洋服屋さん、がんばれ!!
心からそう思ってます。
コロナウィルス禍で大変だと思う。
でも、店に行って店員さんと話をして服を買う。
そのことの豊かさは絶対になくしてはならない文化だと思う。
3.11大震災の直後の服屋の消沈はただごとではありませんでした。
意味不明の「自粛」ムードのなか、客の姿がない。
わたしは今こそ服を買うべきだと思って、何十万も借金して服を買いました。
自分が好きな服がなくなってほしくない。
その一心でした。
服とか音楽とか絵とか演劇とか。
そういう「役に立たない」と思われているものこそが実は人間の「元気」を支えてる。
わたしが好きな店のひとつ「キャサリン・ハムネット」のベテランの店員さんは
「もうわたしたちの仕事の先はないですよ。今の若い人たち、ネットで買って気に入らないとすぐ返品してってやりますからね」と嘆いていました。
その店員さん、売るためだけではない心意気を持っていました。
「今シーズンは歩きのオスさんに勧められるものないんですよ」
なんて平気で言ってくれた。
でもわたしに売りたいと思うものがあると奥から出してきて熱っぽく勧めてくれた。
あるいは。
今ではもう少なくなってしまいましたが、
昔はデパートの洋服店にはかならずベテランのおばさんの店員さんがいて、的確なアドバイスをしてくれました。そういうおばさんのアドバイスはあとから振り返るとかならず正しかった。
そういう人たちが服という文化をきっちりとささえてたんですね。
わたしはプロフィール写真を見ておわかりのように、たいしたファッションセンスは持っていない。
でも、上に書いた店員さんたちのおかげで服の文化の奥深さを教えられました。
モノクロの服で「決める」こと、それは絶対にしない。
だって誰だって決まるから。
色を使うことは難しいのだけれど、そこにこそ服の醍醐味がある。
デートにモノクロの服で行くなよ。
大学で教える身として授業時間は「夢の時間」でなければならないと思っています。
もちろん教える内容自体が夢でなければなりませんが、
学生を夢の時間に誘い込むための方策として服は大事だと思っています。
(もちろん、服装に頓着しないタイプの先生の魅力があることはわかっています。みんながみんな服にこだわる必要はない)
だから同じ授業で同じ服の組み合わせは絶対にしない。
毎朝服の写真を撮ってそれを避けるようにしてきました。
悲しいことに定年退職の身だから、3.11直後みたいに借金して服を買うことはできません。
しかし、服の文化を支えてる(一部の)店員さんたちのすごさには頭が下がります。
例えば。
「トゥモローランド」の概してシャイな店員さんたち。
彼らはものすごい知識と見識を持っていました。
自分の美意識にかなった商品があると全力で(でもシャイに)わたしを説得してくる。
その一例は「重い服の意味」で書きました。
元気だろうか。
わたしは気軽に店に行くわけに行かないけど、
彼らがしっかり儲けてくれることを心から願ってます。
若い人たち。
恥ずかしかったり、めんどくさかったり感じるでしょうけど、
売ることだけ考えているんじゃない優れた店員さんたち(ほんとうにいるんですよ)と話をすると、ネットで見る無難なコーディネートなんかとは違う広い世界が広がってきますよ。
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