午前中、徒歩でアテネ散策。午後はバスでスーニオン岬とその周辺。
夕刻、飛行機でクレタ島のイラクリオンへ。
「ソクラテスの牢獄」 |
ピロパポスの丘は、アテネに貢献したローマ時代の執政官ピロパポスにちなんで名づけられた。頂上に彼の記念碑が立っている。丘からほぼ同じ高さにアクロポリスの全体が見える。背後に高くそびえるのがリュカベトスの丘。
リュカベトスの丘の方が高いのになぜアテネのアクロポリス(ポリスの守護神が祀られる宗教・軍事の中心拠点)にならなかったのか。アテネでひときわ目立つ高所なのに古典期の文献でこの丘が言及されることはほとんどないらしい。
「それはね、きっとリュカベトスがギリシア人にとって高すぎたからなんです。ほら、ここから見るとアクロポリスの全体像が見えるでしょう。アクロポリスのサイズは、神々の世界と人間の世界の、距離と大きさの感覚にちょうどいいんですね。ギリシアでは超越が巨大すぎないんです」とK先生。
膝から崩れ落ちそうなくらい衝撃的なことばでした。
よく誤解されるが、ギリシアの神々は決して「人間くさい」存在なんかじゃありません。ゼウスやアポロンが(ゼウスの場合は妻ヘラの目を盗んで)きれいな娘たちをてごめにしたりするのをギリシア人は「人間くさい」とは感じなかったはずです。
なんといっても神々は「人間を超えるもの」であり、人間とのあいだには断絶と距離があります。
「雪で寒かろう」と笠をかぶせてあげたお地蔵様がお爺さんの家に米俵を持ってきてくれる
というような神々(超越)と人間の「親和の関係」はギリシアでは想像しにくい。ギリシア人も神々と親和の関係を持とうとして祭儀や捧げ物はしたけれど、多くの場合、神々は予期せぬ結果をもたらす「否定の力」として人間の前にあらわれます。
人間の中でいちばん知恵ある者だと尊敬されていたオイディプス王が、実は自分が誰であるかも知らない無知の人だったとアポロンから思い知らされるように。
乱暴に言ってしまうとギリシアの神々が人間に送ってくるメッセージはただひとつです。
「人間よ、君たちはばかなんだよ。そして死ぬんだよ。ぼくたちは賢いし、死なないし、美しい姿のままだけどね」
残酷ですねー。恐いですねー。
そんな神々をなぜギリシア人は信仰していたのか。
わかりません。
わかりませんけど、そういう神々が「いるんだ」と想定することで、仕事や人生や愛や命やらの見え方が変わることは確かだと思います。自分を否定する「人間を超えるもの」というフィクションをギリシア人は必要としたのです。
で、以上のようなことがギリシア人じゃないわたしたちにとっても、人間や世界を考える上で大きな参考になるはずだ、と考えて、わたしはギリシアの神々と人間の「距離と断絶」を授業などで強調してきました。
それはK先生から学んだ大きなことのひとつだし、まちがっているとは思いません。
でも、その「人間を超えるもの」は「巨大すぎない」とK先生は言ったのです。
考えてみれば、ほんとにそうなんです。
いくつかの例外を除くと、ギリシアの神像は高さ2.5m前後。人間より「やや大きい」。エジプトやオリエントや西方仏教の神像の巨大さと較べると大きすぎない。神殿も巨大ではない。
人間は、自分を否定する力を信じていなければ人間たりえない。しかし自分を否定する存在が大きすぎると、人間はちっぽけなものになってしまう。
超越が大きすぎないことで、かろうじて人間の「自由」が肯定され、人間の解放の可能性が開ける。
K先生はそこにギリシア宗教の本質を見て取ったわけです。
西洋古典学者として、そしてひとりのキリスト教徒として、人間を超えるものと人間の関係をずっと考え抜いてきたK先生ならではの深い洞察だと思いました。
つい授業風になってしまいましたが、いいのです(抱腹絶倒しながらギリシアを知りたければ、下ネタ満載の若い「藤村シシン」さんのサイト「Take the Moon」 http://www12.plala.or.jp/ttmoon/mainmenu.html を見てください。わたしには真似できないスタイルです。ギリシア神話ファン必見)。
さて。
プニュクスの民会場跡。左の石の台が演壇(ベーマ)。 |
テミストクレスの城壁 |
テミストクレスが築いた城壁跡を通ってピロパポスの丘を下り、古代の民会場があったプニュクスへ。数千人が集まって直接民主政をおこなっていた民会場は意外に小さい。でも、ここにソポクレスやソクラテスがいたと想像すると感慨深いものがありました。
プニュクスに登る古代の道。ソポクレスもここを歩いた。 |
