東海林さだおがなくなった。享年88。
「パイエーケス人の園」でもけっこう追悼文を書いてきました。追悼文は自分が愛する相手に対して書くものです。
だから漫画家・東海林さだおの追悼文を書く資格はありません。
でもわたしは文章家・東海林さだおには心から哀悼の意を捧げたい。
東海林さだおの文体は、椎名誠や嵐山幸三郎や糸井重里などのいわゆる「昭和軽薄体」に似ているようでいて違う。
東海林さだおがなくなった。享年88。
「パイエーケス人の園」でもけっこう追悼文を書いてきました。追悼文は自分が愛する相手に対して書くものです。
(ネタバレ注意)
「その1」(←クリックしたら飛びます)を投稿したのは2015年12月。10年以上経ってしまいました。「その2を書く予定は当分ありません。あしからず」とコメントしたのですが、匿名氏から
この物語に潜む独特の異質感をやっと整理することができました。ありがとうございます。できれば続編として、単行本16巻 (小田さんの最期) に対する思索をお願いしたいです。あんなに切ない演出をする必要があったのか? 私は思い出すたびに深い喪失感に襲われ涙が止め処なく溢れます。
というコメントをいただきました。これは答えなければいけないなとずっと思っていたのですがいろんな事情があって、ようやく遅ればせの応答をいたします。匿名さん、お元気ですか? あまりにも長くお待たせしたことをお許し願います。
ZQNは地球外生命体で、あの巨大な怪物はZQNたちを吸収した「巣」だ。彼らは生き延びるために、地球に適応した新しいハイブリッドな生命体を作り上げ、人間の文明をなるべく破壊せずにそのまま使用しようとしているエコな侵略者である。「巣」が探し求めているのはハイブリッド生命体を生み出す女王蜂だ。
(「愛」はどうなるんだ!? と思ったあなた。
もしその「愛」が欲望とは独立した「心の愛」みたいなものを指しているのだとすれば、二つのことをはっきりさせておかなければなりません。まず、身体的欲望と「心」が別個のものだという見方は「心身二元論」と呼ばれるもので、心身についてのひとつの見方に過ぎないこと。エロースはそういう見方とはまったく別の見方をしています。二つ目は、「心の愛」は「体の愛」より高貴で優れているという見方も心身二元論なのでひとつの見方に過ぎませんし、エロースは上で述べたように単なる「体の愛」などではありません。
ギリシアのエロースは、実はかなり複雑な問題をはらんでいて、わたしはわかりやすくするためにかなり乱暴にまとめています。別の機会があれば丁寧に書くつもりです。
いずれにせよ、『アイアムアヒーロー』は、人を好きになること(ゆるやかな意味での「愛すること」)が何なのかは描きますが、心身二元論的な「愛」には目もくれていません)
(少年を生き延びさせようとカメラマン荒木が焼死したように)
(英雄が必死に「村井君のベーコン」を回収したように)
「この清掃車には小田つぐみさん…の遺体があります。感染したため私、鈴木英雄が清掃車のボタンを押しました。発見された方はお手数ですが警察などに連絡していただけますか。よろしくお願いします。」
「小田さん、あたしのこと嫌いだと思うけど…そばにあれば…少しは寂しくないかなと思って…」
(ネタバレあり)
最終回もどんでん返しの連続。それを逐一書くのはやめますが。
すばらしかった。
絶体絶命の冬橋と儀堂=早瀬を救うのが「しぇるたー」の仲間にして合六(ごうろく)の一味、霧矢。冬橋と霧矢は合六の組織を乗っ取る決意をする。
一香=夏美を捕らえた合六と、百億を手にした儀堂と冬橋の駆け引きはスリリング。
合六とつながっていたはずの警察本部長牧田 (まきた) が、合六の100億で政権を得て「日本の未来」を作ろうとする野党党首の兄に怨念を晴らし、兄を逮捕する!
