2010年12月28日 アクロポリス、アゴラ、ピレウス博物館。夕刻デルフィー(デルポイ)へ。
今日はよく歩いた。万歩計持参のF氏によると1万5000歩を超えたらしい。
アテネのアクロポリスへ。
アクロポリスから見下ろした劇場 |
現在残っているディオニュソス劇場はローマ時代のもの。オルケストラ(舞台)が半円形です。紀元前5世紀の古典期のオルケストラは完全な円形でした。オルケストラの形からおおまかな時代がわかります。また、もとの劇場は観客席が木造でした。
ギリシア悲劇は暗く悲惨なストーリーが多い。知らずに父親を殺し母親と結婚したオイディプスが、ある日自分の素性を知ってしまうソポクレス『オイディプス王』のように。しかし、悲劇は春の明るい空の下で上演されました。舞台の奥には自分たちの生活の場である街並みが見下ろせます。鳥のさえずりも聞こえていたでしょう。野外劇場は、深刻になりすぎずに人間の闇を見つめることを可能にしてくれます。
劇場の近くに医神アスクレピオスを祀るアスクレピオンの跡が残されています。アスクレピオンの本家はエピダウロスですが、紀元前5世紀、悲劇詩人のソポクレスによってアテネに導入されました。
アスクレピオン |
アクロポリスのプロピュライア(前門)の石段を登りきるとパルテノン神殿がそびえています。アテネの守護神である「乙女神(パルテノス)」アテナを祀るこの神殿はもともと木造でしたが、紀元前480年、侵攻してきたペルシア軍の手によって焼け落ちます。アクロポリスに立てこもっていた少数のアテナイ市民兵は、ペルシアの奴隷になるよりは、とアクロポリスの高い崖から飛び降りて全滅しました。このペルシア戦争から数十年後、将軍ペリクレスの指導下で繁栄をきわめたアテネの黄金時代に再建されたのが現在残っているパルテノンです。
当時は内陣の中に、彫刻家ペイディアス作の巨大なアテナ女神像がありました。肌の部分は象牙が貼られ、薄暗がりの内陣にそびえるアテナ女神像はまさに「人間を超えるもの」の偉容をたたえていたと思いますがもちろん現存しません。内陣そのものも、19世紀に火薬庫として使用されていた際の爆発で吹き飛んでしまいました。屋根の東西の三角部分(ペディメント)に飾られていたオリュンポスの神々の像は、現在大英博物館にあります。屋根下に巡らされていた浮き彫り彫刻(「パルテノン・フリーズ」)の一部は大英博物館で、一部はアクロポリスの麓にあるアクロポリス美術館で見ることができます。
アテネ・ポリアス神殿跡 |
パルテノン神殿とエレクテイオンのあいだに、パルテノンより古いアテナ・ポリアス神殿がありました。現在は礎石だけが残されています。
アゴラのほぼ全景。左はローマ時代のストアを 利用したアゴラ美術館。右奥にアクロポリスが見える。 |
裁判で弁論の時間を計った水時計。 上の壺に穴が開いていて水が下の 壺にたまる。 |
毒杯 |
アゴラの裁判所跡付近 |
クーロス像 |
アルテミス女神像 |
ピレウス美術館は数は多くないが見事なブロンズ像があります。
紀元前4世紀の2体のアルテミス女神像と、紀元前4世紀のオリジナルをヘレニズム時代に模刻したアテナ女神像。
クーロス像の背中 |
港のタベルナらしい船の絵や 船具が飾られた店内 |
白身魚のマリネ |
歴史と美に堪能したあとはおいしい食事。ピレウスのタベルナは旅行中いちばんレベルが高いシーフードレストランでした。
ズッキーニのフリット。 サワークリームで食べる |
イワシのオリーブ油焼きとトマト |
夕刻、アポロンの神託で有名なデルフィー(デルポイ)に向かいます。
12月29日 デルフィー(デルポイ)、オシオス・ルカス修道院
アテナイ人の宝庫 |
デルポイの神域はコリントス湾を望む険しい崖の中腹に広がっています。(←) ホテルからコリントス湾に面するイテアの港が見下ろせます。神域を訪れる巡礼者はこの港に上陸して、谷間の街道を写真の左にむかってたどります。
神域入口から見上げる パイドリアデス |
デルポイの神域の背後にはパイドリアデス(「光る岩」)と呼ばれる崖がそびえています。朝日、夕日を受けるとオレンジ色に輝くことからこの名がつきました。
20年前にパイドリアデスの上に登ったことがあります。崖の上に立つとデルポイの荘厳な聖域が見下ろせる。そこから山道を登り始めました。人っ子一人いない道を、ところどころ木につけられた赤い目印をたよりに(これは日本の登山道と同じですね。万国共通なんでしょうか)登るうちに、霧が立ちこめてきました。山の中腹のやや開けた草原(くさはら)で立ち止まり、もう戻った方がいいかと思い始めたころに、霧の向こうからカラカラという金属音が近づいてきます。カラカラの音がわたしを取り巻きました。やがて少し霧が晴れると、わたしは鈴をつけた山羊の群れに取り囲まれていました。山羊飼いの姿は見えません。霧の岩と緑のなかで静かにわたしを見つめる大山羊たち。怖さより、何か不思議の世界に迷い込んだような思いでしばし立ちつくしていました。神さびたデルポイにふさわしい体験だったと思います。
閑話休題(あだしごとはさておき)。
ピュティアの神託が下されたアポロン神殿 |
巫女がこもった洞窟 |
内側から(学生撮影) |
デルポイの劇場 |
競技場 |
馭者の像 |
足首 |
クレオビスとビトンの像はアルゴスの兄弟を記念したもの。ヘロドトス『歴史』第1巻によれば、二人はアルゴスのヘラ祭に母親を連れて行こうと思ったが、車を引く牛が畑に出ていて間に合いそうもない。やむなく兄弟は母親を牛車に乗せてヘラ神殿まで引いて登っていった。母親に祭りを見せた直後に兄弟は絶命した。『歴史』には「アルゴス人は二人を世にも優れた人物だとしてその立像を作らせ、デルポイに奉納いたしたのでございます」(岩波文庫、松平千秋訳)とあります。 |
オイディプスの三叉路 |
ソポクレス『オイディプス王』のテキストに見事に符合するのが、バスが止まった三叉路なのです。『オイディプス王』のテキストを刻んだ石碑が立てられていて、ここがあの三叉路であることを伝えています。この石碑は新しいもので、立てたのはギリシア精神分析協会。フロイトの「エディプス(オイディプス)コンプレックス」の原点だということなのでしょう。
「人を寄せつけぬパルナッソスの荒々しさと静けさが支配するこの〈三叉路〉以上に、かの悲劇[『オイディプス王』]にふさわしい舞台はないと思えるほどである」と川島重成は書いています(『ギリシア紀行』岩波書店、2001)。
バスは、11世紀に建てられ、キリストを描いた一連のモザイク画がある美しいオシオス・ルカス修道院へ。修道院の背景には、ギリシアの詩の女神ムーサ(英語でミューズ)が住んだとされるヘリコン山がある。
夕刻、オリンピアに到着。
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