2010年12月31日 スパルタ→ミストラ→アミュクライ→メネライオン→夕刻ナウプリオン着
ペロポネソス半島南部、パルノン山脈とタユゲトス山脈にはさまれた豊かな平地に位置するスパルタは、厳しい教育と尚武の気風で名高い強国でした。前480年のテルモピュライの戦いで、クセルクセス大王率いるペルシアの大軍に立ち向かったスパルタ精鋭部隊「300人隊」の勇猛果敢な戦いぶりはヘロドトス『歴史』第7巻に詳しく述べられています。映画『300(スリーハンドレッド)』はおおむねヘロドトスの記録をもとにしていますが、300人隊の指揮官レオニーダス王が、「楯を引き渡して降伏せよ」というクセルクセス王の最後通牒に「(楯が欲しいなら)来て取れ」と答えたという逸話はヘロドトスにはなく、後1-2世紀の作家プルタルコスの『モラリア』から採られています。きわめて簡潔でウィットに富んだスタイルを「スパルタ風」(ラコニック laconic)といいますが、「来て取れ」(モローン・ラベ μολῶν λάβε)はラコニックなスタイルの典型でしょう。
スパルタ考古学博物館はスパルタ周辺から出土した彫刻や墓碑等が展示されています。左は前580-570年代の戦士像。「来て取れ」のレオニーダス像だとされることもありますが確定できません。
スパルタでは男性は戦場で倒れた者のみ、女性は産褥で命を落とした者のみ、墓碑に名前を刻むことが許されていました。右は戦死した男性の墓碑で名前が刻まれています。
アルカイック期の台形の石碑。両面に各一対の男女が描かれていて、左写真の女性はトロイア戦争を引き起こすことになった美女ヘレネ、男性は夫のメネラオスまたはヘレネを奪ったトロイアの王子パリスのどちらかだと言われています。反対面は、母親クリュタイメストラを殺すオレステス。脇の面には蛇が彫られています。
スパルタのアルテミス・オルティア神殿からいくつかの面が出土しています。右は老婆の面。アルテミスは成人・出産等女性の生涯のおりふしにかかわる女神でしたから、老年を迎えた女性が奉納したものかもしれません。
スパルタを見下ろすタユゲトス山腹に世界遺産ミストラがあります。東ローマ帝国の要衝であった城塞・教会群が険しい斜面に立ち並んでいます。ミストラはギリシア南部のギリシア正教会の中心地であるとともに、イタリア・ルネサンスに深い関わりがある土地でもあります。新プラトン主義の人文学者プレトンはこの地で活動した人物です。
ミストラの王宮跡 |
ミストラの城壁からスパルタの平原を見下ろす |
城壁背後にはスパルタの 弱い子供が捨てられた という谷が |
アギオス・ディミトリオス教会 |
コンスタンティヌス十一世が 戴冠した聖堂内部 |
ミストラのアギオス・ディミトリオス教会は、最後の東ローマ皇帝コンスタンティヌス十一世が戴冠した場所。彼は1453年にコンスタンティノポリスがオスマン・トルコ軍によって陥落した際に、少数の守備兵とともに敵軍に突入して消息不明となっています。
足もとの双頭の鷲は 東ローマ帝国の紋章 |
バンダナサ修道院の コエビソウの鉢植え |
バンダナサ修道院 |
ミストラの中程にあるバンダナサ修道院。現在も女子修道院として用いられていて、鉢植えの花が咲き、たくさんの猫がくつろいでいます。ミストラの中ではやわらかな雰囲気の空間です。
アミュクライ |
アミュクライ遺跡は、前古典期のアポロンとヒュアキントスの神殿跡がかろうじて残っているだけ。近くにある、ミケナイ時代のトロス型墳墓があるバフィオに向かいます。バフィオからは美しい黄金のカップが二つ出土しています(アテネ考古学博物館蔵)。このあたりはオリーブとオレンジの畑が続くのどかな農村地帯。道を教えてくれた地元のおばさんが、私たちがまちがった角で曲がったのを見ると走ってきて正しい道を教えてくれる。脇の畑からオレンジを山のように摘んで「持って行きなさい」という。午後のやわらかな日差しの中を羊が歩いていきます。
バフィオの墳墓 |
バフィオ出土の黄金のカップ (アテネ考古学博物館) |
メネライオン |
日没が近づいていたので、パルノン山脈側のメネライオンに向かう坂を早足でのぼります。神格化されていたと思われるメネラオスとヘレネに捧げられたピラミッド状の神域です。脇には前15世紀後半のミケナイ時代の館跡があります。
メネライオン脇の館跡 |
メネライオンから、スパルタの平野をはさんで向かいにタユゲトス山脈が連なっています。夕暮れに広がる荘厳なパノラマでした。
メネライオンから スパルタの平野とタユゲトス山脈 |
夕刻ナウプリオン着。
大晦日のタベルナで踊る客 |
新年のカウントダウンをタベルナで。地元客ばかりの「バシリス」で中央のテーブルを占拠した東洋人のグループ。店の雰囲気を左右する責任を感じたわたしたちは、まわりの客と乾杯し、踊り、新年のケーキを分けあって新しい年を祝いました。
冥府の花アスフォディル |
2011年1月1日 ミケナイ外周→ケンクレアイ→夕刻ナウプリオン着
ミュケナイ遠景 |
元日はやや緩やかなスケジュール。
ミケナイの周りを散策。ホメロス『オデュッセイア』第11歌に出てくる冥界の花アスフォディルが咲いています。
ケンクレアイ |
午後はコリントスの外港だったケンクレアイへ。水没しかかった小さな遺跡ですが、この港から使徒パウロがトルコ西岸の大都市エペソスへ船出しました。
ギリシア最古の橋
ギリシア最古の橋を見てナウプリオンにもどり、夕食後、ナウプリオンの岬を一周。街灯もあまりない暗い散歩道でしたが安全です。闇の中をジョギングする若者と「中国人か」「いや日本人だ」「そっか。新年おめでとう」とすれ違いざまの会話。元日の夜はこうして更けていきました。
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闇夜に咲くブーゲンビリア |
ナウプリオン港の夜 |
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