2016年3月27日日曜日

至福の時間——吉祥寺『ザ・パッション』

何度か投稿した吉祥寺『ザ・パッション』で遅いランチ。
お気に入りのイタリアンです。
この店、いつもおいしいのですが、今日は特においしいと思いました。
カメラを持っていかなかったのがかえすがえすも残念。

仔羊のラグーソースパスタのランチに、
「冷製ローストポークのトンナートソース」
「春竹の子のラルドのせ」
のハーフサイズを足しました。

恥ずかしながらトンナートソースを知りませんでした。
トンノ(ツナ)にケイパー、レモンなどを加えたもので、
上質のオリーブオイルをかけ回してある。
ローストポークと絶妙に合う。

これとランチの前菜でグラスワイン赤が空いた。
2杯目を頼むかどうか迷ったのですが、結局頼みました。
気温は低いけれど春の日がベランダにさしている。
昼間っからほろ酔いになりたい景色です。
白か赤かも迷ったのですが赤に。

「2杯目は少し味を変えてみました」とさりげなく言って持ってきてくれました。
この店のふつうのグラスワインも決して悪くないのですが、
2杯目を一口飲んで格段においしいのがわかりました。
グラスワインのレベルじゃない。

思わず「おいしい。葡萄はなんですか」
と尋ねました。
大サービスしてもらったので書いていいものやらわからないのですが、
2杯目は2005年のネッビオーロでした。
(ネッビオーロは北イタリアの高級な葡萄です)
しっかりボディーですがエレガント!


春竹の子は、タケノコよりも「ラルドのせ」に惹かれて注文しました。
ラルドは脂身100%の真っ白なハムです。
(英語の「ラード」に相当します。ラードはもちろんハムではないですが)

昔、フィレンツェのパニーニ屋で、
トッピングの棚に、左から順に赤身がだんだん減っていって右端がラルド、という風にハムが並べてあった。
パニーニにのっけたラルドをオーブンであぶってとろけた上に、
トマトと黒オリーブのソースをかけてもらいました。
おいしかった。
それ以来ラルドが好きになりました。

で、『ザ・パッション』のラルドですが。

特級品のラルドだそうです。
記憶の中のフィレンツェのパニーニ屋のラルドよりはるかに上質。
ソテーした香り高い春竹の子の上でとろけたラルドはちょっとチーズっぽくて絶品。

日差しがさすベランダに出てタバコを吸いながら食後のコーヒーを飲む。
至福の時間でした。

2016年3月20日日曜日

TOKIOのラーメン

忘れないうちに走り書きします。

「ザ! 鉄腕! DASH!!」は深夜時間帯の初回から見ている好きな番組です。
その中で「世界一のラーメンを作れるか?」はあまり好みではない企画でした。

高視聴率の番組なのであらためて書くまでもないかもしれませんが、
日本全国の最高の食材を使って世界一のラーメンを作るという企画。
城島君が太い竹に乗っかって縮れ麺を作る技を習得したりと、
相も変わらず体を張った TOKIO のがんばりがある。

だけれども。
テレビで見るラーメン通やこだわりのラーメン職人には正直言ってうんざりしてた。
ラーメン、好きではある。
でも「ラーメン道」みたいな語られ方には違和感があります。
たかがラーメンでしょ。
ラーメン好きってラーメン以外の食い物あまり知らないんじゃないの。
エネルギーの注ぎ方がなんか変。
それがわたしの印象です。

だから「世界一のラーメンを作れるか?」には距離を取ってました。

今日はその最終回。


ラーメンを極めた店主たちはこれまでも登場していて、
厳しいコメントをしてたのですが、
TOKIOのラーメンはついに「うまい」と認めてもらえる。

そうなのだが、
今日、前島司さんを見直しました。
いやもちろん、ラーメンのプロとしての凄みは伝わってきてた。
だけど上に書いたように、
わたしから見るととても狭いこだわりの世界にいる人だと思えました。
和食・フレンチ・イタリアン・中華の一流のプロと対等に渡り合えるのだろうか、
そもそもそういう人たちと渡り合う想像力があるのだろうか、
ラーメン以外見えてるんだろうか、
そんなことを思ってました。

