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2018年1月21日日曜日

断捨離読書日記 その1——フリーマントル


 自宅と山小屋と研究室と貸倉庫に書物があふれています。20年以上前の引っ越しの際に数えたときに六千冊以上ありました。それ以後数えていないけど少なく見積もっても八千冊は超えていると思います。買っただけで読んでいないものがある。読んだけど内容をすっかり忘れてしまっているものもある。定年退職まであと1年ちょっと。
 もう潮時だと思います。捨てるものは捨てる。それしか蔵書地獄から逃れる道はありません。

 そうは言っても。
 どんな書物でも著者をはじめとする人々のエネルギーが注ぎ込まれた物質です。捨てるにしろそれなりの敬意を払いたい。黙って捨ててしまうのは失礼。とりあえず読む。あるいは再読する。そうやって、こちらもささやかなエネルギーを注いだ結果として捨てる決断をしたのだ、ということは最低限書いておきたい。そういうスタンスで「断捨離読書日記」を書くことにしました。



記念すべき第1回は

B・フリーマントル (中村能三訳)『別れを告げに来た男』(新潮文庫 1979)
(稲葉明雄訳)『消されかけた男』(新潮文庫 1979)
(稲葉明雄訳)『再び消されかけた男』(新潮文庫 1981)

ブライアン・フリーマントルは、イギリスのスパイ小説(エスピオナージュ)の名手。
3冊とも若い頃に買っただけで読んでなかった。
あるいは読んだけどすっかり忘れてしまっていた(年をとるというのはそういうもんです)。

20代のわたしは推理小説・SF・スパイやアクションもの(英語でいうthriller)を年間数百冊読んでいて、出版社のために未訳の英語原作のレビューを仕事にしていたこともある。現在の専門も文学テキストの解釈ですから判断力は素人ではないと思います(自慢ではなく単に事実として言っているだけです。仕事なんですから)。そういうわたしから見て3冊とも一級品だと思う。

3冊ともたぶん日本人には書けない。
なぜか。
ほとんどの日本人は、政治家を含めて、「外交」ができないからです。
『別れを告げに来た男』を読むと、大英帝国の歴史で培ってきたイギリス人のしたたかな外交の力がわかります。
主人公のエイドリアンは外交官ではない。共産圏の亡命希望者が本当の亡命希望者であるかどうかを品定めするしがない国家公務員です。
しかしフリーマントルは「しがない国家公務員」の凄さを描く。

人間はそれぞれ自分にとっては大事な価値観を持って行動する。
当たり前ですが、自分とは異なる価値観を持って行動する人間はたくさんいる。
そういう人間に対して、
腹を立てることもなく、自分と彼・彼女との違いを当たり前のこととして受け入れた上で、
双方に共有できるものはなんなのか、
共有できないものはなんのかをきちんと認識し、
さらに自分に有利なものを可能な限り手に入れようと相手と折衝を重ねる。
外交とはそういうものだと思う。

自分とは異なる価値観を持って行動する人間に対して「腹を立てる」人間に外交はできない。そういう人間は一人前の大人ですらない。外交は大人の仕事です。

エイドリアンは、ソ連の亡命希望者ヴィクトル・パーヴェルとの面談を通じて、
相手を観察し、考察し、見定めようとする。
その複雑・冷徹な人間観察。ことばを通じての交渉力。
ヴィクトルもエイドリアンに劣らず大人。
2人の駆け引きの緊張感がただごとではない。

しかしこの小説は、大人の冷徹な外交力を描くだけに終わらない。
価値観は相容れないけれども、お互いが大人であることを認識したからこそ生じる相手への控えめな共感と敬意。
それをフリーマントルは描きます。
おそらく本当の外交を行う政治家同士にもこのような共感と敬意は生じうるのではないか。それこそが敵対しあう国家間にもかろうじて可能なつながりではないのか。
丁々発止の交渉の中にも人間は希望を見いだすことができるのではないのか。
そういう点でフリーマントルにニヒリズム(虚無主義)はありません。

もちろん、しょうもない政治家や官僚はいる。
フリーマントルはそういう連中を呵責なく描きます。

だけれども。
こんな小説がベストセラーになる。
エイドリアンを通じて描かれるような人間観が少なからずの人間に共有されている。
わたしはそこに外交国イギリスの底力を感じました。



『消されかけた男』『再び消されかけた男』はイギリスの諜報部員チャーリー・マフィンが主人公。
安物スーツとハッシュ・パピーのすり切れた靴を身につけるさえない見かけのチャーリー・マフィンもまた、エイドリアンと共通する人間観察力と、さらには生き延びるための冷徹な計算と行動力を持つ大人です。

イギリス・アメリカ両国の諜報局を手玉に取って生き延びる。
この2作でもソ連のベレンコフとの敬意のやりとりが控えめに描かれます。
『再び消されかけた男』のチャーリー・マフィンの米英諜報局へのしっぺ返しは痛快で、わたしは思わず声を上げて笑ってしまいました。


3作とも読んで絶対損はしない。サスペンスの連続でおもしろい。
おもしろいだけじゃなくて「大人であること」が何なのかをわからせてくれる。
そして大人であるエイドリアンもチャーリー・マフィンにも、愛すべきうかつさやみっともなさもあることも。
人間ってこれだけ深くて賢くて、同時に格好悪いものでもあることを教えてくれる。
特に若い人に読んで欲しいと思う。

それから。
『消されかけた男』のカバー表紙の靴はチャーリー・マフィンが履いているハッシュ・パピーなんじゃないだろうか。
そうだとすると気合いの入った表紙だと思う。
稲葉明雄の解説も良い。



ここまで書くと、捨てるのは断念したかと思うかもしれません。
実際、3冊読み終わったとき「これは捨てるわけにはいかないな」と思いました。


しかーーーーし!!

続けてグレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』の41ページまで読んだところで、
思い直しました。

フリーマントルを「一級品」だと書いたのですが(そしてその評価は変わりませんが)、
グリーンは一級品どころか超弩級。
まだ先を読んでいないんだけど、41ページまででフリーマントルがかすんでしまった。

『ヒューマン・ファクター』についてはあらためて書きます。


結論。
フリーマントル、すばらしかったよ。
でもお別れだ。
3冊とも手放します。



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