2014年1月6日月曜日

日本のバロック——古屋兎丸論 その1


1 楳図かずおと古屋兎丸


(一部ネタバレあり)

けっこう漫画を読んでいた。
今は熱心な読者ではないが、それでも気になる漫画は読みます。

実は学者になってしまったので人にあまり言わないんですが、 
高校生までマンガ家になろうと本気で思っていました。 
中学校の時には仲間と3人で同人誌も作っていました。

「スキャパとスカーフ」では「海賊になろうと思っていた」と書いたのですが、
正確に言うと「本気で海賊か漫画家になろうと思っていた」。
「海賊」と「漫画家」の関連がまったく意味不明なのですが、
ま、若者は笑っちゃうくらい筋が通らないものなので、過去の自分に今さら突っ込みを入れてもしょうがない。



若いときの神様は石森章太郎(石ノ森に改名する前)。
『マンガ家入門』『続マンガ家入門』はボロボロになるまで読みました。 

『サイボーグ009』(地下帝国ヨミ編まで)は、ふり返るとわたしの世界観に大きな影響を与えたように思います。ギリシア神話の世界に引き込まれたのはこの影響もある。 

自分よりはるかに性能の良いサイボーグ、アポロンに苦戦して 
「これで終わりか? あとは何を持っている?」 
と問われた009が答える 
「あとは・・・勇気だけだ」 
のセリフは今でもわたしの金言。 



001から009までのサイボーグとギルモア博士の共同体は、わたしの共同体の理念形のひとつです。 

国籍・人種・価値観が違うメンバーの連帯。 

サイボーグたちは連帯の証としてたがいにナンバーで呼びあっているけれど、ときに本名が出てくる。その不意の感情の噴出がせつない。 
「地下帝国ヨミ編」で
ニヒルな殺人兵器サイボーグ004が、ヘレンの最後の願いに応えて本名を明かすとき(「アルベルト・ハインリヒ!」)。

あるいは、宇宙で宿敵ブラックゴーストを破壊したが、助けに来た002(「ジェット」。仲間のなかでただ一人空が飛べる)の燃料がつきてしまい、二人が抱き合って成層圏を落下していく「ヨミ編」のラストシーン。 

「ジョー(009の本名)、君はどこに落ちたい?」
というジェットのセリフとともに二人は流星になって燃えつきていきます。 


『幽霊船』『きりとばらとほしと』がいちばん好きです。宮崎駿で『ラピュタ』がいちばん好きなのは、『幽霊船』と似ているからかもしれない。叙情性とはかなさが基調音。 




しかし冷静にふり返ると、石森章太郎は「巨大な才能」ではないと思います。 
絵も、エロチックな描線は他の追随を許しませんが、井上雅彦ほどの超絶な技術はない。 

昔読んでいた漫画家では、好き嫌いを別にして、
絵と作品世界の両面で「巨大な才能」だと思うのは楳図かずお。 
大げさに言うと、足がすくむほどの才能だと思います。 

最初はそれほどすごくなかった(と思う)。 
小学校の時、雑誌で『猫目の少女』を読んだときは夜眠れませんでしたが。 

教室でも
「お前知っとうや? 楳図かずお。えずかー(博多弁で「恐い」の意)」 
と大評判でした。 


『赤んぼ少女』『鬼姫』あたりから単なるホラーを超えて人間の闇に迫りだした。 
絵も書き込みが濃密になった。 

『漂流教室』
『イアラ』『漂流教室』『わたしは真吾』になると、 スティーヴン・キングに匹敵する、人間の闇を描く大作家になった。 
吉祥寺で赤白ボーダーシャツ姿の楳図かずお大先生をよく見かけたのだが、最近見かけない。お元気なんだろうか。心配です。 



ここからは 、
もはやかつての熱烈な漫画ファンとしてではなく、
ひとりの人文学者として「通りすがりの目」で見た近頃のマンガの話です。 


尾田栄一郎や井上雅彦はすぐれた才能だと思うし、好きなのだが、足がすくむほどではない。 100年単位のスパンで見たときに意味を保ち得る作家ではないのかもしれないと思います。 

