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2021年1月30日土曜日

「お母さん食堂」異議に異議

ファミマが展開している惣菜商品「お母さん食堂」という名称について、
「男性は仕事、女性が家事」という性別による役割を強化するものだから名称を変更せよ、
という署名運動が起きているらしい。

まったく論理不明のたわけた運動だと思う。
ファミマのCF映像は「お母さん食堂」ののれんをあけて割烹着姿の香取慎吾が登場する。

「お母さんキッチン」ではない。お母さん「食堂」だ。外食産業である。
料理人の世界はいまだに男性支配の傾向が強い。
「お母さん食堂」の香取慎吾の役柄はそんな男性社会の中で堂々と料理人としてプロの料理を作る女性職業人ではないのか?
家事の料理では断じてない。
料理のプロとして社会で活躍するお母さん。

そのどこが「男性は仕事、女性が家事」という価値観を強化するというのか?
むしろ逆じゃないですか。


2021年1月28日木曜日

白片肉 (パイピェンロー)——茹で豚の甘味噌


茹でた豚バラ肉を甘味噌で食べる中華の前菜です。

当たり前ですが豚バラ肉は脂身が多い。
その脂身をしつこくないように茹でるのがポイントかな。
それを甘味噌で食べる。おいしいです。

まずは茹で豚の作り方。
わたしは回鍋肉 (ホイコーロー) も角煮もこの茹で豚を使ってます。
脂っこくならなくて、しかも脂身の旨みは残ってます。


茹で豚の作り方

《材料》

豚バラブロック       300gくらい
白ネギの葉             1本分
ショウガ            1片
おから                   60g (ひとつかみ)

【作る


1) 豚バラブロックを凧糸で縛る。形が崩れないようにするためです。縛らないであとから重しをのせるやり方もありますが、皿やまな板や重しが汚れるので洗わなければなりません。凧糸が結局は手間が省けます。ショウガは薄切りにする。おからはもちろん味つけしてないものを使います。このおからが豚の脂分を吸い取ってくれる。おから君、ほんとにすごいです。
わたしはおからを冷凍保存するのですが、スーパーで売っているおからはけっこう量があって、凍ったおからを切り分けるのは至難の業です。なのでひとつかみずつラップでくるんでから冷凍するのがいい。

2) 鍋に豚バラブロックがしっかりつかる量の水、おから、ネギの葉、ショウガを入れて火にかけ、沸騰したら凧糸で縛った豚バラブロックを入れる。再沸騰したらアクを取って、弱火で50分くらいコトコト煮る。ときどきアクをすくって取ります。

3) 煮上がってすぐに冷やさないことがポイントです。火を止めてしばらくそのままにして粗熱がとれたら肉を取り出し、水でさっとおからを洗い落としてキッチンペーパーで水気を取る。これでできあがり。


茹で豚の甘味噌の作り方

《材料》(3人分)

茹で豚                ひとかたまり
白ネギ            1/3本
キュウリ             適宜
 
甘味噌
 おろしニンニク          小さじ1
   甜麺醤                大さじ2
   砂糖                   大さじ1
   ごま油                  大さじ1
 酢                            小さじ1
   ラー油                      小さじ1弱


【作る

1) 白ネギは白髪ネギにして水に放ち、しばらくしたら水気を切っておく。キュウリは千切りまたは輪切りにして器の脇に並べる。

2) 暖かいうちの茹で豚を薄切りにして (まな板にクッキングシートを敷いた上で切るといいです)器に盛り、甘味噌をかけ、ネギをのせたら完成です。


2021年1月27日水曜日

蛇足——「忘れもの」『相棒』Season19

(ネタバレあり。注意)

「こてまり」にハンカチを忘れた客を追いかけた小手鞠 (こてまり)、
その客が高校のとき隣のクラスにいた中迫だったことに気づく。

税理士中迫はヤクザのマネーロンダリングに深入りして組の金をせしめたはいいが、
それがバレて追われる身。
小手鞠ははからずも中迫との逃避行に。
右京と亘はわずかな手がかりから小手鞠の行方を追う。

そういうストーリーでした。

小手鞠が、中迫にほのかな恋心を抱いていた女子高生に戻っていく。
逮捕された中迫にハンカチを渡すシーンはなかなかよかった。

なのですが。

中迫の取り調べシーン以後は全くの蛇足。
もうわかってしまった展開を説明し直すだけでした。
説明ほど退屈なものはない。
ハンカチを渡すシーンで終われば余韻があったのに。

