旅程二日目に入る前に、アテネのホテル「アレトゥーサ」の重要な補足情報を。
便利で親切なホテルですがひとつだけ困った点があって、
わたしと妻はここで南京虫(なんきんむし)にやられました。
強い虫刺されの塗り薬を持参していたので、旅行中は手首から二の腕のあたりがちょっとかゆいなくらいだったのですが、帰路の機中くらいから肩まで広がりました。帰国後妻が受診した皮膚科の先生は一目見て「あ、南京虫ですね。トコジラミですよ」と言いました。念のため、家にバルサンを焚かなくてはなりません。とんだ災難です。
わたしと妻はここで南京虫(なんきんむし)にやられました。
強い虫刺されの塗り薬を持参していたので、旅行中は手首から二の腕のあたりがちょっとかゆいなくらいだったのですが、帰路の機中くらいから肩まで広がりました。帰国後妻が受診した皮膚科の先生は一目見て「あ、南京虫ですね。トコジラミですよ」と言いました。念のため、家にバルサンを焚かなくてはなりません。とんだ災難です。
途中でデルポイに一泊し、最後に「アレトゥーサ」にまた1泊したのですが、
今考えると、最初に泊まった部屋が怪しい。2番目の部屋はとても清潔でした。
部屋にもよるのでしょうが、次回は近い場所の別のホテルにするかな。
二日目はエギナ島(アイギナ島)へ。
なお、このように固有名詞のうしろに似た音の( )がついている場合は( )内が古代ギリシア語です。
8月17日 エギナ島 → アテネ(アクロポリス美術館)
朝、地下鉄でアテネの外港ピレウスへ。
ずらっとならんだ切符販売店(屋台から立派なオフィスまである)のどれでどういう船の切符を買えばいいのかわからないので、とりあえず、立派なオフィスに入って
「エギナ島に行きたいのだが」
と言い終わらないうちに
「何時?」。
(ちなみにわたしは現代ギリシア語はたいしてできないので英語です。だいたい英語が通じますが、バスの運転手とかキオスクの店員とか人によっては通じない場合があります)
行きはふつうのフェリー、帰りは高速のホバークラフトに乗ることにしました。
行きはふつうのフェリー、帰りは高速のホバークラフトに乗ることにしました。
フェリーは大型の「アルテミス号」。
K先生のツアーでは小さ目の船だったのでやや高価な選択だったかなと思ったのですが。
この日は雲一つない晴天でしたが海が荒れていて、高いデッキまで波しぶきが飛んできます。小型の船ではもちろんデッキには出られなかったでしょうし、揺れが尋常ではなかったろうと思います。
旅をすると、相手に対することばを超える想像力に出会うことがしばしばあります。
たとえば、
デッキから近づくエギナ島の写真を撮ろうとすると、
ギリシア人の家族連れがさりげなく身を引いて画面から消えてくれる。
こちらもニッコリ微笑んで礼を返す。
そういう阿吽の呼吸の身体感覚、というのでしょうか。
どこの国にも多かれ少なかれあるものなのでしょうが、
地中海、特にギリシアでは特にそれを強く感じます。
ことばを連ねてしゃべり立てる文化である一方で、ことばを超える社交の身体感覚も発達している。旅人も少しずつその感覚を身につけていかなくては失礼だな、と思いました。
まあ、身体感覚を鋭敏にしておくことは旅の基本かも知れませんが。
ピレウスから1時間ほどで港のあるエギナ・タウンに到着。
ザバザバ波が洗う船着き場をおっとっとっという感じで(古いか)すり抜け、
旅行案内書と昔の記憶を頼りにバス停に。
とりあえず「ナオス・ティス・アフェアス(アフェア神殿)」と確認して切符を買い時間を尋ねると、切符売りのおばちゃんは「白いバス。すぐ来る」とだけ。
売り場の横に一応時刻表があり、それによると40分以上時間がある。
ほんとうに「すぐ来る」のだろうか、と不安に思っていたら、
なぜか通りがかったおじさんが「ここにすぐ来る」と言って立ち去っていく。
5分ほどでほんとに来た。うーむ、時刻表はどうなってるんだ。
狭い山道をバスは猛スピードで走る。
両脇はきれいに塗装されたこぢんまりした家とピスタチオ畑(エギナ島はピスタチオで有名です)。ピスタチオの実が赤く色づいている。
途中に聖ネクタリオス修道院というとても美しい修道院があって、そこで降りる観光客も多い。かわいそうに、中学生くらいの男の子が降りるときに戻していた。何しろ激しい運転だったから。(なのでわたしも車窓の景色を撮る余裕などありませんでした)
アフェア神殿(アパイア神殿)は、前5世紀初頭に建設されたアルカイック後期神殿の傑作です。アテネの現存するパルテノン神殿より古く、割によく保存されています。
アフェア神殿(アパイア神殿)は、前5世紀初頭に建設されたアルカイック後期神殿の傑作です。アテネの現存するパルテノン神殿より古く、割によく保存されています。
わたしが訪問するのは3度目。前の2回は年末~年始の冬でした。
冬空を背景に柔らかく輝く石柱はそれはそれはエレガントで、わたしの大好きな神殿なのですが、
初めて見る夏のアフェア神殿は圧巻でした!
