2018年2月19日月曜日

鶏肉・豚肉のいちじくソース


サラーム海上 (うながみ)『おいしい中東』(双葉文庫 2013) で中東料理に誘い込まれました。これに出ている料理はけっこう作った。塩レモンも自分で作りました(が、ネットで塩レモンの瓶詰めがかんたんに手に入ることがわかってから自作はやめました)。

「入門書」という位置づけを意識したのか、全般にスパイスの量が少なめという印象があります。そしてすべてがおいしいわけではない。好みはもちろんあると思いますが、作ってみて「なんだかなー」というものもありました。それでもいい本だと思います。


「鶏肉のいちじくソース」はけっこうはまって何度も作りました。それをアレンジしたものです。甘いいちじくソースは鶏肉にも合うけれど豚肉に合いそうだと思いました。イスラム文化圏のモロッコ料理なので豚肉とアルコールは使わない。日本人なので豚肉と酒を使える
そこがわたしなりのアレンジです。

無水鍋とかバーミキュラとかの蓋が重い鍋が必要だと思います。圧力鍋でもいいと思います(サラーム海上さんによると中東では圧力鍋を多用するそうです)。この料理に関してはタジンでは難しいかな(スープがあるので)。厚手の鍋でもいけるかもしれません。
(バーミキュラは高価だとあきらめた方、無水鍋おすすめですよ。いろいろ使えて重宝してます。)

干しいちじくは、できれば質の良いトルコ産の白いちじくがおすすめ。

豚肉はバラではなくロースでもいいですし、豚肉やめて鶏もも肉2枚でもかまいません。
なすはもっと使ってもいい(トロトロに溶けるので)。
じゃがいもは新じゃがを使いました。おいしかった。
もちろんふつうの崩れにくいメイクイーンでもかまわない。
パプリカとかブロッコリーとかも使えます。
タマネギを底に敷く(必須) 以外は、冷蔵庫にある野菜を適当に放り込めばいいんじゃないでしょうか。


ドライシェリーあるいはラムはなくてもかまいませんが、あった方が断然おいしい。
シェリーならマンサニージャやアモンティリャードというタイプ。
ラムは透明なバカルディとかじゃなくて飴色のアグリコール製法のものがいいです。
わたしは酒飲みなので、ストッカーにあったドミニカのラム「ロン・マツサレム15年」を使いました。純米酒やブランデーもありだと思います。







鶏肉・豚肉のいちじくソースの作り方

《材料》(3人分)

鶏もも肉     1枚
豚バラブロック  1
なす       4本
タマネギ     1個
グリーンアスパラ 1束
新じゃが     小玉4~5個(あるいはメイクイーン2個)
ニンニク     1片 

干しいちじく   4~5枚

砂糖       小さじ1
シナモン     大さじ2
ジンジャー    大さじ1
クミンパウダー  大さじ1
オレガノ     ひとつまみ(なくても可)
ドライシェリー  大さじ2(あるいは透明ではない飴色のラム)
オリーブオイル  適量
        適量
黒胡椒      適量

【下準備

1) ナスの皮をむき、縦四つ割りにしたあとぶつ切り。
じゃがいもはひと口大かそれ以上の大きさに。タマネギは輪切り。ニンニクはみじん切り。グリーンアスパラは根元に近い部分の皮をむいたあと適当に切る。
2) 鶏もも肉と豚肉はひと口大に切る。塩・胡椒をふり、シナモン、クミンパウダー、ジンジャー各大さじ1を加えてかき混ぜておく。

【作る】
1) 鍋の底に輪切りにしたタマネギを敷く(焦げつきを防止するためです)。
2) 鶏肉・豚肉とナス、じゃがいも、グリーンアスパラを入れ、ニンニクとオレガノを散らす。
3) 水250ccを加え、オリーブオイルをかけ回したら火をつける。蓋をして中~弱火で30分ことこと煮ます。