2021年1月21日木曜日

パンチェッタと白ネギ・カボチャのパスタ金柑風味


「塩で勝負!! ——パンチェッタと白ネギの塩味パスタ」のバリエーションです。

金柑をいただいたのですが、家人は好きではない。
豚バラ肉と果物は相性がいい。
そして豚バラ肉とカボチャも相性がいい。
それで作ってみてかなりうまくいったので投稿することに。

「塩で勝負!!」をクリックして参照するのは面倒だと思いますので、重複が多いのですが一から書くことにしました。
サルデーニャ島の塩

ポイントは、

1) 良い塩だけで勝負。白ワインを使わない汁気の多い塩味パスタです。右の写真はわたしが使っているサルデーニャ島の塩ですが、おいしい塩ならなんでもいい。

2) タマネギじゃなくて白ネギを使う。その方が断然おいしい。

3) パンチェッタは豚バラ肉を塩漬け熟成させたもの。
「生ベーコン」という俗称で売られていることが多いのですが、ベーコンではありません (ベーコンは燻してある)。
カルボナーラはベーコンではなくパンチェッタを使うのが本式です(ベーコンだと燻製香がくさいから)。このパスタもベーコンでは塩味が死にます。

パスタはやや太めがおいしいかな。
金柑は酸っぱいので苦手な方は食べ残してかまいません (あくまで風味づけです)。



パンチェッタと白ネギ・カボチャのパスタ金柑風味の作り方

《材料》(3人分)

太めのパスタ       270gくらい
パンチェッタ       100g以上
白ネギ            1~1本半
生椎茸                6枚
カボチャ             天ぷら用に切ったもの3枚
金柑                   3~4個
ニンニク             1片
大葉               10枚 (ワケギ、パセリでも可。ディルだと個性的になる)
黒胡椒                適量 (多め)
良い塩                適量
                      400cc
EVオリーブオイル     適量



【作る

1) 白ネギは縦半分に切ったあと斜めに薄切り。青い葉の部分が柔らかそうならそれも使う。
パンチェッタはかたまりなら2cmくらいの棒状に切る。カボチャは食べやすい大きさに。金柑は縦二つ割りにして種が見えるなら取り除く。ニンニクは包丁の腹で潰して、皮と根の部分を取り除いた後みじん切りにする。最後にのっける大葉は細かく切る。

軸を指で裂く
生椎茸の軸を切ってしまってはもったいない
。石突きを切り取ったら、軸を指で適当に裂いてから切る。のですが薄切りではなく厚く切る方が断然おいしい (わたしは4つ切りです)。

2) たっぷりの水にしっかり塩 (できれば良い塩) を加えて湯を沸かし始める。フライパンでパンチェッタを中弱火でじっくり炒める。脂が出てきたら、オリーブオイルとニンニクを加え、ニンニクの香りが出たら椎茸とカボチャを加えて炒める (キノコを使うのでオリーブオイルはやや多めです)。


3) 湯が沸いたらパスタを茹で始める (指定時間よりやや短めに茹でる)。ほぼ同時に、フライパンに白ネギと水を加えて強火に。沸騰したら弱火にして良い塩を加えて味見する。塩味
パスタはソースが「ちょっとしょっぱいかな」くらいがちょうどいい。そのままコトコト煮ます。

4) パスタが茹で上がる4分前にフライパンに金柑を加える。

5) パスタが茹で上がったら、しっかり湯切りをしてフライパンのソースに投入。強火にしてトングで数十秒激しく混ぜる (フライパンをあおってもいいのですが、汁気が多いので慣れてないとソースを飛び散らせてしまいます。トングが無難)。激しく混ぜるのは、ソースの油と湯を乳化させ、パスタに食い込ませるためです。

【完成】

皿に盛って、黒胡椒をたっぷりと粗く引き、大葉 (または青ネギ、パセリなど) をのせる。好みで上質のオリーブオイルをかけ回します。



2021年1月20日水曜日

見てきたような嘘——「死神はまだか」『相棒』Season19

(ネタバレあり。注意)

