2015年10月21日水曜日

くすんだ脚本——『相棒』Season14

(ネタバレあり。注意)

シーズン14第2話「或る相棒の死」

うーむ。
くすんだ脚本だ。パッとしない。

警察の組織腐敗を暴こうとした元警察官が殺される、という事件。
そういう事件の枠組み自体がパッとしない。


このモヤモヤ感の原因をなんとか整理すると三つかな。


一つめ。
殺人のトリック解明がない。
というか、殺人自体が脚本の中であまり重要な位置を占めていない。
だから『相棒』の肝心要の「殺人方法の謎解き」のカタルシスがない。


二つめ。
第一話「フランケンシュタインの告白」について書いたことなんだけど、
新しい相棒、冠城亘(かぶらぎわたる)がこれまでの相棒と違う新しいところは、
「未熟な弟子」ではなく「老獪なよそ者」である点。
老獪な(ということは右京と対等な)冠城がどんな風に「弟子になりさがっていく」のかが本シリーズのおもしろさの肝(きも)だと書いたのですが。

今回の冠城は老獪さが足りない。
右京に対等に対峙してない。
「弟子になるのが早すぎる」印象です。


三つめ。
紅茶と煎茶とコーヒーの詰めの甘さ。

誰が脚本を書いているかにそれほど関心はないのですが、
今回の脚本を書いた真野勝成は、シーズン12の「右京さんの友達」を見て、
おっ、やるじゃないかと思いました。

文化の産物を通じた人と人のつながりをうまく描く脚本だと思った。


今日は、
右京の紅茶、甲斐峯秋の煎茶、冠城のコーヒーという
それぞれがこだわる飲み物がどんな風に物語の展開に絡んでくるかと期待したのですが。
脇筋のエピソードで終わってしまった。

だけじゃなくて。
コーヒーの扱いに不満がある。

冠城亘は、ものすごく上質な豆にこだわっているわけではなく、
入れ方にこだわる。
わたしはコーヒーが大好きだし、
豆の質はもちろん大事だけど、入れ方が決定的だと思ってる。
(100g数千円のコーヒー豆なんてうまいんだろうが、ふつうの人が買えるしろものじゃない)

わたしは同じ豆を使ってコーヒーを入れたら、
たいがいの人に負けない自信はある。
その点で、冠城に共感します。

冠城はネルを使って、60°の湯で入れる。
わたしはネルは使わないし、60°はぬるすぎると思うのですが、
その辺は見解の相違なのでまあよいとしましょう。


しかーーーーし!!

実は、前の「右京さんの友達」でも気になっていたのですが、
右京がいつもやる、高い位置から湯を注ぐあのやり方真野勝成はこだわりすぎじゃないか。
紅茶ならまだしも、コーヒーであれをやったらとんでもなくまずいコーヒーしかできない。
冠城はそれをやってた。

コーヒーのうんちくを傾けるのがわたしの本意ではありません。



言いたいのは、
紅茶と煎茶とコーヒーという「文化」を脚本に使うのなら、
陳腐にならないレベルの使い方をしてほしいな、ということ。
今日のコーヒーはどう見ても陳腐だったぜ。


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