いちじくソース

4) その間に、小鍋に干しいちじくとヒタヒタに浸るくらいの水を入れ、30分煮て柔らかくする。
柔らかくなったら水を捨て、砂糖小さじ1とシナモン大さじ1を振っておく。

5) 鍋の底のスープを大さじ2~3すくって小鍋の干しいちじくに加える(スープがあまり残っていないようなら水とガラスープの素で代用する)
煮立ったらシェリーまたはラムを加え、アルコール分を飛ばします。

【完成】
蓋をとってから5分くらいで水気がけっこう飛びます。味見をして塩加減を調節。
皿に移し、上にいちじくソースをのっける。
刻んだパセリを散らしてもよい(今日はなかったので省略)。
これで完成。


上のいちじくソースを肉にからめるようにしていただきます。



2018年2月17日土曜日

断捨離読書日記 その3——大石圭『処刑列車』

大石圭は『呪怨』を書いた人です。

この『処刑列車』(角川書店 2012)、東海道本線の「快速アクティー」が武装集団に乗っ取られ、乗客たちが次々と射殺されるというストーリー。



文章まあうまい。読ませる。



だけれども感心しない点が二つある。

その1。

武装グループの動機。
かなりの人数がいて、みな社会の常識が通用しない価値観を持っている。
殺人にまったく疑問を抱かない。

こういう犯人像はもはや目新しいものではない。
角川ソフィア文庫版
池田清彦『やがて消えゆく我が身なら』(角川書店 2005) は、
1996年にスコットランドで子供16人を殺し、さらに教師を殺したトマス・ハミルトン事件を紹介して、これを「アモク・シンドローム」と呼ばれる殺人のカテゴリーに分類されるものだと言ってます。

アモク・シンドロームにかかった人間の心理は、池田が引用するスティーブン・ピンカーによると、

「私は重要人物ではない。自分なりの自尊心をもっているだけだ。私の人生は耐えがたい侮辱でしかないものになってなってしまった。だからもう、なんの意味もない命のほかに失うものはないので、自分の命を人の命と交換する。交換は私のためにするのだから、1人を殺すのだけではなく、大勢を殺す」(ピンカー『心の仕組み』(中)、池田による引用)

『処刑列車』の武装グループは偏差はあれ、このアモク・シンドローム、あるいはそのバリエーションにかかったものだと思われます。
社会のなかにかならずこういう「異常な」人たちはいる。

トマス・ハリス『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターも、アモク・シンドロームにぴったり当てはまるかどうかは疑問ですが、社会常識を越えた価値観に基づいて躊躇なく人を殺す。

要するに「社会常識を越えた価値観に基づいて躊躇なく人を殺す」という犯人像に目新しいものはない。でも『処刑列車』はそういう「目新しさの衝撃」によりかかっている部分が大きい気がします。その点が凡庸。

無表情な美少女(犯人グループの1人)も紋切り型だと思いました。



その2。

ストーリーの大きな穴。
武装グループは計画にもとづいて冷静に行動し、見事に銃を操る。
相当に訓練された集団です。
しかしネットで集まったこれだけの人数の人間をどのように訓練したのか。
銃の扱いだけでもかなりの修練を要することは確かです。
そういう点で、武装グループの組織運営にリアリティーがない。


大石圭はたくさん書いている。そのエネルギーはプロ作家の証しです。
でも他の著作の想像はつく。


というわけで『処刑列車』とはお別れすることにしました。


ラトリエ・デュ・グー——豊かな野菜

入口
入口脇のベンチ

吉祥寺のフレンチ「ラトリエ・デュ・グー」にはじめて行きました。
家族3人のディナー。

カジュアルで小さめの店です。


まず飲み物とつまみ。
つまみは牡蠣と小タマネギのマリネなど。



野菜が足りないかなと思ってグリーンサラダを頼んだのですが、
パリッとしたたくさんの種類の野菜でボリューム満点のサラダ。
黒板に書かれたその日のメニュー

白子のソテー (ケッパーとバルサミコのソース)

