(ネタバレあり。注意)
反町隆史が右京の相棒!?
どうなることかと思いましたが、とりあえずは無難に切り抜けた気がする。
これまでの相棒たちは、師である杉下右京の「弟子」でした。
「弟子」であることは従順であることをかならずしも意味しない。
というか、「師」は弟子を戸惑わせ混乱させる。
本質的にそういうものです。
予想もしない領域に連れ出される。
それが師と出会うことの意味です。
だから弟子はかならず師に戸惑いと反発を覚える。
そうでないと師ではない。
同時に師とは
「戸惑いと反発の向こう側になにか途方もなくすてきな未知がまっているんじゃないか」
そういう予感を絶えず弟子に感じさせる存在でなくてはなりません。
いちばんりっぱな弟子だったのはミッチーだったと思う。
右京への距離・反発とないまぜになった
「右京によって連れ出された新しい領域での発見の喜び」をシャイに表現していた。
そこからいちばん遠そうなのが反町隆史。
だってどう見たって「弟子」に似つかわしくないキャラクターだから。
シーズン14の相棒、反町隆史はこれまでの相棒とはちょっと違う気がする。
老獪。
その点で杉下右京と共通する。
だけれども。
反町隆史演じる老獪な冠城亘(かぶらぎわたる)が、
右京と対等な位置から弟子に「なりさがっていく」。
そこが今シーズンのおもしろさかな、と予想してます。
2時間スペシャルだからストーリーはけっこう複雑。
でも最後のエピソードは余計だし変だと思った。
刑務所の中で思想を熟成させ、(たぶん当人が望んだわけでもなく)
「信者」たちを獲得していった梅津。
その梅津が先生と仰ぐ坊主(大和田獏)。
梅津は坊主を「創造者」だと言うのですが、
最終的に坊主は梅津を「失敗作」だったと当人に告げ、
その結果として梅津は自殺する。
それがこの回の最終的な事件の真実です。
『フランケンシュタインの告白』というタイトルはそういうことらしい。
坊主がフランケンシュタイン博士で、
梅津がフランケンシュタインの怪物だということらしい。
しかし。
坊主が梅津を新たに「創造」し、しかもそれを「失敗作」だと言う。
そんなことは仏教ではあり得ないんじゃないだろうか。
わたしのおぼつかない仏教理解からはそう思えます。
坊主と衆生(梅津)との出会いはあくまで「縁(えん) 」であって、
人間がそういう出会いなり人間関係をコントロールすることはできない。
ましてや人が人を「創造」することなどできない。
梅津を自殺に追いやった「罪」を、最後に坊主が悔いて合掌する。
キリスト教ではありうるかもしれないが、
坊主がそうするか?
こんな坊主がいるとすると仏の教えをわかっていない三流坊主でしかないし、
ひたすら思想を鍛え上げてきた梅津が師と仰ぐ存在だとも思えない。
要するに、
この坊主にリアリティがない。
「余計なエピソード」と書いたのはそういうことです。
そうはいっても。
次回作以降に期待してるぜ。
期待を裏切らないでくれい。
あ、書き忘れた。
鏑木亘が遊び相手だと思われるセクシーな女に頬をはたかれるシーン。
脚本自体が「もてる男、反町隆史」というステレオタイプに寄りかかって安易だなあと思うし、
そういう「紋切り型の反町隆史のイメージ」に、
反町隆史が演技でさりげなく抵抗を示して欲しかった。
この場面の反町隆史は演出にあまりに従順すぎたと思います。
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