そんななかで、わたしの「通りすがりの目」を釘づけにした作家がいます。 

古屋兎丸(ふるやうさまる)。 

『Marieの奏でる音楽』
全2巻
『Marie(まりー)の奏でる音楽』(単行本2001年)を最初に読みました。 
アニメ版ではなく、漫画版の宮崎駿『風の谷のナウシカ』に共通する、美しく悲しい文明論になっていますが、より神学的な物語。おすすめ。



『幻覚ピカソ』
超おすすめは『幻覚ピカソ』(単行本全3巻完結 2011年) 。
死者を弔うことが生きる者の力になることを、これほど見事に描いた作品は希だと思います。(残念なことに絶版。信じられません)
最後のエピソードを読んだあと、わたしは1時間涙が止まりませんでした。 3.11大震災の被災者が読んだら3日止まらないと思う(震災の話はでてきません。震災を描く長編が別にありますが)。 

そして『ライチ光クラブ』(単行本2006年)。 
多くの残虐シーンがあるので、これは誰にでもはお勧めできない。
激しい作品です。


多面的な作家なんですね。 
美大卒にふさわしい(当人は美大時代を悪夢のように語っていますが) しっかりした画力を、作品ごとにさまざまに使い分けます。 

そしてインタビューなどから察するに、的確な自己批評力を持っている。 「巨大な才能」に共通する能力だと思います。 


わたしは『ライチ光クラブ』を読んで、
「古屋兎丸は楳図かずおを継ぐ人だ」 
と確信しました。 

人間の闇と、その闇が持つ美しさを徹底的に描く戦慄の作品です。

おそらく古屋作品のうちでもっともコアなファンを惹きつけている作品だと思います。
二次創作やコスプレもけっこう盛んなようです。

しかし、これからわたしは、一古屋兎丸「ファン」としてではなく、より大きな視点から『ライチ光クラブ』を読んでみるつもりです。

わたしの見るところ、
楳図かずおと古屋兎丸は、ともに現代日本の「バロック的な精神」を代表する表現者です。

「日本のバロック」とでも呼ぶべき表現のひとつとして『ライチ光クラブ』を読む。
それが「より大きな視点」です。

そういう読み方にはふたつの利点があるんじゃないかと思う。
ひとつは単純な話で、コアなファンとはまた別の『ライチ光クラブ』像が見えてくる。
より多くの人に古屋兎丸へのアクセスの仕方を提供できる。

もうひとつは、
「日本のバロック」としてこの作品を読むことで、
現代の日本が(特に若者が)抱えている大きな問題が見えてくる。
それをうまく言えたらいいな、と思ってます。


が、その前に、当然のことですが
「バロックとは何か」
を説明しなければなりません。




2 バロックとは何か


バロックについては、いつかきちんと書くつもりなのですが、
今は楳図かずおと古屋兎丸につながる「バロック」の話をわたしなりにしてみます。
近代ヨーロッパ文化史の専門家が読んだらのけぞってしまう乱暴さで。


文化様式としての「バロック」は、もともと完全な球体ではない「ゆがんだ真珠」を意味することばに由来すると言われています。
(真珠の業界では今でも「バロック」ということばがもともとの意味で使われています)

「バロック」は、16世紀末~17世紀初頭のイタリアにはじまって、その後ヨーロッパに広がっていった美術・文化の様式を指すものになっていきます。乱暴に言うと、ルネサンスのあとですね(あいだにマニエリスムが入るんですけどめんどくさいので)。 

文化様式としての「バロック」ということばを確立したのは19世紀の文化史家、ヤーコプ・ブルクハルト。 バロックの芸術家たち自身は、自分たちの表現を「バロック」ということばでくくっていなかった(らしい)。

