2012年12月30日日曜日

水餃子

上海の張さんとは家族ぐるみの長いつきあいです。
大学院に留学してきたときに身元保証人になったのがきっかけ。
張さんは帰国して、現在上海大学の先生をしています。
日本にいた頃小さかった娘のユエちゃんは、気立てのいい美しい娘さんに成長してときどき日本に勉強しにやって来ます。

張さんも奥さんも料理が上手だった。
「餃子を作りましたのでどうぞ」
とよく持ってきてくれた。おいしかった。

もともと餃子は好きだったが、張さんに作り方のポイントを教わっておいしく作れるようになった。その辺の中国料理店には負けないと思います。


ポイントは

1. 皮から作る。当たり前ですが味が全然違う。市販の皮で作ったやつには満足できなくなります。
2. ニンニクを入れない
3. 水餃子にする。食べ残したのを翌日焼くのが焼き餃子。本来は餃子は水餃子なのです。もちろん、翌日の焼き餃子もおいしいですけど。
4. 挽肉を使わず、肉の塊を叩いて作る。これは挽肉を買ってきても可ですが、やはり味が違います。

手間暇かかりますが、その見返りは十分以上にあります。
少なくても多くても手間はたいして変わらないので、一度にたくさん作って、一部を茹でずに冷凍しておきます(冷凍したのを茹でる場合の茹で時間は6分)。


最初は大変だと思うかもしれませんが、2,3回作るとコツがわかってそれほど手間に感じなくなる(と思います)。家族でワイワイおしゃべりしながら皮に包んでいく、というのが理想的ですが、わたしは一人の時にも作ります。



中華包丁は指がひと飛び
しそうなくらい切れ味がいい。
餡(あん)の材料を細かく刻みまくるので、わたしは餃子の時にはかならず中華包丁を使います。包丁の重みで切るので、使い慣れるとヘンケルの洋包丁などで切るより力がいらずに楽に切れます。疲れません。

愛用のこね鉢はもう10年以上使っています。大きくてこねやすい。
大きめのボールでもかまいませんが、手がボールに当たって少し大変かも。



水餃子の作り方


《材料(50~60個分)
   皮の材料
強力粉      750cc
薄力粉      250cc
鶏ガラスープ   200cc
塩        大さじ1弱


   餡(あん)の材料
豚バラ肉の塊   300g
キャベツ     1/4玉
干し椎茸     6~7枚
干し貝柱     5~6個
白ネギの青い部分 1本分(あるいはニラ数本)
大根       適量(大きな大根なら1/5本くらい。好みで量を増やすならキャベツを
          減らす)
ザーサイなどの漬け物  刻んで大さじ1(野沢菜可。コクをだすためです)

ゴマ油      大さじ1
紹興酒      大さじ2
醤油       大さじ1.5
オイスター・ソース  大さじ2.5
塩・胡椒       適量

その他、つけだれのショウガ一片、酢・醤油、豆板醤


【前の晩の作業】
一晩戻した椎茸と貝柱
干し椎茸と干し貝柱をそれぞれ水に浸し、冷蔵庫で一晩戻す。
特に干し椎茸は、冷蔵庫で戻すことが大事です。味が俄然おいしくなります。




【皮をつくる】

こね鉢か大きめのボールに強力粉と薄力粉を入れ、塩を振って箸でざっとかき回す。
わたしは強力粉と薄力粉を 3:1 にしていますが、張さんは強力粉だけで作っていました。
薄力粉が増えると軽く柔らかくなって伸ばしやすくなりますが、皮の弾力がなくなり弱くなります。
好みで加減すればいいと思いますが、薄力粉は最大強力粉と同量まで。それ以上は増やせません。

鶏ガラスープを加え、箸でざっとかき回す。
火傷をしないように手を水で濡らしてこね始めます。
水を少量ずつ加えていきます。


練り終わった!
しっかり力を込めて練ります。
「ちょっと固すぎるかな」というぐらいでいい。
ゆるすぎるなと思ったら粉を足してください。
柔らかいと餡(あん)の水分でデレデレになってしまいます。

