このブログを検索

2011年9月18日日曜日

ゴルテュン再訪

1990年夏、一人旅でクレタ島ゴルテュンを訪れた。2010-11年のギリシア旅行で再訪した。最初のときの思い出を他の場所で書いたものを、以下【  】内に再録する。

【ゴルテュン(現代ギリシア語ではゴルティス)はクレタ島内陸部にある古代ギリシアの遺跡です。古典期にポリスが栄え、紀元前5世紀の「ゴルテュン法典」という重要な碑文資料が出土しています。その後、ローマ時代まで都市は続きました。

わたしは大学院生時代にそこを訪れました。

バスを降りるとオリーブ畑が広がっています。人家がほとんど見えない田舎の
風景です。

小さな遺跡です。

入り口の粗末な長テーブル(屋根はありません。道ばたに置いてあるだけ)に係の若者が座っていて、入場料を払うと入り口を指さしました。地元のにいちゃん、という感じの若者でした。

見物客は私だけでした。まず、入り口付近にアギオス・ティトス教会遺跡があります。6世紀頃に建てられた教会ですが、イスラム教徒に破壊されて半壊しています。

たくさんの小鳥がその教会でさえずっていました。
地中海の夏の真っ青な空の下、壊れた天蓋から響く鳥の声。
2010/12/26 撮影。鳥はいなかった。
教会の奥に遺跡はあります。ローマ人がギリシア時代の建物を再利用して音楽堂を建て、その壁の一部に使われたのが「ゴルテュン法典」を刻んだ石でした。

音楽堂も崩れ果てていました。もちろん屋根は残っていません。観客席の間に壊れた女神像が無造作に転がされています。

静かな遺跡に、かすかに教会の鳥たちのさえずりが聞こえていました。

その奥の、鉄格子をはめた回廊のような場所に「ゴルテュン法典」はありました。
私は写真を撮り、本で読んだことのあるギリシア語の本物を一部だけ読みました。

2400年前の人間の営みが廃墟の中にくっきりと残っていました。

隣に比較的保存状態の良い女神像が並べられています。ギリシア彫刻をローマ時代に模刻したものだと思います(背がそれほど高くないので)。芸術の女神たちムーサイでしょうが確認していません。きれいな像でした。

入り口に戻ってバスの時間を確かめていると先ほどの若者が
「バスは1時間来ないよ」と(英語で)声をかけてきました。

「日本人か」
「そうだ」
「空手をやるか」
「イエス」(少林寺拳法だけど説明が面倒だったので)
「Are you elastic?」私が何を言いたいのかすぐにはわからなくてとまどっていると、若者は椅子から立ち上がってシャドウボクシングのように体を揺すり「Elastic, you understand?」。
ああ、体のバネがあるかと聞いてるんだ、とわかって
「Yes」と答えると若者が語り始めました。

空手の体のバネはすごい。俺は昔ベルリンのバーで体の小さな日本人がドイツ人の大男とケンカするのを見たことがある。ドイツ人の男は連れの女にその日本人がちょっかいを出したと勘違いしたんだが、すごかった。筋肉隆々の大男があっという間に床に伸びていた。強さは筋肉じゃない。体のバネと技だ。空手はそれだ。すばらしい。

「ところで空手をやってるお前が何でこの遺跡を見に来たのだ」
「私はギリシア悲劇を研究している。ソポクレス、エウリピデス・・・」
「何だって。お前はギリシア語が読めるのか」
「読める」
「嘘つけ。じゃあこれを読んでみろ」若者は遺跡のパンフレットを取り出してそこに書かれているギリシア語を指さします。

私をそれを音読しました。若者は目を丸くして
「わかった。お前は日本人なのにギリシア語が読める。えらい」(私は音読しただけですが)

若者は私に親しみを感じたようで、
「あっちにカフェがある。バスが来るまでコーヒーを飲んで待っているといい。時間が来たら俺が呼びに行く」と言ってくれました。

ちょっと気づきにくい場所にカフェはありました。
客は誰もいません。野外席にローティーンの女の子が二人、猫のように寄り添って寝転がっていました。絵のように美しい少女たちでした。テーブルのラジオからシルタキ(ギリシアの舞踊音楽)がのんきに流れています。

