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2018年3月21日水曜日

駆け足でオーストラリア その2——シドニー


最終日はシドニー観光。

けっこう神経を使ったキャンベラ大学との話し合いだとかから解放されて、JTBお任せの観光でのびのびしました。

まずはタロンガ動物園。
ガイドがなかなかおもしろい人で、
「わたしはここでオーストラリアの動物をまともに見られたためしがありません。
タスマニアデビルは背中しか見えないし、ウォーンバットは寝てばっかり」
とひたすら盛り下げるクールなトーク。

しかしそれはおそらく彼女なりの計算で、
盛り下げられたからこそ、実際に見られたときの喜びが大きくなる。


タスマニアデビルは確かに警戒心が強かったのですが、声を出さずに数分待っていると、
奥からスチャチャチャチャッと現れました!
すばやい!
そしてデビルにふさわしい獰猛な顔つき。

ウォーンバットも目の前でモコモコ動いてくれた。

タロンガ動物園は高所にあるので、キリンの背景にシドニーの繁華街が見える。
おもしろい構図です。

動物園からロープウェイで降りる景色もなかなかでした。


ロープウェイを降りてフェリーでシドニーの港に向かう。
海辺の食堂街
フェリーの周囲をたくさんのヨットが走る。わたしはヨットに乗ってたことがあるのですが、シドニー湾のヨットは日本では考えられないくらいの近距離で船舶と離合します。

ヨットを前景にしたオペラハウスを通り過ぎて港に接岸。


にぎやかな波止場でとりあえず昼食をとりました。

「アドリア」の名前の通り地中海料理の店で、
黒板メニューにはスブラキ(ギリシアの串焼き)など食欲をそそるメニューが並んでいるのですが、そこは旅行会社お任せツアーの悲しさでハンバーガーとデザートだけ。
でも波止場に面したテラス席なので開放感がある。
バーもなかなか楽しそうですが文句は言うまい。
1人で来たときのお楽しみにとっておきます。
「アドリア」のバー

ハンバーガーはそれなりにおいしい。
オーストラリア到着後すぐに立ち寄った「マクドナルド」で食べた「クラシック・アンガス」もそうだったのですが、肉がしっかりしている。
「アドリア」のは赤タマネギとビーツがはさんであって、これがワイルドな牛肉と合う。




デザートはキャラメルソースのパンナコッタ。
おいしい。

食後にタバコを吸いたくなってあたりを観察すると、
写真のような掲示板があります。
オーストラリアに来る前に「喫煙所以外で吸うと厳罰だ」と脅されていたのですが、
何のことはない。
建物から離れていればオーケーなんです。
キャンベラでは3m以上だったのがシドニーでは4m以上。
都市ごとに距離が決まっているんだと思う。

健全です。

ヨーロッパでも屋内は全面禁煙ですが外で吸う分には誰も文句を言わない。

屋外での受動喫煙の害は科学的に証明されていないのだから当たり前です。
(なお、「副流煙は喫煙者が吸う煙より有害である」と主張した論文はWHOによって科学的根拠がないと否定されています)

日本では東京オリンピックに向けて受動喫煙の害をなくす方向に進んでいて、そのことに異論はまったくありません。

「受動喫煙」が科学的に定義されてさえいればですが。
その定義を抜きに受動喫煙の害を語るのはおかしな話です。

ヨーロッパやオーストラリアの喫煙制限はそういう意味で健全です。
喫煙そのものを否定していない。

昨今の日本の喫煙への論調は、言わせてもらえば全体主義です。
喫煙は違法行為ではないし喫煙者は高額納税者なのだから、
税で屋外喫煙所をたくさん作ればいい話です。
それなら屋内全面禁煙でかまわない。
なのに喫煙することがそもそも悪であるかのような論がまかり通る。

閑話休題(あだしごとはさておき)


食後はお決まりコースのオペラハウスへ。


これまた喫煙所でタバコを吸っていると、
中国人らしい若者が寄ってきて「火を貸してくれないか」と。
「お安いご用だ」
とライターを貸して、二人きりで黙っているのも何だから、
「中国人か?」と話しかけました。
「そうだ。上海から来た」
立派な身なりで立派な英語を話します。
なんでもない会話を交わしながらタバコを楽しみました。
この数年の中国人観光客の身なりの良さと英語の立派さには感心します。
もちろん貧富の差はものすごくあって、
恵まれた人たちが旅行をしているのだとは思いますが。

夜、空港で帰路に。

陽気でオープンな国(だと想像していてそのとおりでした)に
携行する本は何にしようかと考えて、
古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮文庫)にしました。

オーストラリアからいちばん遠く思える本。
福島県出身の古川が、3.11の数ヶ月後に震災の地を見て回った記録です。

ドキュメンタリーではない。
事実の叙述のあいまあいまに、
古川自身が書いた小説の登場人物が幻のように登場する。

レンタカーで震災跡地を巡りながら、
古川は「時間」と「場所」とはそもそも何なのだろうという深い問いを考え続けます。
ある大きな力によって時間と場所があの大地震に結果した。
福島県出身であると同時に東京の文化人である自分の立ち位置は、
時間と場所を考えることによってしか確認できない。
そういう手探りの旅の記録です。

古川は相馬市の馬たちの悲惨を、
馬という動物の歴史をひもとくことを通じて直視しようとする。

最後に登場する馬たちと牛にかすかな希望が輝いています。

機上の3月11日、
『馬たちよ、それでも光は無垢で』を読了しました。


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