すばらしい。そして量がたっぷり。

舌平目
メインは舌平目とハンバーグ。
どちらもたくさんのおいしい野菜が添えてあってふつうにおいしい。

ここは野菜不足を心配しなくていい。
サラダすばらしかったけれど、
料理についてくる野菜のボリュームがある
からサラダをとらなくても大丈夫。
ハンバーグ
デザート。
わたしは柚子のソルベとエスプレッソのダブル。
食後酒に「グラッパかブランデーを」と言うと、すかさずシェフ(女性です)が
「グラッパはないんですけど『マール』があります」
と声をかけてくれたのでそれを注文。

香り豊かでしっかりボディー。
これをエスプレッソとソルベにかけ回す。

残りをゆっくりとなめる。

それぞれ3杯+わたしのマールを飲んで1人あたり5,000円。
リーズナブル。

土曜の夜だけれど客が少なかった。
外でタバコを吸いながら覗いたら、
となりのイタリアン『トラットリア・チッチョ』は混んでました。
『チッチョ』は楽しいがちょっと落ち着かないかもしれません。
こちらは静かに気楽に食事を楽しみたいときにおすすめ。


2018年2月12日月曜日

ブログをめぐるつれづれ

かなりの期間投稿していませんでした。

理由は二つ。

1) 体調がすぐれなかったこともあるのですが、ブログの意味づけが難しくなったこと。
「日記」なんだから基本的にはパーソナルな媒体です。
でも公開してるんだからある程度パブリックな意味もないと垂れ流しです。
その兼ね合いが難しくなった。

2) どこに文体の照準を合わせるかに迷いが出たこと。
わたしは学者ですから論文の文体は「男ぶり」だと思います。
でも論文の文体が「男ぶり」であることに疑問を感じています。
おばさんみたいに軽やかに論文が書けないだろうか?
ブログを始めた理由のひとつは自分の「男ぶりの文体」を破壊したかったから。
だけどその方向がわからなくなりました。

投稿を再開したわけは。

読んでいただいてる方への感謝。
投稿していない時期も毎日数十のアクセスがあって泣きたくなった。
たいして親しくもしてなかった教え子たちからレスポンスがある。
読んでくれた見知らぬ編集者からメールで論文や本の執筆依頼が届きました。

これに答えないと失礼だ。

気力をふりしぼって最近投稿を再開しました。

1) について言えば。
特に本や映画やテレビ番組のレビューの場合、わたしは「感想」ということばをほとんど使ってません。「感想」と書くと検索順位が上がるのはわかっています。
でもね。
感想ならなんでもありでしょう。
しかし独りよがりではなく、ましな内容なのかダメな内容なのかを受け手に問いたい。
それが「感想」とは違う「批評」だと思ってます。
パーソナルな日記だけど、同時に「批評」でもありたい。
今のところパーソナルとパブリックの兼ね合いはそこくらいしかない。

2) については、自信ない。
でもスピード感は大事だと思う。気合いを入れて書く長いものは別にして、基本30分~1時間で書くようにしてます(忙しいしね)。
最近では直前の「パンチェッタとズッキーニのトマトソースパスタ」は、自分なりにいけたかな、と思ってます。


投稿を続けていると当然アクセス数は増えます。
今は1日平均100~200。
徐々に挽回しつつあるのかな。
かつての1日数百に回復するまで、もう少しがんばろうと思ってます。


2018年2月11日日曜日

パンチェッタとズッキーニのトマトソースパスタ

ベーシックなトマトソースパスタですが、
パスタの基本技が詰まってると思います。
だからいろいろ寄り道しながらレシピに向かうことにします。

まずトマトソース。

これまで投稿してきたトマトソースパスタは鍋でトマトソースを作ってました。
ニンニクとタマネギを炒めて水煮のトマトを加えて煮込む。
純米酒・乾燥トマト・すり下ろしたニンジンでコクを出すこともあります。

