2012年11月23日金曜日

聖兆

細かい記憶が薄れないうちに書いておきます。

京急蒲田駅近くの中華「聖兆」の夜のコース。

ランチは何度か食べたのですが、夜ははじめて。 

感心しました。
アイデア満載の玉手箱。 
それでいて味が勘違いにならず、ぶれがない。 


前菜は紅葉した栗の葉にのせた焼き栗。黒酢のコーティングがしてある。 


真鯛のマスタードソース。 
私も作りますが (2012/11/2 の投稿「真鯛のマスタードソース」)、
もともとイタリアンです。明らかにそれを意識しています。 
しかし生の真鯛に、あえて粒マスタードを使わずに練り辛子を使い、たぶんハチミツか何かの甘みを忍ばせてあります。 

「あ、中華の技法を使ったイタリア料理の本歌取りだな」と思いました。


衣にココナッツを使ったシャコのフライ。

ホタテのしゃぶしゃぶ。
貝柱をさっと湯にくぐらせて、ソースが熟した柿とたぶん自家製XO醤をあわせたもの。
絶妙の味つけでした。これは自分で作ってみたい。

メインの豚肉は柔らかく仕上げて(そのやり方はたぶん私がやっている方法と同じ)洋梨を添えてある。


極めつけはチャーハン。

四川風麻婆豆腐をつけ合わせにして食べるのですが、麻婆豆腐に豚挽肉(ほんとの四川風は豚じゃなくて羊肉でしょうが)ではなくて、カジキマグロを細かく切ったのを使っている。 
イタリア料理で、ミートソースのヴァリエーションで、カジキマグロのラグーソースのパスタがありますが、それを意識している。
チャーハンをパスタに、麻婆豆腐をラグーソースに見立てたとてもおしゃれなお遊びです。

カジキマグロは挽肉より軽いから、木綿豆腐ではなく小さめに裂いた絹ごし豆腐を使っている。 そこがいい。



いやー、大満足。

自分の料理のインスピレーションにもなりました。 
  • 2

2012年11月16日金曜日

Mika と A.E.ハウスマン

  

1Mika: キラキラ玉手箱

最近、Mika(ミーカ)にハマっています。
通勤の車の中でボリュームをガンガン上げて聴いてます。

1983年レバノン生まれ、イギリス在住のシンガーソングライターです。
全英シングルチャート1位になった「グレース・ケリー」を数年前にFMで聴いたのがきっかけでした。 

 


完全には聞き取れなかったが、いかにもイギリスの知的な若者らしい皮肉な歌詞がおもしろいと思いました。

しかし何より音。
なぜかわたしは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」「キラー・クイーン」系統の曲だとか、10ccだとか、エレクトリック・ライト・オーケストラだとか、最近だとニッキー・ミナージュの「スターシップス」だとか、 

その手のちょっと安っぽいキラキラした音に無条件に弱い。
批評精神が消し飛んでメロメロになってしまいます。
「グレース・ケリー」の音でミーカが好きになりました。

最近、彼の「オリジン・オブ・ラブ Origin of Love」がときどきラジオでかかっているのですが、音のキラキラぐあいがいっそう洗練されている気がしました。

コーラス部分の
'You' re the origin of love..." の "love" あたりから、 

万華鏡(まんげきょう)をクルッとまわすと極彩色の色がバッと輝き出す 

みたいな感じで、色彩がどんどん豊かになっていくのがたまらない。 


とうとうミーカのCDを全部買ってしまいました。 



この人、歌詞もいい。 

最新アルバム 「The Origin of Love」には粒ぞろいの曲がつまっていると思います。  

「スターダスト」「アンダーウォーター」「オーバーレイテッド」は詩も音も好き。 
脳みその中に宇宙が流れる気がします。 

「甘くて苦いエロース」と歌った古代ギリシアのサッポー以来の
「愛の二律背反(ジレンマ)」を切なく、同時に軽妙に歌った曲が多いのですが、

「ヒーローズ Heroes」は、そんな中にあって異色の曲です。

レバノン内戦時代をすごした少年期の経験をうかがわせる「英雄になろうとするな、死ぬな」という祈りのような歌。こんな曲を作る人だとは想像してなかった。 

でも音はキラキラ! 