空と柱の強烈なコントラストをまわりの黄緑がかった松の葉が絶妙に和らげる。
小さいけれど松に囲まれたいい博物館です。
神殿のペディメントの装飾の一部などが展示されています。
じっくり見ても10分足らずで見終われる。(ちなみにトイレはこの美術館の奥にあります)
神殿のペディメントの装飾の一部などが展示されています。
東ペディメントの射手 |
西ペディメント 中央の女神アテナ |
博物館に行ったおかげで、今までと違うアングルから神殿を見ることができました。
西側から遠目に見上げる感じで見るアフェア神殿もまた美しい。
「違う。アギア・マリーナだ」。
「じゃ、もどってくるのか」
「そうだ」。
アギア・マリーナは遺跡のすぐ先にあります。
でもなかなか戻ってこない。
まあ、アテネと違って空気がさわやかだし、
バス停は松の緑に囲まれ、美しい海も遠くに見える。
つらい待ち時間ではなかったのですが、
それにしてもバスが戻ってきたのは50分後。
運転手は軽食とお茶を楽しんできたのではないだろうか。
教訓。
エギナ島のバス時刻表は無意味である。
(10分や20分のバスの遅れはギリシアではざらですが、エギナ島の場合は「遅れ」なのかどうかもわからない)
しかしなんとかなる。
しかしなんとかなる。
エギナ島見学はそれを考慮に入れて計画した方がいいです。特にアテネに帰る船は、余裕のある時間の便をとっておかないと間に合わないかもしれません。
海辺に沿ったカザンツァキ通りの「エコノムー」という店に入りました。
バス停や船着き場から来ると「アルファバンク」の2,3軒先です。
サラダ、タコ、ツィプラという鯛。
飲み物はギリシアの地酒レッツィーナ。
タコは期待していたオリーブオイルで揚げたやつじゃなくて塩焼き。
(ギリシアではタコを岸壁にバンバンたたきつけて柔らかにします。くたくたになったタコがシーフードレストランの店先につり下げられてたりします。)
鯛も塩焼きでした。
店の看板をふと見ると「エスティアトリオン」とあります。「エスティア」はたぶん古代ギリシア語の「ヘスティア」(かまど)。ここは「焼き物屋」なんだと気づきました。だから揚げ物が少ない。料理はどれもふつうにおいしかった。
白ワインに松ヤニを加えたもので、独特の臭みがあります。たいてい自家製のものなのですが、この店のは今まで飲んだ中でいちばん上品。
松ヤニが強くなく柔らかな味。荒々しいレッツィーナにもそれなりの魅力がありますが、海辺を見ながら飲むこのレッツィーナの優雅さは初めての経験。
レッツィーナ初体験の妻も娘もたいへん気に入ったようです。
帰りの高速艇は、風が強いこともあってほとんどジェットコースター状態。
約45分でピレウス港に帰り着きました。
アクロポリス美術館は夜8時まで開いているので(入場は7時まで)まだ十分時間があります。地下鉄でアクロポリ駅まで行き、降りるとすぐそば。
昨日見たパルテノン神殿の東西ペディメントの彫刻と列柱上のフリーズの多くは現在、大英博物館にあります。ギリシアはその返還を要求していて、返還後にそれを展示するために建設されたのがこの(新)アクロポリス美術館です。
だからデザインも気合いが入っている。トイレも立派です。
最上階がパルテノン神殿と同じ向き・大きさの展示になっていて、ちょうどパルテノン神殿の最上部をぐるりとまわりながら見物するような仕掛けになっています。
2010年末に訪れたときは、大英博物館に「持ち去られた」部分が濃いグレーのプラスチックで再現されていて、「イギリスよ、早く返せ」という露骨なメッセージになっていたのですが、今回はやりすぎだと思ったのでしょうか、より目立たない淡い色のレプリカに変えられていました。
でもこの美術館の現時点での目玉は、同じアクロポリスにあるエレクテイオンのカリアティデス像でしょう。
あの有名な、屋根を頭で支えている女神たちの柱です。
この像、背後がすごい。髪や、屋根の重みに耐えているかのように、わずかに湾曲した背中の曲線など。
ネットの日本人旅行者のアテネ料理店人気No.1だそうです。
わたしもK先生のツアーで来たことがあります。
サラダ、タラモサラダ、キャベツのドルマデス、ムサカ。
タラモサラダは、マッシュポテトとタラコをオリーブオイルとレモンであえた前菜で、パンに塗って食べます。ここのはタマネギを効かせてあってとてもおいしいと思いました。
ムサカは悪くないのですが、妻と娘はわたしが作るムサカの方がおいしいと言いました。
わたしもそう思います。
しかし、わたしの腕がすごいのではなくて、わたしが再現しようとしているクレタ島イラクリオンのムサカがすごいのです(「ムサカの作り方」「ムサカ・コクふわバージョン」参照)。
20数年たった今でも思い出せる味です。
(残念なことに場所も店の名前も忘れてしまいました。ネットで探すと、ダスカロヤニ広場 Plateia Daskalogiani のイカロスIkaros が記憶の場所に近い気がするのですが。どなたか「あの店のことか?」と心当たりがあればお知らせ下さい)
ベシャメルソースの量と存在感が違う。クレタ流なんでしょうか?
アテネのムサカはベシャメルソースの存在感が薄い気がします。
とはいえ、ミートソースにオリーブオイルを使わないというわたしのやり方が正しいことは確認できました。「ビザンティーノ」もたぶん使っていません。
レッツィーナは松ヤニが強いいかにも地酒という感じのもの。
娘は「美大時代のテレピン油のにおいを思い出してだめだ」と拒絶。
まあ、エギナ島と「ビザンティーノ」でレッツィーナの両極端を一日のうちに知ることができたのはいい文化体験なんじゃないかな。
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