このブログを検索

2026年4月11日土曜日

花沢健吾『アイアムアヒーロー』——倫理をめぐる粘り強い思索 その2

(ネタバレ注意)


 「その1」(←クリックしたら飛びます)を投稿したのは2015年12月。10年以上経ってしまいました。「その2を書く予定は当分ありません。あしからず」とコメントしたのですが、匿名氏から

この物語に潜む独特の異質感をやっと整理することができました。ありがとうございます。できれば続編として、単行本16巻 (小田さんの最期) に対する思索をお願いしたいです。あんなに切ない演出をする必要があったのか? 私は思い出すたびに深い喪失感に襲われ涙が止め処なく溢れます。

というコメントをいただきました。これは答えなければいけないなとずっと思っていたのですがいろんな事情があって、ようやく遅ればせの応答をいたします。匿名さん、お元気ですか? あまりにも長くお待たせしたことをお許し願います。


1. 「言語化の人」小田つぐみ


「その1」は単行本第18巻が出た時点で投稿しました。完結後、「その1」の解釈 (「感想」では断じてありません) は基本的に正しかったと思っています。

ポイントをまとめておくと。

(1) 「倫理」は人なら誰であれ守らなければならない「正しさ」で、道徳とは (そして「正義」とも)違う。その「正しさ」が何なのかは自明ではなく、思考停止せず考え続けなければならない。主人公英雄 (ひでお)は、ZQN(ゾンビー)が支配しつつある世界を銃を手に生き延びながら、思停止することなく、カメラマン荒木のことばを借りれば、「変になやんでループして」正しく生き延びる術を模索する。

(2) 倫理と根源的に対立するのがエロース
「倫理」は「正しさ」の問題、「エロース」は「好き・嫌い」の感覚の問題です。そしてエロースはときに善悪・正邪を超える。
ほんとうの倫理の「正しさ」にたどり着くためには、「エロース」を押さえつけるのではなく、「エロース」と向き合わなければならない。「倫理」と「エロース」がどういう関係にあるべきなのかを考え続けなければならない。

『アイアムアヒーロー』は、英雄と比呂美と小田のエロースの絡み合いを通じて、この難問にガチンコでぶつかっていきます。

堅苦しくなりましたが「その1」のポイントは以上のようなものでしょうか。



「その1」で書いたように、看護師小田は、感染しても劇症化しない比呂美がこの破滅から抜け出す鍵だと考えます。何としても比呂美を守らなければならない。

第8巻で御殿場アウトレットモールを車で脱出したあと、英雄と小田は、額に釘を撃ち込まれて意識のない比呂美を救う術を探ります。しかし病院はZQNに占拠されている。


このあたり(第9巻)から、小田の存在感が大きくなってきます。

彼女が言語化の人であることがはっきりしてくる。
本人は「ガサツ」だと言うのですが、
小田はなにごとも言葉にし、相手にも言葉にさせる

「はー」とため息をつく英雄に、

 「ため息つくんだったら言いたいこと言えよっ!!」

と叫ぶ。叫ぶんだけれども「怒ってるわけじゃないから、言いたいことあったら言ってくれ」と静かに言い直す。
そういう言語化を通じて自分にも相手にも現状がより明確にされていく。

さらに。
人気(ひとけ)のない土産物屋で、食料を調達しようとする英雄が、ZQNが二、三人なら
「俺ならやれますよ。」と言ったとき、
小田は「…大丈夫? なんかさ…この状況に慣れてきてない? あんた。」と問います。
英雄は虚を突かれて黙る。

英雄は、ZQNの中で生き延びなければならないのだけれど、それでも「正しく」生き延びる道を思考停止せずに探ってきました。

英雄と行動をともにするなかで、小田も小田なりに「正しさ」が何なのかを考え始めている。
小田は英雄に「慣れるな=思考停止するな!」と伝えているのです。


小田の言葉で我に返った英雄は、「俺は慣れてない」と自分に言い聞かせながら土産物屋に入っていく。

そこで出会ったのは臨月のZQN。
英雄が頭を撃っても接近してくる。その股間には生まれようとする赤ん坊の顔がある。
英雄はかろうじて射殺しますが、母親は赤ん坊をかばうように丸まる。

恐怖の体験で青ざめた顔をして出てきた英雄に小田は言います。
「ためこむな。こんなわけのわかんない状況なんだ。答えもでないこと、ためこんでおかしくなる前に吐きだした方がいい。

答えの出ないことを言語化しろ。そう小田は言っています。
英雄は土産物屋のできごとを語り、
「こっちの都合で勝手に…人間じゃないって決めつけて、とんでもなく間違ったことしてる気がしてきて…」と思いまどいを言葉にする。

「その1」で書いたように、小田は英雄によって「正しさ」の感覚を呼び覚まされました。
答えが出ないかもしれない倫理の新しい「正しさ」を、小田は英雄と言葉で確認し合いながら考えていきます。

考えるだけではなく、行動していきます。

「その1」で書いたように、小田の「現状把握の力」と「決断力」は英雄に足りないもの。
比呂美の額から釘を抜く小田は、冷静に現状を把握し、決断し、実行する。

けれども同時に思考停止せずに「正しく」行動しようとします。
手術をしながら、それが看護師に禁じられている医療行為であり「犯罪」であることも自身に確認する。生き延びるために銃を使う英雄が、それでも銃刀法に即して「正しく」銃を使おうとするように。

また、比呂美の術後経過を見るために滞在したキャンプ場のロッジを出る際には、
不法侵入したこと、備品を勝手に使ったことを詫びる手紙を、住所氏名を記して残す。
無人の店で飲料水を手にした英雄がレジにお金を残したように。

英雄に出会って以降、小田は英雄の倫理探求を模倣しているかのようです。
もちろん小田に模倣しているという意識はない。
だからこう言った方がいいのかもしれません。

言葉と行動を通じて、
「正しさ」の探求のバトンが渡されて、リレーのように続けられていく

『アイアムアヒーロー』後半、そして結末までの大きなパターンがこれだと思います。
このリレーの果てに倫理の「正しさ」が何なのか、そのくっきりとした形があらわれる。

しかしそれは先の話。
その前にZQNとは何物かが次第に明らかにされていきます。


2. ZQNの「異種」


英雄たちの物語と並行して、第10巻から、謎の少年クルスの集団「久喜幕府」の物語が進んでいきます。

ネットの掲示板で、クルスの存在は伝説的だった。
埼玉県久喜市の引きこもり青年・江崎崇(たかし)は、ZQNと化した母親に襲われそうな危機に陥り、クルスの「戦う仲間募集」の書き込みに参加希望を書き込みます。

クルスたちが実際にあらわれる!

長髪で白いブリーフ一枚のクルスは、ニコニコ笑いながら崇(たかし)の父母ZQNを殺害し、崇を自分たちの基地に連れていく。

新たなメンバーとなった崇(たかし)の視点から「久喜幕府」の様子が描かれます。
久喜市の住宅を基地にする、生き延びるための冷徹な戦闘集団。
仲間がZQNと戦ったあとに、しりとりをして知能を確かめ、3時間手錠につないで発症しないことを確信してはじめて手錠をはずす。
気弱で善良な崇は、そういう冷徹なルールのもとで必死に生き延びます。

久喜幕府の重要なメンバーを紹介すると。

クルス…超絶的戦闘能力を持つ少年で、久喜幕府の最大の武器。子どものような無邪気さ
  でZQNを殺害する。
(こわし)…実務を統括する冷徹な指揮官(クルスは気まぐれで実務能力はないに等しい
  から)
苫米地(とまべち)…久喜幕府の参謀。徹底的な理科的思考の持ち主。ZQNを冷静に観察し、
 その行動パターンを分析している。
(きずき)…久喜第三中学校の女子生徒。
春樹(はるき)…同じく中学生で城(きずき)の恋人。ひねくれ者で減らず口をたたいているが、
  城(きずき)に思いやりを示す。
おばちゃん…食事を作る係だが、肝がすわって戦闘能力も高い。
名なしの女…口数少ない黒服の女。戦闘能力は高い。春樹は彼女を「男女」と嘲笑う。

城(きずき)以下の四人は、結末に向かうにつれ存在感を増していきます。

上に書いたように、久喜幕府は生き延びるための非情の戦闘集団ですが、異分子を排除することはしません。その点が前半の焦点だった御殿場アウトレットモールのグループとちがうところ。戦闘能力がなさそうな引きこもりの崇も受け入れる。
毅は春樹の減らず口と反抗心を抑えはするが排除しない。
おばちゃんは、名なしの女が名を名乗らないことにも
「あの子にはあの子の事情があるんだよっ!!」とかばう。
毅も「わかっている。事情は人それぞれ、せんさくはしない」と応じます。
(この「ゆるさ」は、久喜幕府が少人数であることが理由だとも言えます。異分子を排除して戦力を削るわけにはいかないから)

その久喜幕府に危機が訪れます。
風呂場からZQNが侵入し、名なしの女に襲いかかる。おばちゃんがZQNの首を切り落とす。
ZQNと格闘した名なしの女は、ルール通り手錠をかけられます。
風呂場で3時間を待つ間に名なしの女はZQNに変身してゆく。噛まれていたのです。
完全にZQNと化した名なしの女は風呂場の窓を壊して逃走します。

毅(こわし)は名なしの女の並外れた戦闘能力を知っている。彼女は今や恐るべき敵です。
久喜幕府は隠れ家を捨てて久喜第三中学校に向かうことにします。
雨の中の脱出行。
崇(たかし)も脱出しようとするのですが、
クロスボウの射撃部隊・羽生兄妹に名なし女のZQNが襲いかかるのを見る。
好意を寄せていた妹の富貴(ふき)を救うため、崇はみずからおとりとなってZQNを引き寄せます。
次々と集まってくるZQN。富貴(ふき)の顔を思い浮かべた崇は、