2 Mika と A.E.ハウスマン

この曲が気になり始めたので、 You Tube で Mika がこの曲について語っているインタビューを見てみました。 

それによれば、
ミーカは、ある日、ロンドンでレバノン人が運転するタクシーに乗ります。運転手はレバノンの元兵士。車中での彼とのやりとりが、この曲を書く直接のきっかけになりました。


どんな戦争であれ、戦争は無意味だ。 
「英雄」になろうとした兵士たちは、ある者は若死にし、生き延びた者も心を病んで苦しみ続ける。「英雄」になっちゃいけない。生き延びろ。 

そういうメッセージを送ろうとする決意と、 
それを詩・音楽のかたち(表現)にすることは 
まったく別のことです。 

この違いをわかってない表現(曲)はロクでもない物になる。 
「この熱い思いを伝えたいんだ、おれは」みたいな。 

ミーカはこの違いをきちんと認識している人だと思います。 
そのことは「ヒーローズ」によくあらわれています。 

「ヒーローズ」の詩は次のようなものです。 [  ] の中はわたしの補いです。


         英雄たち


   何百人もの子供たちが明日 
   ドアの向こうに行進してゆくだろう 
   彼らは他人の戦争を戦うのだ 
   彼らはたくさんの物語を持つことになる 
   英雄としてさよならを告げる代償として 

   できるなら 
   できるなら君を連れ戻したい 、
   ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないから。 
   君は葬礼の鐘に向かって歩きながら 
   ぼくらの天国のために地獄と戦うことになるのだ 

   そして君には理解できない 
   どうして他のみんなに見えないのかが、 
   君の血がぼくについていて 
   ぼくの血が君についているのを。 
   しかし君に血を流させること、 
   それだけはぼくは決してするものか。 

   おわかりだと思うが、英雄は長生きできない ものだ 
   [しかし他方で]生き延びて頭の中に悪魔を抱えて歩くことになれば、 
   人を愛することがとても難しくなる   
   死んでる方がましだと君は思うことだろう 

   君はどこに行けるだろう?
   ぼくらは一生懸命に日々の糧をかせぐ 
   ぼくらは決して学ばない 
   そうこうしている間に 
   英雄は死んでゆく 

   なんとかして君に 
   手を差しのべられればいいのだが。 
   君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで 
   大人になれないなんてことは。 


インタビューの中でミーカは 
「『何百人もの子供たちが The kids in the hundreds』という出だしはハウスマンの『何百人もの若者が The lads in their hundreds』にインスピレーションを得た」 
と語っています。 




A.E. ハウスマン (Alfred Edward Housman, 1859-1936)は、19世紀イギリスを代表する詩人であり西洋古典学者です。 

彼のラテン文学の論文は、1世紀前の研究ですが、今読んでもハッとするような洞察力に満ちたもので、現在もケンブリッジ大学出版局から、分厚い全3巻の論文集が出版されています。 

日本ではあまり知られていませんが、イギリスでは広く読まれている詩人でもあります。 



ミーカが言っているハウスマンの詩は、詩集 A Shropshire Lad に収められたもので
出征する若者たちの死を思って書かれたものです。 
題名はミーコが言っているままの「何百人もの若者が The Lads in their Hundreds」。 

ハウスマンの詩も紹介します。 


   THE LADS in their hundreds to Ludlow come in for the fair,
    There’s men from the barn and the forge and the mill and the fold,
   The lads for the girls and the lads for the liquor are there,
    And there with the rest are the lads that will never be old.
 
   There’s chaps from the town and the field and the till and the cart,
    And many to count are the stalwart, and many the brave,
   And many the handsome of face and the handsome of heart,
      And few that will carry their looks or their truth to the grave.
 
