諫山創(いさやまはじめ)『進撃の巨人』の恐怖は
「世界の全体が見通せない恐怖」であり、
「若い人たちはこういう感覚を世界に対して持っているんだろうな」と書きました。
小学館文庫 2014 |
さっそく本屋に行って『街場の漫画論』の文庫版をパラパラめくったら、
単行本にはなかった「文庫版のための『あとがき的ボーナストラック』」で
案の定、『進撃の巨人』に触れていました!
単行本と二重買いなのですが買わないわけにはいきません。
昨日の投稿と同じようなことを書いてます。
「自分の住む世界の成り立ちについての必要な情報は欠如しているにもかかわらず断片的な情報を組み合わせてそのつどの最適解を見出さないかぎり『食われる』ということは確かであるという切迫。これが『進撃の巨人』を貫く物語の縦糸ですが、たしかにこれは現代の二〇代の若者にとっての『今の日本のありよう』そのものかもしれません。」
「与えられた断片的な素材だけからではどう推理しても全貌が知れない」
わたしの感想もあながち外れではなかったんだな、と嬉しくなります。
内田樹によると、
『進撃の巨人』の世界は今の若者から見た現代日本社会なんだ
と喝破したのは高橋源一郎のようです。
とてもよくわかる。
就活に追われる学生たちを見ていると、
彼ら彼女らが『進撃の巨人』の恐怖感を感じながら大人の社会に相対しているのがわかります。
昨日は書かなかったけれど、
巨人は企業だとも読める。
なぜだか理由もわからず自分がそれに「食われる」。
いろんな巨人がいて、人間のことばを解す巨人もいる。
「君の考えていることはとてもよくわかるよ」
と言ってくる企業ですね。
でも自分を食べてしまう。
もちろん若者たちは自分にいろいろ言い聞かせているんだとは思います。
「自分は食われるんじゃない。いきいき仕事ができるはずなんだ」とか。
恐怖感だけでは就活やってられませんから。
でも、根底では「全体像がつかめない恐怖と不安」を抱えているのだと思う。
『進撃の巨人』はその恐怖と不安をあからさまに海面浮上させてしまった。
若者に支持されるのは当然です。
この恐怖からの解放を若者たちがどのように手探りしていくのか。
内田樹も書いているが、それが日本の将来にかかわる大きな問題だと思います。
わたしは社会に対するそういう恐怖を持ち合わせませんが、
若者たちの「社会の恐怖」への対処の仕方を、大きな関心を持って見ています。
『進撃の巨人』は、若者の無意識を見事に具現化した傑作だとあらためて思います。
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