 「引きこもり人生、一度くらいは生きてる実感がほしい。死ぬのはそれからだ」

そう決意してZQNたちに立ち向かう。けなげな戦いですが崇はZQNに噛まれてしまう。
崇は戦いのさなかに、ZQNを引き連れてニコニコと歩くクルスを目撃します。


一方、久喜幕府の四人、城(きずき)と春樹、毅とおばちゃんは第三中学校に侵入する。
そこにはZQNが蝟集(いしゅう)しているのですが静かに立っているだけで襲ってこない。

苫米地(とまべち)は観察から「ZQN一人一人には意思などないが、ZQN全体では何かしらの意思がある」と推測していました。
ZQNたちは第三中学校を「巣」とすべく集まっているらしい。
車に残った苫米地は第三中学校にクルスよりも恐ろしい存在がいることを直感します。
そしてそれが姿をあらわす。

第三中学校の校庭でZQNのこれまではっきりしなかった側面があらわになります。

感染した崇はなぜか自我を失っていません。
第三中学校にたどり着き「死ねばよかったのに…」と苦しむ彼の前に、
スコップを手にした白いブリーフ姿の太った男があらわれる。
苫米地が言う「クルスより恐ろしい存在」です。

彼は自分は「人間を超越した裸の王様だ」と言います。
そして崇も自分と同じ「人間を超越した」存在になったのだとも。

そこにクルスが「おーい、遊ぼー」とあらわれる。
先に、待機する車中で射撃部隊・羽生兄妹は苫米地にクロスボウを突きつけてクーデターを起こそうとしていたのですが、クルスがあらわれてあっという間に二人を殺していました。
校庭にあらわれたクルスは妹・富貴(ふき)の切り取った首を転がす。
その首を見た崇は怒りに燃えてクルスに向かっていきます。
太った男・クルス・崇の壮絶な戦いがはじまる。

この戦いの決着は描かれません。

しかし二つのことが暗示されます。

クルス・太った男・崇はZQNに感染しているのだが自我を失っておらず、超絶的な力を獲得していること。

そして少なくもクルスと崇が合体し、毅たちもそれを受け入れたこと(第12巻末)。


人を襲って食べるZQNとは異なるZQN。
少し先取りになるのですが(第16巻)、イタリア・ピサのエピソードでこの側面がより明らかになります。

『アイアムアヒーロー』では、台湾やパリなど世界各地に広がるZQN禍の物語がときおり挿入的に描かれるのですが、

ピサで登場するのは、ZQNであふれる通りで泣きながら母親を探す少女。
彼女は一人の若者に塔の最上階へと導かれます(有名な「ピサの斜塔」ではない)。
そこにいるのは日本人の旅行客カップルとイタリア人の中年男。
ピサの町を見下ろすようにゆっくりと近づいてくる巨大な樹木のような怪物が見えます。
若者は中年男相手に(日本人カップルはイタリア語がわからないので)、ZQNの正体についての自分の「仮説」を語りはじめます。

ZQNは地球外生命体で、あの巨大な怪物はZQNたちを吸収した「巣」だ。
彼らは生き延びるために、地球に適応した新しいハイブリッドな生命体を作り上げ、人間の文明をなるべく破壊せずにそのまま使用しようとしているエコな侵略者である。
「巣」が探し求めているのはハイブリッド生命体を生み出す女王蜂だ。

ここまで語ったところで彼らは複数の「巣」に取り囲まれる。
若者は言います。
大丈夫、襲われない。ここにいるわれわれは女王蜂=少女の世話係として選ばれている。
そのせいか、われわれはZQNになっているのにそれぞれの自我をいくぶんか残されているのだ、と。

ここで彼らの姿が怯える少女の目から見た(真の)姿=ZQNとして描かれます。
みなおぞましい姿。ZQN化した日本人カップルは言語の違いを超えて若者と会話しています。

彼らが少女を「巣」に連行しようとしたその時、新たなZQNがあらわれる。
コートに白いブリーフという姿の彼は、そこにいるZQNを次々に殺害し、あるいは食う。
最後に殺される若者は死ぬ間際にひとりごちます。
なんでこんな奴が出てくるのかわからない。これは欠陥品なのか、それとも何か必要性があって創られたのか、と。

ZQNには少なくとも2種類があることがわかります。
人間を襲い、「巣」に集まって集合体になろうとするZQN。
それとは違い、時には仲間に敵対し、自己を保ち続ける「異種」のZQN。

ブリーフ姿のZQNに少女は「なんで…ズボンはかないの?」と問います。
「んー…だって…おしっこしやすいじゃん」という答えに、怯えて泣いていた少女ははじめてにっこり笑って「しやすいね」と言います。
二人は手を繋いで塔を降りる。「どこへ行くの?」という少女の問いにZQNが「ママのところだよ」と答えてピサのエピソードは終わります。

二人はどこに向かったのか?
オープンエンドのままですが、少女の世話係に選ばれた塔のZQNたちが全員殺されたことからすると「巣」でないことは確かだと思われます。集合体になろうとするZQNの意に沿わない行動です。

そして白いブリーフのモチーフ。
クルスも太った男も白いブリーフ姿です。彼らは皆「異種」ZQNであることが明らかになりました。が、その存在意義や目的は、わたしたちにとってもZQNたちにとっても不明のままです。(白いブリーフ姿の意味については後述)


3. 倫理とエロース

英雄の物語に戻ります。
第13巻から、「倫理」(あるいは「正しさ」)と「エロース」の複雑な関係があらわになります。


わたしは「倫理」と対になる原理として「エロース」という言葉を使ってきましたが、「その1」では「好き・嫌いの原理」だと、ときには「恋」だと、簡単にしか言っていません。
ここで「エロース」をもう少しはっきりさせておきたいと思います。

「エロ」の語源でもある「エロース」は古代ギリシア語です。
それは端的に言えば「欲望」であり、また「欲望」をつかさどる神の名でもあります。
でもその「欲望」を本能的・動物的な性欲とイコールだと思ってはいけない。

人間は、やみくもに異性(もちろん生物学的・遺伝的異性であるとは限りません)に欲情するわけではない。ありていに言えば「異性なら誰でもいいからヤリたい」わけではない。そういうことを言葉で言う人もいますが、よーく考えたらそうじゃないはずです。ほんとうに「誰でもいい」と断言できますか?(きわめて稀にそう断言できる人もいると思う。それはそれで立派なことですが)

欲望を感じる相手はすでに選別されているのです
好みはひとそれぞれですが、自分にとって「ブス」と思われる人に恋はしません。
(世間的に言われる「ブス」を恋することはもちろんある。でも恋をするともはや「ブス」ではなくなっている)
「欲望」「美的判断」(好き・嫌い)が手を携えている。そこが動物的性欲とは違う(ひょっとして動物も美的判断をしているかもしれませんがそれは置いておきます)。

エロースは「好き・嫌いの原理」だと書いてきたのは上のようなことです。
そして、繰り返しになりますが、エロース(好き・嫌い=したい・したくない)は倫理(正しい・正しくない=すべきだ・すべきじゃない)と真っ向から対立する。

倫理をめぐる粘り強い思索である『アイアムアヒーロー』は、だから、英雄と比呂美と小田の関係をエロースとして描くのです、3人の「愛」の物語としてではなく。

(「愛」はどうなるんだ!? と思ったあなた。
もしその「愛」が欲望とは独立した「心の愛」みたいなものを指しているのだとすれば、二つのことをはっきりさせておかなければなりません。
まず、身体的欲望と「心」が別個のものだという見方は「心身二元論」と呼ばれるもので、心身についてのひとつの見方に過ぎないこと。エロースはそういう見方とはまったく別の見方をしています。
二つ目は、「心の愛」は「体の愛」より高貴で優れているという見方も心身二元論なのでひとつの見方に過ぎませんし、エロースは上で述べたように単なる「体の愛」などではありません。

ギリシアのエロースは、実はかなり複雑な問題をはらんでいて、わたしはわかりやすくするためにかなり乱暴にまとめています。別の機会があれば丁寧に書くつもりです。

 いずれにせよ、『アイアムアヒーロー』は、人を好きになること(ゆるやかな意味での「愛すること」)が何なのかは描きますが、心身二元論的な「愛」には目もくれていません)


物語に戻ります。

人気のない芦ノ湖テント村のロッジで、英雄と小田のエロースが炸裂します。
ここでも小田は欲望を「がさつに」言語化し、言語化させます。

 小田「やりたいわけ?」
 英雄「いや、そーいうわけではっ。」
 小田「えっ、違うの?」
 英雄「いえっ、やりたいですっ!!!」

しかし、上にのしかかる英雄は「彼女いるの? 好きなんでしょ?」と問われて、
てつこのことを語りだす。

 「…感染したから…俺が殺しました…」
 「感染した時うわごとで昔の男の名前を…つぶやいたんです。」
 「だ、だから、俺、たぶん殺さなくてもよかったのに、殺したんです。」

正しさとエロースの矛盾に引き裂かれた英雄の苦悶の顔を見た小田は、言語化の追求をやめます。「床痛いわ。」「ふとんに入る?」と。

ことが終わったあと、距離を縮めようとする英雄に小田は釘を刺します。

 「あん時はヤリたい気分の時に、たまたまあんたがいただけだから。」
 「好きとか嫌いとかやってる場合じゃないから。あたしはあの子(比呂美)をしかるべき
 場所に送り届けることが最優先だからな。」

さらに

 「女がふたりいりゃ、それでもういろいろめんどくさいこと起こる」
 「あんたと比呂美ちゃんが、どんな関係か知らんけど…あんたでも今のところたったひとり
 の男だから…くれぐれも公正中立にな。変なことしてバランスくずすなよ。」

と。

小田は二人のセックスを純粋な「欲望」として片づけ、エロースを否定しているかのようです(「好きとか嫌いとかやってる場合じゃない」)。比呂美を守るという「正しさ」を実行するために。
そして「3人の」エロースがその「正しさ」を妨げる危険性を正しく認識しています。

しかし純粋な欲望(本能的欲望)として片づけられるのでしょうか?
ほんとうに「ヤリたい気分の時に、たまたまあんたがいただけ」なのでしょうか?
上の言葉と裏腹に小田は思わず英雄にキスをしてしまう。「好きだ」という気持ちと手を携えた欲望=エロースは抑えようとしても噴出してくるのです。

それでも小田は「正しさ」のために英雄とも比呂美とも距離を保とうとします。
(小田の手術によって意識を取り戻した比呂美が、看病する小田に「お母さんみたい」と言った時、突き放すように「看護師です」と答えたように)。


では比呂美は?

