あるとき、ふっと親のことがわかるときがあります。
十代の頃、親に言われたことばでなぜか鮮明に記憶に残っていることばがいくつかある。
別に立派で意味深いことばというわけじゃない。
でも、記憶に残っている、ということには何か意味があるはずなんです。
あるとき、その意味が雲が晴れるようにさーーーっと見えてくる、という感じでしょうか。
記憶に残っていた理由がはじめてストンと腑に落ちる、という感じでしょうか。
中学生の時に、母親が「こういうのも読みなさい」といってある小説を渡したことがあった。教育ママではなかった母がそんなことを言うのはとてもめずらしいことだったので記憶に残っているのかもしれません。
それがなんと、 中年夫婦の話。
美人の奥さんは夫をそれなりに愛しているのだけれど、若い男とあぶない関係になる。
実際には不倫の関係まではいたらないんだけど、その揺れ動きが今思うとものすごくリアルに描かれていた。
中学生だからあぶない場面を読んでドキドキした。
わたしは推理小説とかSFを愛読していたので、
「こげんとは面白うない!」と言ったら、母親は
「あっ、そう」と言っただけでした。それっきりその小説のことを口にすることはなかった。
なぜあんな小説を中学生に読ませたんだろう、というのはずっと心の片隅にひっかかっていました。
酔っぱらってそのことを思い出したら「あっ」とわかってしまった。
母親は「複雑さ」を教えたかったんだ。
人間は、自分も含めて一筋縄ではいかない。
「正しいこと/いけないこと」の二分法だけでは人間という矛盾に満ちた存在を理解することができない。
それを教えたかったんだと思う。大げさに言うと
「複雑さに耐えて生きろ」という教育。
父親はそれと対照的。
「勉強せんかい!」「体を鍛えんかい!」
ことばは「教育的」です。 典型的な「九州の父親」です。
でも実は父親は世間的な意味での教育を放棄していたんじゃないかと思います。
責めているんじゃなくて、父親は、苦労を重ねたすえにうまくいかず、人生がままならないことを身にしみて思い知らされてしまった。
そのときに、「教育(学歴)」とか「社会的りっぱさ」とか「経済的豊かさ」とかを全部はぎ取られて裸一貫になったときの姿、そこに人間の真価というようなものがあらわれる、大事なのはそれだけだ、という確信を持ったんだと思います。
「勉強しろ!」と言ったのは、ま、家長としての義務を果たすというそれだけのことだったんじゃないだろうか。
父親の真価は夕食の時に発揮されました。
ジョークをかまして食事のあいだじゅう家族は笑い続ける、と言っても過言じゃない。食事を喜劇の場にする。
貧しくても楽しい食事。父親に反発を感じていた10代のわたしですが、一度も家出しようという気にならなかった。
父はそこに自分の全思想を賭けていたのだと思います。
家族や友人と楽しい食事をできない人間は、いくら社会的に成功していようと、いくらお金があろうとだめな奴なんだ。楽しい食事ができるかどうか、それだけが人間の質を決定する。
今思うとものすごい思想だと思います。
父親のことばで記憶に残っているのは、近所の小さな洋品店を営んでいるお爺さんが話題になったとき。はやらない洋品店でした。でも幸せそうだった。
父親はそのお爺さんを評して
「あの人はいい! ほがらかやから」
と力強く言いました。
「ほがらか」であり続けることの難しさを年を追うごとに感じます。
その難しさを父親は骨身にしみてわかっていたのだと思います。
対照的ですが、父も母もものすごい教育を授けてくれた。 そのことに頭が下がる思いがします。
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