2012年11月16日金曜日

Mika と A.E.ハウスマン

  

1Mika: キラキラ玉手箱

最近、Mika(ミーカ)にハマっています。
通勤の車の中でボリュームをガンガン上げて聴いてます。

1983年レバノン生まれ、イギリス在住のシンガーソングライターです。
全英シングルチャート1位になった「グレース・ケリー」を数年前にFMで聴いたのがきっかけでした。 

 


完全には聞き取れなかったが、いかにもイギリスの知的な若者らしい皮肉な歌詞がおもしろいと思いました。

しかし何より音。
なぜかわたしは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」「キラー・クイーン」系統の曲だとか、10ccだとか、エレクトリック・ライト・オーケストラだとか、最近だとニッキー・ミナージュの「スターシップス」だとか、 

その手のちょっと安っぽいキラキラした音に無条件に弱い。
批評精神が消し飛んでメロメロになってしまいます。
「グレース・ケリー」の音でミーカが好きになりました。

最近、彼の「オリジン・オブ・ラブ Origin of Love」がときどきラジオでかかっているのですが、音のキラキラぐあいがいっそう洗練されている気がしました。

コーラス部分の
'You' re the origin of love..." の "love" あたりから、 

万華鏡(まんげきょう)をクルッとまわすと極彩色の色がバッと輝き出す 

みたいな感じで、色彩がどんどん豊かになっていくのがたまらない。 


とうとうミーカのCDを全部買ってしまいました。 



この人、歌詞もいい。 

最新アルバム 「The Origin of Love」には粒ぞろいの曲がつまっていると思います。  

「スターダスト」「アンダーウォーター」「オーバーレイテッド」は詩も音も好き。 
脳みその中に宇宙が流れる気がします。 

「甘くて苦いエロース」と歌った古代ギリシアのサッポー以来の
「愛の二律背反(ジレンマ)」を切なく、同時に軽妙に歌った曲が多いのですが、

「ヒーローズ Heroes」は、そんな中にあって異色の曲です。

レバノン内戦時代をすごした少年期の経験をうかがわせる「英雄になろうとするな、死ぬな」という祈りのような歌。こんな曲を作る人だとは想像してなかった。 

でも音はキラキラ! 


2 Mika と A.E.ハウスマン

この曲が気になり始めたので、 You Tube で Mika がこの曲について語っているインタビューを見てみました。 

それによれば、
ミーカは、ある日、ロンドンでレバノン人が運転するタクシーに乗ります。運転手はレバノンの元兵士。車中での彼とのやりとりが、この曲を書く直接のきっかけになりました。


どんな戦争であれ、戦争は無意味だ。 
「英雄」になろうとした兵士たちは、ある者は若死にし、生き延びた者も心を病んで苦しみ続ける。「英雄」になっちゃいけない。生き延びろ。 

そういうメッセージを送ろうとする決意と、 
それを詩・音楽のかたち(表現)にすることは 
まったく別のことです。 

この違いをわかってない表現(曲)はロクでもない物になる。 
「この熱い思いを伝えたいんだ、おれは」みたいな。 

ミーカはこの違いをきちんと認識している人だと思います。 
そのことは「ヒーローズ」によくあらわれています。 

「ヒーローズ」の詩は次のようなものです。 [  ] の中はわたしの補いです。


         英雄たち


   何百人もの子供たちが明日 
   ドアの向こうに行進してゆくだろう 
   彼らは他人の戦争を戦うのだ 
   彼らはたくさんの物語を持つことになる 
   英雄としてさよならを告げる代償として 

   できるなら 
   できるなら君を連れ戻したい 、
   ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないから。 
   君は葬礼の鐘に向かって歩きながら 
   ぼくらの天国のために地獄と戦うことになるのだ 

   そして君には理解できない 
   どうして他のみんなに見えないのかが、 
   君の血がぼくについていて 
   ぼくの血が君についているのを。 
   しかし君に血を流させること、 
   それだけはぼくは決してするものか。 

   おわかりだと思うが、英雄は長生きできない ものだ 
   [しかし他方で]生き延びて頭の中に悪魔を抱えて歩くことになれば、 
   人を愛することがとても難しくなる   
   死んでる方がましだと君は思うことだろう 

   君はどこに行けるだろう?
   ぼくらは一生懸命に日々の糧をかせぐ 
   ぼくらは決して学ばない 
   そうこうしている間に 
   英雄は死んでゆく 

   なんとかして君に 
   手を差しのべられればいいのだが。 
   君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで 
   大人になれないなんてことは。 


インタビューの中でミーカは 
「『何百人もの子供たちが The kids in the hundreds』という出だしはハウスマンの『何百人もの若者が The lads in their hundreds』にインスピレーションを得た」 
と語っています。 




A.E. ハウスマン (Alfred Edward Housman, 1859-1936)は、19世紀イギリスを代表する詩人であり西洋古典学者です。 

彼のラテン文学の論文は、1世紀前の研究ですが、今読んでもハッとするような洞察力に満ちたもので、現在もケンブリッジ大学出版局から、分厚い全3巻の論文集が出版されています。 

日本ではあまり知られていませんが、イギリスでは広く読まれている詩人でもあります。 



ミーカが言っているハウスマンの詩は、詩集 A Shropshire Lad に収められたもので
出征する若者たちの死を思って書かれたものです。 
題名はミーコが言っているままの「何百人もの若者が The Lads in their Hundreds」。 

ハウスマンの詩も紹介します。 


   THE LADS in their hundreds to Ludlow come in for the fair,
    There’s men from the barn and the forge and the mill and the fold,
   The lads for the girls and the lads for the liquor are there,
    And there with the rest are the lads that will never be old.
 