私に気づくと二人は恥ずかしそうに(本当に顔が赤くなっていました)あわてて立ち上がって
「何になさいますか」と尋ねます。店番を任されていたようです。

頼んだギリシアコーヒーを持ってくると、二人はまた寄り添って椅子に寝転がりました。コーヒーを飲み終わった頃、若者が私を呼びに来ました。】


昨年12月27日ゴルテュン遺跡を再訪しました(「回想のギリシア旅行その3」参照)。
閉まっていたので、受付もなく、当然のことですがあの兄ちゃんもいませんでした。
時間が限られていたのでカフェにも行けず。しかし、カフェ付近の写真は撮りました。
兄ちゃんと出会った遺跡入り口。昔は門の手前に
受付のテーブルが置いてあったと思う。2010/12/26 撮影

この奥にカフェがあって少女たちが
寝転がっていた。2010/12/26 撮影。
あの兄ちゃんや、美しかった少女たちは今どうしているのだろう。

回想のギリシア旅行その3(クレタ島1日目)

12月26日 クレタ島1日目
 イラクリオンの朝。郊外のカザンツァキスの墓へ。
 ニコス・カザンツァキス (1883-1957) はアンソニー・クイン主演で映画化された『その男ゾルバ』で有名なクレタ島生まれの小説家。


 『ゾルバ』は現代のクレタ島を舞台にした情念の悲劇の物語ですが、ギリシア本土と風土・気質がいささか異なる点では古代のクレタも似ています。クレタを舞台にした神話には人間の激しい情念が渦巻いています。


 クレタのミノス王の妃パシパエはなんと雄牛に恋をしてしまう。雄牛に恋い焦がれたパシパエは、当地を訪れていた匠ダイダロス(ギリシアの左甚五郎みたいな人。左甚五郎知らないか)に雌牛人形(牛形?)を作らせ、その中に入って雄牛と交わる。雄牛とパシパエのあいだに生まれたのが、半人半獣の怪物ミノタウロスでした。


 ミノス王は醜いミノタウロスを世間の目から隠すため、迷宮(ラビリントス)の奥底に閉じ込める。ミノタウロスのために毎年アテナイ(アテネ)から若者と乙女らが送られてラビリントスでミノタウロスの犠牲にされました(食べられちゃったんだと思います)。英雄テセウスは、ミノタウロスを退治すべくクレタ島に向かいます。クレタの王女アリアドネ(ミノス王とパシパエの娘)はテセウスに恋をして、迷宮から抜け出せるよう、糸玉の端をテセウスに手渡します。テセウスは迷宮の奥でミノタウロスを倒し、アリアドネが手渡してくれた糸をたどって無事迷宮を脱出する。


 困難から脱出する手がかりを「アリアドネの糸」というのはここからきています。Do As Infinity の『アリアドネの糸』の歌詞にも「出口のない永久のラビリンス(ギリシア語ではラビリントス)」というのがありますよね(知らないか)。


 さて、テセウスとアリアドネはめでたく結ばれると思いきや、本土に向かう途中に立ち寄ったナクソス島で(このあたりは神話のバージョンによっていろいろ違うんですが)アリアドネはテセウスを捨てて神ディオニュソスのもとに行ってしまうのです。
 結局、テセウスと結ばれたのはアリアドネの妹パイドラ。しかしそのパイドラも、テセウスの妃であるのに、義理の息子ヒッポリュトスに恋をしてはねつけられ、非業の自殺をしてしまいます。


 激しい神話ですね。
 こういう神話を古代ギリシア人は聞いたり演劇で見たりしていました。子供も知っていたと思います。
雄牛とセックスするお后の物語が公然と語られていいんだろうか?
と思ったあなた。


 いいんです。神話だから。


 神話じゃなかったら大変です。成城(あくまで譬えです)に住んでる、いい大学出たエリート裁判官(ミノス王)の美人の奥さんが、庭の手入れにやってきた若くてセクシーな体をした庭師(あくまで譬えです)にくらっときて、何不自由ない生活をすてて家を飛び出しちゃう。「あそこの奥様、そうらしいわよー」と成城(あくまで譬えです)の奥様方の噂の種になる。


 これは重すぎる。
 でも神話なら重くない。「むかしむかし」の話だから。


 深い意味も考えずにパシパエの物語を聞いていた子供が大人になってふと気づくときがある。ああ、性の情念の嵐が、社会的な地位だとか世間体だとかを吹っ飛ばしてしまうことってほんとにあるよねー、と。「パシパエの神話ってこのことを言ってたんだ」と。