意識を取り戻した比呂美は、突然身長が10cmも伸びている。
銃砲店で銃弾を手に入れるときに示した比呂美の怪力は御殿場アウトレットモールでも発揮されていましたが、クルス・太った男・崇(たかし)を見てきた今のわたしたちは、
その怪力が、そして背が伸びた「変身」も、比呂美が「異種ZQN」であることに由来するものだとわかります。

箱根湯本に向かう道中で、比呂美の「ZQN性」が次第にはっきりしてきます。

銃砲店で黒焦げになったZQNが近づいてきた時、比呂美は抱き寄せて
「こわくないよ。もう一人じゃないよ。」と語りかけますが、小田はそのZQNの頭をバールで殴って殺す。

 比呂美「ひどいよ…その人は…二度も死を経験したんだよ。」
 小田「あたしは、死んだ人間より生きてる人を優先するわ。」

集まってくるZQNから車で脱出するときにも、

 比呂美「(ZQNを)ひいちゃったよ、助けなきゃ!!」
 小田「助けないっ!!! 『あいつら』だってことわかるでしょ!!」
 比呂美「そんなっ、かわいそうだよっ!」
  …
   小田 「比呂美っ! あんたは人間でしょっ!? 人間じゃないなら、降りていーよ、あんただって
  ひき殺すよ。」

比呂美が「ごめんなさい」と言い、少し後で小田も「比呂美。さっきはゴメン、きつい言葉かけちゃって」と言いはするものの、二人の溝は深い。

「人間として死にたい」という小田にとってZQNは「あいつら」であり、その危害から比呂美をなんとしてでも守り抜こうとしている。それが小田の「正しさ」です。
しかしZQNと意思疎通ができる比呂美にとって、小田の「正しさ」は理解はできるが絶対ではない。


さらに。
比呂美とZQNの「意思疎通」は直接対面したときの意思疎通にとどまりません。

車中の比呂美は、英雄と小田に意識を失っていたときのことを語ります。
寝てる間ずっと声をかけられていた。語りかけていたのは髪の長い男の人で「起きろ。早くこっちへ来い」と言っていた、と。クルスと遠隔交信していたのです。

そして、その声以外にも

 「沢山の人の気配がして、ザワザワして全然さみしくなかったの。
 えーとライブの開演前みたいな…みんなつながっていて、気持ちも同じ方向を向いていて
 全然さみしくなくて」
 「あ、でも私の場合、それを傍観してるだけだったけど。」
 「目が覚めたら心の中に誰もいなくなって、ひとりがこんなにさみしいんだって感じたの。」

と。
上で述べた「ZQN一人一人には意思などないが、ZQN全体では何かしらの意思がある」という久喜幕府・苫米地(とまべち)の推測を、ZQN当人の体験として語っています。

比呂美の「ひとりがこんなにさみしいんだって感じたの」に、小田は静かに
「それが当たり前。人は生まれて死ぬまで孤独だよ。」と答えます。


この車中のやりとりは重要だと思います。

比呂美は、ZQNに「いっしょになろう」と誘われています。
しかしその「いっしょになろう」は二種類ある。

集合しようとするZQNの一体感。
それは「さみしくない」のだけれど、比呂美はそこに全面的には参入できない。「それを傍観してる」。

もうひとつの「いっしょになろう」はクルスからの呼びかけです。
しかしクルスは「起きろ」と言っています。クルスは集合的ZQNに誘っているように見えて実はそうではない。なかば眠っている集合的ZQNとは違って自己を保持している「異種ZQN」、小田の言葉を借りれば「生まれて死ぬまで孤独」な個どおしの「いっしょになろう」です。

比呂美がどちらと「いっしょになる」のか、あるいはどちらともいっしょにならないのか、それはまだ明らかではありません。


車中のやりとりにはもうひとつ重要な点があります。

小田の妹です。
小田は性同一性障害(正確にはバイセクシャル)である妹との複雑な関係を英雄と比呂美に明かします。妹の名は言われない。

ここで『アイアムアヒーロー』を丹念に読んできた読者なら、久喜幕府の「名なしの女が小田つぐみの妹だとわかると思う(小田は久喜市からやってきたとも言っていました)。
「名なしの女」は、ZQNに変身する過程の幻影の中で幻のZQNと対話して、自分は「女でも男でもねーよ。」と言っていました。また、春樹は彼女を「男女」と嘲笑っていました。


このように『アイアムアヒーロー』は入念に作り込まれている。
わたしたちは、迫力ある絵と手に汗握るサスペンスについ読み急いでしまいますが、
『アイアムアヒーロー』をできるだけ正しく受け取るためには何度も前に戻らなければなりません。
『アイアムアヒーロー』は再読、三読、いや四読すら要求している。
ことばを変えれば安易な要約を許さない。(これが「名作」の条件なのですが)
『アイアムアヒーロー』を語るなら、わたしたちも英雄のように思考停止せずに「変になやんでループして」ことばを重ねていかなければなりません。



4. ガマガエルZQN

英雄・比呂美・小田が箱根湯本に向かったのはなんと温泉に入るためです。
極限の危機の中で比呂美と小田は、体を洗い、ムダ毛を処理するために何としても温泉に入りたいと主張する。英雄も、安全のために混浴するしかないという二人のことばにフラフラと同意してしまう。

しかし危険極まりない温泉行です。
箱根湯本中心街でZQNの群れに襲われる。
英雄が必死に発砲して襲撃から逃れたと思いきや、行き止まりの道に入り込んでしまう。
立ち往生した車の眼の前には、なんと露天風呂に続く階段が。
終わりを覚悟した三人は、それでも死ぬ前に温泉に入りたいと願い、階段を駆け上がる。

追ってくるZQNの群れ。
英雄は「三人いっしょだと全滅する」と言って比呂美と小田を先に行かせ、銃でZQNを迎え撃つ。


温泉には誰もいない。
比呂美と小田の距離を温泉が縮めます。

比呂美は小田にためらいがちに言います。

 「おじさん(英雄)と一緒に入る約束だけど、その…男湯で待ってたほうが、おじさん
 入りやすいかと思って…」

小田は笑いだして「いやいや、あんたいい女だわ」。

男湯の中で比呂美と小田の「女どおしの交感」とでも呼ぶべきものがくり広げられます。

湯船に足をつけて
「小田さん小田さん、あったかい! ちゃんと温泉だよっ!」という比呂美に小田は
「ちょっと先に洗ってからっ!!」「ホラ、桶とイス。」
そんな小田に比呂美は「お母さんみたい。」と言うのですが、
小田はその言い方に前回のような拒絶をしません。

フケが多いから何度も髪を切ろうと思ったと言う比呂美に、

小田「もったいないよ。あんたの髪キレイよ。うらやましいわ。」
比呂美「お母さんも同じこと言ってたよ。」
小田「いいお母さんね

半ば死を覚悟している二人の間に、英雄へのエロースの共有も生まれます。
英雄の銃声を聞いた比呂美の
「おじさん、がんばってる。」に、小田は「せめてキレイになって出迎えてやろう。」と言う。真剣に体を洗う二人。

緊迫感が支配する『アイアムアヒーロー』の中ではじめての例外的で穏やかな時間が流れます。

その穏やかな時間の中で小田は英雄へのエロースを自然に言葉にしていきます。

「向こうはどう思ってるか知らないけど、あたしは恋愛とかうとくてね
タイミングがあえばって感じは昔からだから。別に大人ってわけじゃなく、あたしがだらしないだけだよ。」

比呂美「おじさんのこと好きなの?」
小田「まあ嫌いじゃないけど…」「あ、もしかして…あいつのこと好きなの?」

比呂美は、彼氏がいるけど彼氏のことさっぱり覚えてない、「私、誰かを、好きだったのかなぁ…」と自問します。

これを聞いた無言の小田の表情がいい。

英雄はこれまでの二人の「好き」を相対化してしまう。
そういう英雄へのエロースを二人は一時的に共有しています。



一方、英雄は風呂場につながる回廊で凶暴なZQNの群れに追いつかれてしまう。

絶体絶命のその時、
奇怪な姿のZQNがあらわれてZQNたちをなぎ倒します。

顔が二つ、手足はそれぞれ四本。
二人が合体した巨大ガマガエルのようなそのZQNは白いブリーフ姿!
「異種ZQN」です。
合体ZQNは、なんと英雄を頭から飲み込んで浴室へと走る。

気配を察して脱衣場に上がった比呂美と小田の前にガマガエルZQN(以後、便宜上こう呼ぶことにします)があらわれる。
置いてあった散弾銃を手に取り、二人についてこいと手招きします。

あわてて服を着て後を追う二人。



ガマガエルZQNに飲み込まれた英雄は、その腹の中でさまざまな幻影を見ています。

てつこの部屋、樹海などの過去。
そして未来(おそらく燃える池袋サンライズビル)。

久喜幕府の隠れ家に入り、階段であの名なしの女とすれ違う。
二階の部屋にはクルス・太った男・崇(たかし)が座っている。
(ここであの第三中学校の戦いのあと、この三人が合体したことが暗示されます)

だけでなく。
英雄を見たクルスは「誰だお前?」「邪魔すんな」と言いながらナイフを突きつけてくる。
英雄は幻影の世界を「見ている」だけでなくそこに「参入している」!!