   I wish one could know them, I wish there were tokens to tell
     The fortunate fellows that now you can never discern;  
   And then one could talk with them friendly and wish them farewell
      And watch them depart on the way that they will not return.
 
   But now you may stare as you like and there’s nothing to scan;
      And brushing your elbow unguessed-at and not to be told
   They carry back bright to the coiner the mintage of man,              
    
   The lads that will die in their glory and never be old.

くたびれたので訳はつけませんが、 
みごとな、そして同時に切ない詩です。 



ミーカは冒頭の句のインスピレーションをハウスマンから得た、 
と言っているのですが、 

こうやってハウスマンの詩と並べてみると、 
ミーカは冒頭の句だけではなく、 
この詩の詩想全体からインスピレーションを得ていることがよくわかります。 

たとえば、 

ミーカの

「 ぼくが君を誰だか識別できなくたってかまわないWhat if I'll never discern」は 
ハウスマンの The fortunate fellows that now you can never discern に 


ミーカの「できるなら/できるなら I wish I could/ I wish I could」はハウスマンの I wish... I wish に


ミーカの最後、
君はしなくていいんだ、栄光に包まれて死んで大人になれないなんてことは。 
You don't have to die in your glory / To never grow old」は 
ハウスマンの最後 The lads that will die in their glory and never be old に 

着想を得ていることがわかります。 




3 本歌取り(ほんかどり)


これをパクリだと考えてはいけません。 

ミーカは過去の詩に応答しているのです。 
これを和歌のことばでは「本歌取り(ほんかどり)」と言います。 

本歌への返答がオウム返しなら「応答」ではなくパクリです。

ひねりを加えたり、予想外の展開をしたりして、新しい要素を加えなければなりません。
「本歌取り」は過去の詩人——死者——を呼び出して対話する行為だとも言えます。


ミーカの応答は、ハウスマンの「若者」lads を「子供たち」kids に変えているところにまずあらわれています。 

レバノン内戦では若者どころではない、子供が戦場に行きました。 

「ハウスマンさん、わたしの時代はあなたの時代より戦争の悲惨が大きくなっているのです。」 

ミーカは「子供たち Kids」ということばの選択によってハウスマンに最初の挨拶をしています。 



さらにミーカは、ハウスマンが歌わなかったもうひとつの悲惨をつけ加えています。 
生き残った兵士たちの社会適応障害がそれです。 
「頭の中に悪魔を抱えて」生きる元兵士たちの苦しみです。 

「ヒーローズ」で突出している句は 

「君の血がぼくに/ぼくの血が君についている」 
Your blood on me/ And my blood on you 
のがなぜ見えないんだ?  

という元兵士たちの苦しみの表現だと思います。 


このリフレインになったとたんに 
それまで静かに歌っていた声が鋭いファルセットになり、 
そしてバックの音がキラキラ華やかになる。 


この曲だけじゃだけじゃなくて、 
ミーカは、「ことばと音のオクシュモーロン(撞着語法)に執着している気がします。 

前の投稿に書いたように(2012/11/1)