今日、前島氏はTOKIOのラーメンを賞めたあとで、
「でもわれわれはしょせんプロなんですよ」
と言った。

TOKIOのラーメンが、ふつうのお客さんが求めるラーメンになっているかどうか、
そこが勝負所だ。
そういうことを言った。

そして前島氏が見ている客の姿がすごかった。
きちんと言語化している。
言語化している、ということは自分に距離をとって客観視できているということです。
この人はたいしたもんだ、と思いました。
「われわれはしょせんプロなんですよ」
こんなことを言えるプロってなかなかいないと思う。

「ふつうの人に食べさせろ」
前島氏の助言に従って、TOKIOラーメンが秘密裏にいろんな場所で供される。

結果は。
受け入れられます。ほんとうにおいしいラーメンをTOKIOは作った。

だけれども、最後のTOKIOのコメントがいい。
世界一のラーメンを作れたかもしれないけれど、原価から考えてこれを店で出すなら2,000円はする。
1,000円以下で出している世のラーメン屋さんがいかにすごいかがわかった、と。

いい企画だった、と今日はじめて思いました。
TOKIOの凄さと同時に前島司をはじめとするラーメン屋の凄さがわかった。
ラーメンが世界各地で人気を博していることが腑に落ちました。
(「こだわりのラーメン」をうたっているくせにまずいラーメン出す店もいっぱいありますけどね)


アルゼンチンの底力と春のクローバー

今の人たちにとってアルゼンチンのイメージって何なんだろう。
サッカーか。

わたしにとってのアルゼンチンは、
何よりまずW.H.ハドソンの国です。
『緑の館』

W.H.ハドソンって誰?
若い人たちはきっとそう思うでしょう。

わたしとかそれより上の世代ではそこそこポピュラーな名前だと思う。
アルゼンチン生まれの小説家・ナチュラリスト。
オードリー・ヘップバーン主演で映画化された『緑の館』は日本でもけっこう読まれた小説です。



『はるかな国遠い昔』
岩波文庫
アルゼンチンの自然を描いた『ラ・プラタの博物学者』『はるかな国とおい昔』もいい。


ヘロの
アプリコットジャム
少年の頃のわたしは『はるかな国とおい昔』の、ハドソン家が作る自家製のアプリコットジャムにあこがれました。

当時、アプリコットジャムは一般には売っていなかったと思います。
大学生になってスイスのヘロのアプリコットジャムを食べて、
「ああ、これがハドソンが書いてたジャムなんだ!」
と感動しました。


それからアルゼンチンはガウチョ(牧童)の国。

中学生の時、チャールズ・ダーウィンの『ビーグル号航海記』を読んではじめてアルゼンチンの「ガウチョ」を知りました。

大学生のとき『月刊プレイボーイ』に連載された開高健『オーパ!』に書かれていた、

取材班がアルゼンチンのパンパでガウチョたちに牛一頭の丸焼きに招待される場面。
アルゼンチンの牛肉の食べ方の半端のなさがわかります。
『オーパ!』
集英社文庫

(開高健もW.H.ハドソンと同様、

若い人にはなじみがなくなっていると思います。
破天荒な小説家です。
サントリーの宣伝部にいて、PR誌『洋酒天国』に携わった人。
三谷幸喜を肉食系にした感じ、と言えばイメージが伝わるでしょうか。

『オーパ!』は『月刊プレイボーイ』取材班ともに開高健が世界各地で魚を釣り、飯を食らうエッセイですが、今読んでも古びてないと思います。)

手元になくて(というか、あるはずだけど数千冊の蔵書の中のどこにあるかわからん)

確かめられないのですが、
たぶん絶版になっている昔の中公新書のワインの本がありました。
(アマゾンに類書が2冊挙がっているのですが違う気がします)
40年くらい前の本なので、ワインについての理解は今から見ると古いのですが、
それでも若い頃のわたしの印象に残ったのは、アルゼンチンの赤の話。

