半藤一利が亡くなった。享年90。
元週刊文春編集長。昭和史について多くの著作があります。
昭和史へのこだわりの原点は、昭和20年、半藤が15歳のときの東京大空襲の体験だと思います。
昭和史へのこだわりの原点は、昭和20年、半藤が15歳のときの東京大空襲の体験だと思います。
なぜこのような地獄が起きたのか?
半藤は、当時の軍部や政治指導者たちの言動を詳細に検討することでそれを明らかにしようとしました。そしてそういう人たちを生み出した日本社会のあり方も考えました。
半藤の著作活動は、地獄の体験者として個人的な恨みを晴らす、というのではなくて、
二度と地獄を起こさないために何を知り、どう行動すべきかを考える、あくまで知的な態度で行われました。そこが半藤一利の優れた点だと思います。
凄惨です。
「地獄の業火でした。逃げ場を失って地に身を伏せる人間は、瞬時にして乾燥しきったイモ殻に火がつくように燃え上がる。髪の毛は火のついたかんな屑のようでありました。背後を焼かれ押されて人々がぼろぼろと川に落ちていく。」
劫火を背に橋の真ん中で立ち往生した半藤少年は、「対岸の阿鼻叫喚を見るに見かね」て吹きなぐる火炎の危険をものともせずに漕ぎ出した対岸からの船の一艘に救われる。
けれども川の中で大きな荷物を抱えて溺れかけている女の人を救おうとして、川に引きずり込まれてしまう。
女性にすがりつかれた半藤少年は何度か水を飲み、あわや溺死というところで
「手足を無茶苦茶に振り回してすがりつく人を振り払いました。」
川面に浮かび上がったところに偶然いた他の船に半藤少年は引き上げられます。
「そして船の上で震えながら、赤ちゃんを抱いたり、幼い子を連れているため川に飛び込む勇気も出せずに、岸辺にうずくまっている女の人たちの姿を黙ってみつめていました。」
その人たちはやがて黒煙にまかれ、体があっという間に火だるまになってゆく。
「そんなひどい様子をわたくしは、ただ何の感情も抱かずに眺めていました」
そう半藤は書く。
東京大空襲の凄惨さを伝える書物はほかにもある。
また、わたし自身も何人かの体験者から直接話を聞いたことがある。
だけれども。
『15歳の東京大空襲』は凄惨さを伝えているだけではない。
半藤少年はすがりつく女の人を振りほどいて助かった。
それは生き延びるために他の選択肢がない行動です。責められない。
でもおそらくその女の人は溺死した。
目の前に燃えてゆく女の人たちを
「ただ何の感情も抱かずに眺めていました」と半藤は書く。
ふつうはそういうことは書きたくない、語りたくないものだと想像します。
半藤一利は書いた。
15歳の少年が体験したことを、書きたくないこともつぶさに伝えようとした。
挿入される大人・半藤一利のコメントの凄みはそこにあると思う。
「戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなりうるし、加害者になることもある。そこがはじまってしまった戦争の真の恐ろしさなんです」
「傍観者にもなりうるし」——「ただ何の感情も抱かずに眺めていました」
「加害者になることもある」——「手足を無茶苦茶に振り回してすがりつく人を振り払いました。」
淡々とした「傍観者」「加害者」ということばが、実は自分の体験を冷徹に見つめることから出てきた実体を伴ったことばなんだということがひしひしと伝わってきます。
こうなってしまった15歳の半藤少年をふたたび生み出さないために何を考えるべきなのか。
その恐ろしい知的な覚悟が伝わってきます。
わたしは『15歳の東京大空襲』を読んで、
「この人が書くものはなんだろうと絶対に信用できる」と思いました。
そういうふうに思わせる作家はそうはいません。
半藤一利さん、
ご冥福を心からお祈りします。
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