 ギリシア神話はそういう教育の役割も持っていたのだと思います。ひと昔前に『本当は恐ろしいグリム童話』という本がベストセラーになりましたが、悪いけどわたしは読んで笑ってしまいました。ギリシア神話は「本当は」ではなくて「そのまま」恐ろしいんだけどなー。


 特にクレタ島の神話は。


カザンツァキスの墓碑
 カザンツァキスはそういうクレタの風土の中で物語をつむいでいった人です。墓碑には「わたしは何も望まない。わたしは何も恐れない。わたしは自由だ」と刻んであります。


ユクタス山を望む。Upするとゼウスの横顔が。
 カザンツァキスの墓から遠くにユクタス山が見える。山稜がゼウスの横顔に見えます。






 クレタ島は現在でも本土と違う土地のようです。本土のガイド、アンナはクレタ島には来なかった。というより、来られなかった。本人いわく「わたしたちはクレタ島では仕事をすることができない。本土の人間はクレタに手出しできない。それくらいクレタは別世界なのよ」。




 イラクリオンを出て予定外のゴルテュンへ。
 「ゴルテュン法典」というギリシア法制史で重要な碑文が残っている場所です。遺跡は当日閉まっていましたが、K先生はそれを承知でバスを乗りつけました。
ゴルテュン遺跡入り口にあるアギオス・ティトス教会

遺跡に咲くアネモネ

建物の壁にゴルテュン法典の碑文がある
「こっちに行くと金網越しに遺跡が見られるんですよ。みんな来て」
と言いながら、平気な顔で金網伝いにずんずん奥に進んでいく。
足場になるコンクリートの壁は幅10cmほど。下の川までは2m以上ある。
K先生、70代です。信じられない。
そんなわけで、ゴルテュンの写真は金網越しのものです。


ゴルテュンは20年以上前に訪れたときの強烈な思い出があります。それについては長くなるので投稿「ゴルテュン再訪」を参照してください。




 ゴルテュンのあとは、クレタ島のガイドのリナの別荘を訪問。ヴォリという小さな村。リナは地方名家のお嬢様なのです。由緒あるすてきな別荘でした。
別荘中庭
 東洋人の若い女性に惹かれたのか、道を隔てた家のベランダから村の男がずーっとこちらを見ていました。そのときは「暇だなー」と思っただけでしたが、ひょっとしたら財政危機の影響で失業中だったのかもしれません。
庭に果樹園がある

中庭に面したバルコニー



















クリスマスのケーキと、果樹園でもいだばかりの
オレンジジュースを中庭でいただく。













フェストスの遺跡





ヴォリから、ギリシア以前のミノア文明の大遺跡フェストスへ。 さらにクレタ島を縦断して南海岸のマタラへ。「リビア海を見る」ためだけに来たようなもので短時間だったが楽しかった。
夕刻、イラクリオンに戻る。
マタラの海岸。崖の穴は
ローマ時代の住居跡

























2011年9月17日土曜日

回想のギリシア旅行その2(アテネ、スーニオン)

12月25日 アテネ、スーニオン岬、夕刻イラクリオン着

午前中、徒歩でアテネ散策。午後はバスでスーニオン岬とその周辺。
夕刻、飛行機でクレタ島のイラクリオンへ。



「ソクラテスの牢獄」
まずホテルからピロパポスの丘へ。緑豊かな静かな散歩コースだが見所はけっこうある。「ソクラテスの牢獄」は、実際にソクラテスが入れられた牢ではないらしい。それでも古典期(前5-4世紀)の住居跡として重要だとのこと。




ピロパポスの丘は、アテネに貢献したローマ時代の執政官ピロパポスにちなんで名づけられた。頂上に彼の記念碑が立っている。丘からほぼ同じ高さにアクロポリスの全体が見える。背後に高くそびえるのがリュカベトスの丘。


リュカベトスの丘の方が高いのになぜアテネのアクロポリス(ポリスの守護神が祀られる宗教・軍事の中心拠点)にならなかったのか。アテネでひときわ目立つ高所なのに古典期の文献でこの丘が言及されることはほとんどないらしい。


「それはね、きっとリュカベトスがギリシア人にとって高すぎたからなんです。ほら、ここから見るとアクロポリスの全体像が見えるでしょう。アクロポリスのサイズは、神々の世界と人間の世界の、距離と大きさの感覚にちょうどいいんですね。ギリシアでは超越が巨大すぎないんです」とK先生。