しかし合六は儀堂=早瀬の母と息子を監禁し、ガソリンをまいて焼死させようとしている。二人を救おうとケーキ屋にやってきた一香=夏美も監禁されてしまう。
監禁された母と一香=夏美がいい。
母は一香が夏美であることに気づいていた。
家族3人を救うために戦う足立刑事もいい。
冬橋は組織を乗ったったあとどうするつもりだと合六に問われ、「しぇるたー」で「家族のない子どもたちを救う」と答えます。
合六は、なんてちっぽけな、自分は日本を変えるために牧田の兄に100億を渡すのだ、と言うのですが。
彼は自分のことばにしっぺ返しをされる。本部長牧田から「牧田議員を有罪にする証言をしないなら香港の組織があなたの家族を殺すだろう。自分は圧力をかけてそれを阻止できる。あなたは証言せずに牧田議員を救って『日本の未来』を作るのか、それとも家族を守るのか」と問われ、頭を下げて「家族を守ってください」と言う。
本部長牧田自身もまた、家族を守るために戦い抜いた儀堂=早瀬に負けを認めざるを得ない。
「大切な家族を守る」その力が見事に描かれていると思うのですが。
その「家族」が血の繋がり=肉親で終わっていないところが何よりすばらしい。
逮捕されて手錠をかけられた一香=夏美は、一香の妹綾香と最後の面会をします。
綾香は一香=夏美がほんとうの姉でないことを知っていた!
しかし。
「(本物の)一香はあなたのことだけを考えていた。だからあなたはなんとしても生きなければならない」と切々と訴えた一香=夏美の去り際に、綾香は
「ありがとう、お姉さん」
と言うのです。
「ほんとうの姉」として接してきた夏美への、もう姉妹愛としか言えない言葉です。
だからこのドラマで描かれる「家族」は血のつながった家族に限定されていない。冬橋の「しぇるたー」の家族もそうです。
「家族性」とでも呼ぶべき「家族」。その価値が肯定されていることが『リブート』で私がいちばん胸打たれた点です(回復された早瀬家だって肉親だけれど両親の顔は変わってしまっている。いわば他人を家族として再び受け入れる=リブートしているんじゃないでしょうか)。
綾香は海外で手術を受けるため、空港を出発しようとしている。
それを密かに見送るのは、あの悪徳弁護士海江田!
彼は一香=夏美との約束をきちんと守ったのです。一香=夏美が綾香の「ほんとうの姉」であると確信して。
(承前/ネタバレあり)
『ラムネモンキー』完結。
前回の投稿「どうなる? 『ラムネモンキー』」で、結末に向けて次の三つが気になると書きました。
贈賄事件について兄はユンに「罪を認めて情状酌量・和解を求めたほうがお前にも会社にも得になる。そうしろ」と言ってきた。ユンはとりあえず納得しているのだが、田辺町の過去と兄のつながりが明らかになった今、ユンは裁判にどうのぞむのか?
キンポーは認知症の母の訪問介護に来ているシングルマザー三島ひろ子に紳士的な恋心を抱いている。彼女がマチルダの娘らしいことは顔を見ればわかります。二人はどうなるんだろう?
3人組がマチルダと交わした「約束」は何だったのか?スティーブン・キング『IT(イット)』でも最後の山場は過去の約束の場面でした。「ラムネモンキー」は、「約束」を通じて『IT(イット)』にどんな応答をするのだろう?
で、どうなったか?
前回までに、3人組はマチルダ殺害の実行犯がチンピラ「アホの八郎」と暴力団員である竿竹屋であり、その背後に田辺町再開発計画をすすめる力があることを突き止めます。しかしアホの八郎は「証拠がないだろう。ざまあみろ」と嘲笑う。
また、マチルダの過去もようやく明らかになります。白馬(はくば)のSNSを見てマチルダの元夫が連絡してくる。元夫のもとを訪れた3人は、中学に来るまでのマチルダの過去をはじめて知ります。
マチルダは子供を生んだが、子供は幼くして死んでしまう。悲しみに暮れるマチルダと元夫は離婚した。
元夫は、マチルダから最後に来たハガキを見せてくれる。そこには、
「元気です」そして「キレイに生きたい」とあった。
田辺町開発計画の推進者たちは、開発計画の闇を知ったマチルダを買収しようとするがマチルダは拒絶。それが原因でマチルダは殺害された。