つまり、あとの時代になってふり返って発見された文化潮流だということです。
この点で先行する「ルネサンス」とはちょっと違います。

だからだと思うんですが、
「バロックとは何か」について、
いろんな人がいろんなことを言っています。
たーくさんの本が書かれています。まさに汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)

いろんな人がいろんなことを言っているんですが、
おおまかにふたつにまとめられると思います。

ひとつ目は。
バロックは先行するルネサンスと対比されることが多い。
そういう場合、
ルネサンスは「均衡」と「調和」、バロックは「不均衡」と「動き」
が特徴だとされます。

(「難しそうだ」と思ったあなた、あとで具体例を挙げます。
ぜんぜん難しくない、わかりやすい違いなんですよ)

(もひとつ脇道。ルネサンス人が再興しようとした「古代ギリシア文化」が、ほんとに「均衡」「調和」の文化なのか、わたしは疑問を持っています。わたしは古代ギリシア文化にも「バロック的なもの」があったと考えてるんですが、別の機会にまわします)


ふたつ目は。
バロックを語るのに二つの立場がある。

「これがバロックの潮流であり様式だ」と厳密に言い当てようとする立場と、
「バロックは後の時代まで影響を与え続けた(そして今も与え続けている)文化のある大きな傾向である」とする立場。

前者は、
バロックを歴史に限定された文化現象としてみる立場(当然、美術史家はその傾向が強い)、
後者は、
「バロック的な精神」というより大きな視点から人間の文化を見ようとする立場、
と言い換えてもいいでしょう。

どっちがいいという話ではありません。
とりあえず「バロック」を見るのに大きく分けてふたつの立場がある。

わたしはあとの立場に近い。
「バロック」ということばを「バロック的精神」「バロック的なもの」くらいの感じで使います。 (以後、ややこしいのでそれを単に「バロック」とだけ書くことが多いと思います)




乱暴な整理が終わったので、やっとこさ
「バロックとは何か」を
わたしなりに説明してみます。

上で書いたように、ふつう、
ルネサンスが「均衡」「調和」を理想としたのと対照的に、バロックは「不均衡」「動き」が特徴である、と言われます。


具体的に見るとわかりやすい。

ルネサンスは「モナリザ」を思い浮かべればいい。 
「均衡」「調和」。

ではバロックは・・・・・ 

突拍子がなく思えるかも知れませんが 
『ジョジョの奇妙な冒険』
『聖闘士星矢』『ジョジョの奇妙な冒険』を思い浮かべればいい 
と、わたしは思っています。 

なんとなくわかったでしょ?

描線が
ウネウネ、グニグニ、ムキムキ 
しています。


いや、もちろん本家本元のバロックはヨーロッパです。 
代表はジャン・ロレンツォ・ベルリーニ。 

『ジョジョ』の源(みなもと)をたどるとこういうものなんです。 
ベルリーニ作ではないけれど、ローマの有名なトレビの泉もバロックです。


想像なんですが、
若い世代の芸術家は、苦労して新しい表現を開拓した先輩の技量にあっという間に追いつく。(手塚治虫はうまい。でも世代で較べると、次の世代はおしなべて手塚治虫の世代よりうまい。その次の世代はもっとうまい)
そうすると、先生たちの作品になんか手を加えたくなっちゃう。
「調和」「均衡」に飽き足らなくなっちゃう。

「ルネサンスのこの腕の筋肉、確かに美しいんだが、同じように描いたらつまらない。
ここをこーゆー風にムキムキと盛り上がらせたらどーだろーか。
おお! おもしろいぜ」

というような感じで
「ウネウネ、グニグニ、ムキムキ」が進んじゃったんじゃないでしょうか。

おおかたの日本人旅行者にとって、
ヨーロッパのルネサンスとバロックの絵や彫刻は同じように見えると思います。ギリシア風の襞のある衣服、題材も(実を言うと違うんですが)同じような古代ギリシア・ローマ風に見える。