皮の分量は多すぎてもかまわない。
濡れ布巾で包んで冷蔵庫へ
あまったらテーブルや作業台の粉を拭き取るのに使うと便利。


最終段階では、裂け目をなくすように外側から内側にギュッと押しつけるようにして丸くする。濡らした布巾で包み、冷蔵庫で寝かせます。


【餡(あん)を作る】
皮を寝かせている間に餡を作ります。
刻んだ材料を次々にボールに入れていきます。


キャベツをザク切りにしてさっと茹で、水で冷やす。
水を絞って細かく刻む。
刻み終わったら、額に青筋が出るくらいに力を込めて徹底的に絞る

豚バラ肉の塊を細かく刻む。
売っている挽肉ほど細かくしなくても良い。わたしは冷凍しておいて半解凍の状態で刻みます。その方が楽ちん。

長ネギの葉の部分(またはニラ)、ザーサイなどの漬け物も細かく刻む。

水で戻した干し椎茸、干し貝柱も細かく刻みますが、ボールに入れるときに絞りすぎないようにする。旨味を残すためです。戻し汁は捨てないで、わかめスープなどに使う。

大根は細かい千切りにしたあと、1cm ほどの長さに切る。完全な小間切れにしないわけです。



ゴマ油・紹興酒・醤油・オイスター・ソースを加え、塩胡椒を振る。
粘りとツヤが出るようにしっかり手で練る


餡の味つけはこれでなくては、というものじゃありません。甜麺醤(てんめんじゃん)を使ってもおいしい。干し貝柱の代わりに干しエビでもいいし、生の小エビやスルメを刻んで加えてもおいしい。夏には青じそをたくさん入れる。しっかりした味つけで、しかしニンニクは入れない。これが上品な餡の基本です。


【餃子を包む】
1. 寝かせておいた皮を取りだして棒状に伸ばし、太鼓みたいな形に切っていく。大きさがわからなければ、一つ切って伸ばしてみて見当をつけます。

2. 打ち粉(強力粉を使う)をまぶして麺棒で伸ばす。麺棒にも打ち粉をつけます。
市販の皮より厚め。たいていのレシピには「縁の部分を薄くすると良い」と書いてありますが(そしてそれは正しいのですが)、それほど気にすることはありません。
きれいな丸にならなくても大丈夫です。
弾力がある皮なので、包むときに引っ張ってある程度形を変えられます。

わたしはきれいに拭いたテーブルの上で直に伸ばしています。まな板より大きくてやりやすい。終わったあとは打ち粉だらけになりますが、あまった皮で集めるようにするときれいにとれます。

伸ばした皮は片面に打ち粉をつけて並べていく。



3. 包む。
(右利きの場合)左手に皮(打ち粉がついていない方が上)を置き、上半分に小匙で餡をすくって半月状に置く。これもきれいな半月状にこだわらなくてかまわない。

(右利きの場合)右側から折り返して包んでいくとやりやすい。部屋がよほど乾燥している場合は別ですが、粘りけのある皮なので水をつける必要はないと思います。


わたしは襞(ひだ)を作ってしまうのですが、中国人は襞をつけないそうです。大事なのは 継ぎ目を指でしっかりつまんで閉じること。水餃子ですからこの点が肝です。

大皿にクッキングシートを敷き、餃子どおしがくっつかないように打ち粉をつけて並べる。

包み終わる少し前に、大鍋で湯を沸かし始めておく。

食べきれないなと思ったら、冷凍保存しておく分をジップロックに並べて入れ、蓋をして冷凍庫に入れる。でも、翌日の焼き餃子も楽しみですから、多めに茹でることをお勧めします。