膝から崩れ落ちそうなくらい衝撃的なことばでした。




よく誤解されるが、ギリシアの神々は決して「人間くさい」存在なんかじゃありません。ゼウスやアポロンが(ゼウスの場合は妻ヘラの目を盗んで)きれいな娘たちをてごめにしたりするのをギリシア人は「人間くさい」とは感じなかったはずです。

なんといっても神々は「人間を超えるもの」であり、人間とのあいだには断絶と距離があります。

「雪で寒かろう」と笠をかぶせてあげたお地蔵様がお爺さんの家に米俵を持ってきてくれる

というような神々(超越)と人間の「親和の関係」はギリシアでは想像しにくい。ギリシア人も神々と親和の関係を持とうとして祭儀や捧げ物はしたけれど、多くの場合、神々は予期せぬ結果をもたらす「否定の力」として人間の前にあらわれます。

人間の中でいちばん知恵ある者だと尊敬されていたオイディプス王が、実は自分が誰であるかも知らない無知の人だったとアポロンから思い知らされるように。

乱暴に言ってしまうとギリシアの神々が人間に送ってくるメッセージはただひとつです。

「人間よ、君たちはばかなんだよ。そして死ぬんだよ。ぼくたちは賢いし、死なないし、美しい姿のままだけどね」

残酷ですねー。恐いですねー。

そんな神々をなぜギリシア人は信仰していたのか。

わかりません。
わかりませんけど、そういう神々が「いるんだ」と想定することで、仕事や人生や愛や命やらの見え方が変わることは確かだと思います。自分を否定する「人間を超えるもの」というフィクションをギリシア人は必要としたのです。

で、以上のようなことがギリシア人じゃないわたしたちにとっても、人間や世界を考える上で大きな参考になるはずだ、と考えて、わたしはギリシアの神々と人間の「距離と断絶」を授業などで強調してきました。

それはK先生から学んだ大きなことのひとつだし、まちがっているとは思いません。

でも、その「人間を超えるもの」は「巨大すぎない」とK先生は言ったのです。

考えてみれば、ほんとにそうなんです。
いくつかの例外を除くと、ギリシアの神像は高さ2.5m前後。人間より「やや大きい」。エジプトやオリエントや西方仏教の神像の巨大さと較べると大きすぎない。神殿も巨大ではない。

人間は、自分を否定する力を信じていなければ人間たりえない。しかし自分を否定する存在が大きすぎると、人間はちっぽけなものになってしまう。
超越が大きすぎないことで、かろうじて人間の「自由」が肯定され、人間の解放の可能性が開ける。

K先生はそこにギリシア宗教の本質を見て取ったわけです。
西洋古典学者として、そしてひとりのキリスト教徒として、人間を超えるものと人間の関係をずっと考え抜いてきたK先生ならではの深い洞察だと思いました。

つい授業風になってしまいましたが、いいのです(抱腹絶倒しながらギリシアを知りたければ、下ネタ満載の若い「藤村シシン」さんのサイト「Take the Moon」 http://www12.plala.or.jp/ttmoon/mainmenu.html を見てください。わたしには真似できないスタイルです。ギリシア神話ファン必見)。


さて。

プニュクスの民会場跡。左の石の台が演壇(ベーマ)。
テミストクレスの城壁
テミストクレスが築いた城壁跡を通ってピロパポスの丘を下り、古代の民会場があったプニュクスへ。数千人が集まって直接民主政をおこなっていた民会場は意外に小さい。でも、ここにソポクレスやソクラテスがいたと想像すると感慨深いものがありました。
プニュクスに登る古代の道。ソポクレスもここを歩いた。














アレオパゴス(アレスの丘)はアレオパゴス評議会があったところ。ギリシアの裁判は基本的には一般市民から選ばれた裁判員がおこないましたが、謀殺(第一級殺人)は長老で構成されるアレオパゴス評議会で裁かれました。
アレオパゴス

アレオパゴスからはアテネ市街が一望でき、さらに遠方にはアカデメイアの森が見える。
奥の丘の麓に見える横長の線がアカデメイアの森
アカデメイアは緑豊かな別荘地でした。ここに哲学者プラトンが哲学学校を開き、それが「アカデミー」の語源になったのは有名な話。