落語会の大物・椿屋團路 (つばきやだんろ)。

その一門会のトリで古典落語「死神」を演じ、落ちでばったり高座に倒れ込んはいいが、團路は起き上がらない。弟子たちが駆け寄ったところで急遽幕が下ろされ、駆けつけた救急隊によって死亡が確認される。

たまたま客席にいたのが右京と亘。
高齢で癌を患っていた團路は病死とみなされるが、
死亡直後の一門の様子を観察していた右京は事件性を疑い、伊丹刑事らを呼び寄せる。


一門に圧倒的な力をふるっていた團路は色好みでも有名で、住み込みの新弟子・椿屋路里多 (ろりーた) は團路のセクハラに悩まされていた。破門されたばかりの若い弟子もいる。
弟子たちはそれぞれ團路に対して腹に一物を持っているようであり、
弟子たちのとりまとめ役・小ん路 (こんろ) も例外ではない。

右京はそういう椿屋一門の状況を即座に見て取って、直感的に殺人だと考えた。
しかし証拠はない。
事件性がないとみなされて行政解剖に回されてしまえば物証を得ることは不可能に近い。

右京は直感をどのように事件解明につなげるのか?

そういうストーリーでした。


今シーズンの「超・新生」で頭に重傷を負って「正義をつらぬく人」に変身した内村刑事部長の指示があったとは言え、
伊丹・芹沢・出雲は右京の、妄想と言えなくもない推理に興味津々で協力する。

外堀を埋め尽くしたところで、一門が高座に呼び集められ、右京が大胆な推理を披露する。
鳴り物とともにサイバー犯罪課の青木が着物に羽織り姿で登場 !!
あらためて見ると落語家顔の青木。彼の高座シーンは秀逸だと思いました。

亘が最後に指摘したように、
右京は「講釈師、見てきたような嘘を言」ったのだが、
その嘘が結果的に犯人を追い詰めた。
右京の「見てきたような嘘」が、行政解剖から司法解剖につなげた。
おそらく物証は出る。

「見てきたような嘘」に徹底したところがいい。
その嘘に説得力を与えたのが、再度強調しますが、青木の高座シーンですね。
「今回は見てきたような嘘に徹しますよ」をきちんと伝えていた。
(前エピソード「欺し合い」は同じような「見てきたような嘘」のパターンですが、中途半端だから突破力に欠ける。そこが違い)
脚本も楽しいが、このシーンの監督の力侮るべからず、と思いました。


2021年1月17日日曜日

塩で勝負!! ——パンチェッタと白ネギの塩味パスタ

わが家では「良い塩のパスタ」と呼ばれています。
きっかけは台所の片づけをしていて、いつ買ったか定かでない (おそらく10年以上経ってる) イタリア・サルデーニャ島の塩を発見したこと。
サルデーニャ島の塩

塩味パスタに使ってみたらえらくおいしかった。

わたしはふつう、塩味パスタのソースには白ワイン (または良質の純米酒) とナンプラーを加えるのですが、味見して白ワインもナンプラーも足さない方がいいと確信しました。
塩だけで勝負!!
もちろんサルデーニャ島の塩でなくてもいいと思います。
今では世界のおいしい塩がいろいろ買えるので。

いろいろ試してみた決定版の「良い塩のパスタ」がパンチェッタと白ネギのパスタです。
「塩だけだと野菜の旨みと香りが引き立つねーー」と家人は言ってます。

ヒントは長野県安曇野のイタリアン「トレンタトレ」で食べた「牡蠣とネギのパスタ」。
「トレンタトレ」の牡蠣とネギのパスタ

これを食べて、「汁気の多い塩味パスタはタマネギじゃなくて白ネギだ!」と思いました。
(ぶつ切りの白ネギだけをひたひたの湯でコトコト煮て最後にバターをひとかけらと粗挽き胡椒を足すのは昔から好きな料理のひとつです)
タマネギだと少ししつこくなる。

家人が牡蠣が苦手なのでパンチェッタにしましたがおいしい。
パンチェッタは豚バラ肉を塩漬け熟成させたもの。
「生ベーコン」という俗称で売られていることが多いのですが、ベーコンではありません (ベーコンは燻してある)。
カルボナーラはベーコンではなくパンチェッタを使うのが本式です(ベーコンだと燻製香がくさいから)。このパスタもベーコンでは塩味が死にます。