筆者はアルゼンチンの赤をただの安ワインだと思っていた。

だけれどアルゼンチンに行って、その牛肉の食べ方に仰天した。
塩だけで焼いた大量のビーフを食べる。
それにはフランスのボルドーなんかではダメで、荒々しいアルゼンチンの赤しかあり得ない。ワインはその国の食文化と切り離せないのだ。

そういうことが書かれていました。



ながながと書いてきたわけは。

土曜はわたしが激しい運動をし、
日曜は妻が長時間激しい運動をします。

だから週末は動物性タンパク質を摂ることにしてます。


今日はスーパーで安売りしてたオーストラリア牛のステーキ。



で。

昨日開けたアルゼンチンの赤があったんですね。
「チャカナ」。
昨日開けたときには
「うーーん、田舎の荒々しい赤だな」
と思いました。

今日、ステーキに合わせた。

軽めの塩胡椒をしてニンニクバターで焼き、わさび醤油で食べる、
というのがわが家の定番です。

すごい!!

ステーキと合わせるとがぜん真価を発揮する。
アルゼンチンの底力を感じました。


あっという間に空いて、

そのあとは一転して、福岡は三井の寿『プリマヴェーラ・クアドリフォリオ』。
三井の寿はわたしのベスト3に入る日本酒の酒蔵です。
ここが季節ごとに出す限定版があって、イタリア語の名前がついてることが多い。
『クアドリフォリオ』は春のうす濁り酒。
クアドリフォリオは「四つ葉のクローバー」という意味です。
香り高く、さわやかだけどしっかりした味わいです。
花見に飲むと最高だと思う。
というわけで、桜の絵のグラスで飲みました。

生酒は基本的に飲まないのですが、『クアドリフォリオ』は例外的に飲む。

うまいです。
桜が待ち遠しいぜ。

2016年3月19日土曜日

飲んだり食べたり

イタリアはトスカーナ地方にブルネッロ・ディ・モンタルチーノという赤ワインがあります。
同じトスカーナのキアンティ・クラシコは多くの人が知ってると思いますが、ブルネッロはキアンティと同じサン・ジョヴェーゼという葡萄を主体にしたやや高級なワインです。

わたしの勤務先に五島瑳智子という先生がいた。
有名な方なのであらためて経歴は書きません。
とにかく偉い方でしたとだけ書いておきます。
看護学生の人間教育に心血を注ぎ続けました。

昨年8月に亡くなられたのですが、ぎりぎりまで点滴を打ちながら動き続けた。
五島先生の講義の一部をわたしが担当していて、
6月にその打ち合わせのために大学にいらした。
打ち合わせが終わったあとで雑談になってワインの話をしました。
「ブルネッロがおいしいのよね」とおっしゃった。
「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノですか。とてもおいしいですね」
とわたしが言うと、少女のようにパッと顔を輝かせて
「そう、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ。あれは好き」。

それが五島先生との最後の会話になりました。
あのとき、五島先生はもちろんワインを飲める体ではなかった。
それを思うと胸が痛みます。

亡くなったと聞いてブルネッロ・ディ・モンタルチーノを買いました。
通夜の夜に開けて飲み続けました。
そういう思い出深い赤です。



ラ・レッチャイア
ヴァスコサセッティ。
うまいっ!
普段酒に飲むほどの経済力はありません。
が、ちょっと前にたまたま2本続けてブルネッロ・ディ・モンタルチーノを飲む機会があった。

1本は誕生日祝いに自分で買いました。
「ラ・レッチャイア」。


もう1本はある卒業生からのプレゼント。
「ヴァスコサセッティ」。

「ラ・レッチャイア」がかすんでしまうおいしさでした。
ありがとうっ!