1988年の事件の全貌をほぼつかんだ3人組は、当時の田辺町再開発計画の黒幕であり、現在 (2025年) のユンの「贈賄事件」の賄賂を受け取った人物でもある国会議員・加賀見六郎のもとを訪れ、問い詰めます。
加賀見を演じるのはおちゃらけ高田純次。どれだけ悪辣さを出せるのだろうと危惧していたのですがなかなか良かった。
3人組を迎え入れる加賀見はプリンを食べている。ニコニコと「これ、ほんとにおいしいんですよ」と言いながら3人組を恫喝する。
チェンが監督をする伝記映画の主人公・成り金社長は自分の知り合いだからお前を監督から干すのは簡単だ。キンポーの母の介護に来ている三島ひろ子はわたしの声一つで来られなくできる。ユンと西野白馬にもそれぞれへの恫喝をにこやかに伝える。
そして「よかったら食べてください」とお土産にプリンを渡す。
集合場所である「ガンダーラ珈琲」に集まった3人組と西野白馬は、それぞれ加賀見からもらったプリンを持ってきている。
白馬が「毒まんじゅうですね」とみごとに言い当てる。食べれば恫喝を受け入れることになる。4人はプリンを前に思いまどう。
予想外の展開。
突如アホの八郎があらわれ、4人を嘲笑してすべてのプリンをかっさらってゆく。結果として4人は毒まんじゅうを食べなかった(加賀見の恫喝を拒絶した)ことになります。そしてこれが大団円への伏線にもなっている。
ユンは裁判で正面から戦い、収賄した加賀見を道連れにする決意をします。「大変だぞ。家族をどうする」と心配するチェンに、ユンは「なんとか説得するさ」と自信なさげに答える。
のですが。
裁判で争う決意だ、だから離婚に応じるつもりだ、と切り出したユンに、妻絵美(えみ)は全面支援すると言う。娘の綾(あや)も。
この家族回復には伏線がありました。
身元不明扱いのマチルダの骨をユンは引き取って段ボール箱に入れていたのですが、マチルダ失踪の謎をどうしても解こうするユンに、絵美は「いいんじゃないの。その骨はきっとなにかをあなたに伝えようとしてるんだから」と言います。なぜでしょう?
過去を探り始めたことでユンは変わりはじめた。生き生きしはじめた。
絵美も綾も(最終回までは)はっきりそうは言わないのだけれど、そういうユンの変化に気づいて受け入れていく。それが家族回復につながっていく。最終回に向かうにつれて、絵美と綾の顔が明らかに生き生きと美しくなっていきます。
(ネタバレあり)
サスペンスに満ちたTBSのドラマ『リブート』、結末が近い。
鈴木亮平の二役で話題になったが、脚本そのものの質が高いと思う。
家族経営のケーキ屋のパティシエ早瀬陸は、妻殺しの容疑者になる。
妻夏美は、行き場のない子どもたちの保護施設「しぇるたー」にケーキを届けて支援する「善意の人」の裏側で、闇のバンカーのリーダー合六 (ごうろく)の組織の一員。早瀬陸はそのことをまったく知らなかった。
さらに夏美は、合六組織の金を、これまた合六組織の一員である悪徳刑事・儀堂 (ぎどう)と共謀してくすねていたらしい。夏美は殺され、儀堂 (ぎどう)は夫の早瀬陸をその犯人として捜査していたが、彼もまた殺される (実は殺されてないのだけど)。
身に覚えのない妻殺しで指名手配された早瀬を、合六組織の一員である幸後一香 (こうごいちか) は、なぜか、整形手術で儀堂 (ぎどう)そっくりに再生 (リブート)させ、刑事儀堂になり変わらせる (だから鈴木亮平の二役)。
刑事儀堂になりすました早瀬陸は、合六組織内部で (彼はその一員だったので)妻殺しの真犯人を突き止めてなんとかして家族のもとへ帰る (=パティシエに戻る)ことを目指す。早瀬と妻を失ったケーキ屋を支えているのは、体を壊している老母と早瀬の息子だけだから。
儀堂=早瀬は、真意をはかりがたい一香(いちか)と組むことにする。
一香は難病の妹を抱えていて、海外で妹に治療を受けさせるために多額の金を必要としている。家族の苦難を打開するという一点で、儀堂=早瀬と一香は組んだ。
しかし、儀堂=早瀬の探索は一筋縄ではいかない。一香の言動は謎めいている。
あろうことか、殺されたはずの本物儀堂が生きていた!!