でも「ウネウネ、グニグニ、ムキムキ」してるかどうかに注目すると、
意外に簡単にルネサンスとバロックを見分けることができます。




バロックは、「ウネウネ、グニグニ、ムキムキ 」なだけでありません。
ベルリーニ「聖テレジアの法悦」(ローマ、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂)の聖女テレジアの顔をアップで見てください。 

©Nina Aldin Thune

エロい。恍惚の表情です。 
こんな彫刻を教会に置いていいんかい、という表情。 


キリスト教の聖女が、ギリシアの欲望の神エロース(あるいはローマ神話のクピド)に胸を射貫かれている。「人間を超えるもの」に向かう力と、古代の異教世界のエロースが混じり合っている。

いろんな異質なものが引用され同居している。それが「均衡」を破って「動き」生む。
バロックのもうひとつの特徴です。


宗教改革に対抗するカトリック教会の「反宗教改革」運動の中で、
(狭い意味での)バロックは花開いた、という面もあります。つまり、バロックは権威を後ろ盾にした表現でもあった。

しかし、「バロック的なもの」は、そういうもともとの社会背景を超えて(ある意味では裏切って)、形を変えながら文学・美術の中に脈々と生き続けていると思います。現在にいたるまで。 



なぜでしょう? 

わたしが思うに 
バロックには「いけないものの魅力」があるんですね。 

そしてもっと大事なことなんですが、
「いけないもの」は、 「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」という基準ではない別の視点から人間や世界を見る視点を与えてくれます。 


よく考えると、「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」が何なのかは正確にはわからないもんです。 

「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」が社会の秩序をなりたたせているのは事実なのですが、それらが逆に人間を息苦しくさせるときがある。 

バロックの精神は「いけないもの」を通して、それらがほんとうに「立派で、正しくて、きちんとしている」のかと疑問を投げかけます。 



文化史の概念としての「バロック」は、もうちょっと厳密ではない「バロック的な精神」としてヨーロッパで生き続ける。 
息苦しさを感じる人たちがいたからだと思います。 


そういう「バロック的な精神」は、いろんな「いけないもの」を磁石のように引き寄せて自分のものにしていきます。 


マルキ・ド・サド、ザッヘル・マゾッホ(この二人の作家を読まずに「サドマゾ」「SM」を語ってはいけません)。 

同性愛、人形愛、機械愛、フェティシズム(女性の靴に興奮する、みたいなのを想像して下さい)・・・・・ 

バロックは、そういういろんなものを引用して揺れ動く。
揺れ動きながら、今ある「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」の息苦しさ、それらへの疑問を表現する。 

それが「バロックの精神」の本質ではないかと思います。 

現実に上に挙げた「いけない」趣味に走ることではなく(ま、人に迷惑をかけなければ走ってもかまわんと思いますが)、そういう「いけないこと」の引用を通じた芸術表現のことをわたしは言っています(「バロックの精神」は表現としてあらわれるものですから)。 



だからバロックは、必然的に、今ある「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」に息苦しさを感じている人々に支持されます。 

それは若者です。特に社会的に苦しい立場にいる若者です。 



そういう意味で、楳図かずおと古屋兎丸は、現代日本のバロックを代表する表現者なんだと思います。

二人は氷山の一角です。海面下に広がっているインディーズ文化に魅了される若者がけっこういるのは当たり前だと言えます。 

だって、息苦しいんだもん。 

オタク若者だけでなく、息苦しさを感じている人はたくさんいると思う。 

ひょっとしてバロック的なものを通じて、現在の息苦しさを抜け出す可能性が見えてくるかもしれません。 

オタクになったら道が開ける、という話じゃありません。 
すぐれたバロック的作品を通じて、
「立派なもの」「正しいもの」「きちんとしたもの」が息苦しくしている現代日本のありようがくっきり見えてくることもあるんじゃないでしょうか。 