【茹でる】
熱湯に餃子を入れ、5分茹でる。
最初は鍋底に沈んでいるので、網ザル(と言うんでしょうか? すくい上げる網のお玉状のやつです)などでそっと動かしてやる。鍋底にくっつかないようにするためです。くっつくとすくい上げるときに穴があいてしまう。
だんだん浮かび上がってきます。

茹でている間につけだれ用のショウガ1片を針ショウガに切ります。

茹で上がったらザルに取って完成。


餡にしっかり味がついているので、タレは醤油控えめの酢醤油がお勧め。わたしは「千鳥酢」に「かめびし醤油」を数滴垂らすのが好きです。
ショウガを入れる。辛みが欲しい人は、ラー油よりも豆板醤がおすすめ。XO醤もなかなかよい。




















2012年12月25日火曜日

クリスマスの残りのチキン・グラタン

 毎年クリスマス・イヴには吉祥寺のハモニカ横町にある「ポヨ」という店で買ってきたロースト・チキンを食べます。お腹にローズマリーを入れた丸焼きです。

 昨日食べきれなくて残りました。
で、それを処理するためにホウレン草とグラタンにしました。
今夜は二人なので二人前。
きっとクリスマス・イヴに腿肉は食べてしまうと思うので、腿肉以外の部分を使います。
その方がしつこくなくておいしい。
鶏とホウレン草の量は適当でいいです。


鶏肉とホウレン草のグラタン(クリスマスの翌日バージョン)の作り方


【材料(二人前)】
昨日のロースト・チキンの残りです。
皮はたくさん入れない方がいいかな。
ロースト・チキンの残り(適量)
ホウレン草(適量)
椎茸       4枚

薄力粉  60cc
牛乳   500cc(加減してください)
チーズ(パルミジャーノなどコクのあるもの) 大さじ3杯
EVオリーブオイル   適量
バター       適量

塩・胡椒




【作り方】
(1) ホワイトソースを作る
今日は牛乳がちょっと足りなかった。
鍋にオリーブオイルを入れ、小麦粉にしっかり火を通します。わたしはホワイトソース(ベシャメルソース)にバターは使いません。地中海式です。バターを使うよりこの方が軽く仕上がって好きです。

牛乳を少しずつ加えて、ダマにならないように混ぜていく。柔らかめのソースにした方が良いと思います。お好みでガラスープの素か塩を少々加える。

最後に細かく刻んだチーズを入れて溶かします。今日は、パルミジャーノにちょっと似た「トレンティン・グラナ」というイタリアのチーズを使いました。


(2) 野菜を炒める
ホウレン草はさっと茹でてざるに取り、水であら熱を取ってザク切りにする。
軽く絞る。椎茸は石づきを取って粗く切る。


フライパンにバターを溶かし、まず椎茸を炒めます。しっかり目に塩胡椒で味をつける。
できれば胡椒は、ブラック・ペッパーをミルで挽いた方がおいしい。
ホウレン草を入れて「混ざったかな」という程度で火を止める。




(3) オーブンで焼く
耐熱容器にペーパータオルでオリーブオイルを塗る。
底が鶏肉。手で適当にちぎって並べます。
その上に椎茸とホウレン草を敷きます。
一番上がホワイトソース。

オーブンで25分を目安に焼きます。

うちは3月に引っ越してきて、電気オーブンしかありません。
それで210°で25分。料理には断然ガス・オーブンの方がいいのですが、それだと温度はやや低めかな。

のぞいてみて表面に焦げ目がところどころついたらオーケーです。

フランスパン、白ワインとともにいただきます。
おいしいサラダがあれば最高。

2012年12月14日金曜日

澁澤龍彦・伊丹十三・東海林さだお

♩♫ スタイル スタイル スタイルがす・べ・て ♪


「ものを考える」というとき、何を考えるかという内容が大事にされるように思う。
何を考えるかも大事なんだが、
どう考えるかというスタイルはかなり大事だと思う。

スタイルとは要するに文体です。「口調」だと乱暴に言い換えてもいい。
ブログを始めたのも、研究者としての自分の文体を一度壊してみて、そこから研究者の文体を作り直してみようかと思ったのがきっかけです。


