近くになるとぞくぞくと客が入ってきました。地元の人らしきギリシア人も外国人観光客もいる。日本人の団体客も入ってくる。
店員が、下の店で作った料理を満載した大きなトレイを肩に乗せ、階段を駆け上がってきては料理を取りにまた降りていく。
人気店のようです。


「プサラ」からライトアップされた
アクロポリスを見上げる
ここで食べるなら店員が勧めたとおり屋上です。
おいしい料理にすばらしい景色。
アテネで食事をするなら一押しの店です。
意中の人をここに連れてくればあなたの株が上がることまちがいなし。
入るなら7時台かな。
(わたしたちが食事を終えた9時前には屋上席も下の店も満席で、待っている客や「いっぱいだからしょうがない。ほかの店に行こう」と行ってる人たちが店の前に10人ほどいました)

ところで、日本人の団体のガイドが
「この店の水はボトルに入っているけれど水道水です。気になる方はワインを飲んで下さい」と大声で注意をしていました。

でもわたしたちが飲んだミネラルウォーターのキャップは封を切ってなかった。
味も水道水ではなかった。
水道水を詰めてわざわざ封をするまで手の込んだことをするんだろうか。

あとで妻から聞いたところでは、その添乗員は帰りのエミレーツ航空で同じ便に乗っていたとのこと。つまりアテネ在住の日本人というわけじゃなくて旅行会社の添乗員。
プサラの水が水道水だというのは不正確な情報にもとづくものじゃないかと思います。


大満足でホテルに向かいました。







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