2011年9月18日日曜日

回想のギリシア旅行その3(クレタ島1日目)

12月26日 クレタ島1日目
 イラクリオンの朝。郊外のカザンツァキスの墓へ。
 ニコス・カザンツァキス (1883-1957) はアンソニー・クイン主演で映画化された『その男ゾルバ』で有名なクレタ島生まれの小説家。


 『ゾルバ』は現代のクレタ島を舞台にした情念の悲劇の物語ですが、ギリシア本土と風土・気質がいささか異なる点では古代のクレタも似ています。クレタを舞台にした神話には人間の激しい情念が渦巻いています。


 クレタのミノス王の妃パシパエはなんと雄牛に恋をしてしまう。雄牛に恋い焦がれたパシパエは、当地を訪れていた匠ダイダロス(ギリシアの左甚五郎みたいな人。左甚五郎知らないか)に雌牛人形(牛形?)を作らせ、その中に入って雄牛と交わる。雄牛とパシパエのあいだに生まれたのが、半人半獣の怪物ミノタウロスでした。


 ミノス王は醜いミノタウロスを世間の目から隠すため、迷宮(ラビリントス)の奥底に閉じ込める。ミノタウロスのために毎年アテナイ(アテネ)から若者と乙女らが送られてラビリントスでミノタウロスの犠牲にされました(食べられちゃったんだと思います)。英雄テセウスは、ミノタウロスを退治すべくクレタ島に向かいます。クレタの王女アリアドネ(ミノス王とパシパエの娘)はテセウスに恋をして、迷宮から抜け出せるよう、糸玉の端をテセウスに手渡します。テセウスは迷宮の奥でミノタウロスを倒し、アリアドネが手渡してくれた糸をたどって無事迷宮を脱出する。


 困難から脱出する手がかりを「アリアドネの糸」というのはここからきています。Do As Infinity の『アリアドネの糸』の歌詞にも「出口のない永久のラビリンス(ギリシア語ではラビリントス)」というのがありますよね(知らないか)。


 さて、テセウスとアリアドネはめでたく結ばれると思いきや、本土に向かう途中に立ち寄ったナクソス島で(このあたりは神話のバージョンによっていろいろ違うんですが)アリアドネはテセウスを捨てて神ディオニュソスのもとに行ってしまうのです。
 結局、テセウスと結ばれたのはアリアドネの妹パイドラ。しかしそのパイドラも、テセウスの妃であるのに、義理の息子ヒッポリュトスに恋をしてはねつけられ、非業の自殺をしてしまいます。


 激しい神話ですね。
 こういう神話を古代ギリシア人は聞いたり演劇で見たりしていました。子供も知っていたと思います。
雄牛とセックスするお后の物語が公然と語られていいんだろうか?
と思ったあなた。


 いいんです。神話だから。


 神話じゃなかったら大変です。成城(あくまで譬えです)に住んでる、いい大学出たエリート裁判官(ミノス王)の美人の奥さんが、庭の手入れにやってきた若くてセクシーな体をした庭師(あくまで譬えです)にくらっときて、何不自由ない生活をすてて家を飛び出しちゃう。「あそこの奥様、そうらしいわよー」と成城(あくまで譬えです)の奥様方の噂の種になる。


 これは重すぎる。
 でも神話なら重くない。「むかしむかし」の話だから。


 深い意味も考えずにパシパエの物語を聞いていた子供が大人になってふと気づくときがある。ああ、性の情念の嵐が、社会的な地位だとか世間体だとかを吹っ飛ばしてしまうことってほんとにあるよねー、と。「パシパエの神話ってこのことを言ってたんだ」と。


 ギリシア神話そういう教育の役割も持っていたのだと思います。ひと昔前に『本当は恐ろしいグリム童話』という本がベストセラーになりましたが、悪いけどわたしは読んで笑ってしまいました。ギリシア神話は「本当は」ではなくて「そのまま」恐ろしいんだけどなー。


 特にクレタ島の神話は。


カザンツァキスの墓碑
 カザンツァキスはそういうクレタの風土の中で物語をつむいでいった人です。墓碑には「わたしは何も望まない。わたしは何も恐れない。わたしは自由だ」と刻んであります。


ユクタス山を望む。Upするとゼウスの横顔が。
 カザンツァキスの墓から遠くにユクタス山が見える。山稜がゼウスの横顔に見えます。






 クレタ島は現在でも本土と違う土地のようです。本土のガイド、アンナはクレタ島には来なかった。というより、来られなかった。本人いわく「わたしたちはクレタ島では仕事をすることができない。本土の人間はクレタに手出しできない。それくらいクレタは別世界なのよ」。




 イラクリオンを出て予定外のゴルテュンへ。
 「ゴルテュン法典」というギリシア法制史で重要な碑文が残っている場所です。遺跡は当日閉まっていましたが、K先生はそれを承知でバスを乗りつけました。
ゴルテュン遺跡入り口にあるアギオス・ティトス教会

遺跡に咲くアネモネ

建物の壁にゴルテュン法典の碑文がある
「こっちに行くと金網越しに遺跡が見られるんですよ。みんな来て」
と言いながら、平気な顔で金網伝いにずんずん奥に進んでいく。
足場になるコンクリートの壁は幅10cmほど。下の川までは2m以上ある。
K先生、70代です。信じられない。
そんなわけで、ゴルテュンの写真は金網越しのものです。


ゴルテュンは20年以上前に訪れたときの強烈な思い出があります。それについては長くなるので投稿「ゴルテュン再訪」を参照してください。




 ゴルテュンのあとは、クレタ島のガイドのリナの別荘を訪問。ヴォリという小さな村。リナは地方名家のお嬢様なのです。由緒あるすてきな別荘でした。
別荘中庭
 東洋人の若い女性に惹かれたのか、道を隔てた家のベランダから村の男がずーっとこちらを見ていました。そのときは「暇だなー」と思っただけでしたが、ひょっとしたら財政危機の影響で失業中だったのかもしれません。
庭に果樹園がある

中庭に面したバルコニー



















クリスマスのケーキと、果樹園でもいだばかりの
オレンジジュースを中庭でいただく。













フェストスの遺跡





ヴォリから、ギリシア以前のミノア文明の大遺跡フェストスへ。 さらにクレタ島を縦断して南海岸のマタラへ。「リビア海を見る」ためだけに来たようなもので短時間だったが楽しかった。
夕刻、イラクリオンに戻る。
マタラの海岸。崖の穴は
ローマ時代の住居跡

























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