2013年12月27日金曜日

いやはや


藤田まこと亡き後、北大路欣也主演の『剣客商売』新シリーズが始まりました。 
北大路欣也、やっぱり固い。ちょっと息苦しい。 

しかし、大川の流れを巡る風土と空気を伝える池波正太郎の原作を外さない立派な脚本。 
池波正太郎なら外してはならない料理の世界も楽しく再現されてます。 

剣戟もそこそこ。 

でもなーー。 
杏(あん)はなんとかならんのか? 

杏さん、決して嫌いではないのですが。 

和服の着こなし何とかならないのかと思います。 

それに、女剣客の役なのに 
怒り肩で(怒り肩の剣客というのはあり得ません) 
すり足もできず、お辞儀をするときに畳のへりに平気で手をつく。 

誰か助言する人はいなかったのか? 
と思います。 


『相棒』の小料理屋「里の花」の二代目女将、 
鈴木杏樹もそうなんですが、 
和服を着たら和服の身のこなしをしなければならないのに、 
情けないほどできてない。 

というか、 
和服の身のこなしという、日常とはまったく別の動きの体系が存在するという 
想像力そのものがない気がします。 
あらためて言うまでもありませんが、
着物は単なる「きれいな服」ではない。 
立ち居振る舞いの体系を背負った物体です。 

洋服が、和服とはまったく別の立ち居振る舞いの体系を背負った物体であるのと同じように。 

わたしもたいしてできるわけではないが、 
和服の時には和服の姿勢と身のこなしを努めてするし、 
洋服の時には膝を曲げずに歩くヨーロッパの歩き方をするように心がけています。 

物はそれぞれの文化の歴史を背負っている。 
その歴史を踏まえたときに、 
その物の本来の美しさがあらわれてくる。 
そういうもんじゃないでしょうか。 

反対の意味で、 
歌って踊っているときの中居正広は本当に美しい。 
(先ほどひさしぶりにMステーションでその姿を見ました)
SMAPの中できわだっています。 
「洋服」の動きが一人だけ身についている感じがします。 

鈴木杏樹はもう無理でしょうが、 
若い杏さん、和服の動き、勉強して下さい。 
(あ、今気づいたけど、どちらも「杏」だ)


2013年12月23日月曜日

旺旺(わんわん)など

ほんとに日記です。


家族で吉祥寺に。
それぞれ別行動で買い物をして1時間後に待ち合わせ。

わたしは予定のオレンジ色の革手袋を買ったあとで
ついノリーズをのぞいたのがいけなかった。

目を引くデザインのジャケットが新入荷。
ああ、買ってしまった!
今シーズンはもう買わないつもりだったのに。


待ち合わせて昼食。
スペインバル「ふくろう」に行くつもりだったのですが、
途中で「旺旺(わんわん)」という台湾料理屋があって、
そこにふらりと飛び込みました。

ランチを3人で頼みました。
わたしは「豚のスペアリブ煮込み」
妻が中華定番の「豚肉キクラゲ卵炒め」
娘も定番の「イカと青菜の塩味炒め」

奥に一人だけいる大柄の中国人コックが、
手際よく優雅な動きで作っている。
あわただしくない。そして音がうるさくない。

テーブルの切り盛りをしている中国人のお姉さんもあわただしくない。
サーブの合間にするりとキッチンに消えて小皿やご飯を並べている。


おいしかった。
ていねいに作った上品な味。

大衆料理屋でもないし、高級料理店でもない。
ふつうにおいしい。

吉祥寺でいちばん有名な中華料理店は「竹爐山房(ちくろさんぼう)」だと思いますが、
わたし的にはちょこざいな料理だと思えます。ていねいでアイデアを懲らした料理を出すんですけど、なんというか、

「おいしいものをぐわーーーーーーーっ! とかき込む楽しさ」

という料理のいちばんの本質が足りない気がする。
おいしいけどそういう楽しさが皿にあふれてない。「才気あるくそまじめ」で少し息苦しい。そして割高。ま、人それぞれの好みでしょうが。

