デヴィッド・ボウイ死去!
悲しい。
このブログで「デヴィッド・ボウイとブライアン・フェリー」という長い投稿をしたこともあります。
曲も声も好きですが、
わたしにとっては何よりも、もっとも美しい顔と体の男でした。
若い頃から、美形と老いが溶け合った不思議な顔。
「スターマン」(1972), 「チャイナ・ガール」, 「モダン・ラブ」(1983) が大好きです。
坂上忍がインタビューで
「チャイナ・ガール」の「シーーーッ」という吐息 (?) と、
「モダン・ラブ」のイントロの魅力を語っていたのですが同感。
上の3曲は名曲中の名曲だから、
いろんな人がいろんなことを熱く語っています。
だからあえて書くことはやめます。
その代わりに。
わたしなりのささやかな手向け[たむけ]の花として、
目立たない「スペース・オディティ」(1983)という曲のことを書きます。
管見のかぎりでは鹿乃介さんの訳がとてもいい。
その鹿乃介さんは、
「広い宇宙の中では宇宙船もブリキ缶。トム少佐は自らを無力だと零[こぼ]す。アポロの月面着陸に沸く時代に、こんな詩を書いちゃうボウイはかなりシニカルな若者だったみたいですね。」
と書いている。
とりあえずそういう詩だと解釈できます。
できるけど、
宇宙にいるトム少佐と地上管制塔のやりとりからなるこの詩全体は、
別のことの隠喩(メタファー)とも読めます。
わたしはずばりセックスのメタファーだと思っています。
地上管制塔が「頭脳」。
トム少佐が「体」。
そう読むと。
この曲、男性のセックスをキュートに描く、という点で希有な詩だと思う。
男の性は、ムキムキ濃厚マッチョ(同語反復すいません)に描かれることがほとんどなのだけど、
この詩は「キュート」です。
「ドアを抜けて一歩踏み出したところだ
とても奇妙な格好で浮かんでいる
今日は星々が違って見えるよ」(鹿乃介訳による。以下も同じ)
とてもエロチックでキュートだと思いませんか?
そして、
「私の妻によろしくと伝えてくれ。いつもと同じように」
「地上管制塔からトム少佐へ。
回線が切れている。故障のようだ。
トム少佐、聞こえるか?・・・」
という終わり。
「地上管制塔」(理性)からの通信が不可能になってしまういけないエロースの世界です。それをヒューモラスに描くところがまたイギリスらしくてすばらしい。
こんなすてきな曲を書いた人なんです、デヴィッド・ボウイは。
デヴィッド・ボウイさん。
癌が死因だったと伝え聞きました。
苦痛から解放されて
宇宙に「とても奇妙な格好で浮かんで」、
いつまでも続く喜びを味わってください。
地上管制塔から連絡することはもうできなくなりましたが、
あなたが送ってきた通信は、
私の胸にずっと残っていますよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