汁気多めでネギをコトコト煮る。
おいしい椎茸をいっしょにすれば最高。
スナップエンドウは彩りですのでなくてもかまいません。

パスタはやや太めがおいしいかな。


パンチェッタと白ネギと椎茸のパスタの作り方

《材料》(3人分)

太めのパスタ       270gくらい
パンチェッタ       100g
白ネギ            1~1本半
生椎茸                6枚
スナップエンドウ  6本
ニンニク             1片
パセリ              適量
黒胡椒                適量
良い塩                適量
                      300cc
EVオリーブオイル     適量


【作る

1) 白ネギは縦半分に切ったあと斜めに薄切り。青い葉の部分が柔らかそうならそれも使う。
パンチェッタはかたまりなら2cmくらいの棒状に切る。ニンニクは包丁の腹で潰して、皮と根の部分を取り除いた後みじん切りにする。パセリもみじん切り。スナップエンドウは筋を取って三つに切る。

軸を指で裂く

生椎茸の軸を切ってしまってはもったいない
。石突きを切り取ったら、軸を指で適当に裂いてから切る。のですが薄切りではなく厚く切る方が断然おいしい (わたしは4つ切りです)。

2) たっぷりの水にしっかり塩 (できれば良い塩) を加えて湯を沸かし始める。フライパンでパンチェッタを中弱火でじっくり炒める。脂が出てきたら、オリーブオイルとニンニクを加え、ニンニクの香りが出たら椎茸を加えて炒める (キノコを使うのでオリーブオイルはやや多めです)。

3) 湯が沸いたらパスタを茹で始める (指定時間よりやや短めに茹でる)。ほぼ同時に、フライパンに白ネギと水を加えて強火に。沸騰したら再び中弱火にして良い塩を加えて味見する。塩味
パスタはソースが「ちょっとしょっぱいかな」くらいがちょうどいい。そのままコトコト煮ます。

4) パスタが茹で上がる5分前にフライパンにスナップエンドウを加える。

5) パスタが茹で上がったら、しっかり湯切りをしてフライパンのソースに投入。強火にしてトングで数十秒激しく混ぜる (フライパンをあおってもいいのですが、汁気が多いので慣れてないとソースを飛び散らせてしまいます。トングが無難)。激しく混ぜるのは、ソースの油と湯を乳化させ、パスタに食い込ませるためです。

パスタを茹でた湯はできれば流しきらない方がいい。ソースの水分が足りないときに足すためです(この点でパスタ鍋は湯を流さないので便利です)。

【完成】

パセリを加えてひと混ぜしたら完成。皿に盛って、黒胡椒を粗く引き、好みで上質のオリーブオイルをかけ回します。




 

2021年1月14日木曜日

「欺し合い」——『相棒』Season19

(ネタバレあり。注意)

給付金詐欺にあった角田 (かくた) 課長。
鏑木亘は角田の息子を装って詐欺グループに潜入する。

詐欺グループのリーダーはどうやら伝説の詐欺師「Z」と呼ばれる人物らしい。
なぜ彼が「Z」と呼ばれるようになったかというと。
かつて「伝説の詐欺師X」なる人物を詐欺で出し抜いたことからつけられた呼称。

何しろ相手は伝説の詐欺師。
潜入した亘はどうやって右京に連絡し、
右京はどうやって詐欺師「Z」に迫るのか?

そういうストーリーです。

詐欺師Zと右京のタイトルどおりの「欺し合い」。
捜査一課の伊丹、芹沢、出雲から角田まで総動員されて詐欺グループとのアドリブ通話が繰り広げられる。

意外や意外の「Z」の正体は明かされるし、なんと!!
「Z」に破れた「X」まで登場する。

その辺りの「欺し合い」はおもしろい。

だけれども。
「Z」と「X」を逮捕する証拠は何なんだ?
状況証拠しかなくて自供しかない。
二人とも自供してくれたからいいようなものの(よくはないかもしれん。裁判で勝てるのか?)自供以外の決定的証拠を右京は提示できなかった。
その証拠まで出せたら右京は「欺し合い」の真の勝利者になれたのにね。