話は飛ぶのですが、
昨日、とある方がわざわざわが家に挨拶に見えて、
大阪寿司「八竹(はちく)の箱詰めをいただいた。
おいしい大阪寿司です。
「八竹」とシャトー・パラディの白
だけれどわが家には多すぎる量。
近所の姉に電話をかけていっしょに食べました。

あいにく日本酒を切らしてたので、
床下倉庫から南フランスの「シャトー・パラディ」という白を引っぱりだして開けました。
わたしは白をあまり飲みません。
だからそれほど自信はないのですが。
これはすばらしいと思いました。
独特の香りが口に広がるしっかりボディー。
瓶の説明では「アカシアのアロマ」とあります。
そもそもアカシアの香りがまったく経験がないので想像もつきません。
この独特の香りがそうなのでしょう。

酒屋の納品書が残ってたので見て仰天しました。
2000円弱。
信じられん!



で、今日は今日で同じ学部の高木廣文先生の退官記念パーティー。
この人も偉い方です。
が、わたしにとっては飲み仲間。
当人の希望で小規模で気の置けないパーティーでした。

フカヒレのスープ



海老とアスパラガスの炒め物
高輪プリンスの中華主体のコース。
海老とアスパラガスの炒め物がおいしかったな。





くつろいだ雰囲気なので、
昼間っからワインをバンバン飲んで、
赤ら顔で電車に乗りました。
締めの飛び子の炒飯
大学の教員の3月は、こういう会がけっこうあるし、
年度末で忙しい。
でも、こういう会は楽しくもある。

この何日か、飲んだり食べたり堪能しました。

2016年3月16日水曜日

『相棒』Season14終了

(ネタバレあり。注意)

最終回の『ラストケース』、可もなく不可もなし。

シーズンの最終回は右京と相棒がどうなるかという、事件とは別の興味がドラマの大きな要素になります。その点では「不可もなし」。

ただ、冠城亘が警視庁に天下りしちゃったら、これまでの我が道を行く不遜が消えて、
右京の「弟子」に成り下がってしまう一抹の危惧がありますが。
警察学校にも通うみたいだし。



殺人事件としては「可もなく」の方かな。


政府にテロリスト対策に本腰を入れさせるためにテロを起こす、という倒錯した事件です。



姉をテロで亡くして政治的な倒錯に向かっていった伴野甚一のプロセスは、理屈としてはなりたっている。伴野を演じる瀬川亮の、演技というより顔立ちそのものに一応の説得力があります。


伴野と思想を同じくする玄間農林水産大臣も、ステレオタイプではあるが、まあわかります。


だけれど、伴野に感化されて総理大臣暗殺を実行しようとする警察官金井塚(かないづか)がよくわからん。警察官の彼がどうして伴野に感化されたのかが説明不足。これではただの単純なバカではないか。

ま、単純なバカがテロを起こす、ということを描きたかったのかもしれないが。

それから最後の黒幕の副総理。

彼の位置づけが曖昧だと思いました。

彼は伴野の思想に共鳴して玄間と共謀したのか。

それとも総理を消すことで政治権力を得ることが目的で、
玄間と伴野を利用したにすぎないのか。
そこが曖昧です。

伴野の恋人役の高岡早紀の演技が、かろうじてドラマを絵空事から救っていたと思います。


「ウンベルト・エーコ追悼」で書いたことですが、
悪への錯誤の道につながるのは「悲劇としての思想」だと思います。
伴野も金井塚も、たぶん自己像が「悲劇の主人公」なのです。
玄間も少しだけその気配があると思う。
テロってつまるところ「悲劇としての思想」なんだな、と考えながら観てました。

テロは極端まで行っちゃってるのだけれど、

政治を「悲劇的ではなく」考え、語ることはとても難しい。
立場や意見が異なると、口角泡を飛ばし、まなじりを決した顔つきになりがちです。
思想内容よりも、そういう「語りの場の雰囲気」が、政治を健全に語ることを何よりも阻害します。そういう「悲劇的な」思想や語り口は、潜在的にテロリズムと同根だと思う。
「喜劇として」政治を語る力。
テロの時代だからこそそういう力を鍛えていくべきじゃないかしら。




