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2014年6月2日月曜日

大阪が好きになったとき

わたしは九州福岡の出身。
東京在住で東京が大好きです。
東京って「都市」だから。

都市は見知らぬものどおしが集まる場所だから、
そこで「俺はどこどこ出身だからこういう流儀なんだ!」
みたいなことは通用しない。

それぞれが相手の流儀を想像し、妥協し、気をつかいながら
みんなで共有できるものを探そうとする。
それが「都市」というものです。

わたしは東京ではつとめて博多弁を使わない。都市の礼儀だからです。
だから東京で関西弁を押し通す人は嫌いです。
そして関西人はそういう傾向が強いと思っていました。


うん、はっきり言うと。

関西人、苦手なんです。


「都市」じゃないから。
京都とか大阪の人って「東京は」と馬鹿にする。

でも東京の人って「京都や大阪は」と馬鹿にしない。
だってそもそも自分が「東京」だって思ってないから。
(浅草とか例外はあると思います。でもそれは東京の中では少数派。そしてそういう根っからの「東京人」は基本的にシャイで、あまり東京ローカルを主張しないおくゆかしさがあります)

だから京都や大阪の人から「東京は」と馬鹿にされたってまったくピンとこない。
その馬鹿に仕方自体がピンとこない。
「都市」というのはそもそも「いろんな種類の田舎者」が集住してる場所だから。
根無し草の人間たちがかりそめの共同性をなんとか工夫して作り出そうとする場所。
わたしはそういう意味での「都市」が好きなのです。
田舎は息苦しくてやさしくない。
自分と同じ価値観を持つ人間にだけやさしい(「排他的」というのはそういう事態を指すことばです)。


京都在住の井上章一は、社会学で鍛え上げてるから、さすがに根性の入り方が違う。
毎日新聞で京都の魅力を伝えるシリーズがあるのですが、
井上章一は、今のところただ一人、
「京都は中華思想の排他的なところです」
と切って捨てている。

わたしから見たら京都は「都市」ではない。
「田舎」の魅力はあると思うけど。



で、大阪なんですが。
京都と同じような印象を持っていました。
なんか「大阪はなあ」みたいなことをうっとうしく言ってくる印象。
芸人が誇張する「大阪」のイメージに影響されてたのは事実だと思います。



昔、わたしが所属する西洋古典学会が大阪で開かれて、
大阪出身の先生が十三(じゅうそう)の飲み屋に連れて行ってくれました。


大学院生なんかを引き連れて総勢20名くらい。


安っぽいテーブルを丸椅子で囲んで、出てきたそばから勘定をすませるシステム。
楽しくておいしい。

そこで連れて行った大学院生が粗相(そそう)をした。
隣のテーブルにいたお客さんを、あろうことか店員と間違えて注文をした。

そのお客さん、矢沢永吉に似た雰囲気のあんちゃん。
わたしの席に近かった。

しばらくわたしたちの会話に耳を傾けていたらしい。
わたしに話しかけてきた。

「あんたたち、学会? どういう学会?」

わたしは「ええっと、西洋古典学会っていうんですけど」

そのあんちゃん、
「そうなんや。実はおれも学会なんや。
教育学会」と言いました。

わたしははっとして
「すみません、若いもんの教育が足りなくて失礼しました」
と答えた。

あんちゃんニッコリ笑って「わかったらええんや」と言いました。



なんてすばらしいレトリック(説得術)なんだと思いました。
「教育学会」!!!
角を立たせることなく、さりげなくこちらを諭すやさしさ!!


失礼ではないと思うのですが、そのあんちゃん、大学出とは思えなかった。
そんなあんちゃんが大学出の人間たちに大学出以上の知恵に満ちたことばで諭してくる。

ああ、大阪のことばの豊かさってこれなんだ。
芸人の笑いなんかからじゃわからない豊かさがあるんだ。


大阪、いっぺんで好きになりました。
「都市」なんだ、と思いました。










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