(ただし、この店のシェフの山本豊の料理本はとてもすばらしくてよく参考にしています。品切れになっている本が多いのが残念。本と店の料理のイメージがこんなに違うのは不思議)


「旺旺(わんわん)」はその楽しさを外してない。
どれもおいしかった。そして高くない。


スペアリブは五香粉(ウーシャン・パウダー)の香り豊かに仕上げてある。


「豚肉キクラゲ卵炒め」は時折、オイスターソースなんかを使ってる店もありますが、
王道の塩味。そして上品。


「イカと青菜の塩味炒め」は、イカがふわふわ、塩味絶妙。




グランド・メニューには
「フカヒレの姿煮」
とかもちゃんとあります。


前から存在には気づいてたのですが、入ったことがなかった。
当たりです。
気楽に入れるちゃんとした中華。
入ってくるなり「ランチ13番!」とか注文してる常連さんもいる。


今度チャーハンと麺類を頼んで最終評価をしようと思ってます。
それと複数の常連さんが注文していた「13番」(エビチリでした)も。





夜は『海の上の診療所』最終回を見ながら、ワインとつまみ。
武井咲の演技力を見直しました。
それまでの「強い仮面」を捨てるときの「変身」の演技が見事。

つまみは「牡蠣とマッシュルームのアヒージョ」。
アヒージョ! 」に書いた作り方で、海老を牡蠣にかえるだけ(アンチョビは牡蠣のエキスが濃厚なので入れませんでした)。

ブラウン・マッシュルームに牡蠣のエキスが絡んで
「海老とマッシュルームのアヒージョ」よりおいしい!


ワインは白ではなく赤の
「ホルヘ・オルドネス・セラン2011」。
酸味が強いけれど不快ではない。
牡蠣のアヒージョとも合うと思いました。
酔っぱらってオルドネス。








2013年12月21日土曜日

羊肉の四川麻婆豆腐

ついに羊肉の四川麻婆豆腐を作りましたっ!!

「ついに」と書いたわけは、

ほんとの四川麻婆豆腐は豚ではなく羊を使うらしいんですが、
近所で羊肉が手に入らないので、わたしはずっと豚を使ってました。



JR中央線武蔵境駅南口の「好好(ハオハオ)」の店主は、たしか陳建民の直弟子で、
昔は麻婆豆腐に羊を使っていた記憶があります。

引っ越しして足が遠のいてますが、

前回食べたときは豚挽肉に変わっているような気がしました。
ソースも四川風が薄れた気がします。
とはいえ、「好好」の羊肉の麻婆豆腐の味の記憶はおぼろげです。



吉祥寺の肉屋で羊の肩ロースを薄切りにしてもらいました。
(少量だと挽肉にはできないとのことでした)

満を持して作りました。


結論。


羊肉の方がおいしい!

肉の存在感があります。
よく考えたら、豆板醤やら山椒やらをぶち込む麻婆豆腐の強いソースは、
羊肉にこそ合うなんじゃないか。

作ってみると、豚挽肉の麻婆豆腐は豚肉がソースに負けている気がしてきました。



以前、豚挽肉版の「四川風麻婆豆腐の作り方」をこのブログに載せました。
羊肉を刻んで挽肉にする以外は同じです。
参照していただくのは恐縮なので、ほぼ同内容の作り方を下に再録します。

豚肉の時には四川「風」麻婆豆腐としましたが、

羊肉を使ったので胸を張って「四川麻婆豆腐」とタイトルをつけました
(四川に行ったことないので、羊肉が本式かどうか不確かなんですが)。




羊肉の四川麻婆豆腐の作り方


《材料(4人前)》
木綿豆腐      1丁半
ラムの肩ロース肉  300g
白ネギ       1本弱
紹興酒       適量
オイスター・ソース   適量
ゴマ油または鶏油  適量
片栗粉       適量を水に溶いておく
サラダ油      大さじ3
ニンニク・ショウガ   各1片
ガラスープ     300cc
粉山椒       大量(わたしは大さじ1.5くらいは入れる)