   There’s chaps from the town and the field and the till and the cart,
    And many to count are the stalwart, and many the brave,
   And many the handsome of face and the handsome of heart,
      And few that will carry their looks or their truth to the grave.
 
   I wish one could know them, I wish there were tokens to tell
     The fortunate fellows that now you can never discern;  
   And then one could talk with them friendly and wish them farewell
      And watch them depart on the way that they will not return.
 
   But now you may stare as you like and there’s nothing to scan;
      And brushing your elbow unguessed-at and not to be told
   They carry back bright to the coiner the mintage of man,              
    
   The lads that will die in their glory and never be old.

くたびれたので訳はつけませんが、 
みごとな、そして同時に切ない詩です。 



ミーカは冒頭の句のインスピレーションをハウスマンから得た、 
と言っているのですが、 

こうやってハウスマンの詩と並べてみると、 
ミーカは冒頭の句だけではなく、 
この詩の詩想全体からインスピレーションを得ていることがよくわかります。 

たとえば、 

ミーカの

「 ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないWhat if I'll never discern」は 
ハウスマンの The fortunate fellows that now you can never discern に 


ミーカの「できるなら/できるなら I wish I could/ I wish I could」はハウスマンの I wish... I wish に


ミーカの最後、
君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで大人になれないなんてことは。 
You don't have to die in your glory / To never grow old」は 
ハウスマンの最後 The lads that will die in their glory and never be old に 

着想を得ていることがわかります。 




3 本歌取り(ほんかどり)


これをパクリだと考えてはいけません。 

ミーカは過去の詩に応答しているのです。 
これを和歌のことばでは「本歌取り(ほんかどり)」と言います。 

本歌への返答がオウム返しなら「応答」ではなくパクリです。

ひねりを加えたり、予想外の展開をしたりして、新しい要素を加えなければなりません。
「本歌取り」は過去の詩人——死者——を呼び出して対話する行為だとも言えます。


ミーカの応答は、ハウスマンの「若者」lads を「子供たち」kids に変えているところにまずあらわれています。 

レバノン内戦では若者どころではない、子供が戦場に行きました。 

「ハウスマンさん、わたしの時代はあなたの時代より戦争の悲惨が大きくなっているのです。」 

ミーカは「子供たち Kids」ということばの選択によってハウスマンに最初の挨拶をしています。 



さらにミーカは、ハウスマンが歌わなかったもうひとつの悲惨をつけ加えています。 
生き残った兵士たちの社会適応障害がそれです。 
「頭の中に悪魔を抱えて」生きる元兵士たちの苦しみです。 

「ヒーローズ」で突出している句は 

「君の血がぼくに/ぼくの血が君についている」 
Your blood on me/ And my blood on you 
のがなぜ見えないんだ?  

という元兵士たちの苦しみの表現だと思います。 


このリフレインになったとたんに 
それまで静かに歌っていた声が鋭いファルセットになり、 
そしてバックの音がキラキラ華やかになる。 


この曲だけじゃだけじゃなくて、 
ミーカは、「ことばと音のオクシュモーロン(撞着語法)に執着している気がします。 

前の投稿に書いたように(2012/11/1)

オクシュモーロンとはギリシアの弁論術で分類されている表現技法のひとつで 
ふつうは「矛盾する二つの語を並列させる技法」とされています。 

「利口な馬鹿」みたいに。 
あるいは「マイナス100度の太陽みたいに 体を湿らす恋をして」(サザン・オールスターズ「真夏の果実」)みたいに。 


でもミーカはことばのオクシュモーロンだけではなく、 
「ことばと音のオクシュモーロン」 
を使います。 

ことばと音が矛盾している。 
詩が悲惨や苦しみを激しく叫ぶときに、天国のような音になる。 

音が天国みたいにキラキラ美しいから 
かえってことばが伝える悲惨がきわだつ、と言ったらいいんでしょうか。 

Your blood on me/ And my blood on you の部分、ぜひ実際に聞いてみて下さい。 

ミーカの祈りのように聞こえます。 



「ハウスマンさん、わたしはあなたが歌わなかった戦争のもうひとつの悲惨を歌うことができました。それはあなたのすばらしい詩があったからはじめて可能になったのです。」 

「ヒーローズ」に見られるミーカのこのハウスマンへの応答に、伝統との応答という、詩の本質(のひとつ)があると思います。 


ミーカ、ますます好きになりました。 








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