【ゴルテュン(現代ギリシア語ではゴルティス)はクレタ島内陸部にある古代ギリシアの遺跡です。古典期にポリスが栄え、紀元前5世紀の「ゴルテュン法典」という重要な碑文資料が出土しています。その後、ローマ時代まで都市は続きました。
わたしは大学院生時代にそこを訪れました。
バスを降りるとオリーブ畑が広がっています。人家がほとんど見えない田舎の
風景です。
小さな遺跡です。
入り口の粗末な長テーブル(屋根はありません。道ばたに置いてあるだけ)に係の若者が座っていて、入場料を払うと入り口を指さしました。地元のにいちゃん、という感じの若者でした。
見物客は私だけでした。まず、入り口付近にアギオス・ティトス教会遺跡があります。6世紀頃に建てられた教会ですが、イスラム教徒に破壊されて半壊しています。
たくさんの小鳥がその教会でさえずっていました。
地中海の夏の真っ青な空の下、壊れた天蓋から響く鳥の声。
2010/12/26 撮影。鳥はいなかった。 |
教会の奥に遺跡はあります。ローマ人がギリシア時代の建物を再利用して音楽堂を建て、その壁の一部に使われたのが「ゴルテュン法典」を刻んだ石でした。
音楽堂も崩れ果てていました。もちろん屋根は残っていません。観客席の間に壊れた女神像が無造作に転がされています。
静かな遺跡に、かすかに教会の鳥たちのさえずりが聞こえていました。
その奥の、鉄格子をはめた回廊のような場所に「ゴルテュン法典」はありました。
私は写真を撮り、本で読んだことのあるギリシア語の本物を一部だけ読みました。
2400年前の人間の営みが廃墟の中にくっきりと残っていました。
隣に比較的保存状態の良い女神像が並べられています。ギリシア彫刻をローマ時代に模刻したものだと思います(背がそれほど高くないので)。芸術の女神たちムーサイでしょうが確認していません。きれいな像でした。
入り口に戻ってバスの時間を確かめていると先ほどの若者が
「バスは1時間来ないよ」と(英語で)声をかけてきました。
「日本人か」
「そうだ」
「空手をやるか」
「イエス」(少林寺拳法だけど説明が面倒だったので)
「Are you elastic?」私が何を言いたいのかすぐにはわからなくてとまどっていると、若者は椅子から立ち上がってシャドウボクシングのように体を揺すり「Elastic, you understand?」。
ああ、体のバネがあるかと聞いてるんだ、とわかって
「Yes」と答えると若者が語り始めました。
空手の体のバネはすごい。俺は昔ベルリンのバーで体の小さな日本人がドイツ人の大男とケンカするのを見たことがある。ドイツ人の男は連れの女にその日本人がちょっかいを出したと勘違いしたんだが、すごかった。筋肉隆々の大男があっという間に床に伸びていた。強さは筋肉じゃない。体のバネと技だ。空手はそれだ。すばらしい。
「ところで空手をやってるお前が何でこの遺跡を見に来たのだ」
「私はギリシア悲劇を研究している。ソポクレス、エウリピデス・・・」
「何だって。お前はギリシア語が読めるのか」
「読める」
「嘘つけ。じゃあこれを読んでみろ」若者は遺跡のパンフレットを取り出してそこに書かれているギリシア語を指さします。
私をそれを音読しました。若者は目を丸くして
「わかった。お前は日本人なのにギリシア語が読める。えらい」(私は音読しただけですが)
若者は私に親しみを感じたようで、
「あっちにカフェがある。バスが来るまでコーヒーを飲んで待っているといい。時間が来たら俺が呼びに行く」と言ってくれました。
ちょっと気づきにくい場所にカフェはありました。
客は誰もいません。野外席にローティーンの女の子が二人、猫のように寄り添って寝転がっていました。絵のように美しい少女たちでした。テーブルのラジオからシルタキ(ギリシアの舞踊音楽)がのんきに流れています。
私に気づくと二人は恥ずかしそうに(本当に顔が赤くなっていました)あわてて立ち上がって
「何になさいますか」と尋ねます。店番を任されていたようです。
頼んだギリシアコーヒーを持ってくると、二人はまた寄り添って椅子に寝転がりました。コーヒーを飲み終わった頃、若者が私を呼びに来ました。】
昨年12月27日ゴルテュン遺跡を再訪しました(「回想のギリシア旅行その3」参照)。
閉まっていたので、受付もなく、当然のことですがあの兄ちゃんもいませんでした。
時間が限られていたのでカフェにも行けず。しかし、カフェ付近の写真は撮りました。
兄ちゃんと出会った遺跡入り口。昔は門の手前に 受付のテーブルが置いてあったと思う。2010/12/26 撮影 |
この奥にカフェがあって少女たちが 寝転がっていた。2010/12/26 撮影。 |
あの兄ちゃんや、美しかった少女たちは今どうしているのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