3 楳図かずおと古屋兎丸の「批評的引用の精神」



バロックは、すでに存在している「魅力的でいけないもの」を引き寄せてエネルギーにしてゆくものですから、「ゼロからの創作」を最初からきっぱりと断念しています。

どん欲に外のものを学び、吸収していきます。 
その場合、「外のもの」は異質なものであればあるほどよい。
今ある「きちんとしたもの」「りっぱなもの」「正しいもの」を相対化する力があるから。 

日本の場合、西洋的なものがそれにあたります。 

さて。
恐怖はローカルなものだという説があります。 

お岩さんの恐怖は、江戸の水路、行灯(あんどん)の薄明かりがわからない外国人にはたぶん伝わりにくい。ドラキュラのほんとうの恐ろしさはキリスト教世界ならではのものでしょう。

それでも、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を読む西洋人は恐怖を感じることができると思いますし、わたしたち日本人も、ドラキュラの恐ろしさや、スティーヴン・キングの小説の恐怖を、部分的にだけれど西洋人と共有することができる。

恐怖はローカルではあるがユニバーサルでもある。
考えてみれば当然なんですが、
なぜこんな話をしているかというと。

楳図かずおの漫画と、古屋兎丸『ライチ光クラブ』の恐怖が、
西洋的な要素で構成されているからです。
「異質なものを引用することで、不均衡と動きを生み出す」
というバロック的精神が、両者の恐怖に共通して観察できます。


楳図かずおのマンガは恐い。 
恐いけれど、岡本綺堂の怪談のような日本土着の怖さの要素は希薄だと思います。 

『漂流教室』で、子供たちをガッチャン、ガッチャンと追いかけてくるマリリン・モンローの人形(うー、思い出すだけで恐い!)みたいに。 

『夜叉姫』は日本のお姫様の物語ですが、やはり伝統的怪談からかなり逸脱していると思います。「自己像」と「虚構としての仮面」、善悪二元論というテーマはむしろ西洋的です。 

古屋兎丸の作品は厳密な意味でのホラーには分類されないでしょうが、ここにも日本土着の要素は希薄です。フランケンシュタイン、ローマ皇帝ヘリオガバルス、少年十字軍・・・ 




異文化である西洋の文化要素を縦横無尽に引用して、いびつで動的な世界を構築する。 

さらに。
引用する文化要素の魅力におぼれることなく、いびつで動的な作品世界を構築することによって、今ある社会を違う視点から眺め、その世界の息苦しさから自由になる道を探ろうとする。

もう少し柔らかく言いかえると。
単なるフランケンシュタイン・オタクや仮面オタクなんじゃなくて(二人ともそういうものが大好きなんだとは思いますが)、オタク的世界からオタクじゃない「きちんとした、りっぱな」世界に風穴を開けようとする、みたいなことでしょうか。
ほんとうの意味での「批評的精神」と言ってもいいかもしれない。

これらが二人に共通するバロック的要素だと思います。 


楳図かずおと彼を継ぐ古屋兎丸は、突如として宙からあらわれたわけではありません。先駆者たちがいます。

実は、二人はそういう「日本のバロック」の正当な系譜に連なる人たちなんですね。




4 日本のバロックの系譜


楳図かずおと古屋兎丸の先駆者は、高校国語の文学史には名前が出てこない、もうひとつの「闇の文学史」のそうそうたるメンバーたちです。生まれた順番に挙げると 


国枝史郎(1887年生まれ) 『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』 
夢野久作(1889) 『あやかしの鼓』『ドグラマグラ』『犬神博士』 
江戸川乱歩(1894) 『人間椅子』 
小栗虫太郎(おぐりむしたろう 1901) 『黒死館殺人事件』 
久生十蘭(ひさおじゅうらん 1902) 『黄金遁走曲』『顎十郎捕物帖』 
角田喜久雄(1906) 『髑髏銭(どくろせん)』 


