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2021年1月1日金曜日

敵前逃亡した脚本——「オマエニツミハ」『相棒』Season19

(ネタバレあり。注意)

元旦の2時間スペシャル。

2400年以上前にアイスキュロスのギリシア悲劇『オレステイア三部作』がガチでぶつかった「正義」と「復讐」という根源的なテーマ。

究極的な犯人であるジャーナリスト仁江浜光雄 (にえはまみつお)。
かつてその息子はいじめグループによって殺されかけるのだが、偶発的に起きたその火災現場に駆けつけた右京は、仁江浜の息子ではなくいじめグループのリーダーを救出する。
状況からすれば責められない判断だ。

連続殺人の被害者たちは全員、少年時代に残虐な犯罪を犯し、
にもかかわらず、少年であることによってたいした罰も受けず、
大人になって人を食い物にする悪辣な人間になっている。

彼らの動向を追っていた仁江浜は、
「改心などありえない人間は存在する。それを許しておいていいのか?」
という憤りから、彼らの被害者の身近な人物たちの「復讐」を算段する。

だけではなくて。
自分の息子を「見殺しにした」杉下右京にもその責任を問う。
問うために、雑誌記者として右京に接近して、
思想的に戦いを挑む。

そういうストーリーです。

仁江浜の
「改心などありえない人間は存在する。それを許しておいていいのか?」
という考えに、右京は
「感情で善悪を判断するのは危険です」
と答える。

最後の場面でも、仁江浜は
右京の立場が正しいのは理屈ではわかる。
「だけどもここが」(と自分の胸を叩いて)「ここが納得できないんだ!!」
と叫ぶ。

アイスキュロスはまさにこの問題にガチにぶつかった。
『オレステイア三部作』の第三部で、
血で血を洗う復讐の連鎖を断ち切るためにかろうじて「裁判」という正義があるんじゃないか、
(「かろうじて」が大事だと思う。楽天的じゃあない)
そういう判決が下ったあとでさえ、
復讐の女神たち(エリーニュエス)が納得しないところにアイスキュロスの真骨頂がある。
復讐の女神たちは判決が下ったあとでおとなしく納得なんかしない。
「殺された者の恨みはそれで消えるのか!?」と激しく荒れ狂う。
仁江浜と同じです。
それにアイスキュロスがどういう答えを出したか。
ここでそれを書くのはことばがたくさんいるから書きません。 
でも、アイスキュロスが全力を尽くしたことばでそれに答えようとしたのは確かです。

「復讐」と「正義」という、そういう歴史の重みを持っている根源的なテーマにぶちあたったのは勇気がある。


でも今回の脚本は、そういう根源的なテーマに敵前逃亡したとしか思えない。
犯人に対して右京が最終的にいうことばは、
「わたしはあなたが考えているような完全な人間ではありませんよ」というもの。
(正確ではありませんがそのような内容でした)

わたしは
「おいおい、これは敵前逃亡じゃないかよ」と思いました。

ことばの人であり続けた右京は、
仁江浜の文字通り「ハートからの」思想に対して正面からことばでもって説得すべきだった。これまでそうしてきたように。

「人間は完全じゃない」だって?
それは説得ではなくて、相手の情緒的な同意を姑息に期待する「詠嘆」というものじゃないかい?

論理の人、右京よ、ことばで戦え!!
仁江浜に失礼じゃないか。

今回の脚本は完全な敵前逃亡だとわたしはみなします。
腰が引けてるよ。
アイスキュロスを見習いたまえ。

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