けれどもこのパスタは、タマネギを使わないシンプルなトマトだけのトマトソースを使う方がおいしい。

サルヴァトーレ・クオモ/ジローラモ・パンツェッタ
『パスタは陽気に』(柴田書店 1997) は絶版になってますが
とてもいい本です。

パスタの料理本としても参考になることが多いのだけれど、
ところどころに入っているジローラモのエッセイがいい。
故郷ナポリの伝統的な家庭の姿が匂い立ってくる。
そのひとつに自家製のトマトソースを作り方が出てくる。



一家総出でトマト畑に出かける。
空き瓶にざく切りしたトマトとバジリコの葉を空気が入らないように詰め込み、
中に毛布を敷いたドラム缶に大量のトマトの瓶を入れてたき火で一晩中沸かして煮沸消毒する。
毛布を敷くのは瓶が破裂するのを防ぐため。昔はどこの家庭もそうやって1年分のトマトソースを作ったそうです。

いい話でしょ?

このトマトソースはタマネギを使ってないそういうシンプルなやつ。
ふつうのトマトソースパスタよりトマトソースを少なめにした方がおいしいと思う。
市販のシンプルなトマトソースの瓶詰めでかまいません。
でもたぶん市販のトマトソースはトマトの皮をむいているからかコクに欠けます。
トマトの水煮缶も皮が入っていない。わたしが乾燥トマトとニンジンのすり下ろしを加えるのはそれが理由です。
このパスタはそこまでのコクは要らない。だから生トマト1~2個を皮つきのままざく切りにして加えます。


次はパンチェッタ(塩豚)。

何度か書きましたがベーコンはパンチェッタの代用にならない
ベーコンの燻製香が入ったらこのパスタは台無しです。
パンチェッタを自分で作ってる人は適度に塩抜きしてから使ってください。
もちろん市販のパンチェッタでもOK。


それからパセリ。
わたしがふつうのパセリを使う理由は、イタリアンパセリの味がだらしないからです。
だけれども。
去年の夏、安曇野の地元野菜の店で山ほどのイタリアンパセリのパックを150円で売ってた。朝取りです。葉がなよなよせずしっかりしていて、ちゃんとパセリの味がした。
東京のイタリアンの店で使っているのはカスみたいなやつなんだな、とわかりました。
東京なのでふつうのパセリを使います。



パスタはもちもち感のある太めがよい。リングイネでもいいと思います。
今回はピエトロの太めの麺を使いました。ほんとにモッチモチ。


パスタ全般に言えることですが、
ゆで上がったパスタを皿に入れて上からソースをかけるのは厳禁です。
フライパンでパスタをソースにしっかりからめる。
レトルトのパスタソースでも同じです。
フライパンにレトルトのソースを空け、パスタの茹で汁を少量加えてゆで上がった麺をあおりながらソースを食い込ませる。
このひと手間で2ランク味がアップします。

レトルトのパスタソースではピエトロのが好みです。
「なんかうまいなーーー」
と思ってたのですが、成分表を見てなっとく。
どれも昆布茶が入ってるんですね。

上に書いたように、このパスタはパンチェッタ自体にコクがあるのでソースは軽めが良い。
のですが、隠し味に昆布茶小さじ1/2を加えました。これ以上の分量はダメ。

エリンギを入れましたが、冷蔵庫に残ってたので使ったまで。無視していいです。
イタリア人から「お前のパスタは具の種類が多すぎる」と言われました。
そのとおーーーり(「電話してちょーだい」のタケモトピアノのメロディーで)。
イタリアのパスタは具が1~2種類のシンプルなもので、だからおいしいんだそうです。
でも日本人だからな。


と寄り道をしてようやくレシピです。




パンチェッタとズッキーニのトマトソースパスタの作り方

《材料》(2人分)