複雑なストーリーの大枠は以上のようなものでしょうか。
その大枠自体がサスペンスに満ちているんだけれど、闇のバンカー合六(ごうろく)とその組織がほんとに恐ろしい。
サスペンス物のできを左右するのは悪役。
同時期に放映されていたテレ朝の『おコメの女』がつまらなかったのは、どの悪役もちんけな小物だったから(唯一の見どころは毎回出てくる日本酒だけ。初回に「花巴」が出てきたのには「おっ! やるじゃないか」と思いました。)。
『リブート』の、とりわけ前半の合六の非情はほんとに恐ろしい。
裏切り者だと確信すると、クールな表情で見事な料理をつくって「冷めないうちに召し上がってください」と差し出す。料理で引導を渡すわけです。悪徳弁護士海江田にオマール海老(だったと思います。伊勢海老?)を振る舞う場面は、直後に、それまではほんとにしたたかだった海江田が恐怖の表情で引き立てられていく名演技と相まって秀逸でした。
その合六は、儀堂がリブートされた早瀬であることをまだ知らない。
儀堂の正体がいつばれるのか? それが前半のサスペンス。サスペンスのひとつの舞台 (場) が早瀬のケーキ屋です。
老いの体でひとり店を支える母。そして早瀬の小学生の息子拓海 (たくみ)。
儀堂=早瀬は店を訪れては(当然ですが正体を明かさずに)家族を見守り、ケーキ好きの客としてレシピのアドバイスをする。あろうことか、本物儀堂の妻、麻友もケーキ屋の常連となり店の手伝いをし始める(さらには一香まで店に出入りし始める)!
麻友は、本物儀堂が合六組織の一員であることを知らなかった。だがふとした瞬間に儀堂=早瀬に抱きついたとき本物儀堂ではないことに気づく。問い詰められた儀堂=早瀬は、自分が早瀬であること、本物儀堂が悪徳刑事であり、殺された(ほんとは殺されてないのだけど)ことを麻友に明かす。
本物儀堂の登場によってサスペンスはさらに加速します。
本物儀堂は合六組織の金庫番・一香を脅して、合六の100億以上の金を奪った(つもりだった。ここが『リブート』のストーリーの複雑さ)。
怒った合六に問い詰められた儀堂=早瀬はついに自分がリブートされた早瀬であることを明かす。
合六の前に本物儀堂が連行される。二人の「儀堂」!!
ここで本物儀堂が予想外の行動を取る。早瀬ではなく、自分が合六に殺される選択をするのです。そして妻麻友を守ることを儀堂=早瀬に託して、(ようやく)ほんとうに殺される。
実は100億の金を奪ったのは一香。彼女は本物儀堂を欺いて金を手に入れていた。
前回までのストーリーの枝葉を省きに省いたのがわたしなりの上の要約です。わかるように伝えられたでしょうか? どんでん返しのどんでん返しの連続。
で。前回。さらなる圧倒的などんでん返し。
一香は、リブートされた儀堂=早瀬の妻・夏美だった!!
この大どんでん返しは、しかし、
「どうだ。ここまでは予想できなかっただろう?」というケレン味のどんでん返しではありません。
そうではなくて、これまでの展開をあらたな視点からふり返らせるような、そしてふり返ったときに一香の深みに気づかせるような、そういうどんでん返しだと思います。
本物一香は、夏美の整形手術と一香になり変わるための教育を終えたときに、合六の部下たちに殺されます。
一香=夏美だと知ったとき、わたしたちはそれまでの謎と矛盾に満ちて見えた彼女の言行をはじめて理解します。
回想場面で示される、疲れ果ててベッドで寝入った儀堂=早瀬の傍らに一香が寄り添う場面。
そして難病を抱える妹に、にせ一香であるのに「ほんとうの姉」として接してきた夏美。100億の金を合六からくすねたのも妹に治療を受けされるため。夏美は、本物一香の死を引き受けて行動してきたのです。そのことにわたしたちは打たれる。
合六の部下たちに追われる一香は絶体絶命。
ビルの上階でぶら下がる一香の手を儀堂=早瀬はつかんで引き上げる。セリフは一切ありませんが、この瞬間に儀堂=早瀬は一香が妻夏美であることを最終的に確信します(抱きついた瞬間に麻友がにせ儀堂であることを確信したように)。
引き上げられた一香は、「なぜ助けた。そんな甘さではわたしがいなくなったあと生き延びられないぞ」と言い残して立ち去る。
儀堂=早瀬は、これまでの謎めいていた一香の行動を理解したのだと思う。
だとすると。
儀堂=早瀬もまた、本物儀堂の死を引き受けて行動するのではないだろうか。それはどのような行動だろう?