半藤一利を追悼する

半藤一利が亡くなった。享年90。

元週刊文春編集長。昭和史について多くの著作があります。
昭和史へのこだわりの原点は、昭和20年、半藤が15歳のときの東京大空襲の体験だと思います。

なぜこのような地獄が起きたのか?
半藤は、当時の軍部や政治指導者たちの言動を詳細に検討することでそれを明らかにしようとしました。そしてそういう人たちを生み出した日本社会のあり方も考えました。

半藤の著作活動は、地獄の体験者として個人的な恨みを晴らす、というのではなくて、
二度と地獄を起こさないために何を知り、どう行動すべきかを考える、あくまで知的な態度で行われました。そこが半藤一利の優れた点だと思います。

半藤一利の知的な態度がよくあらわれているのが
『15歳の東京大空襲』(ちくまポリマー選書 2010年)。
15歳だった半藤少年の視点から東京大空襲が描かれる。
凄惨です。

「地獄の業火でした。逃げ場を失って地に身を伏せる人間は、瞬時にして乾燥しきったイモ殻に火がつくように燃え上がる。髪の毛は火のついたかんな屑のようでありました。背後を焼かれ押されて人々がぼろぼろと川に落ちていく。」

劫火を背に橋の真ん中で立ち往生した半藤少年は、「対岸の阿鼻叫喚を見るに見かね」て吹きなぐる火炎の危険をものともせずに漕ぎ出した対岸からの船の一艘に救われる。

けれども川の中で大きな荷物を抱えて溺れかけている女の人を救おうとして、川に引きずり込まれてしまう。
女性にすがりつかれた半藤少年は何度か水を飲み、あわや溺死というところで
「手足を無茶苦茶に振り回してすがりつく人を振り払いました。」

川面に浮かび上がったところに偶然いた他の船に半藤少年は引き上げられます。
「そして船の上で震えながら、赤ちゃんを抱いたり、幼い子を連れているため川に飛び込む勇気も出せずに、岸辺にうずくまっている女の人たちの姿を黙ってみつめていました。」
その人たちはやがて黒煙にまかれ、体があっという間に火だるまになってゆく。
「そんなひどい様子をわたくしは、ただ何の感情も抱かずに眺めていました」
そう半藤は書く。

東京大空襲の凄惨さを伝える書物はほかにもある。
また、わたし自身も何人かの体験者から直接話を聞いたことがある。

だけれども。
『15歳の東京大空襲』は凄惨さを伝えているだけではない。

半藤少年はすがりつく女の人を振りほどいて助かった。
それは生き延びるために他の選択肢がない行動です。責められない。
でもおそらくその女の人は溺死した。

目の前に燃えてゆく女の人たちを
「ただ何の感情も抱かずに眺めていました」と半藤は書く。

ふつうはそういうことは書きたくない、語りたくないものだと想像します。
半藤一利は書いた。
15歳の少年が体験したことを、書きたくないこともつぶさに伝えようとした。
挿入される大人・半藤一利のコメントの凄みはそこにあると思う。
戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなりうるし、加害者になることもある。そこがはじまってしまった戦争の真の恐ろしさなんです」

「傍観者にもなりうるし」——「ただ何の感情も抱かずに眺めていました」
「加害者になることもある」——「手足を無茶苦茶に振り回してすがりつく人を振り払いました。」

淡々とした「傍観者」「加害者」ということばが、実は自分の体験を冷徹に見つめることから出てきた実体を伴ったことばなんだということがひしひしと伝わってきます。
こうなってしまった15歳の半藤少年をふたたび生み出さないために何を考えるべきなのか。
その恐ろしい知的な覚悟が伝わってきます。

わたしは『15歳の東京大空襲』を読んで、
「この人が書くものはなんだろうと絶対に信用できる」と思いました。
そういうふうに思わせる作家はそうはいません。

半藤一利さん、
ご冥福を心からお祈りします。


 

2021年1月7日木曜日

『相棒 劇場版IV』と「幕開け」

タイトルの二つは互いに無関係です。

今晩テレ朝で放映された『相棒 劇場版IV』を改めて批評するわけではありません。
だけれどもやはりテンポがいい。
右京が動き回り、そして語る。
気持ちいい。

最後の犯人へのことばもたっぷり。
元旦に放映された「オマエニツミハ」の最後の場面で、
「もっとしゃべりたいのに」と言わんばかりの水谷豊の不満げな表情と対照的に、
演技している水谷豊が楽しんでいるのが伝わってくる。


