2016年2月17日水曜日

右京の同級生——『相棒』Season14

(ネタバレあり。注意!!)

見終わって「人となり」ということばがまず思い浮かびました。
「生まれつきの性質。天性。本性。」と『スーパー大辞林』にあります。

古代ギリシア人はそういうものを「ピュシス」と呼びました。
「自然」と訳されたりもします。
しかし、ピュシスは「生まれついている」ということばと同語源のことばで、日本語の「自然」と違うところは《あらゆるものには何かに向かってゆく必然性・方向性があらかじめ定められている》という感覚ではないかと思います。

どんぐりは姿が樹と似ても似つかないけれどもやがてコナラ属の樹になっていきます。
アボカドの種はアボカドの樹になっていく。
そういう方向性を種にしてすでに定められている。
「ピュシス」は植物をイメージするとわかりやすい。



外国人労働者をめぐる事件が題材でした。
不法滞在をしてでも母国の家族のために働かなければ人たちがいる。
彼らを助けるためには法を犯すこともいとわない女医小峰律子。
彼女は小学校時代、ほんの短い期間だったけれど右京の同級生だった。

一方で、彼らに仕事を斡旋する悪辣な社団法人がある。その社員が殺害される。
小峰律子と彼女に助けられている在留外国人が、殺人事件に関係があるらしい。

犯人は「弱きを助け強きをくじく」正義を選択した人物。
小学校時代、家が貧しいがゆえに盗みの疑いをかけられた少女を疑った教師に異議を唱えた小峰律子もまた「法が弱き者を助けられないのなら正義ではない」という信念のもとに犯人と同じ立場に立つ。
犯人も小峰律子もそういう「人となり」の人間です。

悪辣な社団法人の男はその対極の「人となり」の人間。
異国との架け橋になるという美辞麗句をキャッチフレーズにしながら、
実は私利をむさぼる男です。

二種類の「ピュシス=人となり」のどうしようもないギャップがみごとに描かれていたと思います。



だけれども。
ピュシスが決定的なのでしょうか。

事件解決後の小峰律子と右京の対話がとてもいい。
正義の子だった小峰律子が転校していったとき、ただ一人見送りに来たのが右京だった。
右京は小峰律子に自分と同じピュシスを感じていた。

そういう小峰律子が「法が弱き者を助けられないのなら正義ではない」と言う。
そして右京に「でもあなたが考える正義はそれと違うのね」と言う。
右京は「ええ、違います」ときっぱりと言う。

同質のピュシスをお互いにわかっていながら、
ふたりともお互いの考え・思想の違いを躊躇なく確認しあえる。

思想はピュシス(天性・本性)ではない。
それぞれが練り上げてきた産物です。
それをギリシア人は「ノモス」と呼びました。
「文化」と理解してもいいです。
アボカドの種はアボカドの樹になるべく運命づけられているのだけれど、
どんなアボカドの樹になるのかは文化によって変わってくる。

小峰律子と右京は、それぞれ違う文化を通じて自分の「正義」の思想を築き上げてきました。
二つの正義は、右京が言うように「ええ、違います」。

逆説的で伝わるかどうかわかりませんが。
右京の「ええ、違います」にもかかわらず、
二人の友情にはまったくひびが入らない。
二人ともそのことを確信している。

その確信はどこから来るのでしょう?
同じピュシスを共有している、ということしかないと思う。

悪辣な社団法人の男とは相容れないピュシス。
たがいに違うのだけれど、ともかく「正義」を優先させなければならないというピュシス。
二人のピュシスには品格があります。
品格をたがいにわかるからこそ、思想というノモスがいくら違ったって絆は揺るがない。


友達ってそういうことなんじゃないか。
「人となり」はどうしようもない。
どうしようもないけれども、同じ「人となり」を共有していると確信しあえているかどうか、それが友達であることの根源的な意味だと思いました。


品格のない人間は友達を持つことはできない。
お金で買えないものは確実に存在します。
それは友達ですよ。


そんなピュシスとノモスの複雑な関係を考えさせられた今日の『相棒』でした。

3 件のコメント:

  1. 今日は「研究会」ってやつで非常にげんなりして、いらいらしていたのですが、
    (さしあたって一往復でキャッチボールになりませんが、)、このブログを読んで
    あれこれ考え、想像上でアゴーンの感覚が喚起され溜飲が少し下がりました。
    今度、この話題でお酒でも飲みながら議論する機会があればと思います。

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  2. >ハイタカさん。
    有意義な会議とか議論とかってなんだろうと最近よく考えてます。年をとると、もう残されてる時間が限られてるから無駄な話に時間を取られたくない、どうせ時間を取られるんなら楽しくてわくわくするような話をしたいもんだと思います。参加者が「都市の感覚」を持っていることが楽しい話の絶対条件ですが、それに加えて上で書いた「ピュシス」の共有感覚もあるんじゃないかとも思っています。ただこれを主張しちゃうとマイナス面もあるのでなかなかおおっぴらに言えません。いつかお話する機会もあるでしょう。楽しみにしております。

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    1. 返信ありがとうございました。
      昨日も、長い懐疑・・もとい、「会議」でした。
      そのうち、お会いできる機会を楽しみにしております。

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