2016年6月6日月曜日

ムハマド・アリ追悼

ムハマド・アリが亡くなりました。


追悼は死亡記事とは違う。
故人が残した記憶を、あらためて自分の体とことばで確認して、
故人を死者の国に送り届ける手向けの花とするのが追悼だと思う。

だから追悼は故人の履歴情報ではない(履歴情報が追悼に含まれることはありますが)。そして、自分の記憶にしっかり刻まれていない人について追悼文を書くべきではない。

ムハマド・アリはわたしの記憶にしっかりと刻み込まれている人です。
その記憶を書きます。



アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と評された華麗な動きが、誰の目にも衰えて見え始めた頃、ジョージ・フォアマンが登場しました。

フォアマンの強さはアリのそれとまったく違うものです。
超弩級のパワー。
相手のステップやジャブやダッキングを「こざかしい」とでも言うように、
文字通り拳を打ちつける。フォアマンのパンチはガードした腕をものともせずに強烈なダメージを与える。
アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ボクシングが「文化」だとすれば、
フォアマンのボクシングは「野性」。

フォアマンの野性をわたしたち日本人に(そしておそらく世界に)印象づけたのは、
1973年、東京で行われたホセ・ローマンとの統一世界ヘビー級王座防衛戦でした。

わたしはローマンのことを知らなかったけれど、しっかりした体とそこそこしなやかな動きをするボクサーだということはゴングが鳴って動き始めた彼を見てすぐわかりました。

しかし、フォアマンの最初の打撃を受けたローマンは、恐怖の表情を浮かべた。
自分が積み上げてきたテクニックの何ひとつとしてこのパンチには通用しないことを悟った恐怖。
誰の目にもローマンがすくむのがわかった(と思う)。
脅える獲物を襲う肉食獣のようにフォアマンは強打を繰り出し、わずか1ラウンドでローマンはノックアウトされました。
観客を呆然とさせるような勝利。想像を超えるパワーというものがこの世に存在するのだ、ということをフォアマンは知らしめました。


なんとそのフォアマンに、全盛期を過ぎたと思われるアリが挑戦する。
わたしは(そしてたぶん多くの人も)、あの華麗なボクシングをするアリが、
ローマンと同じように恐怖の表情を浮かべてリングに崩れ落ちる姿を想像しました。

翌1974年、キンシャサで行われたタイトルマッチの中継は昼間だったと思います。
テレビがある大学の学生ラウンジは詰めかけた学生の緊張と熱気に包まれていました。

第1ラウンドのゴングが鳴るやいなや、猛然とラッシュしてあの恐るべきパンチをふるうフォアマン。
ロープを背にガードを堅めるアリの体がフォアマンのパンチで揺れ動きます。
わたしたちは悲鳴に似た嘆声を上げたと記憶しています。
ラウンド終了近くになるとアリは一転、反撃して連打を繰り出す。
わたしたちは歓声を上げましたが、同時に、それが蟷螂の斧であるかのような危うさも感じていました。

第2ラウンド以降もほぼ同じ展開。

そして呆然とした表情でリングに崩れ落ちたのはフォアマンの方でした。
「信じられない!」「すごい!」
学生ラウンジは興奮のるつぼ。
のちに「キンシャサの奇蹟」と呼ばれるノックアウト勝ちです。


あの瞬間、わたしたち学生に共有された感動はなんだったのだろう。
ふり返ると「文化」が「野性」に勝利する感動ではなかったのかと思います。
そしてアリはわたしが想像していた以上に「文化」の人でした。

『自伝』を読むと、わたしたちの予想とは逆にアリが最初から勝利を確信していたことがわかります。

フォアマンは桁外れに強い。だけれども桁外れに強いがゆえにフォアマンは強烈な打撃を受けた経験がない。打撃を受けたときの衝撃と恐怖はなみなみならぬもので、ふつうの人間なら耐えられない。しかし何度もそういう体験をしている自分にとっては未知の恐怖ではない。フォアマンにとって打撃を受けることは未知との遭遇であるはずだ。だから自分の一撃を受けた瞬間、フォアマンは恐怖を感じるはずだ。

アリはそのように考えてあの試合に臨みました。自分のパンチを受けたフォアマンが恐怖に呆然とするのを感じた、とアリは書いています。

でも知恵と技術だけでは勝てない。この桁外れのパンチに耐えられるはずだ、とロープを背にしながら、自分の技術を信じ続ける勇気。それをアリは持っていました。

「知恵と勇気」が野性に勝った。
「文化」って想像以上に強い。でも想像以上の強さを文化が持つためには「勇気」も必要。アリはそのことを身をもって教えてくれました。
(ボクサーとしてはアリ以上のシュガー・レイ・レナードもまた「文化と勇気の人」です。
でもレナードは、思想の発信者・語り手としてのアリには及びもつきません)


あのタイトルマッチは、わたしが文化の力を確信した瞬間だったのだと思います。
学生のわたしは文化を学ぶこと、そして文化として武道の鍛錬をすることに力を注ごうと決意しました。

学者のはしくれとして生きている今のわたしの原点のひとつが「キンシャサの奇蹟」だった気がします。


ムハマド・アリ、ほんとうにありがとう。

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