オクシュモーロンとはギリシアの弁論術で分類されている表現技法のひとつで 
ふつうは「矛盾する二つの語を並列させる技法」とされています。 

「利口な馬鹿」みたいに。 
あるいは「マイナス100度の太陽みたいに 体を湿らす恋をして」(サザン・オールスターズ「真夏の果実」)みたいに。 


でもミーカはことばのオクシュモーロンだけではなく、 
「ことばと音のオクシュモーロン」 
を使います。 

ことばと音が矛盾している。 
詩が悲惨や苦しみを激しく叫ぶときに、天国のような音になる。 

音が天国みたいにキラキラ美しいから 
かえってことばが伝える悲惨がきわだつ、と言ったらいいんでしょうか。 

Your blood on me/ And my blood on you の部分、ぜひ実際に聞いてみて下さい。 

ミーカの祈りのように聞こえます。 



「ハウスマンさん、わたしはあなたが歌わなかった戦争のもうひとつの悲惨を歌うことができました。それはあなたのすばらしい詩があったからはじめて可能になったのです。」 

「ヒーローズ」に見られるミーカのこのハウスマンへの応答に、伝統との応答という、詩の本質(のひとつ)があると思います。 


ミーカ、ますます好きになりました。 








2012年11月11日日曜日

穂高だより

10年ほど前に安曇野市穂高の中古の別荘を買いました。
借家住まいで、本宅より先に別荘をもつことに。


穂高は、学生時代から夏のゼミ合宿で来ていて好きな土地。
日光の麓や北軽井沢など見てまわって、結局ここに決めました。


美しい土地です。
二つの山地に挟まれた細長い盆地。
隣人であり、恩師でもあるK先生は
「ギリシアのスパルタに似ている」と言います。

確かに似ている。

でもそれだけではない。


ゲニウス・ロキー genius loci という言葉があります。
「土地の霊」という意味です。

神秘主義者ではないが、
穂高を見て、とても良いゲニウス・ロキーがいる気がしました。

買ってしばらくはあまり使っていなかったのですが、昨年から夏に長期滞在しはじめました。来客も増えた。

不思議なことに家が活き活きしはじめた気がします。
夏の別荘
今日の別荘



家がゲニウス・ロキーになじみはじめた、というのでしょうか。
あるいは、


来客の気配によって家が呼吸しはじめた、というのでしょうか。


夏。北アルプスから押し寄せる雲の波
夏。反対側の山並みの雲


今日の景色
今日は、その別荘にネットを引く工事の立ち会いに行きました。
はからずも紅葉狩りになりました。

当たり前ですが、夏とはすっかり変わった景色。











2012年11月6日火曜日

秋冬物

すみません、単なる買い物日記です。


若い頃、洋服屋に入るのが苦手でした。
寄ってくる店員さんに気後れしてしまい、何を話していいかわからなかった。

40歳くらいまで預金残高ほとんどゼロの生活だったので服を買う余裕もあまりなかった。





ポール・スミスのTさんに出会ってから服に対する態度が変わった気がします。

きさくなベテランの店員さんで、的確な助言をする。
「お似合いですね」とほとんど言わない。

だんだん話すようになりました。
今では買わないでおしゃべりだけのこともけっこうあります。

ポール・スミス、色やデザインも好きですが、なんというか、
さりげなく客を説得し、啓発しようとする態度が見られます。
売りたいだけでなく、自分の商品の良さを世間に広めたい、という布教・折伏(しゃくぶく)の志。


スリムなスーツが出始めた頃、
わたしはあいかわらずタックの入ったパンツを履いていて、
まだポール・スミスにも一部そういうスーツが置いてありました。

スーツを一着買ったとき、シャイな店長さんがぼそっと
「スリムなのも一度着てみるといいもんですよ」
と言ったのが何となく気になって、半年後にスリムなスーツをはじめて買いました。

以後、サイズに敏感になった気がします。

いろいろ楽しく教えてもらいました。
おかげで他の店に入るのも楽しくなった。
どんどん試着して、質問して、おしゃべりする。

本気で組み合わせを考えてくれる店員さんもけっこういることがだんだんわかってきました。

ポール・スチュワートのOさんもそうだった(移動になって、もうわたしが行く店にはいない)。



どうしても合わせられなかった Kenzo の金色の派手なネクタイを持ち込んで、

「水色のシャツしか思いつかないけど、しっくりこないんです」
と相談しました(その直前に別の店の若い店員に同じ相談をしたら、自信なさげに
「うーん、白ですかね」と馬鹿でも思いつく答をしたのでうんざりしていた)。