(ソース)  
四川豆板醤     大さじ1杯半(固いので同量の水で練ると使いやすい)
豆板醤       大さじ1杯
甜麺醤       大さじ1杯
豆鼓(トウチ)   大さじ1杯半
醤油        大さじ1杯半


 【1 材料の準備】 
 (1) ラムの挽肉が手に入らなければ、薄切りを細かく刻みます。
半解凍の状態で刻むと楽です。

(2) ネギ、ニンニク・ショウガ、豆鼓はみじん切りに。
わたしは白ネギの青い部分がけっこう好きでよく使います。

(3) 木綿豆腐は1.5cm を目安に切って中火で茹で、ザルに空ける。
 重しで水切りをしたあとで切るというやり方もありますが、わたしは面倒くさくて茹でてしまいます。いずれにしろ、豆腐をしっかりと固くするわけです。


【2 炒める】 
(1) 中華鍋を煙が出るまで熱してからサラダ油を入れ、油が熱くなってから挽肉を入れる。強火です。
(と書いたのですが、実は最近、油を少なめにして中火でやっています)

パラパラになるまで炒める。これ、かなり重要です。
パラパラになったら挽肉を脇に寄せて、空いたところにニンニク・ショウガを入れ、一呼吸したら挽肉と混ぜる。ニンニク・ショウガをあとから入れるのも大事なポイント。

(2) ソースを加えて炒める。
肉にしっかり味をしみこませます。目安は油が透明になるまで。焦げつきそうなら火を少し弱めてもいい。


【3 豆腐を入れる】 ※ここからはぜったい強火です。

(1) スープを加え、豆腐を入れます。
ここから先は、杓子で豆腐をできるだけいじらないようにする。我慢して最小限触るだけ。触るときは杓子の背を使う。

(2) 紹興酒とオイスター・ソース(あくまで控えめ)で味を調える。


【4 仕上げ】 
(1) ネギを加え、そーーーっとひと混ぜしたら水溶き片栗粉を加える。
ここから大事なポイント。
とろみがついてもすぐに火を止めない。杓子で優しく混ぜながらしばらく(15~20秒くらい?)我慢する。
(2) ゴマ油または鶏油を加え、大量の粉山椒を振って完成。



神話の力——『おおかみこどもの雨と雪』


テレビで『おおかみこどもの雨と雪』をやっていて、 
思わず引き込まれてしまいました。 (ネタバレあり)