イラン攻撃についてトランプは、攻撃の収束はイランの「無条件降伏」によってしかありえないと発言した。
イランのペゼシュキアン大統領は「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢だ」と応酬した。
まず、「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢」だというペゼシュキアン大統領の表現。強がりだと受け流す人が多いんじゃないかと思いますが、わたしはこの表現にイランの詩文化の伝統を見ます。
日本ではあまり認識されていませんが、イラン (ペルシア) はルネッサンスまでは中国とならぶ世界文化の最先端の地域でした。それまでのヨーロッパはペルシアや中国とくらべればド田舎に過ぎません。世界で最初の大学はオックスフォードでもケンブリッジでもなくペルシアにありました。
当然文化のレベルも高い。ハーフェズ、フェルドウシ、ウマル・ハイヤームなど文学史に燦然と輝く詩人を排出しています。
そしてとりわけ日本では理解しにくいことだと思うのですが、その立派な詩の伝統が現代のイランの日常にも浸透しています。(実はこれはイランに限らず欧米文化にも見られることなんですが。みなさんはなんでもいい、詩を暗唱できますか? 管見の限りでは欧米の教養ある人たちはけっこう詩を読んでいて詩を暗唱できる。だから偉いという話をしてるんじゃありません。社会の中での詩の重要性の違いを言ってるんです。その違いを知っておくことは大事なことですよね。)
「『無条件降伏』はアメリカが墓場まで持ってゆく夢だ」にわたしはそういう体に染みついた詩的な感覚を感じます。(ちょっと違う意味で、わたしは北朝鮮や中国が他国を罵倒する際のレトリックにもそれぞれの文学的伝統を感じます。笑っちゃうくらい見事ですよね)
これ、意外に大事なことだと思います。とりわけ外交において。
イランと外交するならば詩を引用することから始めるべきだと思います。そう助言できる外務省の人間はいるのでしょうか? (実はいるんじゃないかと思ってます。ただそういう人を政治家が気にもとめていないということでしょう。文学をあなどると外交という実利で気づかない失態を犯す。文学研究はそういう意味で「実学」なんですが)
「まず」と上に書いたので「次」を書かなくちゃいけないのですが、気が重い。
「無条件降伏」についてです。
「無条件降伏」は過去それほど使われたわけではありません。「無条件降伏」がそもそも何なのかについても論争があるようです。とりわけ第2次世界大戦で日本が連合国に対して受け入れた「無条件降伏」については(その諸問題については不十分ながらウィキペディアがとっかかりになります)。
日本に対する「無条件降伏」をもっとも強硬に推し進めたのはアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトであり、その基本方針によって戦後日本の方向は定められました(若い方々、第2次世界大戦後、日本が独立国ではなかったことをご存知でしょうか)。天皇制をどうすべきかも最終的にはアメリカによって決定されました(この辺の複雑な事情とその現代における意味については、白井聡「国体論 菊と星条旗」 (集英社新書 2018)がとても示唆に富みます)。
勝ったアメリカは、見事に日本を自分に忠実な (親米的な) 国家に育て上げることに成功します。民主主義国家と化し、経済的にも成功させ、その首脳たち (自民党) をアメリカの犬にしました。その極限の姿がトランプの横でニコニコと嬉しそうに飛び跳ねる高市首相です。
アメリカはCIAの策謀などを用いて一旦はイランに親米国家をうちたてることに成功しましたが、それはイラン革命によって覆されて現在に至っています。
トランプの「無条件降伏」発言を聞いたとき、わたしがまず感じたのは、トランプが第2次世界大戦と現在に至る日本をイランのモデルケースにしているのではないかということです。
日本に対してはこれほどうまくやったではないか。高市は忠実にしっぽを振っている。イランにもこれが応用できるはずだ、と。
もしそうだとすると、わたしがもっとも恐れることは、
トランプが、かつてアメリカが広島と長崎に対して行ったように、イランに核兵器を使うことです。大いに可能性があるとわたしは思う。
アメリカのイラン攻撃はだからわたしたち日本人にとって他人事ではない。被爆国日本が、戦後の今までの対米のあり方がほんとうに問われている。
高市首相、イラン攻撃に態度表明をまったくしていない。一国の首相として考えられないのらくらだ。
どうする、高市?
そしてわたしたちはどうする?