もうひとつの話題の「幕開け」は、
前回の投稿の補足です。

元来は歌舞伎の用語の「幕開き」なのですが、ものごとの開始というより広い意味で使われるようになって「幕開け」という言い方が広まってしまいました。いくつかの国語辞典の見出しにもなっています。
(ことばの使い方辞典みたいなのでは、対になる語は「幕切れ」とされていますが、本来は「幕引き」じゃないかと思います。「幕開き」「幕引き」できちんと呼応する。)
昔、テレビで年配の歌舞伎役者が「幕開け」という言い方に苦言を呈して「誰が開けるんだよ?」と突っ込んでいましたが、
少なくとも歌舞伎の世界では「幕開け」とは言わない。
そうあちこちに書いてあるし、わたしもそう思っていました。

ところが。
わたしの聞き違いでなければ、前回投稿した歌舞伎『風の谷のナウシカ』のある幕前で、
口上で「・・・の幕開け」と言っていました。
えっ、歌舞伎でも「幕開け」って言うようになっちゃったの?

ことばは時代とともに変わる。
それはしようがないことだし、かならずしも悪いことではない。
だけれどもどこかでことばの伝統的なあり方に誇りをもって堅持する人たちがいるのはとても大事だと思います。
歌舞伎ってそういう人たちの世界ではなかったのか?

わたしの聞き間違いだったのでしょうか?


タイトルの二つはどちらも今年に入ってからの投稿の補足みたいなもの。
そういう意味ではまったく無関係ではないかな。

2021年1月3日日曜日

脱帽——歌舞伎『風の谷のナウシカ』

元旦の『相棒』の結末の腰の引け方に失望と怒りを覚えて投稿したのですが、
昨日今日と2日にわたってノーカットで放映されたNHKBSプレミアムの新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』で元日の不満が一気に解消されました。
大満足。圧倒されました。

以前、宮崎駿『風立ちぬ』についての投稿でも触れたことですが。
アニメ『ナウシカ』はもちろん名作ですが宮崎駿の原作漫画の一部でしかありません。
アニメは、ともすれば「自然とともに生きなければならない」というエコロジカルなドラマとして受け取られてしまいかねない。
でも漫画はその先まで進んでいった。

「美しい自然とともに生きる」ということがそもそも可能なのか?
「汚れのない純粋な命」なんて存在しうるのか?
その上でなおかつ人間が人間たるべき道はどこにあるのか?
そこまで漫画は突き詰めていった。

わたしはアニメ『ナウシカ』の続編を見たかった。
宮崎駿にそのパワーは残されていないので、作るとしたら庵野秀明しかいないんじゃないか。
そう書きました。

『ナウシカ』が歌舞伎になる。あろうことか、漫画原作の全部を舞台化する。
それを聞いたときにはたまげました。

腐界の虫たちやオームの進撃をどうやって舞台化するのかとまず思いましたし、
そして原作後半の、壮大で複雑で深刻なテーマをどうまとめられるのだろうか見当もつきませんでした。

見事にやってのけました。


原作に表向きに忠実であることが原作を生かすとは限りません。
たとえば演劇史上おそらく最高傑作のひとつだと思われるソポクレス『オイディプス王』。
2019年秋にシアターコクーンで上演された市川海老蔵主演の『オイディプス』の脚本・演出をしたマシュー・ダンスターは、海老蔵演じるオイディプス王をスーツにネクタイ姿で登場させました。コリントスからの使者は屋上に着陸したヘリコプターからヘルメット姿で降りてくる。
大胆な脚色です。

でもわたしはダンスターが、有名な蜷川幸雄の『オイディプス王』よりもソポクレスの原作の神髄をつかんでいると思いました。
何よりも疫病の恐怖におびえるテーバイの民と、それに応えねばならない為政者オイディプス王、そういう原作の緊張関係がくっきりと表現されていました。
(コロナ渦を予言するように。ソポクレスは歴史を超える洞察を作品化しているんですね)
そして黒木瞳演じる、妃にして母であるイオカステの揺れ動きもみごと。
これに較べると蜷川の『オイディプス王』は、ソポクレスの原作に表向きの演出ではより忠実であるけれど、大仰なケレン味だけの舞台に思えてきます。


