(ネタバレあり。注意)
このところパッとしなかった『相棒』ですが、今日の「待ちぼうけ」は久しぶりにコメントを書く気になりました。
25年ぶりに再会した男女の「愛の奇跡の物語」なのですが、シナリオが巧妙でお涙ちょうだいの押しつけがましさがない。
ウェディングドレスを見に行く日に
「他に好きな人がいる。君とは結婚できない」と言ったきり去って行った靴職人の男。
実は母親が保証人になって多額の借金を負ってしまい、彼女の前から姿を消した。
借金を返済して25年ぶりに会う約束をする。
あろうことかその再会前夜に殺人を犯してしまう。相手は母親に借金を負わせた男。
右京は自殺に向かう男に、
甲斐亮は、25年ぶりの再会を待つ女に会いに行きます。
二人の別行動が、男女の過去を自然に浮かび上がらせる仕組みになっている。
『相棒』は、無駄な説明がないところがいい。
右京が男のシャツを見て「お相手は裁縫をする女性ですね」と言い当てる。
凝ったシャツは、しかし25年前のものです。
それを説明しない。しないけれど、真新しいそのシャツがアップでうつされることで、
男がそのシャツを大切に保管していて25年ぶりに着た切ない思いが伝わります。
そしてやはりことばで説得する右京はいい。
今回はたっぷりとことばをつかって説得しました。
今回、甲斐亮ははじめて右京と対等になった感じがします。
右京とともに警察署の前に現れた男と、
甲斐亮に伴われた女の25年ぶりの再会。
男の出所を待つ2度目の「待ちぼうけ」を女は心から受け入れます。
二人は25年ぶりに抱き合ったりしない。
ちょっとためらって女が、自首しに向かう男のうしろから駆け寄って腕を組む仕草がとてもいい。それを後ろから撮っている。
それまでは皺の目立つ中年女だった芳本美代子が、一瞬、女子高生のように見えるすばらしいショットでした。
あとひとつだけ。
田舎の駅で男とオセロをし続けた右京。
もう人生から降りたいと叫ぶ男(犯人)に、右京は「あなたは勝負をあきらめすぎる」
と言って、男が投了 (?) したオセロの続きをやって見せて、白を圧倒的多数にする。
男は白で勝っていたわけです。
それをやってみせて右京は「奇跡が起こるかもしれないんです!」と訴える。
奇跡は起こります。
男は25年前に女のために作ったウェディング用の靴を女性に手渡すことができる。
白い靴なんです。オセロの白と靴の白!
すてきな呼応です。
もひとつ書きたくなった。
「干し芋」も効いてた。
田舎の駅の婆さんが、「これでも食べろ」と右京たちに差し出す。
入れ違いにたどり着いた伊丹刑事にも差し出す。
いかにもありがちな田舎の人情のエピソードです。
だけど最後に行きつけの小料理屋「花の里」で「干し芋」が登場する。
「お土産はないの?」と女将に問われた右京が食べかけの干し芋を差し出すのですが、
「なあにこれ。どこのスーパーでも売っているやつじゃないの」と言われてしまいます。
制作者のスタンスが干し芋によく出ていると思いました。「どこのスーパーでも売っている」ような、ありがちな人情ドラマへの皮肉と距離が干し芋で表現されているわけです。こういう小物がメロドラマになってしまうのをくいとどめている。
田舎の駅の婆さんが、「これでも食べろ」と右京たちに差し出す。
入れ違いにたどり着いた伊丹刑事にも差し出す。
いかにもありがちな田舎の人情のエピソードです。
だけど最後に行きつけの小料理屋「花の里」で「干し芋」が登場する。
「お土産はないの?」と女将に問われた右京が食べかけの干し芋を差し出すのですが、
「なあにこれ。どこのスーパーでも売っているやつじゃないの」と言われてしまいます。
制作者のスタンスが干し芋によく出ていると思いました。「どこのスーパーでも売っている」ような、ありがちな人情ドラマへの皮肉と距離が干し芋で表現されているわけです。こういう小物がメロドラマになってしまうのをくいとどめている。
『相棒』、やっぱりレベルが高い。
これに太刀打ちできるのは加賀恭一郎ものだけじゃないかと思います。
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