しかしアカデメイアはまた、ギリシア悲劇・喜劇が上演された大ディオニュシア祭においても重要な土地です。

大ディオニュシア祭は、ディオニュソス神に捧げられる大規模な国家行事です。そのメイン・イヴェントが悲劇・喜劇の上演と、ディテュランボスと呼ばれる部族対抗歌舞合戦。大ディオニュシア祭の前に、劇場近くのディオニュソス神殿からディオニュソスの御神体がアカデメイアに移され、そこからディオニュソス劇場に向かって祭りの大行列が出発します。

日本の神社の「宮入(みやいり)」に似てますね。

神様がその昔われらの土地に外から来訪してくださった。御神体を載せた御輿(みこし)が神社に向かうのは、その「最初の来訪」を共同体の成員みなで再現し、再確認する儀式です。

アテネのディオニュソスもその昔、テーバイとの国境近くのエレウテライから来訪したと考えられていました。

だから行列はエレウテライから出発するのが本当なんですが、エレウテライはアテナイから遠すぎる! (そのエレウテライにはこの旅行の最後に行くことになります)

で、妥協の産物としてアテナイ市街地からちょっとだけ離れたアカデメイアから出発することになったのです。
アテネのキュダテナイオン通り




散歩の途中で「キュダテナイオン通り」を発見。ギリシア史に詳しい人は「あっ」と思うはず。アテナイの市街地で最大の区だった「キュダテナイオン」の名前が残っているんです。あとはプラカで昼食。その後、バスでスーニオン岬に向かいます。




ここ数年イタリアに行く機会があって、自分ではイタリア人とイタリアの風景がそうとう好きだと思っていました。


しかし、スーニオン岬に向かう街道の風景と、岩だらけのスーニオン岬に立つポセイドン神殿を見たとき、イタリアがかすんでしまいました。
スーニオンに向かう街道の車窓から
同













イタリアの都市や田園の風景はたしかに美しいのですが、なんと言うんでしょうか、 
「私たち人間の文化は美しい。見てみろ」と自然に向かって言っている気がします。 

ギリシアの遺跡の魅力は自然の中にあることです。 
遺跡のまわりにある自然はとても美しい。 
空気が澄んでいるせいか、遠くの空、海、緑、山の石灰岩の白さなんかがくっきりと、 
本当に「くーーーっきりと」見えます(この日は曇りでそれほどでもありませんでしたが)。

「人間は自然に取り囲まれて生きているんだ」という感覚がします。 
でもそれは「自然と一体化している」ということでは絶対にありません。 
自然が人間を寄せつけないくらいに美しいんです。 
すぐれた西洋古典学者の久保正彰氏が、ある座談の中で 

  「ギリシアの美しい自然を見ていると、自然が人間に向かって 

   『人間よ、お前たちはみにくい。死ね』 
  
と言っているような気がする」 

というようなことを言っています。手元に本が見つからなくて正確ではないのですが。 

そんな感じです。 


でも、その冷酷な自然はアフリカの砂漠やヒマラヤの峨々たる山々ほど「巨大ではない」。
ギリシアの宗教観は、ギリシアの自然と重なっています。
ポセイドン神殿 Photo by Irie
スーニオン岬のポセイドン神殿については、いろんなサイトに旅行記や記事が出ているので、屋上屋を重ねる説明はやめておきます。

古代銀山の入口
銀鉱石を選別または精錬した施設跡
予定外でしたが、バス運転手のソティリスのはからいでスーニオン岬に近い
トリュコスの劇場とラウレイオン銀山跡を見学しました。








トリュコスは古代アテナイ領内の一村落。アクロポリスも劇場もあって、ミニチュアアテネみたいなところです。
トリュコスの劇場
トリュコスの劇場は、オルケストラ(舞台のようなものだと思ってください。「オーケストラ」の語源です)が円形ではなく横長になっています。


この劇場を根拠に、元来ギリシアの劇場は円形ではなく長方形だったと主張する学者もいます。わたしは同意しませんけど。
いずれにしても、ギリシア演劇史で重要な遺跡であることはまちがいありません。


ラウレイオン銀山はアテナイの繁栄を支えた銀鉱山。多くの鉱山奴隷が厳しい労働を強いられていました。


夕刻、飛行機でクレタ島の玄関口、イラクリオンの町へ。

大きなタベルナを貸しきりにしておいしい食事をしました。