太めのパスタ   180~200g
パンチェッタ   70gくらい
ズッキーニ    1本
エリンギ     4本くらい(上に書いたようになくてもいい)
パセリ      適量
パルミジャーノ  すり下ろしたもの大さじ2
トマトソース    180gくらい(チーズとかが入っていないシンプルなやつ)
トマト      1~2個
ニンニク     1片 
オリーブオイル  適量
純米酒      大さじ2
昆布茶      小さじ1/2
        適量
黒胡椒      適量

【下準備

1) 鍋に多めの塩を入れて沸かし始める。
2) パセリとニンニクををみじん切りにする。
3) ズッキーニは縦四つ割りにしたあとざく切りにする。トマトは皮つきのままざく切り。
4) エリンギは指で縦に裂く。切るよりソースがからんでおいしい。
5) パルミジャーノを削る。

【作る】
1) フライパンでパンチェッタを中弱火でじっくり炒める(油は使いません)。

2) パンチェッタから脂がしっかり出たところでオリーブオイルを垂らし、パンチェッタをちょいちょいと脇に寄せて空いたところにニンニクを入れる。

3) ズッキーニとエリンギを入れて塩と黒胡椒をふる。純米酒をふりかけて火を強めアルコール分を飛ばす。このあたりでパスタを茹で始める(袋の指定より1分短めに茹でる)。

4) 火を中火にしてフライパンにトマトソース,ざく切りトマト,昆布茶を入れる。塩をふって味を調整する(パルミジャーノの塩味があとからプラスされるのでその分を計算に入れる)。

5) パスタが茹で上がったらざっと湯を切ってフライパンに投入。あおる。またはトングで激しくかき混ぜる。最後にパセリとパルミジャーノを加えてひとあおりしたら皿に盛って完成。

【完成】
ソースにオリーブオイルを使っているのですが、火を通していない上質のオリーブオイルをかけ回すとさらにおいしい。
日本のイタリアンの店は概してオリーブオイルの量が少ないから、わたしはオリーブオイルをもらってかけ回してます。

パンチェッタのコクとトマトソースの相性がいい。うまいぜ。


日曜日なので昼間っから赤ワインを合わせる。
イタリアはプーリア州の赤「ピルーナ」。
安ワインだけど適度にコクと酸味があってトマトソースに合います。

2018年2月9日金曜日

中国風変わり鍋

前の投稿で「沙茶醤(サーティージャン)を紹介したので、ついでにこの沙茶醤を使う中国風の鍋のレシピを。

いや、レシピというほどのものではありません。
水炊きです。

豚肉、鶏肉、エビ、豆腐などのタンパク質と、白菜、キャベツ、白ネギ、キノコなどの野菜を鍋にする。
材料はあるものでいいと思います(しかし魚は合わない気がする)。

ポイントはゴマ油とサニーレタス
ゴマ油をタラーーリと鍋に垂らすとそれだけで中国の香りがする
サニーレタスは必須。

この鍋を、酢醤油と沙茶醤のタレで食べる。

それだけなんですが。

おいしいっ!!!
「中国だぜ」(行ったことないんだけど)。


ラム肉(牛肉)のうま辛山椒炒め


タイトルが「ラム肉(牛肉)」となっているのは、
ふだんはラムの肩ロース(薄切りじゃないやつ)を使っているのですが、
今回は、賞味期限切れが近いサーロインステーキを消費する必要があって代用したからです。

どっちを使っても作り方は同じですが、わたしの好みはラムです。
もちろん焼き肉用の味つけをしてないやつを買います。
ジンギスカン用の薄切り肉でもできるかもしれませんが、わたしはやったことがありません。

肉にしっかり濃い下味をつけて、炒め合わせるソースはやや控えめの味つけ。
ソースに沙茶醤(サーティージャンorサーチャジャン)を使います。中華のバーベキューソースです。
手に入らない場合はXO醤で代用してください(でも沙茶醤の方が断然合います)