名前と代表作名からしておどろおどろしい、いかにもバロックの香りがします。 
彼らは、時代小説作家、推理作家などの「大衆文学」の書き手としてくくられることも多い。 

しかし、彼らの作品は「日本のバロック精神」を体現するものだとわたしは思っています(人によってはこれらを「バロック」ではなく「ゴシック」と呼ぶかもしれません。ま、ややこしい話はやめておきます)。 



生まれた年をながめているとおもしろいことに気づきます。 

明治維新後、西洋並みの近代国家になろうと「坂の上の雲」(司馬遼太郎の小説のタイトル)を追い求めて、その坂の上に一応到達したのが日露戦争の勝利(1904年)。 

全員、日露戦争のあとに青春時代を迎えています。 
坂の上まで登ってきて、もう上る坂がなくなってしまった時代。 
「近代国家」「富国強兵」のひずみが、いろんな形であらわれはじめた時代。 

「ジャパン・アズNo.1」と持ち上げられた高度成長の時代を超えて、先行きが見えなくなった現代と似ているところがあると思います。 

それまでの「きちんとしたもの」「立派なもの」「正しいもの」が、人間を幸せにするのかどうか不確かな時代です。 

バロックは、社会の息苦しさのなかでその翼を広げます。 

上にあげた明治生まれの作家たちは、西洋的なものを学びながら、ゆがんで動的な小説世界を構築しようとしました。 

あやかしの赤い纐纈布(こうけつぬの)をめぐる国枝史郎の時代小説『神州纐纈城』にもそういう要素が見てとれます。 


これは未完に終わった大作です。

その終わり近くで、それまで人里離れた湖上の城に潜んでいた謎の仮面の男が、突如として甲府の町にあらわれ、通りがかった花嫁行列に近づいて、花嫁を纐纈布で祝福する。 

ところが花嫁は苦しみはじめます。 
体中の肉が崩れはじめる。 
もがき苦しむ花嫁を助けようと抱きかかえた父親の体もとろけはじめる。 
纐纈布はおそるべき業病を秘めた布だったのです。 



『メデイア』が
入っています
このクライマックスシーンは(たぶんまだ誰も指摘していないと思うのですが) 
あきらかにギリシア悲劇のエウリピデス『メデイア』の花嫁の死の場面を下敷きにしています。 


夫イアソンが若い王女と結婚することを知ったメデイアは、かつて誓った結婚の誓約が破られたことに怒りを燃やし、イアソンに復讐しようとします。 

メデイアはドレスに毒を塗りこめ、結婚の贈り物として子供たちにそれを持たせ、花嫁のもとに送り出します。 

花嫁は美しいドレスに夢中。ところが、 

  「お肌の色がさっと変わる、身体がぐらりとよろめく。 
  と、手足をぶるぶる震わせながらあとずさりなさりはじめた。 
   ・・・・ 
  眼はもうその形も定かではなく、 
  お顔は生まれもつかぬありさま。 
  頭の先からは火と混じった血が滴り落ちる。 
  そして骨から肉が、眼には見えぬ毒に食われて、 
  まるで松脂(まつやに)のよう、溶けて流れ落ちるという具合。 
  恐ろしい光景です。」(丹下和彦訳『ギリシア悲劇全集5』岩波書店) 

王女を助けようとした父親も「老いの身の肉が骨からもがれて」絶命します。 

国枝史郎は、現存するギリシア悲劇屈指のホラー場面に着想を得ただけでなく、おそらく、家族とは何か、正義とは何かという、『メデイア』のテーマそのものも引き受けようとしました。 

『神州纐纈城』は、それまでの価値観が揺らぐ時代の中に開花した、あやしくいびつで美しい花です。 



わたしの推測では、 
古屋兎丸を代表とする現代の日本バロックの表現者たちと、 
上にあげた先駆者たちの橋渡しをしたのは、 
澁澤龍彦(しぶさわたつひこ1928-1987)です。 

マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳して裁判にかけられたフランス文学者。 すぐれたエッセイスト(『世界悪女物語』『胡桃の中の世界』)であり、小説家(『眠り姫』『高丘親王航海記』)でもあります。 
博覧強記、語学の達人であるだけでなく、たぐいまれな文章家です。 