アメリカがイランへの攻撃を開始した。
これが国際的な違法行為であることは言うまでもない。
イランの核兵器開発を擁護するつもりはさらさらないが、自分が核兵器を持っているのに他国がそれを持つのを許さないというのはそもそも理屈としてなりたたない(イランはテロ国家だから核を持たせるのは危険だと言うのなら、アメリカが昨今やっていることだってテロ行為そのものじゃないでしょうか)。「私たちも核兵器を放棄します」、そこまで行かずとも、「核兵器を縮小することを目指します」くらいの立場を表明してから交渉するのが筋だと思う。
アメリカは交渉の最中に敵国の首脳を殺害した。これは無法以外の何物でもない(トランプ自身は承知の上かもしれませんが)。
しかしアメリカが戦争を始めたことが、今日の話題ではありません。この戦争に付随する一つの、些細に見えるけれどもけっこう大事なことが話題です。
アメリカが今回のイラン攻撃の作戦をOperation Epic Furyと名づけた意味と、それを「壮絶な怒り」作戦だと報じている日本のマスコミの見識のなさはいかがなものか。
epic を「壮絶な」と訳すことは可能かもしれません。ただし、それはかなりの意訳であって、epic の派生的な意味にすぎない。
とりわけ epic が fury 「怒り」と組み合わされた場合、少なくとも高等教育を受けた欧米人なら epic の本来の意味である「叙事詩の」「叙事詩的な」を思い浮かべると思います。
では「叙事詩の怒り」とは何か。
ヨーロッパ最古の叙事詩ホメロス『イーリアス』に描かれるギリシアの英雄アキレウスの怒りです。『イーリアス』の最大の主題がそれであり、数千行におよぶ『イーリアス』の冒頭の単語もアキレウスの「怒り」です。
『イーリアス』は伝説のトロイア戦争の最後の数十日間を描く英雄叙事詩。ギリシアNo.1の英雄アキレウスの怒りの展開が『イーリアス』の屋台骨です。
それを詳述することはしませんが、アキレウスの怒りが頂点に達するのは親友パトロクロスの死後。アキレウスは怒りを燃やしてトロイア軍をなぎ倒し、パトロクロスを殺したトロイア方の英雄ヘクトールと一騎打ちの末のヘクトールを殺します。
ヘクトールは死ぬ間際に命乞いをするのですが、アキレウスは容赦なく殺し、その亡骸を自分の戦車につないでずたずたになるまで引きずり回します。
欧米人の多くは、そしてアメリカ軍首脳部のエリートたちも、高校などの教材で『イーリアス』を読んでいる。epic furyという句はそれを背景にしている。
だからあくまで「叙事詩『イーリアス』の怒り作戦」、それが日本人に多くの説明を要することを考慮するなら、「英雄アキレウスの怒り作戦」と訳すべきだと思います。大手通信社だかAIだか知らないが「壮絶な怒り」という杜撰な訳を検討もせずに採用するのはいかがなものか。
「些細に見えるけれどもけっこう大事なこと」だと上に書いたのは、この作戦名にアメリカの(一部の)世界観が露骨にあらわれていると思われるからです。
彼らはイラン攻撃に「野蛮な異文化トロイア」と戦う「文明国ギリシア=アメリカ」を重ね合わせている。ひとことで言えばエドワード・サイードが主張した「オリエンタリズム」です。アキレウスがヘクトールにしたように、我々はイランの首脳を命乞いをしてもずたずたにしてやるぞ、という態度表明です。「壮絶な怒り」という訳ではそれが見えてこない。
重要な補足をすれば。
以上のオリエンタリズムを『イーリアス』に読み取るのは(往々にしてそう読まれがちなのですが)『イーリアス』の誤読です。
トロイアは現在のトルコ北部ですが、『イーリアス』はトロイアをアジアの異文化の国家だとは見ていない。自分たちギリシア人と同じ価値観・社会構造を持つ敵として描いています。
さらに。
『イーリアス』は最後の最後で「アキレウスの怒り」に大どんでん返しを与えています。
アキレウスは怒りをおさめたわけではない。しかし『イーリアス』の最終歌で、息子ヘクトールの亡骸を返還してもらうために決死の覚悟でギリシア軍のアキレウスのもとを訪れた老王プリアモスの悲しみに打たれたアキレウスは、敵の王プリアモスと食事をともにして、戦う者どおしの悲しみと苦しみを共有し、ヘクトールの亡骸返還を約束します。
epic fury と名づけたアメリカ首脳たちは『イーリアス』の最後まで視野に入っているとは思えない。敵に対して怒り狂うアキレウスだけです。
願わくは、アキレウスとプリアモスの食事まで視野に入れて欲しい。そしてその食事に向かうことを日本政府はアメリカに訴えるべきだと思う。それが外交というものでしょう。