文体は歴史の産物です。
反発するにしろ、守ろうとするにしろ、
伝統の上に今の文体は成立している。


わたしは 1954 年生まれ。
ごらんのとおり情けないスタイルでしか書けない物書きですが、それでも自分の年代が受けてきたスタイルの歴史を負っています。



今日はその歴史をちょっと振り返ってみたい。
世代に縛られている点は当然あります。
わたしより年配で、ネットを使える先達にはぜひ勘違いを正して欲しいと思います。



どの世代でもそうだと思うのですが、わたしは一世代前のスタイルに反発・違和感を感じていました。
「一世代前」というより「一世代前の世代がモデルとしていたようなスタイル」と言った方が正確かもしれません。

小林秀雄のスタイルだと思います。
小林秀雄、洞察力のある人です。
その気合いのあらわれみたいなスタイルが苦手でした。

重いよ。

その重さもまた、小林秀雄より前の世代の歴史を背負ってたんだと思います。
だから小林秀雄を責める気はない。

そういう「重さの伝統」から解放してくれた人たちがいたと思う。


澁澤龍彦と伊丹十三と東海林さだお。


他にもいたんだと思いますが、3人ともそこそこ「売れていた」ことが大事です。
影響力があった。



澁澤龍彦についてはいつか詳しく書かなくてはと思っていますが、とりあえずスタイルの点で言えば、
「かわいらしい文体」
があり得るのだ、ということを示してくれた点が澁澤の意義だと思います。

「えっ、澁澤龍彦の文体がかわいらしい?」とおっしゃる方はいると思う。
でも、小林秀雄や同世代の三島由紀夫の重さからの遠さはあきらかにあるでしょ?
ほんとに不思議な文体。
受験英語の弊害の典型として言われることが多い、関係代名詞を「〜するところの」という訳し方、それを澁澤龍彦は平気で使う。にもかかわらず堅苦しくなくちゃんと読める。

スタイルがそうだということは生き方もそうだったということです。
わたしの澁澤龍彦評価は、男にもかわいらしい生き方が可能だということを示してくれたことです。



伊丹十三。
『女たちよ』は本人は否定したい著書だったようです。「こだわり」の本ですからね。
伊丹十三はこだわりから自由になろうとしていた人でした。
しかしわたしは伊丹十三から「明るい知識人」というのがあるんだということを学びました(林達夫も明るい知識人でしたが、スタイルでその明るさを爆発させることはありませんでした)。その功績は大。



そして東海林さだお。
この人、戦後文体史の上でもっと評価されるべき人だと思います。


わたしはこの人の漫画は好きではない。でも椎名誠の文体の先達だと思います。そして椎名誠の男臭さがない。「おばさんの文体」です。

おばさんがおばさん的話題を書くのは別に目新しくない。
男がおばさんになったっていいんだ、ということを東海林さだおは示してくれたと思います。これにつけ加えるなら橋本治でしょうが。



三人に共通する点は何かと言えば「男らしさからの遠さ」ということだと思います。



わたしの見るところ、人文系で最先端を突っ走っている鹿島茂と内田樹も、
その文体の軽やかさはこういう人たちの伝統を引き継いでいるんじゃなかろうかと思います。










2012年12月11日火曜日

ナイフとフォークを使ったご飯の食べ方

山中教授がノーベル賞を受賞した姿が報道されている。
長身で姿勢のよい山中さんは燕尾服がさまになっていて、同じ日本人としてちょっと誇らしい気持ちになる。

今日書きたいのは、ノーベル賞受賞の晩餐の話。

カール・ジェラッシ(中森道夫訳)『ノーベル賞への後ろめたい道』(講談社 2001年)
は、ノーベル賞候補者たちのすったもんだを描く良質の知的エンターテインメント小説だ(残念ながら現在絶版)。