わたしは中学3年生のときに何をまちがったのか『世界悪女物語』を読んでしまい、比喩ではなく、頭痛がして気分が悪くなりました。 うぶな中学生にはあまりに過激な「闇の世界」。 

しかし、そのあやかしの魅力にとりつかれたわたしは、高校生のときに彼の著作を読みあさりました。 

10数年前に、澁澤龍彦の著作がいっせいに文庫化され、一部の高校生のあいだで熱狂的な人気を博したことが奇妙な現象として取りあげられましたが、わたしにはよくわかります。 

「まじめであること」「りっぱであること」 
それがほんとうに自分をしあわせにするのか? 

まともな知性と感受性を持つ若者なら抱いて当然のそんな疑問に答えてくれそうな大人はなかなか見つかりません。 

澁澤龍彦はお説教はしない。 
でも、ふつうの大人が教えてくれない、まじめでない、りっぱでない文化の伝統と美しさを、品の良い文章で目の前に並べてくれる。 

そういう文化が歴史の中で脈々と受け継がれてきたことを知って、高校生のわたしはある種の開放感を味わいました。 



今現在、澁澤龍彦がどれほど、どのように若者に読まれているのかは知りません。 

しかし、若者たちが享受しているオタク文化、インディーズ文化のすぐれた発信者たちは確実に澁澤龍彦を読んでいる。彼らはそのことをあからさまには言わないと思います。澁澤龍彦は「ぼくだけが知っている宝物」という感覚を読者に抱かせる作家だから。 

学者となった今、わたしは高校生の時とは違う目で見て、澁澤龍彦はもっともっと評価されなければならない人だと思っています。 

何より、低級な娯楽小説家として見られがちだった上のバロック小説家たちを、きちんと評価して紹介したこと。また、西洋の「いけない魅力」を持った作家たちを紹介して、現代のバロック表現者たちに豊かな材料を提供したこと。 

「オタクの神様」を超えて、実は強靱な批評精神の持ち主であること。 

「男らしさ」を乗り越える生き方の可能性を提示したこと。「かわいらしい生き方」とでもいうものが男性にも可能であることを、澁澤龍彦はみずから証明しながら死んでいきました。 
(皮肉なことに、彼は「男らしさ」を生きようとした三島由紀夫のよき理解者であり、友人でした。澁澤と三島については別の機会に書きたいと思います)



日本のバロックの系譜に連なる現代日本のバロックは、豊かな可能性を秘めていると思います。 

既存の価値観は、もう若い人たちを支えることができなくなっている。 
新しい価値観はまだはっきりと見えていません。 
バロックに引かれるオタクたちは、それを本能的に感じ取っているんではないでしょうか。 

バロックは、片方で、人を闇に引き込む魔力を持っています。 
現実を忘れさせ「いけないものの魅力」の世界に引き込みます。
人をオタクにしてしまいます。 

でも片方で、もし、いけないものの世界を通じて、自分や現実を新しい視点から見てきちんと認識することができる知的態度(批評的態度)を磨いていくなら、もういちど現実を新しいやり方で生き抜いていくエネルギーもわき出てくるのではないかと思います。 

めんめんと続いてきたバロック精神は、そういう知的態度に支えられていたことを知っておく方がいいんじゃないでしょうか。 

何がほんとうのことか、正しいことなのかわからないときには、「とりあえず」「いけないもの」を「フィクションとして」演じてみる。 そうしてみたときに新しい認識と生きる力がわき出てくるのかもしれません。 

生きる力に通じるバロック。 

これを古屋兎丸に見てることにします。





ここまでが長い前置きです。
ようやく『ライチ光クラブ』を読む準備ができました。

のだけれど。
それは次のお楽しみ。
「その2」 「その3」に続きます)


ほんとに長かったね。








0 件のコメント:

コメントを投稿