今年は、週末だけフラメンコのレッスンのために東京に戻るだけで、
3ヶ月以上穂高の山小屋にいました。
近隣の住人たちも長期滞在が多かった。
ので、その人たちとけっこう出歩きました。
6月末に行ったのが大町の霊松寺。
そして静かでした。
小さな庭がよく手入れされている。
よく行くフランチ・レストラン「ボン・ヴィヴァン」も、
あいかわらずふつうにおいしい。
東京のフレンチといちばん違うのは、
写真のような店とそのまわりの景色もさることながら、
野菜の質の良さ。
穂高のレストランは(ま、名前は挙げませんが)けっこうぼったくりもあるのに、ここはリーズナブル。
これもよく行く蕎麦屋「大梅」。
のだけれど、
ここには天ぷらがなかった。
わたしは天ざるが大好物なので、
「大梅」の天ざるで日本酒を飲むのが悲願でした。
(山小屋から徒歩15分なので、店主さえ許してくれれば、自分で揚げた天麩羅を持参しようとまで思ったくらい。さすがに非常識なので実行しませんでしたが)
今年はなんと!
コロナ渦の影響で「大梅」が天ぷらを出した。
去年までは「おまかせ」という小皿の盛り合わせでした。
9品の手間のかかった料理が盆に満載されてます。
一人でうっかり頼んだりすると食べきれないので、
一人でうっかり頼んだりすると食べきれないので、
複数の客といっしょにきたときに頼んでました。
今年はコロナ渦の影響で、
感染を防ぐために「おまかせ」をやめて天ぷらにかえたのです。
ここのうまい日本酒「日置桜」とともに堪能しました。
この夏はいくたびに天ぷら頼んでたな。
それはいいのですが、たぶん数十年持ち主が訪問した様子がなく荒れ放題。
そこの松の木が(きちんと手入れをしていないから)どんどん倒れている。
今年もうちの土地に倒れてきました。
幸い、建物には当たらなかったものの大迷惑。
ついでに何年もほったらかしにしていたうちの庭の下生えも刈り込みました。
熊がやってくるのが怖いからというのもあります。
大変だったけど、やはりすっきりして気持ちいい。
のだけれど、
ついでにけっこう大きなツバキ科の木を切り倒したときに、
処理の仕方を誤って大木が顔面を直撃。
血だらけで救急車で運ばれてまぶたを16針縫うハメに。
鼻骨を骨折し、顔の右半分の神経も損傷しました。
さいわい、眼も脳も損傷なく、
しびれも今ではけっこうおさまっています。
病院の救急科で縫ってくれたのはわりに若い女医さん。
先輩の年配の医師がそばで監督 (?) していたのですが、
縫っているときに、その彼が
「うまいねえ。腕上がったねえ」
と言ってたのが心強かった。
実際、東京にもどってからも脳神経外科で診てもらったのですが、
傷跡を診て
「いやーきれいに縫ってますね」とのこと。
若干の傷跡は残りそうですがひどくはない。
上手な医師にあたって幸運だったと思います。
素晴らしい眺望です。
そこから高山植物のお花畑を歩いて下る。
いろいろな花が咲いていたのですが、
「ヒマラヤの青いケシ」の実物をはじめて見ることができました。
帰り道に立ち寄った源泉掛け流しのひなびた温泉もすばらしかった。
車で20分ほどのところにある某氏の高級別荘も訪問しました。
亡くなった聖路加病院の日野原重明先生が夏になると訪れていたという素晴らしい別荘です。
手入れのされた庭に建物から長い通路 (?) が伸びていて、そこでお茶をいただいた。
通路の下に小川が流れていて、まわりの赤松の樹肌が美しい。
定年前に大学に車で通勤していた頃、
通り道の成城の住宅街に古びた洋館がありました。
出窓のガラスが少しゆがんでいて、
おそらく今では作れないようなガラスだと思われるそれはそれはすてきな出窓でした。
その家が売られて分割されて風情のない住宅になってしまった。
相続税とか考えるといたしかたないことだとは思いますが、
「ああ、文化がまたひとつ失われてしまった」
と悲しくなりました。
風情のある高級な建物を嫉妬するのは心根が卑しいと思います。
穂高のすてきな別荘も存続してほしい。
例年より寒さの訪れが早いのかな。
おそらく前の持ち主が配置したんだろう、
今年は檀香梅は終わっていた。
地面にかろうじて1枚の葉が残っていました。
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