歌舞伎『ナウシカ』は、ダンスターに共通する大胆な脚色と演出です。「忠実」とは言えない。
でも宮崎駿の原作の読み込みが半端じゃない。だから説得力がある。

そしてちゃんと歌舞伎になっている。

腐界の虫たちも、オームの進撃も、歌舞伎の様式に従って迫力満点に表現されていた。
水が轟き落ちる中での立ちまわりは、これぞ歌舞伎という圧巻のシーン。
ずぶ濡れの衣装で斬り合う役者たちの修練と身体能力のすさまじさ。

クシャナを演じる中村七之助の立ち姿 (間近で見た海老蔵のオイディプス王の立ち姿の迫力を思い出しました) 。

そして謠 (うたい) のすばらしさ。
歌詞 (と言うんでしょうか?) が、ストーリーへの距離を持ったコメントになっていて、
観客の理解をみごとに助ける。
「これはギリシア悲劇のコロス (合唱隊) じゃないか」と思いました。
社会のさまざまな問題を真っ向から全部引き受け、なおかつ高度な芸術表現たり得ていたギリシア悲劇。おそらく木下順二はそれに匹敵するだけの演劇を作り上げようと苦闘しました。
木下順二の悲願、それが歌舞伎『風の谷のナウシカ』でかなりの程度かなえられた。
それがわたしの評価です。歌舞伎界の底力に脱帽。
コロナ渦で困難ではあるのでしょうが後生に残すべき舞台だと思いました。
ぜひとも再演されて欲しい。


最後の墓所の場面で、わたしは宮崎駿の原作の末尾を新たな目で見直すことができました。
墓の主 (あるじ) は、先の時代の叡智を集結したスーパーコンピュータだということです。
集結された叡智が自ら「賢明な」判断を下す。
そういう事態は現代ではもはや夢物語ではない。
しかしそういうスーパーコンピュータの「賢明な」判断は本当に正しいのか?
宮崎駿は時代をうんと先回りしていたのだということが改めてわかりました。
それは宮崎駿個人の力量だけではたぶんない。
例えば映画『未来惑星ザルドス』もそういう問題にいちはやく注目していました。
淵源はたどり切れていませんが、アイザック・アシモフくらいまではたどれそうです。
要するに、文化の、そして思考の、伝統の中でしか培われない洞察力があるんだ、ということでしょうか。
宮崎駿という天才の洞察は、そういう伝統への学びと敬意から生まれてきたものなんだと思います。


迎春——日本酒の話 その4


正月用に3本酒を用意しました。


まず開けたのは奈良県の「百楽門 菩提もと仕込純米原酒」

育ちが福岡なので、塩をしっかりきかせたブリの切り身、カツオ菜などの豪華な雑煮を食べます。鰹節・アゴだし・昆布・鶏肉・椎茸の濃厚な出汁にブリの切り身から塩と旨みがしみ出して、カツオ菜の青臭さがそれを引き締める。

それに負けないしっかりした味の日本酒を。
と思って選んだ1本なんですが (これまで飲んだことない)、これは外れ。
日本酒度 +10 という辛口酒。
こういう高い酒度の日本酒を初期に出したのは、たぶん秋田県の「刈穂」じゃないかと思います。
ずいぶん昔の記憶では、エビ料理がおいしい中華街の「ルパルク」に置いてあった唯一の日本酒が「刈穂純米超辛口」でしたね。
確かに中華にも負けないしっかりした味です。
以後、いろんな酒蔵が「超辛口」を出すようになったのですが、わたしの好みに合わないものが多い。無理矢理辛口にしてる感じで飲むのがちょっと辛い。
「百楽門」はその類でした。菩提もとという変わった酒母を使っているようで、独特のヨーグルト香があって、それは好みなんですが辛口の味とそぐわない気がします。
で、これは料理用にまわすことに。


すぐさま岡山県の「玉司 (たまつかさ) 古酒」に移る。
三年古酒で、しっかり飴色がかっている。
古酒独特の香りとねっとりとする濃厚さ。うまい。
「新春に古き酒開く 弱法師 (よろほうし)
酔っ払って柄にもなく、夏井先生なら凡人評価まちがいなしの一句をひねり出しました。
ただアルコール度数が高いこともあってスイスイとは飲めない。