アレオパゴス(アレスの丘)はアレオパゴス評議会があったところ。ギリシアの裁判は基本的には一般市民から選ばれた裁判員がおこないましたが、謀殺(第一級殺人)は長老で構成されるアレオパゴス評議会で裁かれました。
アレオパゴス |
アレオパゴスからはアテネ市街が一望でき、さらに遠方にはアカデメイアの森が見える。
奥の丘の麓に見える横長の線がアカデメイアの森 |
アカデメイアは緑豊かな別荘地でした。ここに哲学者プラトンが哲学学校を開き、それが「アカデミー」の語源になったのは有名な話。
しかしアカデメイアはまた、ギリシア悲劇・喜劇が上演された大ディオニュシア祭においても重要な土地です。
大ディオニュシア祭は、ディオニュソス神に捧げられる大規模な国家行事です。そのメイン・イヴェントが悲劇・喜劇の上演と、ディテュランボスと呼ばれる部族対抗歌舞合戦。大ディオニュシア祭の前に、劇場近くのディオニュソス神殿からディオニュソスの御神体がアカデメイアに移され、そこからディオニュソス劇場に向かって祭りの大行列が出発します。
日本の神社の「宮入(みやいり)」に似てますね。
神様がその昔われらの土地に外から来訪してくださった。御神体を載せた御輿(みこし)が神社に向かうのは、その「最初の来訪」を共同体の成員みなで再現し、再確認する儀式です。
アテネのディオニュソスもその昔、テーバイとの国境近くのエレウテライから来訪したと考えられていました。
だから行列はエレウテライから出発するのが本当なんですが、エレウテライはアテナイから遠すぎる! (そのエレウテライにはこの旅行の最後に行くことになります)
で、妥協の産物としてアテナイ市街地からちょっとだけ離れたアカデメイアから出発することになったのです。
アテネのキュダテナイオン通り |
散歩の途中で「キュダテナイオン通り」を発見。ギリシア史に詳しい人は「あっ」と思うはず。アテナイの市街地で最大の区だった「キュダテナイオン」の名前が残っているんです。あとはプラカで昼食。その後、バスでスーニオン岬に向かいます。
ここ数年イタリアに行く機会があって、自分ではイタリア人とイタリアの風景がそうとう好きだと思っていました。
しかし、スーニオン岬に向かう街道の風景と、岩だらけのスーニオン岬に立つポセイドン神殿を見たとき、イタリアがかすんでしまいました。
スーニオンに向かう街道の車窓から |
同 |
イタリアの都市や田園の風景はたしかに美しいのですが、なんと言うんでしょうか、
「私たち人間の文化は美しい。見てみろ」と自然に向かって言っている気がします。
ギリシアの遺跡の魅力は自然の中にあることです。
遺跡のまわりにある自然はとても美しい。
空気が澄んでいるせいか、遠くの空、海、緑、山の石灰岩の白さなんかがくっきりと、
本当に「くーーーっきりと」見えます(この日は曇りでそれほどでもありませんでしたが)。
「人間は自然に取り囲まれて生きているんだ」という感覚がします。
でもそれは「自然と一体化している」ということでは絶対にありません。
自然が人間を寄せつけないくらいに美しいんです。
すぐれた西洋古典学者の久保正彰氏が、ある座談の中で
「ギリシアの美しい自然を見ていると、自然が人間に向かって
『人間よ、お前たちはみにくい。死ね』
と言っているような気がする」
というようなことを言っています。手元に本が見つからなくて正確ではないのですが。
そんな感じです。
でも、その冷酷な自然はアフリカの砂漠やヒマラヤの峨々たる山々ほど「巨大ではない」。
ギリシアの宗教観は、ギリシアの自然と重なっています。
ポセイドン神殿 Photo by Irie スーニオン岬のポセイドン神殿については、いろんなサイトに旅行記や記事が出ているので、屋上屋を重ねる説明はやめておきます。 |
古代銀山の入口 |
銀鉱石を選別または精錬した施設跡 |
トリュコスの劇場とラウレイオン銀山跡を見学しました。
トリュコスは古代アテナイ領内の一村落。アクロポリスも劇場もあって、ミニチュアアテネみたいなところです。
トリュコスの劇場 |
この劇場を根拠に、元来ギリシアの劇場は円形ではなく長方形だったと主張する学者もいます。わたしは同意しませんけど。
いずれにしても、ギリシア演劇史で重要な遺跡であることはまちがいありません。
ラウレイオン銀山はアテナイの繁栄を支えた銀鉱山。多くの鉱山奴隷が厳しい労働を強いられていました。
夕刻、飛行機でクレタ島の玄関口、イラクリオンの町へ。
大きなタベルナを貸しきりにしておいしい食事をしました。
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