最初は油通しに手間取るかもしれませんが、
何度か作ると手際よくいけます。なにごとも経験は大事です。


ラム肉 (牛肉) のうま辛山椒炒めの作り方

《材料》(3人分)
サーロインステーキ肉  1~1.5枚(またはラム肩ロース200~250g)
白ネギ      1/3本
赤ピーマン    1個
タマネギ     1/2個
キクラゲ     適量(椎茸2~3枚でもおいしい)
キャベツ     1/4個弱
ショウガ     2片
ニンニク     1片 

紹興酒      大さじ2
鶏ガラスープ    大さじ2
実山椒      大さじ1
粉山椒      適量(でもかなりかける)
片栗粉      大さじ3
醤油       大さじ1.5
オイスターソース 大さじ1
蜂蜜       小さじ1弱
黒酢       小さじ1/2
沙茶醤      大さじ1.5
豆板醤      大さじ1
        適量

油        大さじ3(サラダ油、米油などお好みで)
ごま油      少量


【下準備


肉の筋切り
1) 牛サーロインステーキ肉を使う場合、肉と脂の境目に包丁を入れて筋切りをする。ラム肉の場合は何もしない。
つけ込む
2) すり下ろしたショウガ1片、醤油、オイスターソース、黒酢、蜂蜜をボールで混ぜあわせる。
3) 一口大に切った肉を入れ、多めの粉山椒を振って1時間ほどつけ込む。途中で2~3度上下をひっくり返す。

4) 白ネギの外側の白い部分を細く切って水にさらす(「白髪ネギ」です)。5分くらいたったら水を切って軽く絞っておく。

5) 赤ピーマン、タマネギ、キクラゲは一口大に、キャベツはざく切りにする。ニンニクと残りのショウガ1片はみじん切り。

6) 沙茶醤、鶏ガラスープ、塩少々でソースを作っておく。


【作る】
1) 鍋に多めの油(上の材料表外)を入れて熱しはじめる。
つけ込んだ肉のボールに片栗粉をふりかけて混ぜ、油が中温になったら肉を入れてじわじわ油通しをする。しかし、牛肉もラムも火を通しすぎると堅くなるし、あとで炒めるので「半生くらいかなーー」という程度で油から引き上げ、ペーパータオルの上にあける。

2) 油の温度が高温になったら、赤ピーマン、タマネギ、キャベツの順に入れて短時間で油通しをして引き上げる。
中華のジャレンは油通しに便利。
なければ金ざるで引き上げます

野菜の油通しがめんどうな方は省略。でも、油通しをした方がぜったいおいしいです。

3) 鍋の油をあけて手早く洗う。
揚げ物の油の処理、大変だと思う方多いと思います。でも慣れです。わたしは一般的な金ざるつきの油こし器を使っていますが、金ざるの上に「油こし紙」を敷いて高温の油をジャッとかけてしまう。この「油こし紙」、かなりの優れものです。

4) 再び鍋を火にかけ、油大さじ3を入れる。強火です。

5) ニンニクとショウガを入れ、ざっと火が通ったら火を中火にして、実山椒と豆板醤を加え、焦げ付かないように炒めます。

6) 火を強火にして野菜を炒める。最初はキクラゲ、一呼吸置いて残りの野菜を加えます。
キクラゲを油通ししなかったのは破裂する危険性があるから。勇敢な方が自己責任でトライするなら止めませんがわたしは怖いです。
油通ししてない場合、キクラゲ→赤ピーマン→タマネギ→キャベツの順に入れていきます。

7) 肉を入れてひと混ぜしたら、下準備 6) のソースをかけ回す。てばやく鍋を煽って(できない人は杓子で混ぜて)ごま油をタラーーリとかけ回したら皿に盛る。


【完成】
白髪ネギを上に散らしたら完成です。

2018年2月8日木曜日

断捨離読書日記 その2——村上龍vs.女子高生51人『夢見るころを過ぎれば』


選んだのは体積が大きいから。
断捨離するには文庫本は能率が悪い(文庫本も取り上げ続けるつもりですが)。

村上龍vs.女子高生51人『夢見るころを過ぎれば』(メディアファクトリー 1998)。
文字通り、女子高生51人へのインタビュー記録。
単独インタビューはなくて2~3人を相手にしている。