(たかし)が「逃げて」と言った瞬間に場面は現実に切り換わります。


ZQNに追われる比呂美は、ガマガエルZQNから銃を受け取り、躊躇なく発砲する
生き延びるために、そして英雄を生かすために
ここでの比呂美はZQNであると同時に人間です。

ガマガエルZQNが自分たちを救おうとしているしていることが比呂美にはわかる。
(小田は半信半疑なのですが)
ガマガエルZQNは二人を抱きかかえて箱根湯本の崖を大ジャンプする。
大トトロに抱えられたサツキとメイ!
小田は悲鳴を上げますが、比呂美は「きゃははははは!」と喜びの声を上げる。

しかしガマガエルZQNに大トトロまでの力はない。
四本脚のうち二本を骨折する。それでもZQNの群れの中を全力で走る。

比呂美と小田はキーのついたままの軽トラを見つけて乗り込みます。
幻影の中で英雄がクルスに「刺し殺された」とき、
ガマガエルZQNは荷台に英雄を吐き出しますが、直後にZQNの群れに襲われる。

 比呂美「小田さんあの人が!!」
 小田「もう無理っ!! あいつがひきつけてるんだ!! 逃げるんだよっ!!」

小田はアクセルを全力で踏む。ガマガエルZQNが自分たちを救おうとしていることをいまや確信して。



箱根湯本のZQNたちに異変が生じています。
群れは比呂美と小田に襲いかからず、一方向に向かって移動し始めている。
彼ら・彼女らは小田原城に蝟集しながら合体し巨大化する

脱出した比呂美と小田は、心肺停止した英雄に、荷台で心臓マッサージと人工呼吸をして蘇生させる。
二人はとりあえず、危険が少ないと小田が判断したラブホテルに英雄を運び込み、英雄の回復を待つことにします。



英雄を救うためにZQNの集団と戦い命を落としたあのガマガエルZQNは二度と登場しません。

ガマガエルZQNは、いったい何者で、なぜ英雄を救おうとしたのか?

もう少し先でふり返ってこの謎を考えてみたいと思います。



5. 嫌いと好き

動けない英雄をラブホテルに残して、比呂美と小田は物資を調達するために住宅街に出ます。
さいわいZQNの姿はない。二人は海岸に向います。

話のなりゆきで小田と英雄のセックスが話題となってしまう。

 比呂美「つき合ったりしないの?」
 小田「ないないっ、ありえない! 全然タイプじゃないもんっ!
  あっちだってたまたまあたしみたいな、ヤレそうな女がいたからね。恋愛感情なし!」
 比呂美「そんな言い方、おじさんかわいそうだよ。」
 小田「だったら、あんたにゆずるわ。

この言葉を聞いた瞬間、比呂美は小田に銃を向ける。

 比呂美「おじさんの気持ち、知ってるでしょ。」
 小田「何それ? じゃあ、あたしの気持ち知ってんの?


緊迫のやりとりです。

比呂美の怒りは小田の「軽薄な物言い」に向けられています。
露天風呂の穏やかな時間の中で小田は英雄への揺れ動くエロースを語っていた。比呂美もまた直接的ではないけれど揺れ動く思いを語っていた。そこには複雑なエロースの共有があった。
なのに今のこの「軽薄な物言い」は何なんだ!?
逆説的だけれども、比呂美は小田に英雄への「エロースの言葉」を語って欲しかったのです。

しかし、比呂美の想像力は小田の「正しさ」への決意の強さまでは及んでいない。

比呂美を生かし続けることが小田の「正しさ」。その「正しさ」のためには「好きとか嫌いとかやってる場合じゃない」。そう小田は言っていました。
小田の「恋愛感情なし!」「あんたにゆずるわ」という軽薄な物言いはそういう決意を後ろに控えたものです。

別の言い方をすると。
小田は「正しさ」のために「エロースの言葉」を封殺している
売り言葉に買い言葉で思わず出た「じゃあ、あたしの気持ち知ってんの?」という小田の一見クールな言葉は、自分のそんな事情がわからないのか? という気持ちの噴出のように思えます。


比呂美と小田の決定的な決裂に見える。
以後、比呂美は小田が嫌いだと何度も言うことになります。
それだけでなく嫌いは第16巻以後、最終巻までの重要なキーワードともなる。


しかし比呂美は小田がほんとうに嫌いになったのでしょうか?

海岸での言い争いのあと、
二人は必要な物資を手に入れるために無人の住宅街で鍵のかかっていない家を探します。

 比呂美「なんか私達女子だけだと決断早いですね。」
 小田「あいつが優柔不断で、悩みすぎなんだよ。」

侵入できた1軒の家で二人は家探しをする。
小田は一階で食料品を。比呂美は衣服と生理用品を。

比呂美は探索の途中で降りてきて、冗談めかして小田に言います。
 「お母さん、晩ごはん何?」と。
そして生理が遅れている小田に、発見した妊娠検査薬を差し出して言います。
 「今、一番大切なことでしょ。ハッキリさせないと。不安なんでしょ?」と。

トイレに入った小田は妊娠していることを知る。
相手はもちろん英雄ではありません。
いったんは「妊娠していなかった」と嘘を言ったものの、
 「ゴメン、さっきのウソ。妊娠してたわ」
と真実を告げる。

比呂美は涙を流す。

 比呂美「…素直に喜んでいいのかわからなくて…なんて言えばいいのか…」
 小田「いいよ。何も言わなくて。」

背中合わせに座った二人の静かな「女どおしの交感」。

荷物を抱えて空き家を出た小田に比呂美は
 「小田さん、もうひとつ持つってば。」
と気づかう。
小田は静かに答えます。
 「いいって、あんたは銃に専念して。ホラ帰ろ。」
夕暮れの通りを距離をおいて歩く二人。
心配して外に出たはいいがうずくまっている英雄を見た二人は、笑顔をそろえて戦利品を見せる。

セリフのない美しい場面です。

海岸での「対決」にもかかわらず、
互いに距離を置いた、しかし確かに存在する「女どおしの交感」と「エロースの共有」。
あえて言っておきたいと思います。
比呂美と小田は互いに「好き」になっているのです。
だからこそ、続く小田との別れはいっそう切ない。



6. 倫理・エロース・命

ラブホテルでの久しぶりの豊かな夕食。
小田はそこで英雄に自分の妊娠を告げます。

小田はまさに正しい現状認識と決断力の人。

看護師として、
堕胎をするにせよ、産むにせよ、医療的処置が必須だし長期間動けなくなる。
だから自分は二人と別行動をとるつもりだ。

そう言う小田に二人は猛反対しますが、小田は
 「もうこの話やめて…あたしも疲れたんで休ませて…」
と横になる。

比呂美が入浴している間に小田は英雄の背中を拭く。妊娠について
 「大丈夫よ。あんたにはまったく関係ないことだから」
と言うのですが、英雄は
 「少しは関係もたせてよっ。」
と叫ぶ。

小田は英雄にキスをして
 「あんがと。落ち着いた…ホントにあんたの(子供)だったら、泣きわめいてやんのにね」
と言いながら肩に寄りかかります。
疲れて無防備になった小田の、英雄へのエロースの素直な表出。



しかし翌朝、小田はふたたび決意の人になる(第16巻)。
一人抜け出し、ゴミ収集車に乗り込んでエンジンをかける。

比呂美は小田がいなくなったことに気づき、英雄とともに止めようとします。
ゴミ収集車の前に立ちはだかり、車を抑える比呂美。

 小田「どいて。ホントにひくよ。」
 比呂美「行きたきゃ、ひきなよ。」

小田はおもわずアクセルを踏んでしまう。
転倒する比呂美。

小田は「比呂美っ!!」と言って車から降りるのですが、
ゴミ収集車の車体の下に潜んでいた赤ん坊のZQNに脚を噛まれてしまう。

比呂美は状況を飲み込めていない英雄に
 「小田さんが危ないっ!!! 早く助けてっ!!!」
と叫ぶ。

ようやく事態を把握した英雄は銃を構える。

 英雄「小田さんっ、そいつ撃つからなんとか逃げてっ!!!」
 小田「撃つなっ!!! 音でこいつら(ZQN)を集めるぞっ!!!」
 英雄「そんなのっ…関係ねえっ!!!」
 小田「ダメだっ、みんな…全滅するっ!!!!

「あたしは、感染した…」と言った小田は、英雄に向かってにじり寄る赤ん坊ZQNに覆いかぶさります
英雄はZQNを撃つために「どいて。小田さん…」と言うのですが。

小田は「ダメ。」と言ってよろよろと立ち上がります。
変身が始まった小田は、胸に噛みつく赤ん坊ZQNを抱きかかえている
殉教者のようなその姿の見開きの絵。

小田はそのままよろめきながらゴミ収集車のプレス機に身を横たえ、英雄にコントローラーのボタンを押すよう頼みます。
 
英雄はできない。
朦朧とする意識の中で小田は言います。
「あ…あんたヘタレだもんね」
「ひひひろみならあたしのこと嫌いだからボタタン押せるでしょ?」

比呂美は「大嫌いだから、押さない。…感染したって私みたいになるかもよ。…今度は
あたしが小田さんの世話するから。」と言うのですが、
小田の「あたしは人間のまま死にたい」という言葉に、英雄に向かって
「小田さんに…お別れを言って…」と言い、ボタンを押す。
小田と赤ん坊ZQNは音を立てて潰されていく。
比呂美はずっと泣いています。


壮絶な場面です。


小田の圧倒的な行動にわたしは思わず「殉教者のような」という比喩を使いました。
説明が必要だと思います。

小田は何への殉教者なのか?