なにしろ著者のジェラッシ自身がノーベル賞候補者だったし、選考委員でもあったらしいから、ノーベル賞の内幕の描写はとてもリアリティがある。
その中で主人公のアメリカ人の青年がノーベル賞を受賞して、スウェーデン王家と同じテーブルで晩餐をいただくシーンがある。


そこで彼は、フォークとナイフのアメリカ流の使い方を、スウェーデン王妃に面白がられる。高貴な王妃はあからさまに冷やかしたりはしない。

でも、王妃は「アメリカ流のフォークとナイフの使い方はヨーロッパ流と較べると合理的ではない」と冗談めかして言う。


わたしはセレブにはほど遠いがさつ者だが、前々から
ナイフとフォークで米を食べるやり方に(というか、日本でのその紹介のされ方に)
疑問を持っていた。



フォークの背に米をナイフで載せて食べる。


これを昨今、
「そんなことをするのは日本人だけだ。ハワイでそうやっていたら『なんでそんなめんどくさいことをするんだ』と笑われた」
というようなことを言う人がかなりいる。
あたかもフォークの背に米を載せて食べることが、日本独自の「奇習」であるかのように。


そーか?


大体マナーの基準をハワイに求めるのが変だと思う(ハワイの人、失礼)。
京料理のマナーの基準を奄美大島に求めるようなものだ(奄美大島の人、失礼)。


言っておくが、わたしは「マナーのためのマナー」はどうでもいいと思っている。
「米はフォークの背に載せて食べなければなりませんことよ」
という言いぐさへの反発はわかるつもりである。


マナーを尊重しなければならないとすれば、
それは上の小説でスウェーデン王妃が言ったように、
「合理的で無駄がない」
からだと思う。
無駄がないから、食事が楽しくなり、会話も弾む。

テーブルマナーとはそういうものだと思う。


洋食は左手にフォークを持ち、右手にナイフを持つ。
いちばんスピーディーに食べられるからだ。
口に入れやすい大きさに切ることもできるし、ソースを伸ばすのも簡単。
わたしは「レストラン」ではない町の「洋食屋」でもかならずフォークとナイフを要求する。箸で食べるより便利だし、早く食事を済ませられるからだ。

米をフォークですくって食べると、フォークを右手に持ち替えると思う。
無駄な動きだ。

慣れればナイフでフォークの背に乗っける方が断然早い。

第一、欧米では米はつけ合わせの野菜の一つとして出てくることが多い。
ニンジンをフォークですくって食べるのはみっともないでしょう。
米だけなぜ食べ方を変えるのか解せない。


実際、わたしが滞在していたイギリスでは、
ディナーの時にはみなフォークの背に米を乗せて食べていた。
「日本だけの奇習」どころではなく、正式の食べ方だ。

フォークですくうカナダやハワイの食べ方はあくまでカジュアルな食べ方だということです。


それが別にいけないとは言わない。食事は楽しいのがいちばんなんだから。
しかし、フォークの背で食べる食べ方を「日本人だけがやっている奇習」としたり顔で言うのは見識を疑われるんじゃないでしょうか。
(J-Wabe「グルーヴライン」のピストン西沢、好きなんですが、これを言っていた点はマイナスだな)
正式で合理的な食べ方ですよ。











2012年11月23日金曜日

聖兆

細かい記憶が薄れないうちに書いておきます。

京急蒲田駅近くの中華「聖兆」の夜のコース。

ランチは何度か食べたのですが、夜ははじめて。 

感心しました。
アイデア満載の玉手箱。 
それでいて味が勘違いにならず、ぶれがない。 


前菜は紅葉した栗の葉にのせた焼き栗。黒酢のコーティングがしてある。 


真鯛のマスタードソース。 
私も作りますが (2012/11/2 の投稿「真鯛のマスタードソース」)、
もともとイタリアンです。明らかにそれを意識しています。 
しかし生の真鯛に、あえて粒マスタードを使わずに練り辛子を使い、たぶんハチミツか何かの甘みを忍ばせてあります。 