狼男との間に二人の子供を授かった花と、 
その子供たち(姉の雪と弟の雨)の物語。 

絵も美しかったけれど、 
「ああ、これは神話だ」 
と思いました。 


神話がなぜ力を持ち続けるのか。 


神話は距離です。 
昔々、私たちの世界と時と場所を隔てた物語。 
その距離が、生身の人生を照らし出す光になることがあります。 


生身の人生は直視するにはあまりに苦しい。 
神話を通じて、人間は直視できないものに目を向けて考えをめぐらすことができるようになります。 


「おおかみこども」の設定は一応現代日本の山ふところ。 
自動車があり小学校がある。 
でもそこに広がるのはまさしく神話の世界です。 


雨と雪はときおり狼になる。 
人間と狼のはざまの存在です。 


母親花は、子供たちを人間として育てようとする。 
人間の世界を象徴するのが小学校です。 

姉の雪は、人間として生きようとする。 
弟にもそれを求める。 
「学校に行かないとダメだよ!」と叱る。 

弟の雨は、小学校になじめず、次第次第に野性の世界に近づいてゆく。 

嵐の日に、 
「雨」は狼の世界、自然に戻っていく道を選択します。 
母は雨を追って引き戻そうとする。 

でも、狼の姿になって山に去って行く雨の、狼の遠吠えを聞いたとき、 
花は狼としての息子の選択を受け入れ、別れを告げます。 


これが神話であるのはなぜかというと。 
ああ、親子の関係ってみんな花と雨の関係なんだ、ということに思いいたるからです。 

親は子供を「学校に通わせたい」=自分が信じている秩序の世界に進ませたい 
と願う。 

しかし子供は本質的に「狼男」です。 
親が信じる秩序の世界をはみ出て、外に出て行こうとする。 

その別れの遠吠えを聞いて、花のようににっこり笑って祝福できるかどうか。 
親が親としての真価を問われるのはそういうときなんじゃないか。 

そういう意味で、これは「親子の神話」だと思いました。 



「おおかみこども」にはもうひとつの見事な神話があります。 

「愛」の神話。 

転校生の「そう君」は、雪に 
「お前、犬飼ってないか? 獣の匂いがする」 
と言います。 

そう君は雪に惹かれて追ってくるんだけど、 
傷ついた雪は逃げる。 

あげくに狼に変身してそう君を傷つけてしまう。 



嵐の晩、そう君と雪は、小学校に二人だけ残ってしまう。 

雪は母が雨を追って山に入っていたから迎えに来ない。 
そう君は、母親が新しい男と結婚して妊娠していて邪魔者になってるから迎えに来ない。 


そう君はそのことを雪に打ち明け、 
体を鍛えてボクサーかレスラーにでもなって生きていくさ、と笑う。 


雪は 
「わたしもそう君みたいに本当のことを言って笑っていられたい」 
と言ったあとで 
「あのときそう君に怪我をさせた狼はわたしなの」 
と狼の姿を見せて真実を告げます。 


そう君は 
「ずっとわかっていた。 
そのことを誰にも言わなかったし、これからも言わない」 
と言います。 
雪は「ありがとう」と言って涙をこぼす。 



ああ、愛ってこういうものなんだ、と思えてきます。 
人はときに愛する相手を望まないのに傷つける怪物になる。雪みたいに。 

愛する人が自分の受け入れ範囲をはるかに超える怪物=狼であること、しかし同時に100%狼ではないこと(雪は自分が狼になったことをずっと重荷として負っている) 
を受け入れる。相手の矛盾と葛藤をそのまま受け入れる。そして「わかっていたよ」と言えるかどうか。 

「わかっていたよ」と言われたときに「ありがとう」と言えるかどうか。 

愛が試されるのはそういうときなんじゃないかと思いました。 



そういう「親子」や「愛」のいちばんの本質を直視することは 
むずかしいしつらい。 

でも「おとぎ話」=「神話」には距離がある(現実の物語ではない)からこそ、 
直視することができる。 

だけじゃなくて、語ることができる。 
「ほら、『おおかみこどもの雨と雪』にこういうのがあったじゃない?」 
という風に。 

神話の力とはそういうものだと思います。 


2013年12月15日日曜日

スキャパとスカーフ


「スキャパ」という地名を知ったのは高校生の時。 

アリステア・マクリーンというイギリスのサスペンス作家がいます。 
作品はほとんど早川書房から邦訳が出ています。 

いちばん有名なのは、 
グレゴリー・ペックとアンソニー・クイン主演で映画化された 『ナヴァロンの要塞』。 

映画も名作です。 
主演の2人ともわたしのお気に入り。 
なかでもギリシア系アメリカ人、アンソニー・クインはわたしの中の男優 No.1。 

フェデリコ・フェリーニ監督の『道』がアンソニー・クインの代表作なんでしょうが、 
『道』は『火垂るの墓』と共通するつらさがある。 
名作で泣けてくるのだけれど二度と見られない。つらいです。 


アンソニー・クインならこの『ナヴァロンの要塞』と『世界を我が手の中に』がイチ押しです。どちらもグレゴリー・ペックとの共演なのが面白い。 


グレゴリー・ペックはアングロサクソンの典型的な紳士というイメージがあります。 
でもそのイメージを前面に押し出した作品は総じてよくない、というのがわたしの判断。 
『ローマの休日』では大根役者です。 

ところが。 

なぜか、アングロサクソンの対極にあるがさつなギリシア男、アンソニー・クインと組むとグレゴリー・ペックは生き生きする気がします。 


『世界をわが手の中に』は海賊映画の名作中の名作。これを見ずに海賊を語るな! 
と言いたくなるような快作です。 
『パイレーツ・オブ・カリビアン』も楽しいけれど、こいつには及ばない。