で、最終的に落ち着いたのが鳥取県の「鷹勇 強力純米七割磨き」
大当たり。
味の系統はまったく別ですが、年末に飲んだ「月の輪 秋あがり」に匹敵するうまさだと思いました。思わず「うーーーーーん」とうなり声が出てしまう。
「鷹勇 強力」については 「日本酒の話」で書きましたが、
「強力 (ごうりき)」は(彩芽ではなくて)絶滅しかかっていたのを復活させた酒米の名前です。
いちばん有名な品種は「亀の尾」でしょうが、「強力」もそのひとつ。
ただ今回開けたのは、「日本酒の話」で触れた「鷹勇強力」とは違う精米歩合70%の限定品です。
こういうあまり精米してないうまい酒は、いろんな味の粒子がチリチリと漂っている感じがします。こいつもそういう感じで、酸味と甘みの質が実にすばらしい。口に含むと笑みが浮かぶおいしさでした。

2021年1月1日金曜日

敵前逃亡した脚本——「オマエニツミハ」『相棒』Season19

(ネタバレあり。注意)

元旦の2時間スペシャル。

2400年以上前にアイスキュロスのギリシア悲劇『オレステイア三部作』がガチでぶつかった「正義」と「復讐」という根源的なテーマ。

究極的な犯人であるジャーナリスト仁江浜光雄 (にえはまみつお)。
かつてその息子はいじめグループによって殺されかけるのだが、偶発的に起きたその火災現場に駆けつけた右京は、仁江浜の息子ではなくいじめグループのリーダーを救出する。
状況からすれば責められない判断だ。

連続殺人の被害者たちは全員、少年時代に残虐な犯罪を犯し、
にもかかわらず、少年であることによってたいした罰も受けず、
大人になって人を食い物にする悪辣な人間になっている。

彼らの動向を追っていた仁江浜は、
「改心などありえない人間は存在する。それを許しておいていいのか?」
という憤りから、彼らの被害者の身近な人物たちの「復讐」を算段する。

だけではなくて。
自分の息子を「見殺しにした」杉下右京にもその責任を問う。
問うために、雑誌記者として右京に接近して、
思想的に戦いを挑む。

そういうストーリーです。

仁江浜の
「改心などありえない人間は存在する。それを許しておいていいのか?」
という考えに、右京は
「感情で善悪を判断するのは危険です」
と答える。

最後の場面でも、仁江浜は
右京の立場が正しいのは理屈ではわかる。
「だけどもここが」(と自分の胸を叩いて)「ここが納得できないんだ!!」
と叫ぶ。

アイスキュロスはまさにこの問題にガチにぶつかった。
『オレステイア三部作』の第三部で、
血で血を洗う復讐の連鎖を断ち切るためにかろうじて「裁判」という正義があるんじゃないか、
(「かろうじて」が大事だと思う。楽天的じゃあない)
そういう判決が下ったあとでさえ、
復讐の女神たち(エリーニュエス)が納得しないところにアイスキュロスの真骨頂がある。
復讐の女神たちは判決が下ったあとでおとなしく納得なんかしない。
「殺された者の恨みはそれで消えるのか!?」と激しく荒れ狂う。
仁江浜と同じです。
それにアイスキュロスがどういう答えを出したか。
ここでそれを書くのはことばがたくさんいるから書きません。 
でも、アイスキュロスが全力を尽くしたことばでそれに答えようとしたのは確かです。

「復讐」と「正義」という、そういう歴史の重みを持っている根源的なテーマにぶちあたったのは勇気がある。


でも今回の脚本は、そういう根源的なテーマに敵前逃亡したとしか思えない。
犯人に対して右京が最終的にいうことばは、
「わたしはあなたが考えているような完全な人間ではありませんよ」というもの。
(正確ではありませんがそのような内容でした)

わたしは
「おいおい、これは敵前逃亡じゃないかよ」と思いました。

ことばの人であり続けた右京は、
仁江浜の文字通り「ハートからの」思想に対して正面からことばでもって説得すべきだった。これまでそうしてきたように。

「人間は完全じゃない」だって?
それは説得ではなくて、相手の情緒的な同意を姑息に期待する「詠嘆」というものじゃないかい?

論理の人、右京よ、ことばで戦え!!
仁江浜に失礼じゃないか。

今回の脚本は完全な敵前逃亡だとわたしはみなします。
腰が引けてるよ。
アイスキュロスを見習いたまえ。