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2020年11月4日水曜日

「藪の外」——『相棒』Season19

 (ネタバレあります)

「こてまり」の女将小手鞠 (こてまり) について、前回の批評で

  今度の女将は元芸者の女狐だぜ。
  そんな相手に右京と亘はうかつなことはしゃべれないでしょう。
  「こてまり」は右京にとって「憩いの場」にはなりえないんじゃないですか。

とコメントしたからには今日のエピソードに触れないわけにはいかない。
わたしから見ると物語上この上なく扱いにくい役柄である小手鞠を脚本家がどう処理するんだろうか、そこに興味があったわけです。


小手鞠の後輩芸者、叶笑(かのえみ)。
彼女は15年前暴漢に襲われたが、
すぐ近くで偶然起きた窃盗事件に駆けつけた警官に救われた。

右京と亘は、小手鞠によって叶笑に引き合わされ、
彼女の身辺警護 (?) を依頼される。

その前夜、15年前に叶笑を襲った男(久我山)が殺害されていた。

右京は殺害現場の神社で凶器のかんざしを発見し、
そのかんざしから叶笑の指紋が検出される。

しかし、叶笑の得意客吉岡も怪しい。
犯人は叶笑なのか吉岡なのか?


大筋のストーリーは以上のようなもの。


事件の真相はけっこう手の込んだもので、
推理ものとして凡庸ではないレベルだと思う。
それなりに楽しんだ。


とはいえ。

右京が指摘していることだけど、
右京たちを叶笑に引き合わせた前夜に
久我山が殺害されていたことを小手鞠は知っていた。

どのように、なぜ?

もちろん前夜の出来事を叶笑は小手鞠に話していただろう。
だけれど、
叶笑はかんざしで久我山の顔を切り裂いただけであって、
久我山が殺されたとは思っていない。

そこが最大の謎。

それを推理ドラマとしての疵(きず)と考えるかどうかが、今日のエピソードの評価の分かれ目だと思います。

疵と考えるのは正当だと思う。
だけれど、
わたしは好意的に受け取ることも可能だと思う。
そしてわたしはあえて好意的に受け取りました。


タイトル「藪の外」が芥川龍之介『藪の中』を下敷きにしていることは言うまでもない。
暴漢による暴行 (ここでは未遂) 事件。
それに現場に残されていたのがかんざしであることは
「『藪の中』を下敷きにしてまーす」と宣言しているも同然。

その観点から見ると、二つのことが言えますね。

上に書いた小手鞠の不可思議は、
芥川龍之介の「オープンエンド」
(はっきりと決着をつけないこと。これについては『鮎川教授最後の授業——「相棒」Season13』で説明しました。興味があればブログ内検索してお読みください
を意識的に継承しているということ。
わたしはそう好意的にとりました。
もちろん、推理ものの疵ととってもかまわないと思いますが。

ふたつ目は。
『藪の中』を下敷きにしているのであれば、
もっと皮肉な視点から事件を描いて欲しかった。
芥川龍之介の複眼的視点を承知の上で、あえて純愛ものにしたのだとは思うのだが。
(あえて純愛ものにしたことをうーーーーんと好意的にとれば、
「『藪の中』のオープンエンドとわたしの脚本は違うんだ。だから『藪の外』にしたんだ」
ということなんでしょうね)


で、最初に書いた小手鞠さんの扱いについてですが。

小手鞠の新たな側面は出てきませんでしたね。
後輩思いではあるが、相変わらずの女狐 (めぎつね) でありました。


ついでに書くと。

最近の伊丹巡査部長の特命係への嫌みな態度は度が過ぎて不自然。
だってこれまでの『相棒』を見ていれば、
伊丹が右京への屈折してはいるけれど敬意を醸成していることは明らかでしょう。
ステレオタイプの度が過ぎてる。

そして出雲麗音さん。
どう処理していいのか、脚本家のとまどいが出てると思いました。


Season19、小手鞠と伊丹と出雲麗音、この三人をどう扱うかが今後の勝負所だな。

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