わたしは中学生の時にこの映画を見て、海賊になろうと決意しました。 

海賊になるために高校ではヨット部に入りました。 

視力が悪くて東京商船大学の受験資格がないことを知ったときは、大地が崩れるようなショックでした。 

それでも夢を捨てきれずに、 
海賊に必要な英語力を身につけるべく猛勉強してバイリンガルの大学に入り、 
格闘の技量を身につけるべく少林寺拳法部に入りました。 

ほろ苦い思い出です。 


あ、アンソニー・クインの話でした! 

『ナヴァロンの要塞』の圧巻は、 
アンソニー・クインが仮病を使うところ。 
ものすごい演技です。古代ギリシア以来の演劇の伝統ここにあり、という史上最高の仮病。
(おお! "High on the cliff are guns of Navarone, guns of Navarone..." という主題歌が
酔っぱらった頭に流れてきます) 


あ、アンソニー・クインの話じゃなくてアリステア・マクリーンの話だった! 
特に中期までの作品はすごいです。 


いちばん好きなのは『最後の国境線』。 
これは中3のときに読んだ。 

わたしの国際政治の感覚は、この本によって養われた気がします。 
「自由への夢」と「政治の過酷な現実」の関係を人間はどう考えたらいいのか。 
ハンガリーの老戦士ジャンシは、わたしが政治を考える時にいつも脳裏に浮かぶ人物です。 

「ドアを開けて『やあ、諸君』などと言う人間は長生きできない」
彼はドアを開けると同時に銃を乱射する。

すげえリアリズム。当たり前で、アリステア・マクリーン自身が戦場をくぐり抜けた人なんです。 



それと張り合う名作が『女王陛下のユリシーズ号』。 

これはとてつもなくすごい作品です。 
第二次世界大戦のイギリス海軍巡洋艦ユリシーズ号の物語。 


だいたいアクション・サスペンス小説というものは、 
読者を引きつけるために魅力的な女性を登場させる。 

アリステア・マクリーンも例外ではない。 
『荒鷲の要塞』(これも名作。このケーブルカーのシーンに手に汗握らない人間をわたしは人間として信用しない)にもキュートな女性が登場する。 

ところが、 
『女王陛下のユリシーズ号』にはそんな女性は登場しない。 

どころか、 
そもそも女性が一人も登場しない。 

厳しい北海で、 男たちの苦闘がただただリアルに描かれる。 

海戦で撃沈され、海に投げ出された仲間を、 
ユリシーズ号があえてひき殺す場面は、非情かつ涙がこぼれます。 

なぜひき殺すのか? 

重油が大量に海に流れ出しているのです。 
海に投げ出された友軍は、海面に頭を出すことができずに、油と海水の間でもがき苦しんでいる。 

ユリシーズ号の艦長は、彼らの苦しみを絶つために、 
断腸の思いで彼らのいるところに艦を突っ込ませてひき殺すのです。 


わたしはアリステア・マクリーンから「軍隊と国民のあるべき関係」も学びました。 
日本軍が真の意味で「軍隊」であったことは一度もない、ということもアリステア・マクリーンを読んでおぼろげに見えてきました。 
ひでえ軍隊です、日本軍は。 
戦場の修羅場をくぐり抜けた父親の話のはしばしからもそれは想像できましたが、 
アリステア・マクリーンから、そのことを客観的に認識することができました。 


ふり返ると、古代ギリシアを学ぼうと思ったのは、アリステア・マクリーンから知った「西洋的軍隊」 
の原型を知りたい、と思ったこともあったと思う。 

そのユリシーズ号の本拠地が、 
スコットランド北方のオークニー諸島の「スキャパ・フロー」。 

ようやく「スキャパ」にたどり着いたぜ! 