「あ、中華の技法を使ったイタリア料理の本歌取りだな」と思いました。


衣にココナッツを使ったシャコのフライ。

ホタテのしゃぶしゃぶ。
貝柱をさっと湯にくぐらせて、ソースが熟した柿とたぶん自家製XO醤をあわせたもの。
絶妙の味つけでした。これは自分で作ってみたい。

メインの豚肉は柔らかく仕上げて(そのやり方はたぶん私がやっている方法と同じ)洋梨を添えてある。


極めつけはチャーハン。

四川風麻婆豆腐をつけ合わせにして食べるのですが、麻婆豆腐に豚挽肉(ほんとの四川風は豚じゃなくて羊肉でしょうが)ではなくて、カジキマグロを細かく切ったのを使っている。 
イタリア料理で、ミートソースのヴァリエーションで、カジキマグロのラグーソースのパスタがありますが、それを意識している。
チャーハンをパスタに、麻婆豆腐をラグーソースに見立てたとてもおしゃれなお遊びです。

カジキマグロは挽肉より軽いから、木綿豆腐ではなく小さめに裂いた絹ごし豆腐を使っている。 そこがいい。



いやー、大満足。

自分の料理のインスピレーションにもなりました。 
  • 2

2012年11月16日金曜日

Mika と A.E.ハウスマン

  

1Mika: キラキラ玉手箱

最近、Mika(ミーカ)にハマっています。
通勤の車の中でボリュームをガンガン上げて聴いてます。

1983年レバノン生まれ、イギリス在住のシンガーソングライターです。
全英シングルチャート1位になった「グレース・ケリー」を数年前にFMで聴いたのがきっかけでした。 

 


完全には聞き取れなかったが、いかにもイギリスの知的な若者らしい皮肉な歌詞がおもしろいと思いました。

しかし何より音。
なぜかわたしは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」「キラー・クイーン」系統の曲だとか、10ccだとか、エレクトリック・ライト・オーケストラだとか、最近だとニッキー・ミナージュの「スターシップス」だとか、 

その手のちょっと安っぽいキラキラした音に無条件に弱い。
批評精神が消し飛んでメロメロになってしまいます。
「グレース・ケリー」の音でミーカが好きになりました。

最近、彼の「オリジン・オブ・ラブ Origin of Love」がときどきラジオでかかっているのですが、音のキラキラぐあいがいっそう洗練されている気がしました。

コーラス部分の
'You' re the origin of love..." の "love" あたりから、 

万華鏡(まんげきょう)をクルッとまわすと極彩色の色がバッと輝き出す 

みたいな感じで、色彩がどんどん豊かになっていくのがたまらない。 


とうとうミーカのCDを全部買ってしまいました。 



この人、歌詞もいい。 

最新アルバム 「The Origin of Love」には粒ぞろいの曲がつまっていると思います。  

「スターダスト」「アンダーウォーター」「オーバーレイテッド」は詩も音も好き。 
脳みその中に宇宙が流れる気がします。 

「甘くて苦いエロース」と歌った古代ギリシアのサッポー以来の
「愛の二律背反(ジレンマ)」を切なく、同時に軽妙に歌った曲が多いのですが、

「ヒーローズ Heroes」は、そんな中にあって異色の曲です。

レバノン内戦時代をすごした少年期の経験をうかがわせる「英雄になろうとするな、死ぬな」という祈りのような歌。こんな曲を作る人だとは想像してなかった。 

でも音はキラキラ! 