シーズン14, 「最終回の奇蹟」 「陣川君という名の犬」がベストだった。 「右京の同級生」がそれに次ぐ。
(タイトルをクリックすると投稿に飛びますが、タイトルのフォントの色がなぜかうまく指定できず、統一できませんでした。見栄えが悪くて申し訳ありません)

冠城亘、悪くない相棒です。

シーズン15に期待してるぜ。


あ、書き忘れた。

『ラストケース』というタイトル、最初は変だと思いました。
冠城亘の「最後の事件」なら「ザ・ラストケース」じゃないか、と。
でも「最後の事件」ではなく、冠城は相棒であり続けるという結末で、
「最後の事件 The Last Case」じゃなくて「直近の事件 Last Case」でいいんだとわかりました。

これ、カタカナ表記じゃないとできない技ですよね。
「ラストケース」は和製英語だと「最後の事件」ととれなくもない。
それを逆手にとって最後に視聴者の意表を突く。
冠城亘自身もてっきり「最後の事件」だと思ってて台詞としてもそう言ってたんだけど、結果は「直近の事件」に落ち着く。

そういう二重の意味をわたしはこのタイトルに読み取ったのですが、
脚本家の方、いかがでしょうか。
それともそこまで考えてなくて定冠詞を忘れただけなんですか?
(それでも別にかまわないと思いますが)



2016年3月13日日曜日

「幸宴」と「蒼龍唐玉堂」——吉祥寺の中国料理

吉祥寺のイタリアンについてはいろいろ書いてきたので、
今日は中国料理。

店はどんどんかわります。


40年ほど前、ハモニカ横丁の近くに炒飯がやたらにうまい中華があったけれど、

もちろん今はありません。

横浜中華街の「聘珍樓(へいちんろう)」も出店してたけどなくなってしまいました。
(余談ですが、横浜中華街のでかい店では「聘珍樓」が好きです。
前菜のクラゲなんかやはり上質です。
「同じクラゲでもずいぶん違うんだな」とはじめてわかりました。)



で、最近の吉祥寺の中国料理。
「旺旺(わんわん)」と「竹爐山房(ちくろさんぼう)」については 以前に投稿したことがあるので省略します。
(「旺旺」は好きで「竹爐山房」は好みでない)


わりに新しい店ですが北口八幡近くの「幸宴(こうえん)によく行きます。

ランチしか行ってないのですが、
夜ここで飲んだくれるのはちょっと恥ずかしいな、というくらい明るく清潔な店内です。

野菜炒め。きれいでしょ。
チキンレモン(メニューの名前は
違ったと思いますが、中華定番の
「チキンレモン」に一捻りしてある)


ちょっとだけ高め。
そしてちょっとだけ工夫がこらしてある。







たとえば。
「回鍋肉(ホイコウロウ)」は、ふつう、豚のかたまり肉を茹でたあとで薄切りにして炒めます。鍋に「戻す」から「回鍋肉」なわけです。

「幸宴」の豚肉野菜炒め(だったと思う。「回鍋肉」でないことは確か)は、
豚バラ肉の薄切りを使っています。
湯通ししてないかもしれません。
そうすると回鍋肉より油がしつこそうに思えるのですが、
そこにバーーーっと山椒をふることで、しつこさを消している。
ひとひねりした回鍋肉です。


店の人が漫画好きらしくて、
わたしの知らない漫画家の色紙が壁に並べて貼ってある。
(漫画自体は置いてない。置くと清潔感なくなるという判断なんだと思います)
ときどき中華料理好きの人にまじって、
なんだか漫画オタクのようなコスプレ風ファッションの若い女の子が飯食ってるところも不思議な面白さがあります。



それから「蒼龍唐玉堂(そうりゅうとうぎょくどう)
六本木店がキアヌ・リーブスのお気に入り、
というので有名な担々麺の店です。

担々麺、創意があっておいしい。
しかし他の飯物もいい。
麺類は若い兄ちゃんが作っているんですが、
飯物、炒め物は年配の渋いおっさんが作ってる。
ここの麺類、たぶん茹で時間とか全部マニュアル化されてるんだと思います。
だけれど鍋を使う料理は、わたしも自分で作るからわかりますが、
マニュアルだけではできない。
だから腕のいいおっさんが作ってるんだと思う。
そう言えば、このおっさんも、
「旺旺」の料理人と同じように動きが優雅で騒々しくない。