ええーーーっと。 


まじめな話題から落ちて恐縮なのですが。 

最近「スカーフ」とか「ストール」というものの魅力に気づきました。 
おそすぎた。 

冬にはマフラーをしてました。 
でも、今シーズンはじめてイタリアのスカーフをしてみて世界が変わりました。 

暖かいしおしゃれ。 
街で観察してると、女性はいろいろな使い方をしている。賢い。 


マフラーが嫌いになったわけじゃないけれど、 
こういう世界があったんだ! と思いました。 
(女性にとっては「何を今さら」だと思いますが) 



それで、季節はずれているけど、 
薄手のスカーフかストールを探しに出かけました。 


すべて女性ものの店。 
当たり前です。男性がそういう想像力あるわけないから、商品もそんなにあるわけがない。(ポールスミスにはありました) 


もちろん、女性が羽織るものと男性のそれとは原理が違うはず。 

わたしの場合、ジャケットやスーツにネクタイか蝶ネクタイ、というスタイルが多い。 
それに合うものを探さなければなりません。 

10数軒まわりました。 
どんどん試着しているうちに「スカーフよりストールだな」という感覚がわかってきた。 

ストールだとネクタイが隠れる。 
室内に入ったときに「ストールを外すと、その下から違うイメージのネクタイや蝶ネクタイがあらわれる」という路線がいいんじゃないかと思えてきました。 

最終的に候補に残ったのが「マックス・マラ」と 
「スキャパ」 
だったんですね。(やっとスキャパかよ) 


わたしは服を選ぶ場合、ブランド名にいっさい関心がありません。物だけに関心があります。 
特に「スキャパ」は、物を選んで店の名前を聞いたらスキャパだった、という感じでした。 

「スキャパ」はスコットランドのブランド。 
もちろんオークニー諸島のスキャパから来ています。 
女王陛下のユリシーズ号! 


昔はメンズも扱っていて、わたしはシャツが大好きだった。 
1枚だけ残っているスキャパのシャツは20年以上たってもすり切れずにしっかりしています。値段もリーズナブルでした。 


迷いに迷いました。 
「マックス・マラ」もすばらしい色柄だったし、店員さんの感じもよかった。 

「スキャパ」に決めました。 
大判のストール。 

ボリュームたっぷりに襟元に作ったり、 
コートの上から大きく羽織ったりしようかと思っています。 



ああ、スカーフとストールを知らなくて、なんて損をしてたんだろう。 
春には薄手の大判スカーフを探し回ろうと思ってます(女性物の店で)。 


2013年12月14日土曜日

げんこつ酢豚

紅虎餃子房(べにとらぎょうざぼう)はときどき行きます。

不思議な中国料理店。
コンセプトがけっこう変わる。
チェーン店ですが場所ごとにも変えているのかもしれません。

10数年前、渋谷の東急文化会館近くにできたばかりの頃はよく通いました。
その頃は
「中国の大衆料理屋」
というコンセプトだったように思う。

中国人の料理人がうるさく音を立てて元気よく鍋を振っているのがカウンター席から見えた。

やや汚らしい(不潔ではなかった。コンセプトとして「汚らしく」演出してたんだと思います)店内はギュウギュウ詰めで当時はまだ店内でタバコが吸えた。
灰皿が富士オイスターソースの空き缶で、それがいかにも「大衆料理屋」風で好きだった。

(その影響で富士オイスターソースを使うようになった。李錦記(リキンキ)のもそれなりにおいしいのだが、粘度が高くて、炒め物の仕上げに入れるときになかなか出てこなくて往生します。富士のはシャブシャブで使いやすい。味も好きです。紅虎とは違って、缶ではなく瓶を使ってます)

担々麺とか鉄鍋餃子は定番メニューで変わってませんが
メニューもそのときどきで変わる。

初期のメニューでなくなってしまったのは「あさりの焼きそば」。
アサリと青ネギをたっぷり入れてニンニクを効かせ、味つけはオイスターソース。
下品なおいしさがあって大好きだったので残念(しかし自分で再現してときどき作ります。自信作なのでそのうちレシピをアップする予定)。