もちろんまずは「正しさ」への殉教です。
繰り返しになりますが、比呂美と英雄を死なせないこと、それが小田の「正しさ」。
赤ん坊ZQNが英雄を襲えば「みんな全滅するっ!!!」。
何としてもそれを阻止しようとする「正しさ」への殉教、倫理への殉教です。

しかしそれだけではないと思う。
「英雄を」生かそうとする殉教でもある。
赤ん坊ZQNは英雄に向かっています。英雄はそれを銃で倒せるかもしれない。
でも倒せないかもしれない。
何としても確実に英雄を守る。そのために赤ん坊ZQNに自分を噛ませ続ける。
だからこそ赤ん坊ZQNに覆いかぶさり、立ち上がっても抱きかかえ続けた。
「英雄へのエロース」の殉教です。

小田は「正しさ」のために英雄へのエロースを封殺しようとしてきました。
自分の命の終わりを悟ったとき、小田は英雄へのエロースを行動で全開表出したのだと思います。「英雄、生きて!」と。

『アイアムアヒーロー』ではじめて
倫理とエロースが手を携えて働いている


さらに。
倫理とエロースへの殉教は、登場人物としての小田に焦点を当てたときの解釈です。
しかし、登場人物としての小田から離れて
『アイアムアヒーロー』の物語全体の視点から小田の死に焦点を当てた時、
小田の死のもう一つの意味が見えてくる。

具体的に説明します。

銃を構える英雄の前で赤ん坊ZQNを抱えてうずくまる小田。
この図柄をわたしたちは見たことがある。

第9巻、食料調達するために入った土産物屋で、英雄に襲いかかってきた臨月のZQN。
英雄は、撃たれてもなお股間から顔を出した赤子を「かばうように丸まって」いたその最後の姿を小田に語ります。

すでに見てきたことですが、この光景に衝撃を受けた英雄は
「本能なのか…なんなのかわかんないけど、こっちの都合で勝手に…人間じゃないって決めつけて、とんでもなく間違ったことしてる気がしてきて…」
と思いまどいました。

「命」を守ろうとする行為は、人間とZQNの差をも超える何かかもしれない。
その巨大さに、人間としての「正しさとは何なのか?」を考え続けてきた英雄は直面させられ、思いまどったのでした。

ZQNの赤ん坊を抱え込んだ小田の姿は、土産物屋の母親ZQNを思い起こさせます。

登場人物小田の意図とは独立して、小田の姿勢は「命を守ろうとする」母親です。
だから、よろめいて立ち上がった小田が自分を食い続けるZQNを抱きしめている姿もまた、
子の命を守ろうとして抱きしめる母親のようにも見える。
(もちろん赤ん坊ZQNは小田を食う敵です。でも実はそれすら今や不確かです。
 小田はZQN化しつつあるのですから)
それは将来生まれてくる、どの男の赤ん坊かわからない、けれども確実に生まれようとしている胎内の「命」を守ろうとする姿でもあるかもしれません。

正しさとエロースへの殉教。
そういう小田個人の事情をさらに超えて、小田は「命を守る」という巨大な行為そのものを具現している

『アイアムアヒーロー』は以後、「命」とは何か、「命を守る」とは何か、という問いを
反復し、深めていきます。物語後半の大きなテーマが、小田の死の場面によってはっきりと示されたのです。

上で述べた「物語全体から見た」小田の死の場面の意味を説明すると、以上のようになるでしょうか。




どんな状況下でもどんな人でも守らなければならない倫理の「正しさ」はただ二つだけです。第8巻でそれがおぼろげに明らかになりました。(「その1」を参照してください)

(1) 生きようとする人の意思はなんとしても守らなければならない。
(少年を生き延びさせようとカメラマン荒木が焼死したように)
(2) 死者はなんとしても哀悼しなければならない。
(英雄が必死に「村井君のベーコン」を回収したように)

どちらも「命」にかかわっています。

小田は比呂美と英雄を生き延びさせるために死を選びました。
小田の死はカメラマン荒木の死を反復し、増幅しています。
別の言い方をすれば、上の(1)の倫理的行為のバトンがカメラマン荒木から小田にわたされている
でもわたしはバトンはカメラマン荒木から小田に直接わたされたのではない気がします。
バトンの中継者がいる。

あのガマガエルZQNがそれです。

ZQNの群れに追われる英雄をガマガエルZQNは飲み込んで助けます。
英雄は生きようとしている。何としてもその生命を守らなければならない。
その結果、自らは命を落とす。

ガマガエルZQNが何者なのかは明らかにされません。
でもわたしは、二人が合体した異種ZQN、自分の意思を持って行動するガマガエルZQNは、
ひょっとしてカメラマン荒木と村井君だったのではないかと想像しています。

いずれにせよ、
「命を守る」(上の(1))は、人間とZQN(の一部)に共通する「正しさ」だということが
第16巻までに明らかになりました。
あの土産物屋で英雄が思い巡らしたとおりに。



残された英雄と比呂美は東京に出発する前に、ゴミ収集車に張り紙をします。

「この清掃車には小田つぐみさん…の遺体があります。感染したため私、鈴木英雄が清掃車のボタンを押しました。発見された方はお手数ですが警察などに連絡していただけますか。よろしくお願いします。」 
 
そして住所氏名。
「正しさ」を守ろうとする英雄は変わっていません。

二人がプレス機の前で手を合わせたあと、比呂美は長い髪を切ります。
温泉で小田が「(切るのは)もったいないよ。あんたの髪キレイよ。」と言った髪です。
比呂美は切った髪をプレス機に置いて英雄に言います。

「小田さん、あたしのこと嫌いだと思うけど…そばにあれば…少しは寂しくないかなと思って…」

比呂美はみごとな「弔い=死者への哀悼」(上の倫理(2))をしたのです。



第16巻には、まだ触れなければならない点がありますが、すでに長くなりすぎています。
「その3(完結編)」にまわしたいと思います(今度はそんなにおまたせするつもりはありません)。


2026年3月30日月曜日

こうなった!『リブート』

 (ネタバレあり)


最終回もどんでん返しの連続。それを逐一書くのはやめますが。

すばらしかった。

絶体絶命の冬橋と儀堂=早瀬を救うのが「しぇるたー」の仲間にして合六(ごうろく)の一味、霧矢。冬橋と霧矢は合六の組織を乗っ取る決意をする。

一香=夏美を捕らえた合六と、百億を手にした儀堂と冬橋の駆け引きはスリリング。

合六とつながっていたはずの警察本部長牧田 (まきた) が、合六の100億で政権を得て「日本の未来」を作ろうとする野党党首の兄に怨念を晴らし、兄を逮捕する!

しかし合六は儀堂=早瀬の母と息子を監禁し、ガソリンをまいて焼死させようとしている。二人を救おうとケーキ屋にやってきた一香=夏美も監禁されてしまう。

監禁された母と一香=夏美がいい。

母は一香が夏美であることに気づいていた

家族3人を救うために戦う足立刑事もいい。


冬橋は組織を乗ったったあとどうするつもりだと合六に問われ、「しぇるたー」で「家族のない子どもたちを救う」と答えます。

合六は、なんてちっぽけな、自分は日本を変えるために牧田の兄に100億を渡すのだ、と言うのですが。

彼は自分のことばにしっぺ返しをされる。本部長牧田から「牧田議員を有罪にする証言をしないなら香港の組織があなたの家族を殺すだろう。自分は圧力をかけてそれを阻止できる。あなたは証言せずに牧田議員を救って『日本の未来』を作るのか、それとも家族を守るのか」と問われ、頭を下げて「家族を守ってください」と言う。

本部長牧田自身もまた、家族を守るために戦い抜いた儀堂=早瀬に負けを認めざるを得ない。


「大切な家族を守る」その力が見事に描かれていると思うのですが。

その「家族」が血の繋がり=肉親で終わっていないところが何よりすばらしい。


逮捕されて手錠をかけられた一香=夏美は、一香の妹綾香と最後の面会をします。

綾香は一香=夏美がほんとうの姉でないことを知っていた!

しかし。

「(本物の)一香はあなたのことだけを考えていた。だからあなたはなんとしても生きなければならない」と切々と訴えた一香=夏美の去り際に、綾香は

「ありがとう、お姉さん

と言うのです。

「ほんとうの姉」として接してきた夏美への、もう姉妹愛としか言えない言葉です。


だからこのドラマで描かれる「家族」は血のつながった家族に限定されていない。冬橋の「しぇるたー」の家族もそうです。

「家族性」とでも呼ぶべき「家族」。その価値が肯定されていることが『リブート』で私がいちばん胸打たれた点です(回復された早瀬家だって肉親だけれど両親の顔は変わってしまっている。いわば他人を家族として再び受け入れる=リブートしているんじゃないでしょうか)。


綾香は海外で手術を受けるため、空港を出発しようとしている。

それを密かに見送るのは、あの悪徳弁護士海江田!

彼は一香=夏美との約束をきちんと守ったのです。一香=夏美が綾香の「ほんとうの姉」であると確信して。


2026年3月27日金曜日

こうなった『ラムネモンキー』

(承前/ネタバレあり) 

『ラムネモンキー』完結。

前回の投稿「どうなる? 『ラムネモンキー』」で、結末に向けて次の三つが気になると書きました。

その1
贈賄事件について兄はユンに「罪を認めて情状酌量・和解を求めたほうがお前にも会社にも得になる。そうしろ」と言ってきた。ユンはとりあえず納得しているのだが、田辺町の過去と兄のつながりが明らかになった今、ユンは裁判にどうのぞむのか?

その2
キンポーは認知症の母の訪問介護に来ているシングルマザー三島ひろ子に紳士的な恋心を抱いている。彼女がマチルダの娘らしいことは顔を見ればわかります。二人はどうなるんだろう?

その3
3人組がマチルダと交わした「約束」は何だったのか?
スティーブン・キング『IT(イット)』でも最後の山場は過去の約束の場面でした。
「ラムネモンキー」は、「約束」を通じて『IT(イット)』にどんな応答をするのだろう?

で、どうなったか?