豚バラ青菜炒飯
ここに来る前はたいてい激しい運動をしてるので、
坦々辛味餃子
担々麺よりむしろ、
豚バラ青菜炒飯と他に一品、
揚げ豚足とか手羽とか餃子とかを頼むことが多い。

「坦々辛味餃子」はうまい!!
水餃子です。

それから、いつも昼間っから紹興酒を飲むのですが、
ここの紹興酒はおいしい。



麺類、味はいい。
のだけれど、この店の欠点は温度管理
ぬるめの時がけっこうあります。
そこが改良されたら言うことないんだけどなーー。

左々舎(ささや)のふぐ

先日、神田末広町のふぐ料理屋「左々舎(ささや)」に行きました。
一応仕事だったのですが、
気のおけない同僚たちとの夕食(宴会)でしたので楽しく飲み食いしました。

わたしにとってふぐは高級料理ではありません。
いや、誤解なさらないように。
しょっちゅうふぐを食べることができるような裕福な人間ではありません。

故郷の福岡では家庭で食べる魚でした。
現在は知りませんが、
わたしが子供の頃は、福岡の鮮魚店の多くはふぐ調理師の免許を持っていたので、
魚屋さんでふぐを売っていました。
高級なとらふぐとかじゃなかったけれど、
家でふぐちり食べてました。
(記憶は定かではないのですが、とらふぐも今ほど高くなくて食べたような気がします)

父親が釣りに行って小さなふぐを釣ってきたのを、
皮をむいて丸ごとふぐちりにしたことが何度かありますが、
あれは何というふぐだったんだろう(もちろん毒なしです)。
濃厚な味でとてもおいしかった。
魚屋さんでも売っていた気がする(不確かですが)。


ふぐ刺し。写真撮る前に
1枚たべちまった。
大人になってから、他人の金でなんどかお高いふぐ料理屋に行ったことはあります。
みんなありがたがっているのがちょっと不思議でした。
小ふぐの丸ごと鍋の方がおいしいと思いました。

そういうわたしにとって、左々舎は懐かしい庶民的な雰囲気のふぐ屋さんでした。

最初に出てきたお吸い物の湯葉がとても上質でした。
その湯葉で「いい店だな」と思いました。
前菜も、白子も、ふぐ鍋もおいしかった。
白子

白ワインをしこたま飲みました。
ふぐ鍋

土産の白味噌はまだ食していません。
(そのままつまみにも、野菜につけてもおいしいということですが)