Oさん、しばらく考えた。
ほかの店員たちが横目で注目している様子だったので、
「ああ、Oさんは腕がいいんだ」
とわかりました。

おもむろに
「うちに置いてあるシャツではこれとこれです」
と二枚のシャツを選びました。考えもつかない斬新な組み合わせです。




Tさん、Oさんのおかげで店員さんとのやりとりが少しわかりました。
年に一度しか行かなかったのに、フィレンツェのエトロの店員さんは覚えてくれました。

何度目かの訪問で、エトロにしかないマルチカラーのシャツを買って
「これにどんなタイを提案するか?」
と聞くと、2本選んでくれました。

きれいに合うんですがおもしろみがない。
で、

「これは確かに美しい組み合わせだが、わたしはもっと冒険的な組み合わせを望む。
なんといったらいいか、そうだ『バロック』だ。わかるか?」

と言いました。挑戦してみたわけです。

「『バロック』か、わかった。ちょっと待て」

店員は、タイを並べた棚の下の引き出しを開けました。

おお!!
そこには、上の棚とはまったく違う、悪趣味な柄物のタイがずらりと並んでいます。

店員は緑の美しい柄物を選んで
「どうだ!」

わたしは一目でグラリと来て「これを買う」と言いました。

でもそのあとがあるんです。
レジに向かう途中、彼は
「ちょっと待ってくれ。もうひとつ思いついたので見てくれ」
と言うんですね。

もう1本、やや地味な(それでも十分に度肝を抜くデザインの)タイを合わせます。
「お前はどちらを選ぶか?」
わたしはしばらく迷って、あとの組み合わせを選択しました。

すると彼はニッコリ笑って
「わたしもその選択の方がいいと思う。緑との組み合わせは、やり過ぎた I did too much」
と言ったんですね。


前の組み合わせは彼には満足できなかった。
自分の美意識をかけて選んでいるのだ、とわかりました。

店を出るときに「楽しかった」というと
「わたしもだ。小さな冒険をした」とニヤッと笑いました。


その経験から、服を選ぶゲームが楽しくてしようがなくなった。
いい店員さんがいる行きつけの店が数軒できました。




で、秋冬物です。

10月に写真のキャメルのジャケットを衝動買いしました。初めての店です。
店員は「こげ茶のコーデュロイのパンツ」を勧めたのですが、ありきたりでわたしも考えていた組み合わせ。


その足でポール・スミスに向かい、Tさんに相談。

「けっこう難しい組み合わせですね。今うちにはこれにあうパンツはないです。歩きのオスさんのこれまでの趣味じゃないえんじ色のコットン・パンツがいいと思うんですけど」
(自分とこのパンツを売ろうとしないところが立派。自分の美意識に忠実です)


むずかしい。Tさんに宿題を出された感じでした。

わたしなりの宿題の答が写真の組み合わせです。
「えんじ色のコットン・パンツ」を買うのはシャクなので
チェックのコットン・パンツを探して「ノリーズ」Nolley's で見つけました。

ジャケットの襟のデザインが面白いのですが、ガチャガチャしているので柄物のタイは合わない。いろいろ考えて、緑のソリッド・カラーのタイを、「ポール・スミス」にTさんがいない時を見計らってこっそり買いました。





数日後に、これを着てTさんに見せに行きました。
「合格ですか?」と笑って尋ねると、

合格でした。

「でも」とTさんは言ってネクタイを1本取り出し、
「これを合わせたらどうでしょう?」

参りました! すごい。
Tさんに敬意を表して買いました。悔しいので写真は載せません。


でも一応合格したので嬉しくなってジャケットを買った「モルガン」Morganに直行。
買ったときの店員さんがいて
「おお、そう合わせましたか」
と喜んでくれました。お世辞でも嬉しい。

しゃべってみるとこの店員さん、なかなかいい。


彼がハリス・ツイードと革のコンビの変わった靴を勧めてくれた。
存在感がある。
履いてみると、細身のチェックのパンツとの組み合わせがちょっとミッキーマウスっぽくなって、俄然、斬新になる。
買ってしまいました。


同じ日に写真の帽子も買いました。
ベーシックなものは大体持っているので、遊び心満載のやつを探していました。
ちょっと勇気がいるのですが、右の写真のように組み合わせようかと思っています。靴はもちろん上の写真のやつ。