逐語録にほとんど手を加えていない。
だからかダラダラしているとも言えるが、女子高生たちと村上龍の会話の身体性がよく伝わってくる。

村上龍が書いているように、
「この本は親に危機感を持ってもらうためのものではない。女子高生の性はこんなに乱れているんですよ、こんなに親に嘘をついて遊び回っているんですよ、と暴露して危機感を煽るものではない」。
女子高生たちは多様。
退屈な子もいるし、いきいきとしてる子もいる。

No.5のゆう子さんがすごい。というか、ゆう子さんを含めた家族全員がすごい。
「お父さんは狼です」とゆう子さんは言う。
女を作って家に帰らず、でもゆう子さんも母親もそんな父親が嫌いではない。
父親が女とのあいだに作っちゃった子供も認めてしまう。
村上龍が
「なんかその物語に圧倒されてしまったね」
と言っているとおり圧巻。
ぶっ飛んでいるのだけれど、それがゆう子さん (と母親) の人間の奥深さになっている。


村上龍は女子高生たちの前で、ときに説教くさくときにスケベっぽくなる。
それは当然で、人は異性に対したときみっともなくなるものだから。
そんなみっともなさを顧みず、村上龍はことばを紡ぐ。
善戦したと思う。

「あとがき」に相当する「インタビューを終えて」は、ダ・ヴィンチ編集部の質問に答える形になっていてけっこうな分量がある。内容も濃い。

「彼女たちのコミュニケーションの在り方はもちろん日本社会のコミュニケーションの在り方の雛形だ」
そのとおり。
もし大人が若者たちに「おかしさ」を感じるとすれば、その「おかしさ」が大人の「おかしさ」を反映しているものだという認識とともに「おかしさ」を語るべきだ。

そして村上は上の「日本社会のコミュニケーションの在り方」が変容しつつあると感じており、その正体のわからない変容が女子高生たちのゆらぎに反映されていると感じている。
20年たった今、村上の直感の正しさは証明されたんじゃないだろうか。

そういうゆらぎからの展望は「どのような産業構造で経済活をしていくのか。どんな方法で外貨を得ていくのか。経済活動の延長線上にしかない」と村上は言う。
一見すると政治家みたいなこの言葉は、しかし村上龍の小説家としての世界観・人間観の根幹を垣間見させる。

村上龍は「経済活動」という言葉を補足説明している。
少し長いが引用すると、

「[経済活動という言葉は] 金儲けと誤解される恐れがある。日本では経済というとすなわち金儲けのことだからだ。経済活動の起源を、最初の人類が始めた採集した食料や獲物の自分の部族への『分配』、あるいは原始社会における『物々交換』として考えるとわかりやすい。
    [中略] 
それはモノの流れを作り出し、それを精神的なコミュニケーションに変えるということだ。モノ・貨幣・情報の流れを意図的に作り出し、それを精神の交感・交換の基盤とすること、それが経済活動であって、金儲けはその中に含まれるが、金儲けは閉じられた共同体内での閉じられた遊戯のようなものだ。
    [中略] 
子どもたちをどのような経済活動をする大人にしていくのか。それが展望であって、どのような自分になっていくのか大人たちがわかっていないときに、つまりどのような経済活動をしていくのか大人たちがわかっていないときに、子どもたちの将来と現在を考えることはできない。」


内田樹・岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』の15年前に村上龍はこんなことを言っていたのだ。


経済活動の一部でしかない「金儲け」の分析の経済学から、人間の生き方としての経済学へ。マルセル・モースやK・ポランニーのような先人が開拓した道の先を村上龍たちは進んでいる気がする。それが「展望」につながる道であるようだ。



体積が大きいので本は手放しますが、
ゆう子さんたちへのインタビューと「インタビューを終えて」はコピーを取って残すことにしました。