ここならもう一度行ってもいいな。


2016年3月11日金曜日

ゲスの極み乙女。川谷君とベッキーについて。

ベッキーとの不倫について、不倫相手のゲスの極み乙女。の川谷絵音が
「誰に謝ればいいんだ」
と発言したことへのバッシングがすごい。

そのバッシングへの疑問を書きたいと思います。



「不倫は文化だ」と発言した石田純一はバカだと思います。

いや、文化ほどのものじゃないでしょ。
文化ってのちの時代まで残るべきものを言うんだから。

別に不倫を擁護したいわけではない。

不倫はめんどくさい結果を引き起こすものだから、
まっとうな大人だったらできるだけ避けるのが分別だと思います。


だけれども。


不倫は刑事犯罪ではない。

だから刑事事件を犯した人物であるかのように糾弾するのはそもそもおかしい。

プライヴェートな騒動にすぎないでしょ、と思う。

もちろんプライヴェートには、
配偶者に対して地獄を背負って対応すべきです。

でもそれを第三者が責めることの意味がわたしにはわからない。




この件についてマスコミから個人までの反応でおかしいと思う点を述べると。

そもそもマスコミが芸能人の不倫を大事件として扱う根拠は何なんだ、と思います。

政治家の異性関係を問題にするのは社会的な意味があると思う。

だって、異国のスパイの女性と関係を持って、
うっかり国家の情報を洩らしたりしたら国益にかかわりますから。

そうすると、

芸能人の不倫をマスコミが「事件」としてとりあげる根拠はなんなのでしょう。

「家族」というものは不可侵で保持すべきもので、不倫はそれを破壊する、

というくらいしか理屈を想像できません。

しかし統計的に言って、

まず結婚という形態を取り、長い期間夫婦を維持する、
というカップルのあり方自体がもはや少数派です。マイノリティです。

離婚率は圧倒的に高いし、もっと高くなると思う。

離婚の理由はさまざまだと思うけれど、
配偶者の不倫というのは理由の少数派ではないと思う。
要するに、不倫によって夫婦関係が破綻する、というのは珍しい話ではない。
社会的事実だということです。
その事実を肯定するか否定するかはもちろん個人の思想の問題。
でも個人の思想をあたかも社会的正義であるかのように主張することはどうかと思う。

マスコミが不倫を事件として報道するならば、

不倫という事件を通して
「夫婦とか家族とかはそもそも何なんだ」
という問題提起として扱うべきだと思います。
そのかぎりで事件として報道する公的な意味はあると思う。

だけれども。

そういう発想が今回の報道には(そして今までの不倫騒動の報道にも)見られない。
「夫婦という関係を破壊する行為は悪だ」
という前提をまったく疑っていない。

川谷君の発言はそういうマスコミ報道への根源的ないらだちを表現したものだとわたしは解してます。

そもそも不倫は公的に「謝罪」すべきことなのかどうか。
(言うまでもなく、配偶者に対して私的に謝罪すべき事ではあります)
わたしは川谷君と同様に「公的な謝罪」の問題ではないと思う。


おかしな点その2。


たとえば梅沢富美男の発言なんかが代表してる

「川谷は切れてる場合か。ベッキーが仕事を失った責任を感じるべきだ」
という主張(http://news.livedoor.com/article/detail/11280294/)。

わたしはこの主張は女性蔑視の典型だと思います。


だって、ベッキーは一人前の大人として不倫というややこしい道を選択したんでしょ。

十代の少女がいけない大人の男にだまされたわけじゃない。
ベッキーの自己決定をないがしろにするひどい主張だと思う。
「男が責任を取るべきだ」って発言は、要するに「女は責任をとらなくていい」、
ことばを換えれば、
「女は自己決定できないし責任も取れないし、それでよいのだ」
と言ってることじゃないんですか。

さらに。

不倫をしたことでベッキーの仕事を干した連中もおかしいと思います。
ちゃんと考えたのか。
家族の概念が揺らいでいる、そういう事態をていねいに追ったドキュメンタリー番組なんかを作っている放送局が、何の矛盾も感じずにベッキーを「悪事をなした人間」だとみなした。

いや、スポンサーの圧力があるでしょ、という言い分もあり得る。


でもスポンサーが「圧力」であること自体への疑問はあっていいと思う。

スポンサーの経済的援助がなければもちろんマスコミはなりたたない。
だけれども。
企業が自分の利益になるためにマスコミに金を出す、という発想自体、
少なくとも国際的には証明済みではない。

情報を正しく知ることが民主主義国家の第一条件です。

それを支えるために企業は金を出す。
なぜなら企業とは、私的利益を追求すべきなんだけど、でも同時に「社会の中での企業の責任」を果たすべき責任を負っている。
「金は出すけど口は出さない」
それが民主主義国家の企業のあるべき姿ではないのでしょうか。


そういう意識を持っているスポンサーが少なすぎるし、

マスコミも
「お金を出していただいて恐縮です」
という対応しかしていない。

「報道は社会的義務なんだ。それは経済効率を考えたら不可能だ。

そこを援助するのが民主主義国家の企業というもんでしょ」
そう堂々と主張すべきだと思います。

今回の不倫報道に、わたしは日本のマスメディアの根性なしを見ました。

川谷君、よくぞ言った。
(繰り返しますが、わたしは別に不倫を肯定してるわけじゃありません)