初回から毎回、予想もつかない展開。
物語は二つの時間軸に沿って進みます。
1988年
舞台は神奈川県田辺町の中学校。映画研究部の3人の男子、
「ユン」=吉井雄太、「チェン」=藤巻肇(はじめ)、「キンポー」=菊原紀介(きすけ)の3人組は、
レンタルビデオ店の奥部屋を部室にしてカンフー映画を製作している。
美術の臨時教師「マチルダ」=宮下未散(みやしたみちる)が彼らを見守る。
2025年
51歳になった3人はそれぞれの人生を歩んでいる。
ユンは兄吉井健人が取締役を務める「田澤物産」の営業部長だったが、身に覚えのない
贈賄事件の被告として裁判を待つ身。事件はマスコミでも報じられ、
妻と高校生の娘との関係は崩壊寸前になっている。
チェンは夢だった映画監督になったものの、今は泣かず飛ばず。
糊口をしのぐために鼻持ちならない成り金社長の伝記映画を製作せざるを得ない。
一人故郷に残ったキンポーは漫画家になる夢を諦めて、家業の小さな理髪店を
継いでいる。女手ひとつで育ててくれた母親は認知症。
田辺町で身元不明の白骨死体が発見されたというキンポーからの電話で、三人は37年ぶりに故郷に集まる。3人はマチルダが失踪したことをようやく思い出し、工事現場で骨を発見した女子大生、
西野白馬(にしのはくば)とともに発見現場に行き、ドロの中から見つけたボールペンから、
遺体がマチルダであると確信する。
マチルダはなぜ殺されたのか? 犯人は誰なのか?
ロートル中年3人組と西野白馬は、3人組が思い出す妄想を交えた記憶を手がかりに37年前の真実に迫ろうとする。
それがストーリーの骨格です。
しかし。
「ラムネモンキー」は単なる推理ドラマではありません。
最初に「初回から、予想もつかない展開」と書きましたがそれも当然。
各回の冒頭は、3人組が思い出した妄想混じりのエピソード。
3人組は中学生の記憶をある意味で失ってしまっていたのです。
そのエピソードをひとつひとつ確かめていく過程で、1998年の記憶の「妄想」から「妄想とはちがう真実」が少しずつ明らかになっていく。
それにつれて3人は、あの中学生時代がマチルダに支えられていた「輝く時間」だったことを再発見していきます。その再発見が、2025年を生きる彼らが抱えている空白感を埋めていく。
別の言葉で言えば。
中学時代の「輝く時間」を思い出すことで、現在の「わた」しが生きていく力を獲得していく。そしてほんとうの意味での「大人」になっていく。
でもそれは同時にとても辛い真理探求です。
過去のむごい真実、自分たちを取り巻いていた残酷な人間関係や社会にあらためて直面させられる。
そんな残酷な人間関係や社会の中で、謎に満ちた女性マチルダがどれほど自分たちを愛してくれていたかをはじめて認識する。
切ない。
この切なさが「ラムネモンキー」の魅力。
このドラマにインスピレーションを与えているのは、スティーブン・キングの中期の傑作『IT(イット)』(1986。邦訳は小尾芙佐訳 文春文庫全4冊)だと思います。
1950年代のアメリカ、メイン州の地方都市のいじめられっ子ローティーンの仲間が、
町を襲う怪物の存在に気づき、恐怖と戦いながらその怪物に致命傷を負わせる。
だけれどもその恐怖のあまり怪物との戦いの記憶を失ってしまう。
仲間たちとの輝く友情の時間の記憶も失ってしまう。
数十年後、いじめられっ子グループはそれぞれ社会的に成功しているんですが、
それぞれなにがしかの「空白」を抱えている。要するにほんとうの「大人」になりきれていない。
故郷に再び怪物があらわれて人を殺していく。故郷にただ一人残った仲間からの電話でいじめられっ子グループの記憶がよみがえりはじめ、故郷に再び集結する。
過去に誓った「約束」どおりにあの怪物(ITイット)にとどめを刺すために。
その戦いを通じていじめられっ子グループたちは過去の記憶を少しずつ取り戻しながら、
中年の戦う力を獲得していきます。そして現在の自分たちの「空白」が埋まっていく。
ローティーンの輝いていた時間が、その当時のロックや映画やプロレスの引用で切なく描かれます。
「ラムネモンキー」も同じ。ジャッキー・チェンの『酔拳』(「ラムネモンキー」はもちろん「酔拳=ドランクモンキー」のもじり)だとかマイケル・ジャクソンだとか。
そして。
怪物(ITイット)が過去に死ななかった理由も似ている。
怪物は町に巣食う「暴力の歴史」を力の源泉にしているのです。
そのあらわれのひとつがいじめられっ子グループを襲う不良グループ。
「ラムネモンキー」でも3人組は隣の二中の不良グループにいじめられます。
もっと大きな暴力が『IT(イット)』では描かれる。人種差別や同性愛差別。
そういう悪をエネルギー源にして怪物は蘇る。
前回の「ラムネモンキー」でそういう社会の大きな邪悪が明らかになりました。
田辺町の再開発計画。
「社会の木鐸」である新聞記者を目指していたユンの兄健人は開発会社に取り込まれてしまう(その結果、現在の「田澤物産」の取締役にのぼりつめている)。
キンポーの親たちも開発会社に金をもらって懐柔されてしまった。
田辺町にはそういう悪の力があったし、現在まで続いている。
「ラムネモンキー」が『IT(イット)』のパクリだと言っているのではありませんよ。
『IT(イット)』がとても普遍的なテーマを提示していて、その普遍性がいろんな作家の創造性を喚起する、ということです。
(たとえば『IT(イット)』のすぐあとにキングと同じホラー作家ロバート・マッキャモンもほぼ同じ骨格の小説を書きましたし、日本にもハードボイルド作家の小説があります。原尞だと思ったんだけど著作リストに出ていないので勘違いらしい。手元に見つからないのでどなたか教えてください。マッキャモンのは駄作ですが日本のはけっこう良かったです)
「ラムネモンキー」は、「過去の記憶を巡る切ない探求」というすぐれた文学の型のひとつだと言ってるんです。
で。
前回、それまで無関係だと見えた過去と現在のつながりがはっきりした。
最終話はどうなるのか?
わたしの興味は3つです。
その1
贈賄事件について兄はユンに「罪を認めて情状酌量・和解を求めたほうがお前にも会社にも得になる。そうしろ」と言ってきた。ユンはとりあえず納得しているのだが、田辺町の過去と兄のつながりが明らかになった今、ユンは裁判にどうのぞむのか?
その2
キンポーは認知症の母の訪問介護に来ているシングルマザー三島ひろ子に紳士的な恋心を抱いている。彼女がマチルダの娘らしいことは顔を見ればわかります。二人はどうなるんだろう?
その3
3人組がマチルダと交わした「約束」は何だったのか?
スティーブン・キング『IT(イット)』でも最後の山場は過去の約束の場面でした。
「ラムネモンキー」は、「約束」を通じて『IT(イット)』にどんな応答をするのだろう?
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