2 Mika と A.E.ハウスマン

この曲が気になり始めたので、 You Tube で Mika がこの曲について語っているインタビューを見てみました。 

それによれば、
ミーカは、ある日、ロンドンでレバノン人が運転するタクシーに乗ります。運転手はレバノンの元兵士。車中での彼とのやりとりが、この曲を書く直接のきっかけになりました。


どんな戦争であれ、戦争は無意味だ。 
「英雄」になろうとした兵士たちは、ある者は若死にし、生き延びた者も心を病んで苦しみ続ける。「英雄」になっちゃいけない。生き延びろ。 

そういうメッセージを送ろうとする決意と、 
それを詩・音楽のかたち(表現)にすることは 
まったく別のことです。 

この違いをわかってない表現(曲)はロクでもない物になる。 
「この熱い思いを伝えたいんだ、おれは」みたいな。 

ミーカはこの違いをきちんと認識している人だと思います。 
そのことは「ヒーローズ」によくあらわれています。 

「ヒーローズ」の詩は次のようなものです。 [  ] の中はわたしの補いです。


         英雄たち


   何百人もの子供たちが明日 
   ドアの向こうに行進してゆくだろう 
   彼らは他人の戦争を戦うのだ 
   彼らはたくさんの物語を持つことになる 
   英雄としてさよならを告げる代償として 

   できるなら 
   できるなら君を連れ戻したい 、
   ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないから。 
   君は葬礼の鐘に向かって歩きながら 
   ぼくらの天国のために地獄と戦うことになるのだ 

   そして君には理解できない 
   どうして他のみんなに見えないのかが、 
   君の血がぼくについていて 
   ぼくの血が君についているのを。 
   しかし君に血を流させること、 
   それだけはぼくは決してするものか。 

   おわかりだと思うが、英雄は長生きできない ものだ 
   [しかし他方で]生き延びて頭の中に悪魔を抱えて歩くことになれば、 
   人を愛することがとても難しくなる   
   死んでる方がましだと君は思うことだろう 

   君はどこに行けるだろう?
   ぼくらは一生懸命に日々の糧をかせぐ 
   ぼくらは決して学ばない 
   そうこうしている間に 
   英雄は死んでゆく 

   なんとかして君に 
   手を差しのべられればいいのだが。 
   君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで 
   大人になれないなんてことは。 


インタビューの中でミーカは 
「『何百人もの子供たちが The kids in the hundreds』という出だしはハウスマンの『何百人もの若者が The lads in their hundreds』にインスピレーションを得た」 
と語っています。 




A.E. ハウスマン (Alfred Edward Housman, 1859-1936)は、19世紀イギリスを代表する詩人であり西洋古典学者です。 

彼のラテン文学の論文は、1世紀前の研究ですが、今読んでもハッとするような洞察力に満ちたもので、現在もケンブリッジ大学出版局から、分厚い全3巻の論文集が出版されています。 

日本ではあまり知られていませんが、イギリスでは広く読まれている詩人でもあります。 



ミーカが言っているハウスマンの詩は、詩集 A Shropshire Lad に収められたもので
出征する若者たちの死を思って書かれたものです。 
題名はミーコが言っているままの「何百人もの若者が The Lads in their Hundreds」。 

ハウスマンの詩も紹介します。 


   THE LADS in their hundreds to Ludlow come in for the fair,
    There’s men from the barn and the forge and the mill and the fold,
   The lads for the girls and the lads for the liquor are there,
    And there with the rest are the lads that will never be old.
 
   There’s chaps from the town and the field and the till and the cart,
    And many to count are the stalwart, and many the brave,
   And many the handsome of face and the handsome of heart,
      And few that will carry their looks or their truth to the grave.
 
   I wish one could know them, I wish there were tokens to tell
     The fortunate fellows that now you can never discern;  
   And then one could talk with them friendly and wish them farewell
      And watch them depart on the way that they will not return.
 
   But now you may stare as you like and there’s nothing to scan;
      And brushing your elbow unguessed-at and not to be told
   They carry back bright to the coiner the mintage of man,              
    
   The lads that will die in their glory and never be old.