1. 「その1」について

前回までに、3人組はマチルダ殺害の実行犯がチンピラ「アホの八郎」と暴力団員である竿竹屋であり、その背後に田辺町再開発計画をすすめる力があることを突き止めます。しかしアホの八郎は「証拠がないだろう。ざまあみろ」と嘲笑う。

また、マチルダの過去もようやく明らかになります。白馬(はくば)のSNSを見てマチルダの元夫が連絡してくる。元夫のもとを訪れた3人は、中学に来るまでのマチルダの過去をはじめて知ります。

マチルダは子供を生んだが、子供は幼くして死んでしまう。悲しみに暮れるマチルダと元夫は離婚した。

元夫は、マチルダから最後に来たハガキを見せてくれる。そこには、

 「元気です」そして「キレイに生きたい」とあった。

田辺町開発計画の推進者たちは、開発計画の闇を知ったマチルダを買収しようとするがマチルダは拒絶。それが原因でマチルダは殺害された。


1988年の事件の全貌をほぼつかんだ3人組は、当時の田辺町再開発計画の黒幕であり、現在 (2025年) のユンの「贈賄事件」の賄賂を受け取った人物でもある国会議員・加賀見六郎のもとを訪れ、問い詰めます。

加賀見を演じるのはおちゃらけ高田純次。どれだけ悪辣さを出せるのだろうと危惧していたのですがなかなか良かった。

3人組を迎え入れる加賀見はプリンを食べている。ニコニコと「これ、ほんとにおいしいんですよ」と言いながら3人組を恫喝する。

チェンが監督をする伝記映画の主人公・成り金社長は自分の知り合いだからお前を監督から干すのは簡単だ。キンポーの母の介護に来ている三島ひろ子はわたしの声一つで来られなくできる。ユンと西野白馬にもそれぞれへの恫喝をにこやかに伝える。

そして「よかったら食べてください」とお土産にプリンを渡す。

集合場所である「ガンダーラ珈琲」に集まった3人組と西野白馬は、それぞれ加賀見からもらったプリンを持ってきている。

白馬が「毒まんじゅうですね」とみごとに言い当てる。食べれば恫喝を受け入れることになる。4人はプリンを前に思いまどう。

予想外の展開。

突如アホの八郎があらわれ、4人を嘲笑してすべてのプリンをかっさらってゆく。結果として4人は毒まんじゅうを食べなかった(加賀見の恫喝を拒絶した)ことになります。そしてこれが大団円への伏線にもなっている。


ユンは裁判で正面から戦い、収賄した加賀見を道連れにする決意をします。「大変だぞ。家族をどうする」と心配するチェンに、ユンは「なんとか説得するさ」と自信なさげに答える。

のですが。

裁判で争う決意だ、だから離婚に応じるつもりだ、と切り出したユンに、妻絵美(えみ)は全面支援すると言う。娘の綾(あや)も。

この家族回復には伏線がありました。

身元不明扱いのマチルダの骨をユンは引き取って段ボール箱に入れていたのですが、マチルダ失踪の謎をどうしても解こうするユンに、絵美は「いいんじゃないの。その骨はきっとなにかをあなたに伝えようとしてるんだから」と言います。なぜでしょう?

過去を探り始めたことでユンは変わりはじめた。生き生きしはじめた。

絵美も綾も(最終回までは)はっきりそうは言わないのだけれど、そういうユンの変化に気づいて受け入れていく。それが家族回復につながっていく。最終回に向かうにつれて、絵美と綾の顔が明らかに生き生きと美しくなっていきます。


2. 「その2」について


訪問介護師の三島ひろ子がマチルダの娘だ、という予測は大外れ。
でも、三島の顔がマチルダに似ているのは事実。キンポーは、たぶん自分ではきづいていないけれど、三島にマチルダの面影を見ているんだと思います。


3. 「その3」について


ユンは裁判で有罪判決を受けて懲役刑に服することになるが、それによって加賀見も逮捕される。見事に道連れにしたわけです。チェンも加賀見の恫喝に応じず、成り金社長の伝記映画の監督を降りる。二人はマチルダの「キレイに生きたい」ということばに背中を押されたのだと思う。

キンポーは加賀見の圧力を考慮して三島の訪問介護を断っていたのだが、それが杞憂に過ぎなかったことを知ります。三島が訪れてきて「どうしてわたしを呼んでくれないんだ」と言います。どうやら逮捕によって加賀見の恫喝は効果を発揮できなかったようです。キンポーのおずおずとしたデートの申込みに三島は喜んで応じます。


3人組と西野白馬は「ガンダーラ珈琲」で最後の(つもりの)会合を開く。

そして3人はマチルダとの最後の約束をようやく思い出す。

映画『炭酸拳 (ラムネモンキー)』の登場人物たちみたいに、君たちは自分より強い悪に立ち向かう気持ちがあるか。マチルダの問いに「あります」と答えた3人に、マチルダは言います。

「君たちがこれから生きていく社会は厳しいし辛いことだらけだ。でも、今の気持ちを心の片隅に残しておくことを約束して」「そして映画を完成させて」と。

田辺町を見下ろす丘の上での約束。このときおそらくマチルダは自分が殺されるだろうことを知っています。にっこり笑って去っていくマチルダ。

いちばん大事な約束を忘れてしまった少年たち。
でも3人ともマチルダ失踪の謎を解く過程で、実はマチルダとの約束を果たしてきていたのです。あの時みたいに「キレイに生きる」自分を取り戻すことで。

忘れてしまった約束。そして数十年後の約束の履行。

『ラムネモンキー』は、ひねりを加えながらスティーブン・キング『IT』に見事に応答しています。


4. 大団円


上の「ガンダーラ珈琲」の会合で、キンポーはとんでもない真実を明かしていました。

3人がマチルダ失踪の謎解きに乗り出すきっかけになった骨とボールペン。
あれは自分がネットで集めて現場に置いたものなんだ、と。

え、えーーっ!

3人の捜査がきっかけで、田辺町警察の鶴見はアホの八郎のマチルダ殺人を立証すべくようやく動き始めています。台無しじゃないか。

「だってそうでもしないと君たちは田辺町に来てくれないと思ったから」
テヘヘというキュートな表情でキンポーは言います。


ユンが刑務所に収監される前日、大どんでん返しが始まる
ストーリーは三つの軸で進みます。

1つ目は。

キンポーが「大変だ!すぐに田辺町に来てくれ」と電話をしてくる。

キンポーの認知症の母が、突然1988年マチルダ殺害の日の「秘密の段取り」を思い出して語りはじめた。

かけつけたユンとチェンに語った「秘密の段取り」とは。

3人組の親たちは開発推進グループに丸め込まれたかに見える。しかしマチルダ殺害計画を知ったとき(なぜ知ったのかは2つ目のストーリーの軸から明らかになります。おそらくアホの八郎から告げられたのです)、親たちはマチルダを救う段取りを考えます。

薬で眠らされ、重りの石を詰められた袋に入れられ、沼に沈められたマチルダを潜水具をつけて救い出し、その後の悪の追求から逃れさせるために新しい身分証を準備しておくという段取り。

段取りどおりにマチルダは救い出される。

キンポーの母の話をにわかには信じられない3人に白馬が爆発します。「これを信じられないなら、今までやってきたことは何なの?」と。


2つ目は、鶴見のアホの八郎捜査。
驚くことに、アホの八郎は暴力団の潜入捜査をする刑事で今もそれを続けている。
「お前もやってみないか?」とアホの八郎は鶴見を誘う。


3つ目は。
ユンの家の絵美と綾。ソファーに腰掛けて「これ面白いのよねー」と仲良く漫画を読む二人。
漫画の表紙がアップになります。
表紙の女の子が、これまで何度か出てきたマチルダが描く絵そのもの。作者の名は「マチャー」!


田辺町を見下ろすあの高台で、3人組はマチルダとのもう一つの約束を果たそうとします。
『炭酸拳』の最後の場面を撮影して完成させること。中年男たちのカンフーアクションが始まります。


「キレイに生きよう」としたマチルダ。マチルダによってすばらしい時間を持った少年たち。
忘れてしまったその時間が時を経て取り戻され、3人組はキレイに生きる力を取り戻す。
そしてそれを見てきた若い白馬も社会でキレイに生きていく決意をする。

軽妙だけれど、切なくて美しいドラマです。

そしてすばらしい最後の数秒。こればかりはネタバレできません。



2026年3月21日土曜日

どうなる? 『リブート』

(ネタバレあり)

サスペンスに満ちたTBSのドラマ『リブート』、結末が近い。

鈴木亮平の二役で話題になったが、脚本そのものの質が高いと思う。


家族経営のケーキ屋のパティシエ早瀬陸は、妻殺しの容疑者になる。

妻夏美は、行き場のない子どもたちの保護施設「しぇるたー」にケーキを届けて支援する「善意の人」の裏側で、闇のバンカーのリーダー合六 (ごうろく)の組織の一員。早瀬陸はそのことをまったく知らなかった。

さらに夏美は、合六組織の金を、これまた合六組織の一員である悪徳刑事・儀堂 (ぎどう)と共謀してくすねていたらしい。夏美は殺され、儀堂 (ぎどう)は夫の早瀬陸をその犯人として捜査していたが、彼もまた殺される (実は殺されてないのだけど)。

身に覚えのない妻殺しで指名手配された早瀬を、合六組織の一員である幸後一香 (こうごいちか) は、なぜか、整形手術で儀堂 (ぎどう)そっくりに再生 (リブート)させ、刑事儀堂になり変わらせる (だから鈴木亮平の二役)。

刑事儀堂になりすました早瀬陸は、合六組織内部で (彼はその一員だったので)妻殺しの真犯人を突き止めてなんとかして家族のもとへ帰る (=パティシエに戻る)ことを目指す。早瀬と妻を失ったケーキ屋を支えているのは、体を壊している老母と早瀬の息子だけだから。

儀堂=早瀬は、真意をはかりがたい一香(いちか)と組むことにする。

一香は難病の妹を抱えていて、海外で妹に治療を受けさせるために多額の金を必要としている。家族の苦難を打開するという一点で、儀堂=早瀬と一香は組んだ。

しかし、儀堂=早瀬の探索は一筋縄ではいかない。一香の言動は謎めいている。

あろうことか、殺されたはずの本物儀堂が生きていた!!


