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2014年1月3日金曜日

『眠りの森』


テレビでやってた『眠りの森』すばらしかった! 

見てない方もいるでしょうから詳しく書けませんが、 
犯人の最後が悲しくて悲しくて。 

「夢は覚めません」
と命をかけて言った自分のことばが伝わらないことを知ったあと、 
ひしと彼女を抱きとめる阿部寛の演技も泣けてくる。 

Kカンパニーの全面協力もあってバレエも嘘っぽくなかった。 
東野圭吾の原作も加賀刑事もので一,二を争う名作なんだけれど、 
この映画、原作を超えてると思いました。 

うつくしいバレエの舞台は夢。 
しかし、本当の夢は、 
「文化の夢」と「実人生」の矛盾とあわいに揺れ動きながら、 
矛盾を抱えたまんま文化に生きようとする人間の生き方なんじゃないか、と思いました。 

舞台の夢にまったく違和感を感じずに実人生を犠牲にできる人は、 
「行っちゃってる人」です。 

文化は美しい。 
しかし人は「美しい文化」だけに生きることはできない。 
実人生はかならず文化の中に割り込み、亀裂を生じさせます。 


そして文化のさらなる不思議さは、 
上に書いたような、矛盾を抱えた人の表現が 
「行っちゃってる人」の表現よりも人の胸を打つ、 
ということだと思います。 

「行っちゃってる人」の表現が中心をひとつしか持たない「円」だとすると 
矛盾を抱えて表現する人の表現は中心をふたつ持つ「楕円」だということでしょうか。 
楕円は円より美しい。 

『眠りの森の美女』がオーロラ姫とフロリナ姫のふたつの中心を持つように。 

『眠りの森』は、 
そういうバレエの世界と、こちら側の人間の世界との 
「ふたつの楕円」が見事に重なった物語でした。 

柄本明演じる、文化の世界とまるで無縁な所轄の刑事が、 
いやいや加賀刑事と組んで捜査を続ける中で、 
「文化の価値」にしだいしだいに目覚めていく。 
そしてそのことが彼の家族との関係という「実人生」を救うきっかけになっていく。 
文化のそういうまた別の側面も描かれているのもいい。 

人間は「文化」だけでも「実人生」だけでも救われない。 
そういうことなんだな、と腑に落ちました。 


俳優、みんながんばってたし。 


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