くたびれたので訳はつけませんが、 
みごとな、そして同時に切ない詩です。 



ミーカは冒頭の句のインスピレーションをハウスマンから得た、 
と言っているのですが、 

こうやってハウスマンの詩と並べてみると、 
ミーカは冒頭の句だけではなく、 
この詩の詩想全体からインスピレーションを得ていることがよくわかります。 

たとえば、 

ミーカの

「 ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないWhat if I'll never discern」は 
ハウスマンの The fortunate fellows that now you can never discern に 


ミーカの「できるなら/できるなら I wish I could/ I wish I could」はハウスマンの I wish... I wish に


ミーカの最後、
君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで大人になれないなんてことは。 
You don't have to die in your glory / To never grow old」は 
ハウスマンの最後 The lads that will die in their glory and never be old に 

着想を得ていることがわかります。 




3 本歌取り(ほんかどり)


これをパクリだと考えてはいけません。 

ミーカは過去の詩に応答しているのです。 
これを和歌のことばでは「本歌取り(ほんかどり)」と言います。 

本歌への返答がオウム返しなら「応答」ではなくパクリです。

ひねりを加えたり、予想外の展開をしたりして、新しい要素を加えなければなりません。
「本歌取り」は過去の詩人——死者——を呼び出して対話する行為だとも言えます。


ミーカの応答は、ハウスマンの「若者」lads を「子供たち」kids に変えているところにまずあらわれています。 

レバノン内戦では若者どころではない、子供が戦場に行きました。 

「ハウスマンさん、わたしの時代はあなたの時代より戦争の悲惨が大きくなっているのです。」 

ミーカは「子供たち Kids」ということばの選択によってハウスマンに最初の挨拶をしています。 



さらにミーカは、ハウスマンが歌わなかったもうひとつの悲惨をつけ加えています。 
生き残った兵士たちの社会適応障害がそれです。 
「頭の中に悪魔を抱えて」生きる元兵士たちの苦しみです。 

「ヒーローズ」で突出している句は 

「君の血がぼくに/ぼくの血が君についている」 
Your blood on me/ And my blood on you 
のがなぜ見えないんだ?  

という元兵士たちの苦しみの表現だと思います。 


このリフレインになったとたんに 
それまで静かに歌っていた声が鋭いファルセットになり、 
そしてバックの音がキラキラ華やかになる。 


この曲だけじゃだけじゃなくて、 
ミーカは、「ことばと音のオクシュモーロン(撞着語法)に執着している気がします。 

前の投稿に書いたように(2012/11/1)

オクシュモーロンとはギリシアの弁論術で分類されている表現技法のひとつで 
ふつうは「矛盾する二つの語を並列させる技法」とされています。 

「利口な馬鹿」みたいに。 
あるいは「マイナス100度の太陽みたいに 体を湿らす恋をして」(サザン・オールスターズ「真夏の果実」)みたいに。 


でもミーカはことばのオクシュモーロンだけではなく、 
「ことばと音のオクシュモーロン」 
を使います。 

ことばと音が矛盾している。 
詩が悲惨や苦しみを激しく叫ぶときに、天国のような音になる。 

音が天国みたいにキラキラ美しいから 
かえってことばが伝える悲惨がきわだつ、と言ったらいいんでしょうか。 

Your blood on me/ And my blood on you の部分、ぜひ実際に聞いてみて下さい。 

ミーカの祈りのように聞こえます。 



「ハウスマンさん、わたしはあなたが歌わなかった戦争のもうひとつの悲惨を歌うことができました。それはあなたのすばらしい詩があったからはじめて可能になったのです。」 

「ヒーローズ」に見られるミーカのこのハウスマンへの応答に、伝統との応答という、詩の本質(のひとつ)があると思います。 


ミーカ、ますます好きになりました。