複雑なストーリーの大枠は以上のようなものでしょうか。


その大枠自体がサスペンスに満ちているんだけれど、闇のバンカー合六(ごうろく)とその組織がほんとに恐ろしい。

サスペンス物のできを左右するのは悪役。

同時期に放映されていたテレ朝の『おコメの女』がつまらなかったのは、どの悪役もちんけな小物だったから(唯一の見どころは毎回出てくる日本酒だけ。初回に「花巴」が出てきたのには「おっ! やるじゃないか」と思いました。)。

『リブート』の、とりわけ前半の合六の非情はほんとに恐ろしい

裏切り者だと確信すると、クールな表情で見事な料理をつくって「冷めないうちに召し上がってください」と差し出す。料理で引導を渡すわけです。悪徳弁護士海江田にオマール海老(だったと思います。伊勢海老?)を振る舞う場面は、直後に、それまではほんとにしたたかだった海江田が恐怖の表情で引き立てられていく名演技と相まって秀逸でした。

その合六は、儀堂がリブートされた早瀬であることをまだ知らない。

儀堂の正体がいつばれるのか? それが前半のサスペンス。サスペンスのひとつの舞台 (場) が早瀬のケーキ屋です。

老いの体でひとり店を支える母。そして早瀬の小学生の息子拓海 (たくみ)

儀堂=早瀬は店を訪れては(当然ですが正体を明かさずに)家族を見守り、ケーキ好きの客としてレシピのアドバイスをする。あろうことか、本物儀堂の妻、麻友もケーキ屋の常連となり店の手伝いをし始める(さらには一香まで店に出入りし始める)!

麻友は、本物儀堂が合六組織の一員であることを知らなかった。だがふとした瞬間に儀堂=早瀬に抱きついたとき本物儀堂ではないことに気づく。問い詰められた儀堂=早瀬は、自分が早瀬であること、本物儀堂が悪徳刑事であり、殺された(ほんとは殺されてないのだけど)ことを麻友に明かす。


本物儀堂の登場によってサスペンスはさらに加速します。


本物儀堂は合六組織の金庫番・一香を脅して、合六の100億以上の金を奪った(つもりだった。ここが『リブート』のストーリーの複雑さ)。 

怒った合六に問い詰められた儀堂=早瀬はついに自分がリブートされた早瀬であることを明かす。

合六の前に本物儀堂が連行される。二人の「儀堂」!!

ここで本物儀堂が予想外の行動を取る。早瀬ではなく、自分が合六に殺される選択をするのです。そして妻麻友を守ることを儀堂=早瀬に託して、(ようやく)ほんとうに殺される。

実は100億の金を奪ったのは一香。彼女は本物儀堂を欺いて金を手に入れていた。


前回までのストーリーの枝葉を省きに省いたのがわたしなりの上の要約です。わかるように伝えられたでしょうか? どんでん返しのどんでん返しの連続。


で。前回。さらなる圧倒的などんでん返し。


一香は、リブートされた儀堂=早瀬の妻・夏美だった!!

この大どんでん返しは、しかし、

「どうだ。ここまでは予想できなかっただろう?」というケレン味のどんでん返しではありません。

そうではなくて、これまでの展開をあらたな視点からふり返らせるような、そしてふり返ったときに一香の深みに気づかせるような、そういうどんでん返しだと思います。

本物一香は、夏美の整形手術と一香になり変わるための教育を終えたときに、合六の部下たちに殺されます。

一香=夏美だと知ったとき、わたしたちはそれまでの謎と矛盾に満ちて見えた彼女の言行をはじめて理解します。


回想場面で示される、疲れ果ててベッドで寝入った儀堂=早瀬の傍らに一香が寄り添う場面。

そして難病を抱える妹に、にせ一香であるのに「ほんとうの姉」として接してきた夏美。100億の金を合六からくすねたのも妹に治療を受けされるため。夏美は、本物一香の死を引き受けて行動してきたのです。そのことにわたしたちは打たれる。


合六の部下たちに追われる一香は絶体絶命。

ビルの上階でぶら下がる一香の手を儀堂=早瀬はつかんで引き上げる。セリフは一切ありませんが、この瞬間に儀堂=早瀬は一香が妻夏美であることを最終的に確信します(抱きついた瞬間に麻友がにせ儀堂であることを確信したように)。

引き上げられた一香は、「なぜ助けた。そんな甘さではわたしがいなくなったあと生き延びられないぞ」と言い残して立ち去る。


儀堂=早瀬は、これまでの謎めいていた一香の行動を理解したのだと思う。

だとすると。

儀堂=早瀬もまた、本物儀堂の死を引き受けて行動するのではないだろうか。それはどのような行動だろう?


2026年3月18日水曜日

どうなる?『ラムネモンキー』

フジテレビ『ラムネモンキー』、完結間近になりました。 
初回から毎回、予想もつかない展開。 物語は二つの時間軸に沿って進みます。 

 1988年
   舞台は神奈川県田辺町の中学校。映画研究部の3人の男子、
  「ユン」=吉井雄太「チェン」=藤巻肇(はじめ)、「キンポー」=菊原紀介(きすけ)の3人組は、 
  レンタルビデオ店の奥部屋を部室にしてカンフー映画を製作している。
  美術の臨時教師「マチルダ」=宮下未散(みやしたみちる)が彼らを見守る。

2025年
  51歳になった3人はそれぞれの人生を歩んでいる。
  
  ユンは兄吉井健人が取締役を務める「田澤物産」の営業部長だったが、身に覚えのない
  贈賄事件の被告として裁判を待つ身。事件はマスコミでも報じられ、
  妻と高校生の娘との関係は崩壊寸前になっている。

  チェンは夢だった映画監督になったものの、今は泣かず飛ばず。
  糊口をしのぐために鼻持ちならない成り金社長の伝記映画を製作せざるを得ない。

  一人故郷に残ったキンポーは漫画家になる夢を諦めて、家業の小さな理髪店を
  継いでいる。女手ひとつで育ててくれた母親は認知症。

田辺町で身元不明の白骨死体が発見されたというキンポーからの電話で、三人は37年ぶりに故郷に集まる。3人はマチルダが失踪したことをようやく思い出し、工事現場で骨を発見した女子大生、
西野白馬(にしのはくば)とともに発見現場に行き、ドロの中から見つけたボールペンから、
遺体がマチルダであると確信する。

マチルダはなぜ殺されたのか? 犯人は誰なのか?

ロートル中年3人組と西野白馬は、3人組が思い出す妄想を交えた記憶を手がかりに37年前の真実に迫ろうとする。

それがストーリーの骨格です。

しかし。
「ラムネモンキー」は単なる推理ドラマではありません。

最初に「初回から、予想もつかない展開」と書きましたがそれも当然。
各回の冒頭は、3人組が思い出した妄想混じりのエピソード。
3人組は中学生の記憶をある意味で失ってしまっていたのです。
そのエピソードをひとつひとつ確かめていく過程で、1988年の記憶の「妄想」から「妄想とはちがう真実」が少しずつ明らかになっていく。

それにつれて3人は、あの中学生時代がマチルダに支えられていた「輝く時間」だったことを再発見していきます。その再発見が、2025年を生きる彼らが抱えている空白感を埋めていく。

別の言葉で言えば。
中学時代の「輝く時間」を思い出すことで、現在の「わた」しが生きていく力を獲得していく。そしてほんとうの意味での「大人」になっていく。

でもそれは同時にとても辛い真理探求です。
過去のむごい真実、自分たちを取り巻いていた残酷な人間関係や社会にあらためて直面させられる。
そんな残酷な人間関係や社会の中で、謎に満ちた女性マチルダがどれほど自分たちを愛してくれていたかをはじめて認識する。

切ない。
この切なさが「ラムネモンキー」の魅力。



このドラマにインスピレーションを与えているのは、スティーブン・キングの中期の傑作『IT(イット)(1986。邦訳は小尾芙佐訳 文春文庫全4冊)だと思います。

1950年代のアメリカ、メイン州の地方都市のいじめられっ子ローティーンの仲間が、
町を襲う怪物の存在に気づき、恐怖と戦いながらその怪物に致命傷を負わせる。
だけれどもその恐怖のあまり怪物との戦いの記憶を失ってしまう。
仲間たちとの輝く友情の時間の記憶も失ってしまう。

数十年後、いじめられっ子グループはそれぞれ社会的に成功しているんですが、
それぞれなにがしかの「空白」を抱えている。要するにほんとうの「大人」になりきれていない。

故郷に再び怪物があらわれて人を殺していく。故郷にただ一人残った仲間からの電話でいじめられっ子グループの記憶がよみがえりはじめ、故郷に再び集結する。
過去に誓った「約束」どおりにあの怪物(ITイット)にとどめを刺すために。

その戦いを通じていじめられっ子グループたちは過去の記憶を少しずつ取り戻しながら、
中年の戦う力を獲得していきます。そして現在の自分たちの「空白」が埋まっていく。

ローティーンの輝いていた時間が、その当時のロックや映画やプロレスの引用で切なく描かれます。
「ラムネモンキー」も同じ。ジャッキー・チェンの『酔拳』(「ラムネモンキー」はもちろん「酔拳=ドランクモンキー」のもじり)だとかマイケル・ジャクソンだとか。

そして。
怪物(ITイット)が過去に死ななかった理由も似ている。
怪物は町に巣食う「暴力の歴史」を力の源泉にしているのです。
そのあらわれのひとつがいじめられっ子グループを襲う不良グループ。
「ラムネモンキー」でも3人組は隣の二中の不良グループにいじめられます。

もっと大きな暴力が『IT(イット)では描かれる。人種差別や同性愛差別。
そういう悪をエネルギー源にして怪物は蘇る。
前回の「ラムネモンキー」でそういう社会の大きな邪悪が明らかになりました。
田辺町の再開発計画。
「社会の木鐸」である新聞記者を目指していたユンの兄健人は開発会社に取り込まれてしまう(その結果、現在の「田澤物産」の取締役にのぼりつめている)。
キンポーの親たちも開発会社に金をもらって懐柔されてしまった。
田辺町にはそういう悪の力があったし、現在まで続いている。

「ラムネモンキー」が『IT(イット)』のパクリだと言っているのではありませんよ。
『IT(イット)』がとても普遍的なテーマを提示していて、その普遍性がいろんな作家の創造性を喚起する、ということです。
(たとえば『IT(イット)』のすぐあとにキングと同じホラー作家ロバート・マッキャモンもほぼ同じ骨格の小説を書きましたし、日本にもハードボイルド作家の小説があります。原尞だと思ったんだけど著作リストに出ていないので勘違いらしい。手元に見つからないのでどなたか教えてください。マッキャモンのは駄作ですが日本のはけっこう良かったです)

「ラムネモンキー」は、「過去の記憶を巡る切ない探求」というすぐれた文学の型のひとつだと言ってるんです。


で。
前回、それまで無関係だと見えた過去と現在のつながりがはっきりした。

最終話はどうなるのか?