げんこつ酢豚はどちらかというと新しいメニューだと思います。
鎮江黒酢(ちんこうくろず)
うまいです

文字通り、拳骨くらいの肉の塊の酢豚。
黒酢を使ってます。
店の空間がすっきり広々してから出てきたメニューの気がします。


これを自分流にアレンジ。

酢豚は肉を油通ししてから作るものですが、
「げんこつ酢豚」を食べて、
どう考えても油通しだけでこんなに柔らかくなるわけがない、絶対に一度蒸しているはずだ、と思いました。
そこで圧力鍋で蒸すことにしました。


拳骨までは大きくしませんでしたが、
作ってみて、肉が大きいのには理由があることがわかりました。
特に黒酢を使う場合、ソースが酸味と甘みの強い味ですから、肉が小さいとしつこくなる。
肉を大きくすることでソースとのバランスが良くなるのです。
それでもげんこつは大きすぎると判断して写真くらいの大きさに。

甘みは砂糖ではなく、オレンジマーマレードを使うことに。
そこがわたしなりの工夫かな。
元来、豚肉はあんずやオレンジなどの甘い果物と相性がいいからです。


濃厚なソースにからまった大きな豚ヒレ肉が口の中でホロリとほどける。
おいしいぞっ、げんこつ酢豚。

食感の変化をつけるためにわたしはシャキシャキしたクワイを合わせます。
タケノコとか、赤ピーマンを入れてもいいと思いますが量は控えめがいいと思います。

はじめて作った今回はソースの量が少なかったな。
分量は写真より多めにしてあります。
(正直に言うと、この配分はまだ決定版ではありません)



黒酢のげんこつ酢豚の作り方


【材料(3人前)
豚ヒレ肉の塊     300gくらい
 溶き卵       1/2個分
 片栗粉       大さじ3
 水         大さじ1杯半
 塩・胡椒        適量
揚げ油

タマネギ       1/4個(写真は半個。多すぎた!)
くわい(水煮缶)   10数個

サラダオイル     大さじ3
仕上げの葱油(またはゴマ油) 適量
  ※葱油は、サラダオイルに粒山椒、青ネギの葉の部分、ショウガのぶつ切りを入れて
  中温で香りをうつしたもの。常備しておくと炒め物がひと味レベルアップします。

《ソース》
長ネギ        少々
黒酢         大さじ3
オレンジマーマレード 大さじ1杯半
醤油         大さじ2
紹興酒        大さじ3
鶏ガラスープ     大さじ3
ショウガ       1片
片栗粉        大さじ1.5を水大さじ3で溶いておく



【1 豚肉を蒸す】

豚ヒレ肉を3つくらいに切り、水を浅めに張った圧力鍋で20分蒸す。
(圧力鍋がなければ蒸籠で蒸す。強火で40分くらい?)

その間に他の材料の準備をします。

タマネギはおおざっぱに切る。
(赤ピーマンを使う場合はヘタと種を取って縦8つ割りに。タケノコ水煮は薄切りに)

長ネギとショウガを刻んで他の材料と混ぜ、ソースを作る。
オレンジマーマレードは甘さがさまざまなので、ソースを嘗めてみて量を加減する。


【2 豚肉を揚げる】

(1) 圧力鍋が冷えたら豚肉を取り出して、好みの大きさに切る。
げんこつより小さい。
これが最小限だと思います。

(2) 塩、胡椒、溶き卵、水の順に加え混ぜます。
蒸した豚肉は崩れやすいので、そーーーっと扱って下さい。

崩れてしまった小さい肉は、最後にひとまとめに固めるようにします。

(3) 中温の油で豚肉を揚げる。蒸してあるのでそれほど長く揚げなくてよい。
取り出して油を切ります。


【3 炒める】

本文にも書きましたがソース少ないな。
タケノコも少し欲しい。
中華鍋を煙が出るまで熱したら油を入れ、タマネギを炒める。
(赤ピーマン、タケノコを加える場合には20秒後くらいに足す)

ソースとクワイを加えて煮立ったら、
豚肉を加えて絡ませる。

仕上げに葱油(またはゴマ油)をかけ回して完成。