わたしの興味は3つです。

その1
贈賄事件について兄はユンに「罪を認めて情状酌量・和解を求めたほうがお前にも会社にも得になる。そうしろ」と言ってきた。ユンはとりあえず納得しているのだが、田辺町の過去と兄のつながりが明らかになった今、ユンは裁判にどうのぞむのか?

その2
キンポーは認知症の母の訪問介護に来ているシングルマザー三島ひろ子に紳士的な恋心を抱いている。彼女がマチルダの娘らしいことは顔を見ればわかります。二人はどうなるんだろう?

その3
3人組がマチルダと交わした「約束」は何だったのか?
スティーブン・キング『IT(イット)』でも最後の山場は過去の約束の場面でした。
「ラムネモンキー」は、「約束」を通じて『IT(イット)』にどんな応答をするのだろう?

2026年3月8日日曜日

トランプの「無条件降伏」発言

イラン攻撃についてトランプは、攻撃の収束はイランの「無条件降伏」によってしかありえないと発言した。

イランのペゼシュキアン大統領は「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢だ」と応酬した。


まず、「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢」だというペゼシュキアン大統領の表現。強がりだと受け流す人が多いんじゃないかと思いますが、わたしはこの表現にイランの詩文化の伝統を見ます。

日本ではあまり認識されていませんが、イラン (ペルシア) はルネッサンスまでは中国とならぶ世界文化の最先端の地域でした。それまでのヨーロッパはペルシアや中国とくらべればド田舎に過ぎません。世界で最初の大学はオックスフォードでもケンブリッジでもなくペルシアにありました。

当然文化のレベルも高い。ハーフェズ、フェルドウシ、ウマル・ハイヤームなど文学史に燦然と輝く詩人を排出しています。

そしてとりわけ日本では理解しにくいことだと思うのですが、その立派な詩の伝統が現代のイランの日常にも浸透しています。(実はこれはイランに限らず欧米文化にも見られることなんですが。みなさんはなんでもいい、詩を暗唱できますか? 管見の限りでは欧米の教養ある人たちはけっこう詩を読んでいて詩を暗唱できる。だから偉いという話をしてるんじゃありません。社会の中での詩の重要性の違いを言ってるんです。その違いを知っておくことは大事なことですよね。)

「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢だ」にわたしはそういう体に染みついた詩的な感覚を感じます。(ちょっと違う意味で、わたしは北朝鮮や中国が他国を罵倒する際のレトリックにもそれぞれの文学的伝統を感じます。笑っちゃうくらい見事ですよね)

これ、意外に大事なことだと思います。とりわけ外交において。

イランと外交するならば詩を引用することから始めるべきだと思います。そう助言できる外務省の人間はいるのでしょうか? (実はいるんじゃないかと思ってます。ただそういう人を政治家が気にもとめていないということでしょう。文学をあなどると外交という実利で気づかない失態を犯す。文学研究はそういう意味で「実学」なんですが)


「まず」と上に書いたので「次」を書かなくちゃいけないのですが、気が重い。

「無条件降伏」についてです。


「無条件降伏」は過去それほど使われたわけではありません。「無条件降伏」がそもそも何なのかについても論争があるようです。とりわけ第2次世界大戦で日本が連合国に対して受け入れた「無条件降伏」については(その諸問題については不十分ながらウィキペディアがとっかかりになります)。

日本に対する「無条件降伏」をもっとも強硬に推し進めたのはアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトであり、その基本方針によって戦後日本の方向は定められました(若い方々、第2次世界大戦後、日本が独立国ではなかったことをご存知でしょうか)。天皇制をどうすべきかも最終的にはアメリカによって決定されました(この辺の複雑な事情とその現代における意味については、白井聡国体論 菊と星条旗(集英社新書 2018)がとても示唆に富みます)。

勝ったアメリカは、見事に日本を自分に忠実な (親米的な) 国家に育て上げることに成功します。民主主義国家と化し、経済的にも成功させ、その首脳たち (自民党) をアメリカの犬にしました。その極限の姿がトランプの横でニコニコと嬉しそうに飛び跳ねる高市首相です。

アメリカはCIAの策謀などを用いて一旦はイランに親米国家をうちたてることに成功しましたが、それはイラン革命によって覆されて現在に至っています。

トランプの「無条件降伏」発言を聞いたとき、わたしがまず感じたのは、トランプが第2次世界大戦と現在に至る日本をイランのモデルケースにしているのではないかということです。

日本に対してはこれほどうまくやったではないか。高市は忠実にしっぽを振っている。イランにもこれが応用できるはずだ、と。

もしそうだとすると、わたしがもっとも恐れることは、

トランプが、かつてアメリカが広島と長崎に対して行ったように、イランに核兵器を使うことです。大いに可能性があるとわたしは思う。

アメリカのイラン攻撃はだからわたしたち日本人にとって他人事ではない。被爆国日本が、戦後の今までの対米のあり方がほんとうに問われている。

高市首相、イラン攻撃に態度表明をまったくしていない。一国の首相として考えられないのらくらだ。

どうする、高市?

そしてわたしたちはどうする?

 

2026年3月3日火曜日

Operation Epic Fury は「壮絶な怒り」作戦か?

 アメリカがイランへの攻撃を開始した。

これが国際的な違法行為であることは言うまでもない。

イランの核兵器開発を擁護するつもりはさらさらないが、自分が核兵器を持っているのに他国がそれを持つのを許さないというのはそもそも理屈としてなりたたない(イランはテロ国家だから核を持たせるのは危険だと言うのなら、アメリカが昨今やっていることだってテロ行為そのものじゃないでしょうか)。「私たちも核兵器を放棄します」、そこまで行かずとも、「核兵器を縮小することを目指します」くらいの立場を表明してから交渉するのが筋だと思う。

アメリカは交渉の最中に敵国の首脳を殺害した。これは無法以外の何物でもない(トランプ自身は承知の上かもしれませんが)。


しかしアメリカが戦争を始めたことが、今日の話題ではありません。この戦争に付随する一つの、些細に見えるけれどもけっこう大事なことが話題です。

アメリカが今回のイラン攻撃の作戦をOperation Epic Furyと名づけた意味と、それを「壮絶な怒り」作戦だと報じている日本のマスコミの見識のなさはいかがなものか。

epic を「壮絶な」と訳すことは可能かもしれません。ただし、それはかなりの意訳であって、epic の派生的な意味にすぎない。

とりわけ epic が fury 「怒り」と組み合わされた場合、少なくとも高等教育を受けた欧米人なら epic の本来の意味である「叙事詩の」「叙事詩的な」を思い浮かべると思います。

では「叙事詩の怒り」とは何か。

ヨーロッパ最古の叙事詩ホメロス『イーリアス』に描かれるギリシアの英雄アキレウスの怒りです。『イーリアス』の最大の主題がそれであり、数千行におよぶ『イーリアス』の冒頭の単語もアキレウスの「怒り」です。

『イーリアス』は伝説のトロイア戦争の最後の数十日間を描く英雄叙事詩。ギリシアNo.1の英雄アキレウスの怒りの展開が『イーリアス』の屋台骨です。

それを詳述することはしませんが、アキレウスの怒りが頂点に達するのは親友パトロクロスの死後。アキレウスは怒りを燃やしてトロイア軍をなぎ倒し、パトロクロスを殺したトロイア方の英雄ヘクトールと一騎打ちの末のヘクトールを殺します。

ヘクトールは死ぬ間際に命乞いをするのですが、アキレウスは容赦なく殺し、その亡骸を自分の戦車につないでずたずたになるまで引きずり回します。

欧米人の多くは、そしてアメリカ軍首脳部のエリートたちも、高校などの教材で『イーリアス』を読んでいる。epic furyという句はそれを背景にしている。

だからあくまで「叙事詩『イーリアス』の怒り作戦」、それが日本人に多くの説明を要することを考慮するなら、「英雄アキレウスの怒り作戦」と訳すべきだと思います。大手通信社だかAIだか知らないが「壮絶な怒り」という杜撰な訳を検討もせずに採用するのはいかがなものか。


「些細に見えるけれどもけっこう大事なこと」だと上に書いたのは、この作戦名にアメリカの(一部の)世界観が露骨にあらわれていると思われるからです。

彼らはイラン攻撃に「野蛮な異文化トロイア」と戦う「文明国ギリシア=アメリカ」を重ね合わせている。ひとことで言えばエドワード・サイードが主張した「オリエンタリズム」です。アキレウスがヘクトールにしたように、我々はイランの首脳を命乞いをしてもずたずたにしてやるぞ、という態度表明です。「壮絶な怒り」という訳ではそれが見えてこない。


重要な補足をすれば。

以上のオリエンタリズムを『イーリアス』に読み取るのは(往々にしてそう読まれがちなのですが)『イーリアス』の誤読です。

トロイアは現在のトルコ北部ですが、『イーリアス』はトロイアをアジアの異文化の国家だとは見ていない。自分たちギリシア人と同じ価値観・社会構造を持つ敵として描いています。


さらに。

『イーリアス』は最後の最後で「アキレウスの怒り」に大どんでん返しを与えています。

アキレウスは怒りをおさめたわけではない。しかし『イーリアス』の最終歌で、息子ヘクトールの亡骸を返還してもらうために決死の覚悟でギリシア軍のアキレウスのもとを訪れた老王プリアモスの悲しみに打たれたアキレウスは、敵の王プリアモスと食事をともにして、戦う者どおしの悲しみと苦しみを共有し、ヘクトールの亡骸返還を約束します。

epic fury と名づけたアメリカ首脳たちは『イーリアス』の最後まで視野に入っているとは思えない。敵に対して怒り狂うアキレウスだけです。

願わくは、アキレウスとプリアモスの食事まで視野に入れて欲しい。そしてその食事に向かうことを日本政府はアメリカに訴えるべきだと思う。それが外交というものでしょう。